境界性人格障害(ボーダーライン・境界例)の人には、さまざまな症状が見られます。症状だけならば、神経症・うつ・他の人格障害などで見られる症状のどれもが生じうる可能性があると言えます。その中でも境界性人格障害の人に特有な考え方、行動があります
まず、ちゃんとした自分を持っていないために、何をしたらいいのか全くわからなかったり、将来のイメージを思い浮かべることができなかったり、他人の言う通りに動いてしまったりすることがあります。自分がないために時に言いようのない不安にかられることもあるようです。
マイナスな感情に翻弄されやすく、ちょっとしたことで傷ついてしまうなど、さびしさや怒りについての感じ方が独特です。そのため、人間関係をうまくやっていくことができず、特定の人との密接な二者関係をつくり、だんだんと依存的になるか、もしくは相手を縛り付けるようなことになりがちです。
また気分がころころと変わることがあり、さっきまでニコニコしていたかと思うと今度は烈火のごとく怒り狂ったりします。さらに仲のよい親友がちょっと気に入らないことしただけで、あっという間に裏切り者、最低の人物になってしまうこともあります。これは境界性人格障害の人が「白か黒か」「All or Nothing」の考え方をしがちなことと関係しています。
このように対人関係が不安定であり、まわりにいる一部の人を巻き込んでいくのがこの病気の特徴です。特に、リストカットや大量服薬(オーバードーズ)、人や物に対する暴力、自殺企図などの行動化が激しいので本人もまわりもくたくたになってしまいます。
こうした傾向がある人は、ある意味で未成熟な子どもであり、またある意味でものわかりのよいイイ子を演じてると言ってもいいかもしれません。治療には時間と根気がかかります。あせらず、のんびり、時には厳しくやっていかなければいけないでしょう。
境界性人格障害に関する本はいくつか出版されています。
最近出た本ですが「境界性人格障害=BPD―はれものにさわるような毎日をすごしている方々へ」という本が面白いなと思います。特に友人、恋人、家族に境界例の人がいて困っている・・・というような人にお勧めです。最近、自分でできるワークブックも発売されました。「境界性人格障害(BPD)のすべて」も最近出た本ですが身近な立場から読むことができます。文章を読むのはちょっと・・という人にはマンガ境界性人格障害&躁うつ病REMIXも良いかもしれません。
実際の治療に関しては「境界例の治療ポイント」が基本的な前提から詳しく書かれており、当事者・友人・家族の方に読んでいただきたい一冊です。また「境界例」はいろいろな事例が出ており、治療の実情を見るのに役立ちます。
専門的な本では「青年期境界例」がよいと思います。最近、副院長から同じ著者の境界性パーソナリティ障害最新ガイドを頂きましたが、なかなか良さそうです。
境界性人格障害に関する説明は、境界例と自己愛の障害からの回復の方が詳しく書かれています。少し難しい内容が多いですが、参考になるでしょう。
自己愛性人格障害とはなにか
自己愛性人格障害
特 徴
自分を愛するという行為は、健全な心の発達のためには必要なものですが、それが病的に肥大化して自分に対する誇大感を持つようになると、それは自己愛人格障害と呼ばれるものになります。健全な人のように、ありのままの自分を愛することができないのです。
御都合主義的な白昼夢に耽る。
自分のことにしか関心がない。
高慢で横柄な態度。
特別な人間であると思っている。
自分は特別な人間にしか理解されないと思っている。
冷淡で、他人を利用しようとする。
批判に対して過剰に反応する。
虚栄心から、嘘をつきやすい。
有名人の追っかけ。
宗教の熱烈な信者。
なんでも自分の思い通りになるという空想に耽ったりします。内容的には、自分の万能感を満たすようなものになります。すべて自分にとって都合のいいように事が運んで、最後には自分が絶大な称賛を浴びるといったようなものです。自分だけが特別に評価されて大抜擢され、とんとん拍子に出世するとか、もっと空想性が進んで行くと、超能力的な力で現実を思い通りに動かすとか、あるいは過去にタイムスリップして、時代差から来る優越感に浸るとか、いろいろなパターンがあります。たとえば自衛隊が関ケ原の決戦に参戦したらどうなるかなどという空想は、圧倒的な文明の差による優越感に浸ることができます。
聞かれもしないのに、やたらと自分のことをしゃべりたがる人がいます。話が他へ移ろうとすると、強引に自分の話に戻そうとします。話の内容は自慢話的なものばかりで、聞いている方はうんざりしてきます。他人にはあまり関心がないので、相手がうんざりしていようとお構いなしです。自分は特別な人間だ、パンピー(一般のピープル)とは違うんだという意識から、小市民的な生き方を軽蔑し、そういう人達と一緒にされることを嫌います。裏付けとなるものがなにもないのに、一目置かれる存在であることに非常にこだわります。あるいは、自分という人間は特別な人しか理解することができないのだと思ったりします。たとえば、以前マスターソンがラジオで自己愛人格障害の話をしたところ、自分は自己愛人格障害なのでぜひ治療してもらいたいという人が何人も電話してきました。そこでそのうちの十人を治療することになったのですが、実際に治療するのは高名なマスターソン本人ではないと知ったとき、十人が十人とも治療を断ったそうです。無名の医師ではダメなのです。他人に対する共感に乏しく、他人を自分のために利用します。他人の業績を横取りして自分のものにしたりします。優越感に浸るために他人を利用します。他人の存在とは、素晴らしい自分を映し出す鏡である、くらいにしか思っていません。ですから、他人から批判されたりすると、すぐにカッとなって怒ります。あくまでも自分は優れた存在なのです。もともと、裏付けのない優越感ですので、話のつじつまを合わせるために嘘をつくこともありますが、本人には嘘をついているという意識はあまりありません。ときにはホラ話のように、話がどんどん大きくなっていって、どこまで本当なのか分からなくなります。有名人に近付くことで自分を特別な存在だと思い込んだりします。政治的な大物に近付いて自分の誇大感を膨らませることもあります。自分も同じ世界の人間になったように錯覚して、裏付けのない空想的な野心にのめり込んだりすることもあります。
誇大感を持つ人には二つのタイプがあります。自分は素晴らしいと言うタイプと、あなたは素晴らしいというタイプです。あなたは素晴らしいというタイプの人は、その素晴らしい人に奉仕している私も素晴らしい特別な存在だと言うふうになります。偉大な独裁者を崇拝する献身的な国民、偉大な神に身を捧げる熱狂的な信者、ワンマン経営者に心酔して滅私奉公する素晴らしい幹部社員、有名な歌手の応援をする熱狂的なファンなどです。すべてに言えることは、ありのままの自分が愛せないのです。自分は優越的な存在でなければならず、素晴らしい特別な存在であり、偉大な輝きに満ちた存在でなければならないのです。愛すべき自分とは、とにかく輝いていなければならないのです。しかし、これはありのままの自分ではないので、現実的な裏付けを欠くことになります。
しかし、本人にしてみれば、高慢だと言われてもぴんと来ないかもしれません。それよりは、他人や周囲の出来事を過小評価していると言った方が理解されやすいかもしれません。自分より優れたものを認めたがらず馬鹿にしているので、他人の能力や才能が見えまず、他人の優秀さを無視します。そして、他人を見下したり軽蔑したりすることに快感を覚えたりします。
原 因
ヨチヨチ歩きの赤ん坊がテーブルに頭をぶつけたとき、いくら泣いてもテーブルはどいてくれません。痛い思いをしたくなかったら自分の方が相手に合わせなくてはなりません。赤ん坊は最初、自分を中心に世界が回っていると思っていても、柱にぶつかったりしながら、自分ではどうにもならないテーブルや柱といった物理的な存在を受け入れて、現実に適応していきます。
しかし、境界例の所で説明したような母子関係の場合はどうでしょうか。赤ん坊が母親から精神的に分離する時期に、母親が無意識的にこれを妨害するよな場合です。物理的な現実の方は、頭をぶっつけたりして否応なく受け入れていきますが、精神的な現実は、歪んだ母子関係によってあいまいなままにされてしまいます。精神的な分離があいまいなままごまかされてしまうので、現実の認識も歪んできます。そして、精神的に自立する不安に堪えられず、生まれたばかりのころのような自己中心的な万能感に浸ることで、この不安を回避しようとします。そして、この万能感は母子関係によってさらに強化されることがあります。つまり境界例的な親自身が見捨てられる不安から、子どもを甘やかすからです。さらに、子供の心には依存心をもてあそぶ親への憤りも発生してきます。親の立場というのは赤ん坊や子どもからすれば圧倒的に優位な立場にあります。そして、見捨てられた自分は圧倒的に弱くて惨めな状態にあります。この力関係はどうにも動かしようがありません。そこで、一つの解決方法として、空想の中で立場の逆転を起こそうとすることがあります。見捨てられた惨めな自分を否定して、それとは反対に自分が親よりも優位に立って親に復讐するのです。空想の中で、不安をもてあそぶ卑しい親に対して、繰返し勝利を体験し、無限の優越感を味わうのです。
親子の立場を逆転させ、親への復讐が輝かしい勝利をもたらすという空想の「快感」に依存するようになると、この快感は強化されて恍惚状態と言ってもいいようなものになります。これが自己愛の輝きのもとになるものです。しかし、この勝利は「現実」ではありません。本当の自分は、親にもてあそばれる惨めな敗北者です。こんな哀れで惨めな自分はとても受け入れられなのです。輝かしい勝利の空想だけが、自分を救ってくれるのです。誇大感に満ちた空想は現実感を失わせてゆきます。たとえば、本当は自分が他人に嫉妬しているのに、他人が自分に嫉妬していると思ったりします。他人から批判されると、あれは私に嫉妬しているからだとなります。こういう詭弁によって立場を逆転させるのです。なにがなんでも自分が優位に立たなければなりません。自分が劣っていることを認めることは、幼いころの痛々しいくらいに哀れで惨めな自分に結びついてしまいます。ですからどんな卑怯な手段を使ってでも、どんなにつじつまの合わない妄想であろうと、自分を守るためにしがみつかざるを得ません。他人から侮辱されたと思い込んだりした場合、自分を守るために、非常に激しく怒ったりします。あまりにも自己中心的な怒り方なのですが、本人は必死です。妄想の種になるようなものがないときは、他人の欠点を捜し出して見下したりします。ありとあらゆる理由をつけて他人を見下します。貧乏人の癖に、不細工な顔をしているくせに、頭が悪いくせに……。実際にどうであるかということよりも、とにかく見下すことができればそれでいいのです。
他人を見下すということは、ときには他人からの報復攻撃として、自分が陥れられるかもしれないという疑いを生み、非常に疑い深くなったりします。他人に心を開くことなく、自分の妄想の殻の中に閉じこもってしまいます。こういったことは様々な不都合を生みますが、利点としては自我の崩壊を防ぐことができるということです。もし、妄想が崩れたら一気に鬱状態になったり、あるいはパニックになったりしますが、少なくとも妄想にしがみついていられる間はこのような悲惨な状態にはなりません。現実というものがひたひたと足元に忍び寄ってきます。砂の城は波によって崩されていきます。妄想という砂の城を維持するためには、現実の脅威に対して妄想を補強し続けなければなりません。やがて、妄想が維持できなくなったとき、悲惨な現実にうちのめされてしまいます。
診断基準
自己愛性人格障害
アメリカ精神医学会 DSM-IV
誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになります。
以下のうち5つ(またはそれ以上)で示されます。
自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待しますね)。限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれています。自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じています。過剰な賞賛を求めます。
特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待します。対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用します。今もそんな感じですね。共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしません。しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込みます。
尊大で傲慢な行勤 または態度
妄想性人格障害
アメリカ精神医学会 DSM-IV
A.他人の動機を悪意のあるものと解釈するといった、広範な不信と疑い深さが成人期早期に始まり、種々の状況で明ります。
以下のうち4つ(またはそれ以上)によって示されます。
十分な根拠もないのに、他人が利用する、危害を加える、またはだますという疑いをもちます。友人または仲間の誠実さや信頼を不当に疑い、それに心を奪われています。情報が自分に不利に用いられるという根拠のない恐れのために、他人に秘密を打ち明けたがりません。悪意のない言葉や出来事の中に、自分をけなす、または脅す意味が隠されていると読みます。恨みを抱き続ける。つまり、侮辱されたこと、傷つけられたこと、または軽蔑されたことを許さないです。自分の性格または評判に対して他人にはわからないような攻撃を感じ取り、すぐに怒って反応する、または逆襲します。配偶者または性的伴侶の貞節に対して、繰り返し道理にあわない疑念を持ちます。B.精神分裂病、精神病性の特徴を伴う気分障害または他の精神病性障害の経過中にのみ起こるものではなく、一般身体疾患の直接的な生理学的作用によるものでもないです。
お礼
ありがとうございます。 URLにアクセスしました。自分もかなり当てはまると思ったのと、内容が濃くて有り難かったです。吐き出すと同時に自分と向き合えたらいいなぁと思い投稿させてもらったんです。傷を抱えたままもし結婚や出産をしても良くないと思ったんです。自分がされてきたことを繰り返したくはないんです。恨むとか憎むとかもちょっと疲れてきたんです。醜いなってごくたまに思うんです。自分を信じて、自分を愛したいんです。それには誰かの手を借りて吐き出し、受け入れ向き合いたい、先に先に前に前に進みたいと思ったんです。長くてすみません。ありがとうございました。
補足
すみません。教えて頂きたいんですが、ちなみに私は何かアダルトチルドレンの定義を間違ってるんでしょうか?