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日本共産党の「所感派」「国際派」について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%89%80%E6%84%9F%E6%B4%BE を読んでいたのですが コミンフォルムの平和革命論批判に対し、その批判を受け入れたのが国際派、反発したのが所感派というように読めます ところが、続く記事では所感派は武装闘争を、国際派は合法活動をとった、と書いてあります。 単純に考えると平和革命論批判を受け入れる=武装闘争をはじめる ではないかと思ってしまうのですが なぜこのようなねじれがあるのでしょうか?
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国際派は批判に対し一定の理解と評価を示しましたが、一環して武力闘争は否定していました。 所感派は最初は批判に対し反論を行いましたが、それを中国などから批判され、すぐに転向し方針を転換します。そして武力闘争に突入していきました。 結局、所感派の武力闘争はうまくいかず、民衆の支持も失いはじめた事から、国際派が力を増し武力闘争に終止符をうつ事になっていきます。 ウィキの文章はちょっと説明不足ですね。
補足
ご回答ありがとうございます。 なるほど、そのような変化があったんですね。 それにしても、もともと批判に評価をしていた国際派は武力闘争否定を貫き、 反論していたはずの所感派が方針転向したというのは、やはり不思議です。 どのような事情があったのでしょう…所感派は党の中枢にいた分、 中国の批判を正面から受けることになり、耐えられくなったのでしょうか