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映画「それでも僕はやっていない」

 宜しくお願いします  先日、遅ればせながら、上記の作品を拝見しました。  とても臨場感に溢れ、すばらしい作品だと思います。  しかしながら、法律の知識など人並み以下の自分からしてみれば、結局のところ「冤罪でも裁かれるよ。裁判官も間違えるよ」と言っているように写りました。  これから裁判員制度などが取り入れられる中、裁判所に対するマイナスイメージの様な気がするのですが、そうではないのでしょうか?  

みんなの回答

  • trinida
  • ベストアンサー率26% (8/30)
回答No.3

この映画は、日本の現在の司法制度と裁判制度の問題点を映像化したものです。 専門的にも難しい問題が含まれており、その難しさから観る者に 後味の悪さを与えるかもしれません。 ただ、この映画の結論がなぜあのようになったのか、考えてみてください。 単なる娯楽映画なら、逆の結論にしたはずです。 あなたの中に疑問となんらかの問題提起が残ったのなら、まずはそれでいいのではないでしょうか。 さらに、ご興味があるようでしたら、 「それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!」という本の後半を読んでみてください。

meiko4678
質問者

お礼

回答ありがとうございます!   お薦めの本を是非、読んで見ます。

  • pingu0324
  • ベストアンサー率25% (3/12)
回答No.2

確かに、裁判制度の問題点や司法の矛盾を取り上げた作品でした。 マイナスイメージかどうかは見た人の主観によるものなので一概には言えないと思います。 今後の裁判員制度に参加する国民へ、 『裁判というものは当事者やその家族の人生を大きく左右するもの』であるから、裁判での慎重さと公共の良心に従った判断を!!!という提言を含んだ作品だと受け止めました。 余談ですが・・・個人的に加瀬亮さんの演技がとても良かったと感じました。

meiko4678
質問者

お礼

 回答ありがとうございます!  作品中で裁判官の方が「無実の人を裁いてはならない」とおっしゃている後ろで小日向さんが微笑んでいるのを見て「小日向さんならやってくれる!」と期待しましたが、見事にやられました!  おかげで小日向さんが嫌いになりました(いえ、すばらしい俳優さんです)。

回答No.1

この映画で主張したいことは、(1)裁判官は人間であり万能ではないこと、(2)裁判官が判断する資料は裁判所に提出されたものでしか判断しない、(3)逮捕された後の警察の調書が杜撰であっても被告は覆す術がないなどではないかと思います。裁判間教育をやり直す必要性も感じました。世間常識とかけ離れた人が世間の争い事を裁くことができるのか、と疑問を持ちます。 この典型的な例として、セクハラ事件を訴訟を映画化したというように判断しました。他人のことに関わりたくない世の中を反映しており、証人が出てこないので疑われた最後、身の潔白を証明することがいかに難しいか、この種の被告にとっては全てが不利であることを理解しました。 被告側が実験的な資料を提示しても検察側も裁判官も殆ど無視したような判断を下しています。判決は、法廷に提出された資料でしか採用されないということで、この種の事件では真実(事実)とはかけ離れた判断が下される(冤罪)可能性が高いということを知らされたと思います。 今後、裁判員制度を採用したとしても同様の冤罪が起こる可能性は高いと思います。要するに、最初の警察での取り調べの可視化ができなければ改善できなように思います。警察の調書を鵜呑みにして署名捺印すれば釈放するということであれば、事実誤認でも釈放して欲しいという一時的な要求(感情)に負けてしまいます。このような人は多いのではないでしょうか。立証が難しいセクハラ事件、これで誤認逮捕されて泣いている人は多いように思います。事実の一端が映画化されたに過ぎないように思います。

meiko4678
質問者

お礼

 回答ありがとうございます。  そうですね、改めて裁判の難しさを再認識させられる作品だと思いました。  解りやすく解説していただき感謝します。

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