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自分の子は「分身」か?
こんにちは。大学一期生19歳の男です。こちらのサイトで日々勉強させていただいています。 gooの出産・育児のカテゴリーでたまに「自分の分身である息子を・・・」などの質問や回答をみかけます。ここで質問なのですが、自分の息子や娘は自分の「分身」だと思いますか?そして「分身」という考え方についての意見も回答してくれたら幸いです。 私自身この「分身」という表現がどうしても気になります。この考え方がモンスターペアレンツのように「自分の子は特別」という意識を生んでいるような気がするのです。親に聞いたところ「分身じゃないよね。結局のところ別人格じゃないのかな」と言っていました。たしかにモンスターペアレンツはメディアが作り出した感があります。しかし、小、中、高と職員室に頻繁に出入りしていたので学校に押しかけてくる親御さんを多くみてきましたが、「自分の子は特別だ」という考えが根底にあるような人が多いなと感じました。矛盾するようですが「自分の子は特別」というかんがえは皆さんがもっていると思いますし、普通のことだとおもいます。しかし私がみてきた親御さんたちは、おまりにも全体の利益や他の子供たちのことを考えていないように映りました。 しかしながらこれは私の眼からみた一面的なものにすぎません。どれが正解だということでもないと思いますし、様々な価値観があることも理解しています。まして未だ未成年であり子供をさずかったこともないため、もしかしたら自分の息子が生まれたとき「この子は俺の分身だ」と思うかもしれません。「分身」という表現が抽象的なためひとによって解釈が変わると思いますが、自分なりの解釈でうけとってもらい回答していただければ幸いです。私より人生経験がありお子さんのいる人たちの様々な考えが聞きたいと思い厚かましいながらも質問させていただきました。よろしくおねがいします。
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つまり、、、みんな自己中を改めなさい、、、ということなんじゃ? 『分身』表現にしても、『モンスターペアレンツ』表現にしても、 自分の子の責任くらい、子供を作った自己責任で、他に転嫁させず、まずは責任とりなさいよ! という意を含めた、風刺的な表現で使っている ということなんじゃないかな? 分身ということで用いられるのは、あの子にして、あの親御さん、とか、 子供の悪事をとってみたら、親の鏡とされ、親子は似ているものなので、何かにつけすぐ親を持ち出され、責任にされることはとっても多い世の中ですからね。 責任の所在のなすり付け合い、が現実なんじゃ? 確かに、親がこうした性格だから、子供はこうなった、という 子供側に多い主張の、別人格、は確かですよ。 親の悪い所も良い所も見て、子供は考えて成長します、どんなに小さな子も、オバカさんじゃないですからね。かえって親より出来た子もたくさんおる。 しかしながら、教育する先生側の立場も、考えてみたら、たくさんの子を教えてお金もらっている、からといって、責任なんかとれないし、生徒すべてに愛情など注げないどころか、平等に扱うことが出来るほど、優れた教師でもなかったり。未熟なんです、先生もまた1人の人間。 そこに、親が 我が子、我が子といわんばかりに、誰の子より自分の子を、、、 という自己中な親が出過ぎると、モンスターペアレンツで、自分を知れ・・・と言いたくなるんじゃないですかねぇ。。。 親御さんが、他の子はどうでもいいから、家の子を特別扱いに・・・ など大の大人が倫理無視して 子供じみたこと言い出せば、どこの親も、我が我がと自己中になりますし、先生も、平等で熱意ある指導をする良い先生、と表向き見せかけていても、あの子はかわいくないし、好きになれない、生意気、だから差別、ひいきする、、、 そうした心の闇にも、ひも解いてしまうきっかけになると、大変なことになる。 だから、そうした戒めの言葉を作って、自重させている ってことなんじゃないでしょうかね。 本当は自分の子が特別のひいきな親にしたって、我が子かわいさからの子供に対する態度でひいきくらいしとかないと、グレられて、親の責任で捕まっちゃったりしたら、大変ですからね。 これは素晴らしい才能だ、とても美しい子だ、という得意稀な才能持つ子に対しては、我が子の裁量など、とてもおぼつかないことなど、ちゃんとおわかりなんですよ。 ただ、恥も外聞もなくなっちゃってる、権力と贅沢に慣れきってしまった、一部の親ばかさんには、通用しない。 自分の子が自分と同様、才能なくとも、お金と権力でどうにでも周りを思い通りにさせてしまうことのできる人というのもいますので、親の愚かさから、臨まない、才能のない子供のプライバシーを恥さらしに抜擢させてしまう人もいるものですね。 どちらにしても、親にしろ、子にしろ、先生にしろもちろん、すべての行為には、リスクも伴うものなので、自己責任でしょうね。
- aromablue7
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母親としてはまったく新米の者ですが、とても考えさせられる質問だと思ったので書き込みます。 妊娠中は自分の中で子供が動いているのですから、紛れもなく「分身」だと感じていました。自分の「分身」なのだから当然気持ちも通じ合うし、愛せて当然、と思っていたのですが、生まれてみたら顔つきこそ私によく似ているものの、気質は全然違うようだし、何で泣いているのかわからないし、「これは私とはまったく別の人間なのだ」「子供を愛するのにも努力がいるものだ」と思いましたね。 ただ、子供ってやはり何といっても授かり物だと思います。理屈っぽい言い方ですが、本当はまったく別の人間のはずなのに、奇跡のように私の中へ来てくれたと思いたいです。 質問者様が「分身」という表現が気になるのは、何となくわかります。自己愛に通じるような感じが気になるのではないでしょうか。「分身」とお使いになっている方のほとんどは、「自分の命以上に大事なもの」という意味で言っているはずですけれども。 ある人がよく「自分の子供が一番大事。でも自分の子供だけが子供だと思ってはいけない」と言っていました。我が子は何より大事だけれど、どの子も同じように誰かのかけがえのない子供なのだ、ということを忘れずに、という意味だと思います。これを忘れずに、我が子を何より愛せる親になれたら最高ですが、なかなか難しいですよね。
- erukaikai
- ベストアンサー率12% (6/48)
子供はたしかに分身だと思います。 でも、私はそれを身体的なこととして思っています。 子供が病気になったり、ケガをしたりすると 自分まで痛い気持ちになるんですよね。 ボクサーになった人の親は辛いでしょうね。(私なら辛いです) そんな意味で分身です。 精神的には分身だと思いません。 別人格ですね。 子供から学ぶことがあっていいと思います。
- nnmsg1327
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7歳の娘を育てている母親です。 「分身」という表現についての自己の考えについて回答すべきか、 「自分の子は特別」という親について回答すべきか迷いましたが、 「分身」=「一つの身体や、一つのものが、二つ以上に分かれること。また、その分かれ出たもの」(大辞林) こうありますので、「我が子は自分の分身である」という表現は、 意味の上では正しいと思います。 「だから、自分によく似ている」というふうに使用するのは納得できますが、 「だから、愛しくて仕方がない」という文脈で使うのは、私自身はあまり好きではありません。 というか、説得力がないような気がします。 子は親の鏡だといいますが、自分の悪いところもそのまま目の当たりにさせられるのですから、 冷や汗ものだと思います。よほど自分に自信があれば別でしょうが。 愛しさの理由として使うのはピンときませんが、 逆にいうと、自分の分身であってだれの分身でもない、 子どもは好きこのんで親の分身として生まれてきたのではなく、 すべて親の側の営みの結果ですから、 「我が子は自分の分身である。だから責任を持って自分が育てなければ」 という表現ならば、非常に説得力があると思います。 虐待をする親に向かって「自分の分身である我が子に対して……」と言うのは、 「本来かわいく思うはずの我が子に対して……」と言いたいのか、 「責任を持って育てるべき我が子に対して……」と言いたいのか、 私としては前者ならNG、後者ならOKと考えます。 そして質問者様が??と感じるのは、前者のようなニュアンスに対してではないでしょうか。 本来ならば、親としては、可愛がるだけでなく責任を持って育てるべき、と考えたいものだと 私は思います。 「分身」については、受け取る側の考え方によって、全然違うニュアンスになってしまうので、 やはり文脈をよく考えて使うべき表現ではあると思います。
- gogokenta26
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子供の性格やら肉体的パーツを見れば、「あ~、私の分身だ。間違いなく自分の子だ」と思ったりします。 が、思ってもそのぐらいで極論で言ってしまえば結局の所子供は子供で別の人格だという事は念頭にありますので討論的な話になってくるともちろん分身ではないと発言するでしょう。 場合によって「分身」発言する場合もあるしそうでないときもあると言う事です。 たいがいの方は、そのぐらいの見境はついているかと。 >私自身この「分身」という表現がどうしても気になります。この考え方がモンスターペアレンツのように「自分の子は特別」という意識を生んでいるような気がするのです。 しかし私がみてきた親御さんたちは、おまりにも全体の利益や他の子供たちのことを考えていないように映りました。 <全部が全部そんな親ではないでしょう? 質問者様が見たのは、ほんの一部の親御さんです。 一緒にされたらたまったもんじゃありませんよ。 しかし、今と同様昔もそのような親は少なからずいたと思います。 昔は学校、先生を崇拝する傾向にあったので言いたい事があっても言わない親が多かったと思います。 または全て学校に任せるといった感じでしょうか。 今は、1人1人の発言力が強くなってきて言いたい事は言う風潮になってきていると思います。 モンスターペアレンツはマスコミがが作ったものでどんどん浸透していった結果取り上げられる機会が増えた。 だから余計に目立つようになった。 モンスターペアレンツがいるのは昔も今も変わらず、ただ今の時代になって造語ができた事により注目されるようになったんだと思います。 「分身」発言とモンスターペアレンツの因果関係はそれほどないと思いますよ。 自分の子供はかわいい。 これは誰しも思っている事です。 その子供を「分身」と呼ぶにしろ呼ばないにしろ、我が子を愛する親だったら誰にでもモンスターペアレンツになる素質は持ち合わせていますので。
- kgih
- ベストアンサー率33% (138/416)
2児の父です。 自分の分身と思うか?という質問ですが、 分身だと思う部分はあります。 身体的特徴を見ると、自分の分身だなぁと思いますし、 性格的にも、似てる部分を見つけると、その気持ちが 痛いほど分かる時ってあります。 で、その時、俺の子だから・・・と 結論まで、勝手に導き出しそうなることもありますが、 その時は、イカンイカン。自分に似てても、自分じゃない と言い聞かせます。そのことは妻にも良く言います。 持っている要素が似ているからといって、それは 人間を構成する、ほんの一部分の要素に過ぎませんよね。 人間を構成する大きな部分は、過程・経験だと思います。 俺の子だからと育てれば、「俺」みたいになるのは当り前のこと。 運動音痴の親が、運動を積極的にさせなかったら、運動音痴になる のは当たり前。 別個の人間と考えて、選択肢を与えてあげれば、全く違う 特徴の人間になるかもしれない。でもやっぱり同じ選択をしてしまう かもしれない。こればかりは分かりません。 自分の子は特別か?という質問ですが、 特別な子ではありませんが、特別な存在です。 やはり、多くの時間を共有している家族ですから。 モンスターペアレンツについては、上記の問題とは 全く別個だと思います。 自分の主義・主張を押し付けるだけ。 自分の子供がどうだとかは、関係ないと思います。 学校側が、強く出れないことを知っていての嫌がらせ。 電気メーカーとかにあるという、クレーマーと同じ だと思います。 でも、このモンスターペアレンツも定義が不明確ですよね。 本当に、親が無理難題を言っていることなのか。 あくまでも報告は学校側からだけのようですから。 これによって、何か言うとモンスターペアレンツと 言われるかもということで、学校に物を言えなくなることは、 またこれも危ういことだと思います。
- amatsuamatsu
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自分の子は特別、というのは確かにそうです。2人の子どもがいる母親です。 私の場合、自分が産んだから、じゃないです。育てたからです。はっきり言って産んですぐは別に可愛くもなんともなかったですから(笑)。 育てていく間に、反抗されたり、しつけに悪戦苦闘したりするうちに、自分に取って特別なつながりのある人間になっていきました。ただ「かわいいかわいい」ばっかりでなく、時に憎たらしく、近い存在だからこそ激しい葛藤があります。それも含めて、他のどんな人ともちがう特別な存在です。でも、それは「自分にとって」です。学校等で、他の子よりもうちの子を大切にしてほしいという風には思わないですね。 私は「分身」というふうには思った事はないです。産んだことそのものにはあんまり意味がないと思っているので。血のつながりよりも、関わりの問題と感じるのです。 モンスターペアレンツと言われる親御さんに関しては、「分身」と思っているからそうなるのか?うーん…あんまり関係ないような気がします。 何か、プライドが関係しているような気がします。劣等感の裏返し? 子どもをほったらかしているような人もいますよね?分身として愛し過ぎというわけではなくて、ただ、ちょっとしたことで「バカにされている」と逆上しやすいだけなのでは…。だから本質は「自分の子どもがどうこう」ということじゃないのじゃないかな。
- 10matsu
- ベストアンサー率30% (275/916)
見当違いの回答でしたらご容赦ください。 「分身」の意味を「一つの身体から分れ出たもの」と解釈すれば間違いなく我が子は半分自分の分身ですよね。 しかし「もう一人の自分と同じ人間」として解釈すれば、「いや別人格だろ?」と思います。 要するに 「分身」という表現の使い方次第じゃないですかね? 「自分の分身である息子が死んでしまった」 となると、自分の血を分けた大切な息子が死んで悲しんでいるんだなと捉えます。 しかし、「自分の分身である息子がいじめられている」 となると、息子を介して自分自身がいじめられていると受け取りませんか?
お礼
見当違いではありません。「分身」という言葉があまりにも抽象的で意味づけができませんでした。 自分の分身である息子が死んでしまった」 となると、自分の血を分けた大切な息子が死んで悲しんでいるんだなと捉えます。 しかし、「自分の分身である息子がいじめられている」 となると、息子を介して自分自身がいじめられていると受け取りませんか? そうですよね。使う場合によって意味がかわりますよね笑 自分のなかでも漠然としたものしか持ってなかったので、本当に回答しにくい質問だったとおもいます。そこのところは”なんとなく”で回答していただければと思います。 とにかく回答ありがとうございます。
- machidakai
- ベストアンサー率5% (195/3304)
分身と思う瞬間はあります。 ふとした仕草や表情が、教えてもいないのにそっくりだったりする時ですね。 実際には子供の目に映る自分、彼らの中の自分という存在こそが分身なのだと思います。 もし子供たちが死んでしまえば、彼らの中の自分も死んでしまうことになりますね。 普段は全くの別人格、最も近い他人という感じです。 あとは「とにかく俺はもう死んでも大丈夫。」という根拠のない感情が沸くことも事実です。 この辺りは男女の差もあるかもしれません。
お礼
「自分の子は分身」ということばは多くの時を過ごした親子だからいえるのであって、それまでの長い時間のなかから出てくる言葉だということがわかりました。とても考えさせられました。 回答ありがとうございました。
間違いなく分身です。 分身のとらえ方としては 1.血を分けたこども 2.私のおなかの中から誕生したこども 3.私の遺伝子を受け継いで生まれた子供 4.身を切ってでもこの子のためならなんでもできる でしょうかね。 でも、一番は4だと思います。 もちろん子どもも一個人ですが、そこに至るまでは親として 自分の一部として、責任を持って育てていくという意識があります。 三人の息子がいますが、本当に特別です。 だって、私が産んで育てたのですから。 この特別というのは、愛情をたくさんかけたということではないでしょうか? 私もこどもに育てられていますし、愛もたくさんもらってます。 とてもありがたいと感謝しています。 19歳にして、考え深い質問でしたね。 遠くない未来、あなたも父になるときが来ます。 残念なことに出産はできませんが、父としてたくさんの愛を子どもに与えてあげて下さいね。
お礼
<この特別というのは、愛情をたくさんかけたということではないでしょうか?> まだ子供という立場ながらこの意見にはとても納得させられました。 回答ありがとうございました。
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お礼
<血のつながりよりも、関わりの問題と感じるのです> 子育てをしたことがないので偉そうなことはいえませんが、なんとなくそのとうりだと感じました。 <モンスターペアレンツと言われる親御さんに関しては、「分身」と思っているからそうなるのか?うーん…あんまり関係ないような気がします。 何か、プライドが関係しているような気がします。劣等感の裏返し? 子どもをほったらかしているような人もいますよね?分身として愛し過ぎというわけではなくて、ただ、ちょっとしたことで「バカにされている」と逆上しやすいだけなのでは…。だから本質は「自分の子どもがどうこう」ということじゃないのじゃないかな。> なるほどっと思いました。 <モンスターペアレンツのように「自分の子は特別」という意識を生んでいるような気がするのです>私自身この考え方はブレブレで、あまり根拠がないのでそのような意見をいただけたのはとても貴重なことだとかんじます。回答ありがとうございました。