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お坊さんと神主と兼任できるのですか?

いつもお世話になっています。 実際におつとめするのは、無理だと思いますが、たとえばお坊さんである人が、神主の勉強をして、その資格を取ると言うことは可能なのでしょうか? 僧籍など他の宗教の教師資格のあるものには、禰宜の資格を与えないなどの資格制限があるのですか? あるいは、仏教界の方でも、別の宗教の教師資格などを取ったりしたら、どちらか片方を選択せよと迫ってくるのでしょうか? また、宗派間ではどうでしょうか? たとえば、浄土宗の僧籍を持つ者が、曹洞宗の僧籍を取得することは可能でしょうか? 二重僧籍になってしまって、禁止でしょうか? 僧籍授与は無理でも、僧侶の候補として入門修行だけなら出来るのでしょうか? (なお、私は在家ですし、具体的必要性からこの問いを発したわけではありません。ただお坊さんに対してあこがれはあります。それで聞いてみただけです。)

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noname#21592
noname#21592
回答No.1

基本的には、各宗旨の包括法人の規則によりますが、概ね、他宗の僧籍や資格を持つものを、排他する規則は、無いように思います。 戦前は、あちこち、廻って勉強や修行することは、多かったし、歴史的にも、そうですね。 天台宗で勉強して、曹洞宗が出来た訳ですし、臨済宗、黄檗宗と共に、禅宗と言って、戦前は、交流があり、他宗の僧堂にも、行っておりましたし、戦前は、寺と神社は、同じ人が、管理していたケースも多く、よって、寺と神社が、今でも、隣合わせで、建っているところは、多いです。戦後、宗教法人法により、政策分離されましたが、宗教的に管理が、分かれたわけでは、無いのですが。。(もちろん教義は、別々ですが。) ただ、現実、住職なり、導師なり、祭祀をつかさどる段には、1つにしないと、檀信徒に、混乱を与えるでしょうね。 創価学会の池田大作氏は、あちこちの寺を廻って、研究して、創価学会を、作りあげた訳ですし。 なお、現実は、東西交流と言って、キリストやイスラムの人と、人材交流は、ありますよ。 つまり、外国人の牧師が、僧堂で、座禅したり、坊さんが、ヨーロッパの教会のミサに参加したりとね。 私が、居た僧堂は、ブラジル、アメリカ、ドイツ、フランス人が、一緒に生活していました。 当然、キリスト系の人が、座禅に興味があって、修行に来ていたのですが、何人かは、本国へ帰り、寺を建て、坊主になりました。 もちろん、正式に日本で、資格を取ってですよ。 彼らは、生まれたときに、洗礼を受け、ミドルネームは、持っていました。

noname#10410
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 昔は、八宗兼学の学僧も多かったですね。ですから、兼学の精神が盛んだったのは分かるのです。今のように、自分の宗派しか知らない学僧というのが、逆に少なかったと思います。その一方で、行一筋の文盲に近い僧もいたりして、幅が広かったと思います。今とは、少し仏教に対する考え方が違うと思います。これは、資格の話とは直接関係のあることではないのですけども。 で、そういう兼学の精神は別として、 >概ね、他宗の僧籍や資格を持つものを、排他する規則は、無いように思います。 そうなんですか。ちょっと意外な感じもしますね。修行に参加すること自体は拒む必要はないとは思うのですが、資格が絡むと、僧籍を与えることはないかなとも思っておりました。こういう時代ですので、資格の乱用を、仏教界がおそれるかなと思ったのです。 >当然、キリスト系の人が、座禅に興味があって、修行に来ていたのですが、何人かは、本国へ帰り、寺を建て、坊主になりました 教会の方で、どう言うかも興味がありますね。一般信者ならともかく、聖職者であれば、そのままというわけには行かなさそうな気がします。

その他の回答 (2)

noname#21592
noname#21592
回答No.3

聖職者であれば、そのままというわけには行かなさそうな気がします。 >>>> 日本では、信教の自由ですから、厳しい制裁は、公には、ないです。 転派、転宗は、米国、ブラジルも無い、あるいは、簡単なような、気がしますが、ヨーロッパ系は、 かなり厳しいものが、あるかもしれません。 それは、当該、外国の宗教理解の国民慣習によるものと思います。 神棚の飾り方で、お寺で授かったお札は置いてはいけない、と書いてあることが大半(というか、まずそう書いてありますね)ですから、修行や信仰と言う観点からは、あまりいいことでは無いのかもしれませんね>> これは、寺側でも同じですが、寺の中には、鎮守、土地神、など、神様が、別途、祀ってあります。 豊川稲荷などは、鎮守の方が有名になり、本体の寺より賑わいますよね。 どこの寺も、神様も祀ってありましたし、山岳信仰の寺、太陽信仰の寺もありますね。 その場合の仏像は、前立ち佛と言って、本尊は、太陽だったり、山だったりします。 曹洞宗の場合、本尊が、阿弥陀様とか、その寺古来の伝承佛、前立が、釈尊か観音などの菩薩が、多いと思います。 理由は、幕府の檀家制度政策により、祈祷宗教が、弾圧され転派したためと考えられます。 同じように、政策で、神道から、仏教になったり、寺から村社になったりと、経緯は、まちまちですね。 なお、朝比奈宗源と言う、臨済、円覚、管長は、世界平和運動で、ローマ法王や、イスラム、マザーテレサ、などとも、公式交流がありましたから、特に、広い意味では、問題なかろうと思いますが。 私は、宗源老師に、直接お会いしましたので、間違いないと思います。 なお、仏教系学校を出るだけでは、自動的に、住職になれるとは、限りません。僧籍と僧侶資格(教師資格)とは、違いますし、住職になれる資格とも、また、違いますので、やはり、具体的には、各宗旨の包括法人の規則に書いてあるとおりです。日本は、八百万の神が、居るわけですので、資格を取る段階では、全く問題ないと思いますよ。 具体的には、神主の息子が、寺の婿に行って、坊さんになったりとか、ありますので。

noname#10410
質問者

お礼

再回答ありがございます。 信教の自由については、誰もが認めるのですが、信教の自由や宗教的に寛容であることと、聖職者(僧侶)の籍を二重三重に認めるか認めないか、という問題はまた別ではないかと思います。神主の息子ですか・・息子は普通の人ですから、ちょっと分かりにくいですが、ただ、問題はおそらくなかろうというご主旨ですね。了解しました。 神仏習合の時代では、仰せの通りだと思います。神社と寺でいろいろ分けるのは、近頃のやり方ですね。この時代にはこの時代にあった人々の考えがあるのでしょうね。しばらく前まで神前経は当たり前でしたのに、今は修験道と密教の方くらいですね。 江戸時代に転宗・転派が行われ、祈祷が弾圧されたという話は、初めて知りました。ありがとうございます。

  • o24hi
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回答No.2

 こんにちは。  僧侶になるのも神主になるのも、勿論、公的な資格ではありませんから、自分から言わなければ分からない事です。良心の問題は別として、選択する必要は無いと思うんですが……  ただ、神道のサイトを見ると、神棚の飾り方で、お寺で授かったお札は置いてはいけない、と書いてあることが大半(というか、まずそう書いてありますね)ですから、修行や信仰と言う観点からは、あまりいいことでは無いのかもしれませんね。  また、神社も寺も「お参り」という言葉を使いますね。けど内容はまったく逆だと考えて下さい。 ・神社(神)に参る=私の願いを神さまにたのむこと ・寺(仏)に参る=仏の願いを私が聴くこと と一般的には言われています。  宗派間では、問題は無いと思います。何しろ元をたどれば、どの宗派でもゴータマ・シッダルタ(お釈迦さんですね)にたどり着くわけですから。  少し例はずれるかもしれませんが、私の行っていた高校は仏教系の高校でしたが、私の家の宗派とは違っていましたし、日本の宗教は、そういう点では寛容だと思いますね。キリスト教でしたら、カトリックの学校にプロテスタントの生徒が行く事はないですよね。  それと、宗派によっては、教師資格取得の方法は宗派の関係学校を終了することで取れます。短いもので1年間です。  よくテレビのニュースで、宗教系の女子高生や大学生がお剃刀の儀式をしているところをやってますよね。あれで、僧籍が取れるんですね。  宗派によるとは思いますが、仏教の資格はその程度で取れる物もあるということです。

noname#10410
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに僧籍は公務員ではありませんし、公的なものではないのですけども、おそらく宗門ごとの名簿が出ていて、互いにある程度の把握はされていると思います。ごまかしは利かないように出来ているのではないかと思います。いちいち調べることはないとは思いますが・・。 寛容な宗教観に関しては、一部の宗派を除いた大方の日本人の考え方を代表するものだと思いますが、資格が絡むと、別の問題が発生する可能性があると思います。そこが難しいかもしれないとも思います。 >それと、宗派によっては、教師資格取得の方法は宗派の関係学校を終了することで取れます。短いもので1年間です。 これについては、知っています。ただ私の知っている限り、コースを取るのはほとんど所属寺院の子息でしたので、別の宗派の僧が取れるものだろうか、という疑問がありました。