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被害者への非難=犯罪者の擁護でしょうか
ある事件などがあったとき、その被害者にも落ち度や、度を超えた無防備さがあったとします。 例えば ・飢餓に苦しむ難民の群れの真ん中で堂々とステーキを焼いて「ほ~れほ~れ、美味そうだろ?やらね~よ~」なんてやってたら、難民の群れ襲われステーキ取られて、ついでにどつかれた ・コロンビアの貧民街のど真ん中を、まるで大衆演芸の女形みたいに「ワシ、金持ってんぞ~い!」とばかりに首の周りに100ドル札を数十枚ぶらさげて歩いてたら襲われた まあこの例えは冗談ですが(笑)、実際色んな犯罪において、時には被害者があまりにも無防備なのではないかとか、「そんなんじゃ被害にあっても自業自得だ」という非難が出ることがあります。 その際に必ず議論になるのが 「自業自得だ」に対し 「犯罪者を擁護するのか」 「いや、犯罪者が悪いのはさておき、被害者にも落ち度がある」 このような議論です。 《質問》 被害者への批判は、それが即犯罪者擁護になるのでしょうか。 ※アンケートを誘導したくないので、私の意見反論は控えます。 犯罪の種類その他の状況は、回答者の設定に任せます。 自由にご意見ください。
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ANo.3です。 「犯罪者擁護」をどう捉えるかで変わってくるので「人それぞれ」としか言いようがありません。 自宅に送って貰えると「勝手に解釈して」バイクに同乗した被害者が、加害者自宅で押し倒され、騒いだために自動車で連れだし車内で暴行した。 ここで「暴行をする加害者」が悪いと考えるのか、「自宅に送って貰えるなんて都合のいい解釈をする被害者」が悪いのかという話になってきます。 加害者の行った行為は当然許される行為ではありません。 被害者に関しては二つの考え方に別れます。 「会話を理解する能力もないのに同乗すること自体がおかしい」 「善意で送っていってくれると信じて乗ったのにかわいそう」 被害者を擁護するか批判するか・・・それはケース毎に変わることなのでこれが全てにあてはまることはないのですが・・・。 いずれにしても大前提として「暴行自体が犯罪」なのでそこの罪を軽くしろと言う立場に立つのではなく・・・ 犯罪は犯罪であって正当に裁かれて然り、それは当然理解した上で被害者の行動自体に非があったのかなかったのかを考察すべく話をしているのだと思います。(少なくとも私は) 犯罪者擁護と騒ぎ立てる人は、被害者批判をする人の前提に「犯罪者が悪いのは当然の事」と言う考えがあるのを見落としているからではないでしょうか? 起こった犯罪に対して云々を言うだけでは無く、その防止策にもきちんと目を向けるというのはとても重要なことだと思います。
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- koikoi810
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NO8です 補足質問がありましたので・・・ 被害者を非難した人がどのようなつもりで言うのかという事は ぶっちゃけ、あんまり関係なく思っています(笑)。 被害者非難=犯罪者擁護となるか否かという議論は、 非難された本人がどのように受け止めるかのほうが重要というのが 私の意見なんですね。 どのように受け止められる可能性が高いか、 配慮の上で発言しているのかどうかです。 代償として受けたダメージが甚大である場合、 犯罪者への非難は蚊帳の外で、それより何より真っ先に 被害者の落ち度を非難する危険性の考慮は? 犯罪者の事は「もちろん一番悪いけど」としながらも、その割に 申し訳程度に、たった1~2行くらいのコメントしかなかったり。 「被害者非難するための免罪符のつもりか」と言われるのが心外ならば 犯罪者の非についてもっと追及したコメントにならないかな? それをしないなら、あなた誰の味方?と責められても仕方ないのではと思います。 これが「認識」でなく「容認」という言葉を使った意図です。 「受け止める側にとっては」ですよ。 仮に笑い話で済むような代償であれば、 「自業自得」とオチをつける事があっても許せる範囲かも知れませんが。 特に、沖縄での暴行事件の例で気になったのが、 被害者の親に対し「どういう躾をしてるのか」「親の顔が見たい」 などというコメントが寄せられてるのを見ましたが、何故か 加害者の親に関し同等かそれ以上の批判コメントは見当たらなかった事です。 なんだか不自然だと思いませんか。一言くらいあっても良いのに。 私の知人で、知り合いに強姦された人がいます。 第三者から見れば「自業自得」と言われがちな状況はありましたが、 それでも、本人に面と向かって「自業自得」だとか 「やられても仕方ない」なんて、とても言えませんでしたよ。 そんな事は本人が一番実感して悔やんでいましたし、何より 傷付いている本人を目前にして、そんな言葉を吐く心境にもならなければ そんな言葉が頭に浮かぶことすらありませんでした。 相手男性の親については「どういう躾してきたのよ!?」と 普通に思いましたけどね・・・・。 あと、もしも被害者が気をつけるしかないという結論に達するならば 身を守ることに過剰になってしまった女性に対し 「自惚れるな」「自分がどれほどのものと思ってる」「カン違い」 などという、嘲笑の台詞も世間には存在しますが これも自分の魅力が如何ほどか、相手ごとにどのように見られているか 正しく判断できなかった女性が馬鹿だという話になりますか。 身を守る事を徹底的に警鐘するならば、そういう言葉は 冗談でも吐けば、どうすれば良いか分からなくなる女性も出てきそうです。 上記の台詞、心当たりのある方多いと思います。 私も言われたことありますよ、冗談でですけど。(やっぱ傷付きました) そういう直後にもし誰かから声をかけられれば、拒否する事で また傷付く可能性も考えるでしょうね。 「無防備過ぎ」も「自意識過剰」も、相手の男性都合の台詞に聞こえます。 どっちに転んでも女性側の過失と、嗤われて終わりでしょうか。 こういった侮辱も込みで、女性側の危機管理に委ねられる問題ですか。 「こういうつもりで言いました」と批判・非難するなら それに見合ったコメントをするべきであって、 そこが欠けた発言で被害者をさらに傷付ける結果になるのなら 単なるバッシング・罵声に過ぎません。 被害者を心配して発言しているのか? また、それが伝わる言い方になっているか?が重要と考えます。 あぁ、なんかまた話がズレたような気がします(汗)。
お礼
補足質問にまでお答えいただきお手数をおかけしました。 補足への直接端的な回答ではありませんが、女性からの立場の回答であって、それが理論的に説得力を持つ内容と思えました。 参考になりました ありがとうございました
- koikoi810
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被害者の落ち度は、犯罪者への情状酌量にも繋がりやすいですね。 情状酌量っていうのは、要するに罪が軽くなる要素ですよね。 それは、犯罪者の罪を軽くしろと言っていると捉えられかねない。 確かな情報を与えられているとも分からない私達第三者が、 被害者をさらに貶めるような事を、果たして言えるのか。 こういう、世間による余計なお節介的な批判を 「二次的被害」って言うのではないかと思います。 事情もよく知らない人間から、アレコレ批判される事ほど 腹の立つ事もないよね、とも思いますし。 被害者批判っていうのは、得てして 犯罪者本人やその近しい人物が言いがちな 「言い訳」のような言い分になりがちです。 例えば、質問者様が補足で挙げた沖縄での暴行事件の件。 「被害者に警戒心が無さ過ぎる」「自分でついて行ったんでしょ」 本来なら、こんな輩がいるかも知れないなんていう想定を しなくても済む世の中が望ましいはずですよね。 でも、被害者を自業自得と批判をする事で、その存在を容認してしまってます。 被害者の落ち度があったとしても、その結果受けた被害として それもすでに相殺されているはずだと思います。 特に、受けた被害のダメージがあまりにも大きい場合、 さらに落ち度を追及すると言う事は、もう犯罪者擁護の域に達するのではないでしょうか。 被害者批判が犯罪者擁護だと言われるのは、その辺だと思います。 この意見が正しいか間違っているかなんて言えませんけど、 心情としては、受け取る側がどのように解釈するかですね。 結果「血も涙もない意見だ」「犯罪者擁護だ」と罵られようが、 それこそまさに「自業自得」ってやつですね。 なんだか焦点がぼやけた意見になってしまいましたが・・・。
お礼
ありがとうございます たしかな情報も知らない我々第三者が無責任な非難をするということには、問題があるのは事実ですね。 私も同意します。 よろしければ追って投稿する補足質問にもお答えいただければありがたいです
補足
いくつか補足でお聞かせください 1. >本来なら、こんな輩がいるかも知れないなんていう想定をしなくても済む世の中が望ましいはずですよね。 ⇒おっしゃるとおり、犯罪を犯す人間などは存在しないに越したことはありません。しかし >でも、被害者を自業自得と批判をする事で、その存在を容認してしまってます。 被害者を批判しているのは、「その存在を容認」しているのではなく、「その存在を」単に「あると認識している」だけにすぎないのではないでしょうか。 広辞苑によると「容認」とはそれを良いものとして認めることだそうです。 被害者批判の内容はあくまでも「そういう悪い奴は現実に居るのだから(認識)、そういう現実ではそれに対処した無防備さはよくない」と言ってるに過ぎないと思えるのです。 別に「良いもの」としては容認や許容はしてないと思えるのですがいかがでしょうか。 2.例えば世間には飢えた人々が沢山居るような状況で、「うちはまだまだ充分にご飯が食べられてありがたい。町中の人にうちの食べ物を分け与えるわけにはいかないけど、せめて見せびらかしたりしないように気をつけよう」 と家の中で食事していたら強盗犯が侵入し食べ物を奪われる。 かたや飢えた人々の前で、これ見よがしに食べていて襲われる。 この両者を比べて、やはり後者には「うかつだ。馬鹿だ。そんなの襲われてもしょうがない」 このような批判を受けてもしょうがないと感じます。 それと同様に、家の中で普通に暮らしていて侵入・強姦されるのと、深夜見ず知らずの男性のバイクに無防備に乗り込んだりして襲われるのでは、その態様はやはり違うと感じてしまうのですが、この点いかがお思いになるでしょうか。
>被害者への批判は、それが即犯罪者擁護になるのでしょうか。 なりません。 まったく別次元の問題です。 日本での被害者への批判はどちらかといえば、 面白半分、興味本位の趣が近いように思います。 被害者や被害者家族への配慮を欠いたマスコミの態度に その辺は如実に表れています。 犯罪の客観的な事実や、背景なども含めて 犯罪抑止につながる視点を欠いた、いわば話題性だけに 後押しされた報道に問題があるとは思いますが、 犯罪者家族への配慮さえ欠いたものが見られることを 思えば、犯罪者擁護にさえなっていないと思います。
お礼
擁護にならないにさらに一票ですね。 >日本での被害者への批判はどちらかといえば、面白半分、興味本位の趣が近いように思います 日本以外の国での状況が、日本と違うのかはさておき、「面白半分・興味本位」とはどのような点をもってそう思うのか、そして「面白半分・興味本位」ではない批判とは、具体的に例えばどんなものなのかお教えいただければ幸いです ありがとうございました
補足
No6さんまでのご意見が、多少のニュアンスの差はあれ全員が擁護にはならないというご意見です。 そこで今までの回答者の皆さん、もしくは今後「擁護にならない」のご意見を回答いただく方に補足で質問させていただきます。 被害者批判が犯罪者擁護にならないのなら、なぜ往々にして被害者への非難に対して「悪いのは犯人の方だ。犯人を擁護するのか!」というような意見が世間ではよく見られるのでしょう。 これは特に女性への性的犯罪でよく見られます。 例えば先日の沖縄米兵の少女暴行事件のように。 このような意見はなぜよく見られるのでしょう。 そして「擁護ではない」派の方からすると、このような意見に対しどのように考えますか
- javawater
- ベストアンサー率11% (6/52)
犯罪者との距離と予測性によると思います。 家庭内での兄弟喧嘩なら、その家の暗黙のルールを守らせる為に 加害者も被害者も同等に叱られますが、 他家との関わりでいざこざが起こるなら、 まずあの家には近づくな、となりますよね? 自然災害と同じ性質であるとは言いませんが、近づいたら負け、という 状況が分かっているのであれば、装備無しに雪山に登った人間が ある種非難されても止むを得ません。
お礼
装備無しの雪山登山というのは、言いえて妙だと思います ありがとうございました
補足
No6さんまでのご意見が、多少のニュアンスの差はあれ全員が擁護にはならないというご意見です。 そこで今までの回答者の皆さん、もしくは今後「擁護にならない」のご意見を回答いただく方に補足で質問させていただきます。 被害者批判が犯罪者擁護にならないのなら、なぜ往々にして被害者への非難に対して「悪いのは犯人の方だ。犯人を擁護するのか!」というような意見が世間ではよく見られるのでしょう。 これは特に女性への性的犯罪でよく見られます。 例えば先日の沖縄米兵の少女暴行事件のように。 このような意見はなぜよく見られるのでしょう。 そして「擁護ではない」派の方からすると、このような意見に対しどのように考えますか
即、犯罪者擁護に直結ってことではないと思いますが、成り行きとしては、十分繋がりうると思います。 このサイトでも時々目にしますが、何かに批判的な意見を寄せる場合、みんなが批判すると、あとの方の人が批判しやすくなるというか、例えば回答を全て読み終えた時と、果たして質問者はそこまで批判されなきゃならない人物か??等と疑問に思う時がしばしばあります。 「被害者批判は、いずれエスカレートして犯人擁護につながりうるからやめなさい」という意味なら、わかる気がする。 (広く取りすぎかな…) あと、私はこの手の被害者批判が大嫌いです。 (理由は、例の内容でいけば、私は確実にステーキとお金をとられた人物に対して「バーカ。自業自得じゃ。」と思うでしょうが、それを傷ついた被害者の耳に届くかもしれない形で発言することに疑問を感じるからです。 その被害者を大切だと思ってる人が教えてあげればいい。自分の大切な人が同じ目に逢ってほしくないなら、自分の大切な人に伝えればいい。 関係ない人間が、人がミスした時だけ偉そうに批判するのが気にくわない) よって、被害者批判と犯人擁護、この二つは私の中では理屈的には、直結はしません(これが回答になりますね)が、屁理屈でも何でも、分かりやすい理由でno!と言いたい気持なら分からんでもない。
お礼
被害者批判の当否(それが事実非難されるべき行動であったかどうか)はさておき、非難をするのは身近な人や親しい人がすればいいことで、縁もゆかりも無い第三者がするのは妥当でない、というのは興味深い視点でした。 ありがとうございました
補足
No6さんまでのご意見が、多少のニュアンスの差はあれ全員が擁護にはならないというご意見です。 そこで今までの回答者の皆さん、もしくは今後「擁護にならない」のご意見を回答いただく方に補足で質問させていただきます。 被害者批判が犯罪者擁護にならないのなら、なぜ往々にして被害者への非難に対して「悪いのは犯人の方だ。犯人を擁護するのか!」というような意見が世間ではよく見られるのでしょう。 これは特に女性への性的犯罪でよく見られます。 例えば先日の沖縄米兵の少女暴行事件のように。 このような意見はなぜよく見られるのでしょう。 そして「擁護ではない」派の方からすると、このような意見に対しどのように考えますか
- clear_water
- ベストアンサー率21% (260/1205)
犯罪者擁護ではないと考えます。 例えば、刃物を向けてきた相手に「殺れるもんなら殺ってみろ!」と言ったなら煽ったことになりますので酌量の余地はあります。 あくまでも「酌量の余地」であって犯罪は犯罪として見なしているのであれば擁護ではないと思います。 質問中の例が極端になってしまっているのですが、それらはある意味煽りだと思いますし自業自得と言わざるを得ません。 こういった問題はケースバイケースで判断が変わったりもしますから一つの例について擁護的な発言をしたからと言っても別の事例では擁護的な発言をしない事もあるのではないかと思います。 単に「自業自得」と言い放てば「擁護」と捉えられる可能性が高いですね、「**だしこの場合自業自得だと思う」と言えば全てに擁護するイメージにならないと思います。
お礼
擁護にはならない、3票目です。 ありがとうございました
補足
No6さんまでのご意見が、多少のニュアンスの差はあれ全員が擁護にはならないというご意見です。 そこで今までの回答者の皆さん、もしくは今後「擁護にならない」のご意見を回答いただく方に補足で質問させていただきます。 被害者批判が犯罪者擁護にならないのなら、なぜ往々にして被害者への非難に対して「悪いのは犯人の方だ。犯人を擁護するのか!」というような意見が世間ではよく見られるのでしょう。 これは特に女性への性的犯罪でよく見られます。 例えば先日の沖縄米兵の少女暴行事件のように。 このような意見はなぜよく見られるのでしょう。 そして「擁護ではない」派の方からすると、このような意見に対しどのように考えますか
だから、つまり被害者を批判するからといって、犯罪者を擁護にはならないと思います。
お礼
犯罪者擁護にはならないという意見ですね。 ありがとうございました
補足
No6さんまでのご意見が、多少のニュアンスの差はあれ全員が擁護にはならないというご意見です。 そこで今までの回答者の皆さん、もしくは今後「擁護にならない」のご意見を回答いただく方に補足で質問させていただきます。 被害者批判が犯罪者擁護にならないのなら、なぜ往々にして被害者への非難に対して「悪いのは犯人の方だ。犯人を擁護するのか!」というような意見が世間ではよく見られるのでしょう。 これは特に女性への性的犯罪でよく見られます。 例えば先日の沖縄米兵の少女暴行事件のように。 このような意見はなぜよく見られるのでしょう。 そして「擁護ではない」派の方からすると、このような意見に対しどのように考えますか
>被害者への非難=犯罪者の擁護でしょうか 被害者に対する非難は、純粋に被害者に対するものだと思います。そこに犯罪者がどうこうは絡んでないと思います。 犯罪者自体が悪いものですが、そういう犯罪者は後をたちません。 ですから、犯罪を犯す人間とは関係なく自分が被害者にならない努力も必要です。 だとするならば、被害にあった場合に自分に原因があるなら、それを自覚しなくてはいけません。 そういう自分の落ち度をわからせるためにも、その行動に対する批判はすべきだと思います。もちろん、犯罪者に襲われないためにという意味で。
お礼
被害者への批判が、被害者にならないための努力となり、ひいては犯罪防止にもなるということですね。 ご意見ありがとうございました
補足
No6さんまでのご意見が、多少のニュアンスの差はあれ全員が擁護にはならないというご意見です。 そこで今までの回答者の皆さん、もしくは今後「擁護にならない」のご意見を回答いただく方に補足で質問させていただきます。 被害者批判が犯罪者擁護にならないのなら、なぜ往々にして被害者への非難に対して「悪いのは犯人の方だ。犯人を擁護するのか!」というような意見が世間ではよく見られるのでしょう。 これは特に女性への性的犯罪でよく見られます。 例えば先日の沖縄米兵の少女暴行事件のように。 このような意見はなぜよく見られるのでしょう。 そして「擁護ではない」派の方からすると、このような意見に対しどのように考えますか
お礼
わざわざ補足にまでご回答いただき本当に感謝します。 ありがとうございました