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世の中に「バカ」が多いのはなぜか?
これは、大部分自分自身について感じたことから問題提議したいと思いました。 先日、近所を歩いていて、小学校の前に通りかかったとき、宅急便の配送車が止まっていて、配送員が私に 「~~小学校はどこですか?」 と聞きました。私自身もあまり小学校名に注意しているわけではないので、「~~小学校」というのは目の前にあるところじゃないかなという気がしたので 「ここじゃないですか?」 と言ったんです!バカじゃないですかね!目の前にある小学校のことを聞くバカがどこにいるんでしょうか。その配送員は私を無視してすぐ次の通行人に聞きました。その通行人はちゃんとわかりましたが。 つまり、なんでこの配送員が 「目の前の小学校の事を聞くはずがない」 という考えさえ私の頭に浮かばなかったんでしょうか? 精神的に的に危ないでしょうかね? それに付随していることですが、私に限らず、こういう 「なぜ質問者はこの問いをするのか」 という背景をまったく頭に浮かべられないと言う事例もそう少なく廃棄がします(特にこのサイトではしばしば経験します) この状況は何なのか。危機的なのか当然なのか、民度なのか時代の堕落なのかそれとも人間性の危機なのか安泰なの? そんなことまで拡大するのは無理があるかとも思いますが、考えるところがあればご意見を伺いたいです。
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なるほど。 少し前の時代ですと、あなた様のようなバカをしでかしますと、面と向かってミもフタもなく「バカ」と断じる大人がいましたね。。。 たいてい、自分の親や仕事場の目上か、頑固な年寄りだったでしょうか。 とはいえ、バカをしたといっても、中身はヘマや短慮なので、 これは罪のないバカに言うセリフで、ほんとうのバカに言うものではなかったですね。 人にバカと言ってもらうことで、自己嫌悪をするよりも、悔しさとか理不尽さとか、 別の感情が湧いたかもしれなかったですね。 最近では若い学生のバカに面と向かってバカなどと言うと、 えらく傷ついてしまい、精神病をわずらってしまいますから、うかうかとバカなどと言えません。 しかもヘマや短慮のなせるバカよりも、つける薬があるかと危惧されるほどのバカが、いるはずのないところにおります。 場数の問題なのでしょうかね。じっさい経験値が低いところに加えて、経験値の低さをバカにされる機会も少ない。 あなた様が道を尋ねられたことだって、日に何度も聞かれて慣れていれば、もっと心と心のキャッチボールになったかもしれませんしね。 おせっかい文化が良いと言い切るつもりはないですが、 感情移入したり共感したりという能力は、訓練ですしね。 現代は、自然にこれを身につけられる社会ではなくなっているかもしれません。 しかしそれだけに、この時代はゆとりがあるのでしょう。 こうも勘の悪いバカをされちゃかなわねぇ、って親方も減り、 刺身の並んだ食卓で、アラ、アレ持ってきて、といったところにソースを持って来られ、この忙しいのにと癇癪を起す女房も減り、 学問を修めて貧しさから抜け出そうと、熱心な教授の指導に感謝する学生もほぼ絶滅し 相手の都合などおもんぱからずとも、金とマニュアルにしたがって食べ物にはありつけるわ、サービスはうけられるわ。 対人能力が低く想像力がとぼしくとも生命がおびやかされないという社会が、成熟した高度文明の社会なのかもしれませんねえ。
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- tomosuke07
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個人的にはそういう人もいていいと思いますよ。世の中色んな人がいますからね~ それと、そういうボケみたいなこと言う人って愛嬌が感じられます。笑いがとれますからね。天然って。 ポジティブに考えた方が楽しいですよ。
お礼
私は悲観的です。世の中慮ることがあまりに少ないのではないだろうかと。
- nebnab
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自分の知り合いでもない人に文章だけで質問をするのは、実は大変難しいことだと思いますよ。 質問の内容が見ず知らずの人にも明確にわかるようなしっかりした質問文を書かないといけません。その人の表情とか性格とか質問の背景とかが質問を受ける人には全くわからないのですから。 で、そのためには自分の書いた文章を何度も見直してやることが必要でしょう。しっかりした文章を書き直しなしで一発で書ける人はそんなに多くないと思います。 ネットではそれを怠って書き流した文章を発表している人が多いのだと思います。私もその一人だという自覚があります。反省しなければいけませんね。 質問者様の言うような大げさなことではないと私は思います。
お礼
私は逆に、いかなる文章もよく読みこめばかなりの情報は汲み取れるものだと考えます。法律文じゃないですからね。なにか、人間的なにおいを発しているもんですよ。それを汲み取らないことで、なにか質問が悪いとか舌足らずとかそういう議論が多い気がします。この質問文もそうですよね。ちょっとひねって、いい加減な速読をすると勘違いするようになっているでしょう?これに引っかかってと言うか、よく読みもしないで回答する人が結構いるんだと言う実例にさえなっています。 なので、いかに「想像力」というものを働かせないことが一般的なのだろうか、そういう疑問疑念が渦巻いております。
- aston2000
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とても単純な事です。 考える必要などなく、人に聞けば答えが返ってくるからです。 この質問も同じですね。
お礼
回答者は質問を読まずに回答するのですか?
- ozunu
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そこまで忖度してやる義理はないって事じゃないですか。 言葉が足りないのは質問者の責任だからね。
お礼
いや、私自身の頭の回転度を疑います。なんかなんとか症候群のデビューじゃないかとか。
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お礼
大変納得いきました。 やっぱり「私バカ」ですよね!安心しました。 人間の衰えですか。あるんでしょうね。便利さと反比例する無能の増加。それは、鍛える必要性がなくなったからでしょう。江戸時代の学生は、ひとつしかない辞書を模写して覚えた。今はパソコン上ですぐ検索できる。しかし、能力はどんどん衰える。もちろん対人的にもです。 機会の減少、強制力の現象、そして、生命の安全性の増加。野生の鴨は人がよく来る公園の鴨とは違って何かたくましい。 楽観する面と悲観する面は常にセットになってくると言うことは、世の普遍的な現象なのでしょうかね。