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研究は偏差値とあまり関係ないといわれていますが・・・

偏差値とは受験時の学力をはかるだけであり、偏差値の低い大学の学生でもいい研究をしている人はたくさんいる。と以前ここの回答で見たことがあります。 たしかに稀にそういう学生はいるとは思うのですが例えば、素粒子論の研究を行うとします。極端な話東大や京大の学生や研究施設と、大学とは名ばかりの大学で素粒子論の研究をしている学生や研究施設を比べると、論文を読んでみるとレベルの差は明らかです。教員も私立大のほうが給料はいいですが、旧帝大に異動したいと願っている人は多いことからもわかります。誰と議論するかも重要ですし。 大学1年の僕がこんなことを言うのも失礼かもしれませんがなにか反論でもお願いします。

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  • tarakoZ
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回答No.8

先ず、学生数に対する教員数が私立大に比べ国立大学が圧倒的に多いので、国立と私立を同じ土俵で論議できません。例えば、各大学の工学部の学生数に対する教員数をホームページで比較してください。慶○大学の教員数でも地方国立大学と比較すると見劣りします。したがって、あくまで国立は国立、私立は私立同士での比較と考えてください。また、研究と偏差値との関係と言うことですので、学生を主体に記述します。教員の研究となると、個人の問題になりますので。 学部レベルの研究であれば、偏差値と関係しているでしょう。これは、修士、博士課程への進学率が偏差値の高い大学ほど高く、学部生を指導できる人数が多いためです。研究の仕方も判らない学部生を教員が1人づつ指導するには限界があります。修士レベルも理系の進学率は高いので、やはり同じように言えるのではないでしょうか。 博士になると事情は変わってきます。就職先も限定されてくる博士課程に進む人は、偏差値と無縁の世界に入ります。ここまで進む人が高校の問題が解けるとかそのようなレベルではありません。まあ、現役の受験生に比べ時間は掛かるかも知れませんが(笑)。基礎学力とか勉強の癖などは既に身についています。博士の研究が教授の指導による可能性もありますが、個人の問題が大きいでしょう。研究するにはお金も掛かります、スタッフも要ります。ですが、それは研究規模の問題です。一番大事なのはデータから何を見つけ出すかだでしょう。研究には回答がありません。 大規模な実験設備が必要な研究成果は、見た目にも派手で、すごい研究のように見えます。しかし、その研究の独創性を見ると大学の偏差値だけでは測れない優れたものも数多くあります。

その他の回答 (7)

  • sandaba
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回答No.7

A:「偏差値とは受験時の学力をはかるだけであり、偏差値の低い大学の学生でもいい研究をしている人はたくさんいる」 B:「研究は偏差値とあまり関係ないといわれています」 AからBは論理的に導けません。あなたは人の話を聞いているのでしょうか。

  • xen1234
  • ベストアンサー率25% (15/60)
回答No.6

大学によって使える研究費が違うので、成果か異なるとか、 大学によって集まる人種が違うので、もまれ方が異なるとか、 そういうことを除いて、単に「いい研究をしている人」が出身大学に(偏差値に)関係するかということを私が感じていることを書き込みます。 私の印象としては、出身大学(偏差値)に関係すると思います。 いいところほどいい研究をしている人がより多いと思います。 その理由として私が考えるのは、良い大学に行く人は、その過程で勉強をする「癖」がついていると言いますか、難しいことに取り組むことに「集中する癖」がついている人である確立が高いからだと思います。 そのような難しいことに「集中する癖」がついている人は、そうでない人よりも研究に携わる時間も長くなり、 その結果、洞察力、観察力、分析力がいつしかついてくると思います。生まれながらにしてこれらの力がついている人はほとんどいないと思います。 結局はその物事にいかに集中して行うかによるのではないでしょうか? エジソンも天才とは99%の努力と1%のひらめきと言っていますし・・・。 超個人的な意見です・・・。

noname#62864
noname#62864
回答No.5

はっきり言って、研究は学生がしているのではありません。教員がしているのです。教員は生活がかかっています。現実問題として、給料をもらえるところを探すのが最優先です。優秀だからといって、いわゆる偏差値の高い大学の教員になれるというわけではありません。教員のポストというのは少ないし、空きがなければ募集されませんからね。 入試のように毎年全教員を対象に選考が行われているのなら、偏差値と要員の優秀さがほぼ一致するということもあるかもしれませんが、現実はそうなっていませんからね。 したがって、偏差値が低い大学でも良い研究ができるというのは、優秀な教員がいるというだけのことです。その指導を受けて優れた研究をする学生が出ることもあるでしょうが、その割合は大学の偏差値を反映すると思います。

回答No.4

偏差値に比例するのではなく、獲得している研究費に比例しているわけです。つまり東大・京大は研究費獲得額でも日本でトップですので、研究が進んでいるのはなんら不思議はありません。 研究は偏差値とあまり関係ないというのは、基本的には、有名私立よりも無名国立大学の方が研究が進んでいるという文脈で使われる決まり文句です。だから、東大・京大をこの言葉に当てはめて考えると、ご質問のように誤解の元になります。

  • tekcycle
  • ベストアンサー率34% (1839/5289)
回答No.3

いや、無関係ではありませんよ。 そもそも大学のランクってなんだと思います? 頭の良さではないんですよ。 あれは「人気度」なんです。 人気があるから優秀な者しか入れなくなり、だから頭の良い者が集まる、のです。(少なくともペーパーテストの能力では、ですが) 頭が良い者、偏差値が高い者が集まるのは結果でしかありません。 その「人気度」の中には当然のことながら研究環境が含まれるはずです。 高校生だから判らないながらも、ここに行けばしっかり研究できるんではないか、なんてことです。 だから、人気のある大学の研究環境が恵まれていることは不思議ではありませんし(というか逆ですよね)、そこに少なくともペーパーで優秀な学生が集まるのも不思議なことではありません。 また、そうして大学が選ばれますから、意識の高い人の方が良い研究環境に集まることが多いのは普通でしょう。 だからといって、じゃぁアンポンタン大学ではまともな研究が絶対にできないのか、といえばそうでもない、というだけのことです。 ただし、普通は研究環境はそれだけ良くないと想像できます。 必ずしも偏差値通りではありませんけど。 ペーパーの能力と研究能力は今一繋がらない、というのもその通りです。 理科大から国立の院に行くような奴はペーパーはできますよ。 学部の範囲の問題なら。 でもそれ以外が足りないことが多すぎると思っています。 勿論、人によってはそこもクリアしていますが。 また勿論、東大生でも研究能力がない奴はいくらでも居るんでしょう。 言われたことをやることには長けていることが多いとは思いますが。 実際は、特に博士課程ですが、研究環境が悪くて結果が出せないようなところだと博士号が取れませんから、良い研究室に移りたくなるでしょうね。(研究環境に左右されるような研究なら特に) とすると、研究環境が悪いところはドクターが残り辛いでしょう。 すると研究がそれだけ停滞しがちになり、それは修士の連中にも影響するでしょうね。 ドクターの先輩に面倒を見てもらえるのか、教員が走り回って全員の面倒を見なければならないのか、は随分違うのではないかと。 当然これは研究室に所属したばかりの学部生にも影響しそうなことです。 更に、高校の理数もろくにできなかったような連中の面倒を見るのはより大変になるでしょうし。 勉強は当たり前にする上位大学の連中とは違うことが多いのは当然のことです。 異動したい、というのが解るでしょう。

  • pusai
  • ベストアンサー率38% (451/1161)
回答No.2

偏差値は受験時の学力ですので、主に「記憶力」や「計算力」、あとは「読解力」といった能力が主になります。 一方、研究者には「観察力」、「分析力」、「洞察力」といった能力が必要になり、「記憶力」や「計算力」といった能力は余り必要ではありません。 (資料やメモをいくら見ても良いので「記憶力」がなくてもどうにかなります。「計算力」は電卓やExcelを使えば補えるでしょう) 偏差値で計られる能力と研究者に必要な能力は全く違うため、「研究は偏差値とあまり関係ない」といわれるのです。 > 誰と議論するかも重要ですし これも偏差値とは関係ありません。 偏差値が高いだけ人間と議論したところで意味はありません。 研究者としての能力に長けた人と議論することが重要です。 そしてなにより、同じ学内の人間と議論しているだけでは井の中の蛙に過ぎません。 学会などで外部の類似テーマ研究者と議論を行う経験を持てるかが重要となります。 私は日東駒専級の大学でしたが、東大や早稲田の研究者と学会で対等に議論しあったりしました。 (学生相手にやり過ぎて、担当の教授が「もう勘弁して」と頭下げてきたことも、、、) > 論文を読んでみるとレベルの差は明らかです 学会に参加するようになれば分かるでしょうが、一流大か無名大かなど論文の質には関係ありません。 一流大の学生の論文も単に難しく書いてあるだけ(一見レベル高そうに見えます)で内容はたいしたことがないものも多いです。 結局、学会に参加してくるクラスの学生であれば、大学名に関係なくドングリの背比べです。 なにせ議論の相手になるのはその道数十年というベテラン研究者たちなのですから、、、 大学によって異なるのはやはり研究施設と研究資金ですね。こればかりは差が出ます。 ベテラン研究者の中にはお手製の研究器具だけで一流の論文を発表している人もいましたが、さすがにその境地にいたるのは困難です。

  • tono-todo
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回答No.1

だから、どうなんでしょうか。 研究は偏差値とは関係ありません。 あなたの言う偏差値は、同一年齢で成績が「相対的」に上か下かを表す指標でしかありません。 各年齢での平均やばらつきが同じなら、偏差値は普遍的に「相対的」なポジションをあらわす指標にはなるでしょう。 どういう研究をするかで、平均的に頑張れれば良いなら、偏差値も有効でしょうが、新規のアイデアを出して練り上げることを研究というなら、偏差値は余り意味はない・・偏差値が高い=過去のことをよく知っている=新規なアイデアを生み出す土壌になる場合もあれば、逆に縛りとなって、前に進めないこtもある。 東大・京大で優れた論文が多いのも事実だが、それは偏差値というより、環境・・切磋琢磨する環境が、あなたのような、研究向きでない人も研究せざるをえなくさせるからでしょう。

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