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戦後の教育で
戦後、教員の人数が少なくて、成績優秀 な生徒が、教員のように教壇に立って、教 科を教えていた、というのを、何かの漫画 で読んだ覚えがあるのですが、実際に、あ ったのでしょうか? また、実際にあったなら、現代でも、この 制度を導入すれば、学校全体の成績が 上がるのではないでしょうか? 「教える」という、行為に対しての、新た に項目を作って評価をするようにしてはど うでしょうか? 算数や、国語を、理科、社会を評価するよ うに、いろいろなメリットやデメリットが あると思うのですが、皆さんのご意見をお 聞かせください、お願いします。
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- aminouchi
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まず、最初の質問についてですが、戦前から中学校卒業という資格だけで教えられる代用教員という制度がありました(石川啄木や坂口安吾が代用教員であったことが有名です)。また戦後には、いわゆるポツダム教師というのもおりました。 次の質問ですが、そのような「成績の良い生徒」が教えることで学校全体の成績があがるならば、もともとその学校の教育レベルが低かったと言えるでしょう。小学校レベル、あるいは戦争や貧困などで学校や教育そのものが崩壊している様な場合の非常の措置としてなら考えられますが、現在の日本の教育水準では無理でしょう。 他の方も書いておられますが、「教える」というのは一つの専門職です。教員免許を持っていたからと言って、充分に教えられるどうか疑問です(お礼によればそれをkomaneti53さん自身が体験しておられますよね)。教える技術を持つということも必要ですし、その教える内容に対して充分に理解していなくてはなりません。時にはたった1行の板書をしたり、生徒の軽い気持ちの質問に答えるために、何冊もそれに関連する本を調べることもあります。「教科書にそう書いてある」というのでは、生徒も教員自身も納得しないですから・・ それぐらい難しいものをちょっと他の生徒より成績が良いからと言って、生徒自身に教えさせて他の生徒に充分に理解させることは難しいでしょう。もし、教員がそれをやらせるとしたらその目的は、「良い成績の生徒の理解をより深めさせるため」です。(それは、ある意味で成績の良い生徒の利益の為に他の生徒に犠牲になってもらうことです。また、実際に効果があるかどうかは、対照群を作ってテストをしてみれば判ります。平均値をとればプロの方が結果は良いはずです。) ただし、ここが難しいところですが、#2のgreennutsさんもおっしゃるように >「その道のプロ」から見たら非常識なことが、 >何かを変えるきっかけを作ってくれるように思います。 ということもあり得ます。その視点は常に必要なことでしょう。 ただ、現状を見ますと、私自身を含めてまだまだ教員側の能力と努力の不足の部分が多いと思いますし、それをどのように解決していくかというのが主たる問題であると思います。できる生徒に教えさせてみる、という方向ではおそらくうまく行かないと思うのです。
- shinsukenatsuki
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戦後だけでなく,江戸時代の寺子屋,明治時代から級長が代わりに教えたり,成績優秀な生徒が卒業したらそのまま代用教員になるケースがありました。戦後,新制中学がスタートしたとき,教員の数が少なく,旧制中学を卒業した人に講習して臨時免許を与えたこともありました。しかし,中学教師は大学卒,小学校教師は短大卒が最低の基準でしたから,こうした教師は学力が十分でなく,そうした教師の多い地区はやはり教育効果が上がりませんでした。俗に「ポツダム教師」(ポツダム宣言で戦争に負け,新制学校がはじまったから教師になったという意味で,蔑称です)と呼ばれていました(もう年齢的に全員退職しました)。 結論ですが,どんなに優秀でも絶対に教員になることは無理です。テストで満点取ることと,教壇でその科目を教えることはまったく違います。もっと先生を尊敬しましょう。ただし,教える側に立つことは勉強にもなり,面白いとは思います。
お礼
教える側に立つという授業があれば面白いですね、 そうした場合、どうなるんでしょうねぇ 小学校の場合なら、6年生が低学年の、1年生や、 2年生を教えるのでしょうか? 最近教育の世界では、若い教員の数が少なく、年 を取った教員がたくさんいる、逆ピラミッド型に なっているようなのですが、何か、打開策のよう なものがあるのでしょうかねぇ? ご回答。ありがとうございました。
生徒というか.かっては.師範学校の生徒を捕まえて(代用教員免許すらもなし).中学校の教員をさせていました。 この人の場合には.生徒からの指摘を受けて.慌てて学校に留学して教員免許を取得.その後校長までなり増した。 知識があると.教える方法を知っているとは別で.教科教育法程度の内容を知らないと教え方が分からないでしょう。 ただ単に.教科書資料を読み上げて終わりでは済まされないのが現代の教育ですから。
お礼
私が通っていた、中学校や、小学校の国語の時間では 教科書を読んで、ほとんど時間をつぶして、ちょっと 解説をして終わりというのが、ほとんどでした。(笑) つきつめてしまえば、教えてくれる教員に、のりけり だと思いました。 ご回答。ありがとうございました。
- greennuts
- ベストアンサー率17% (7/41)
はじめまして。 私は、komanechi53さんのような考え方、というか視点に共感します。 そのような話は聞いたことがあるようなないような・・・という程度で、 実際に行われていたのかどうかわかりませんが、 そんなことがあっていいと思います。あるべき、かも知れないと思います。 実際に教壇に立っておられる方々からすれば、 「なにをいってんだ!」って感じかも知れませんが、 今の、そしてこれからの世の中にはこういったことが必要だと思います。 「その道のプロ」から見たら非常識なことが、 何かを変えるきっかけを作ってくれるように思います。 教育も、本当に変わらなければいけないと思うからです。 「こうじゃなければいけない」ということは、特に教育には ない方がいい、言葉だと思います。
お礼
小学校、中学校でクラスの中で班をつくり 班の中に班長、副班長を決めて、何かをや るというのは、何か元になる考えがあって できたのではないか? と思ってたのですが、たまたま立ちよみし た漫画の中で、成績が優秀な生徒が授業を しているところが、かかれていたので、質 問をしたしだいです。 ご回答。ありがとうございました。
>また、実際にあったなら、現代でも、この >制度を導入すれば、学校全体の成績が >上がるのではないでしょうか? と書かれていますが,「なぜ」そう考えますか? >算数や、国語を、理科、社会を評価するよ >うに、いろいろなメリットやデメリットが >あると思うのですが、 この文で言いたいことが分かりかねます. メリット,デメリットについての意見を 求めていることは分かりますが, 「算数や、国語を、理科、社会を評価するよ うに、」 はどういう意味ですか? さて,成績が上がるかあがらないか?というポイントについて僕の意見を言います. 「人によりけり」 です. 確かに人に教えるという行為は,その物事を理解するのに非常に良いことだと思います.教えられる方,教える方の理解も深まり,良いと思います. ただし,授業をするとなると,必ずしもそうはいえません. 授業というのはただその物事について知っていればできる,というものではありません.様々な子どもや生徒がいる中で,一つの授業を作り上げるのはとても大変なことです.例えば, ・ 様々な理解度の子がいること. ・ 何もしなくてもまじめに授業を聞くような人ばかりではないこと. ・ 発問をしたときに返ってくる答えの予想. などなど,あげればきりがないほどのことを考えて授業というのは成り立ちます.もしかしたら,戦後の学校ではできたかもしれませんが,今の学校ではまず不可能です.しかも評価に加えるとなると,できる子もできない子も授業をすることになり,収拾がつかなくなるでしょう. さらに言えば,「成績が優秀」だからといって「教えるのが上手」とは言えません.大学の先生を見ていればこれは分かると思います.特に「授業をする」ということには特別なものです. 他にもいろいろと理由は挙げられますが,今の世の中で生徒が教壇に立つことにあまりメリットは感じられません.
補足
学校全体の成績が 上がるのではないでしょうか? というのは、単純に教える人が、多くなるからと 思ったからのです 算数や、国語を、理科、社会を評価するように、 というのは、「教える」という事自体を、算数や、 国語、理科、社会と同じ、学問としてとらえては どうか、という意味です、学問という言い方が、 あっているかどうか・・・、 今、文章を書いて いて、ニアンス的にwright_fisherさんにどう伝 わるか、不安なのですが 個別に指導をしている塾では、教えている生徒の 成績が上がれば、時給や待遇がよくなります、 つまり「教える」という事に対して、ちゃんとし た評価をしているわけです、 学校でも「教える」という事自体を、他の教科と 同じように評価してもいいのではないか? と 思ったしだいです。 成績が優秀なら教えるのが、上手とは、確かに、 いえないかもしれないですね ただ、成績が優秀な生徒は、勉強の仕方が上手 なのではないでしょうか? 成績が優秀な生徒が教えなくても、勉強の仕方 を詳しく話してくれるだけで、聞いてる方は、 勉強の仕方を「教えてくれている」と思うか もしれません、
お礼
教員の人たちは、テスト時に高い点数を取らせるために授業をしているのでしょうか? そうすれば、大学にも行けるし、社会に学歴社会がある限り、よい大学に行けば、社会に優遇される(給料がよかったり)、ひいてはその子のためになる それとも、授業中関係ないような、自分が体験したことを、生徒に話してこれからの生徒の人生に役に立てば良いと考えているのでしょうか? ご回答にはいろいろと、考えさせられる部分がありました。 ありがとうございました。