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地鎮祭事件と愛媛玉串料事件

この2つの違いって、「国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に宗教の自由を保障を確保しようとするもの・・。」 の 違いなんでしょうか?他にはどういった違いがあるのか教えて下さい。 最高裁の政教分離規定の解釈(目的効果基準を含む)にはいかなる問題点があるのでしょうか? 制度的保障が絡んできてると解釈していいものなのか、範囲が広すぎて手がつけられなくて困ってます。

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  • mhcp77
  • ベストアンサー率83% (5/6)
回答No.2

津地鎮祭事件と愛媛串料事件の論点である1.審査基準と2.政教分離の法的性格は同じ規範を採用しました。 両方とも1.目的効果説と2.制度的保障説を採用しており、この点において両者に違いはありません。 他にメジャーな論点で二つの判例を対比出来るようなものはなく、 この二つの判例の違いは、結論(あてはめ)が違うことだけだと思います。 Kaufmannさんは同じ目的効果基準を採用しているけれども、 厳格さが違うとおっしゃいましたが、 二つの判例の目的効果基準の該当文章を読めばわかりますが、 両者の基準の違いは全くないものと考えてよいと思います。 基準が全く同じであったにも関わらず、 二つの判例の結論が正反対になってしまったという事が、 政教分離の解釈の問題点につながるのだと思います。 これに関しては個人的な意見を好きに述べればいいと思います。 同じような状況下なのに結論が異なるのは、 基準を設けた意味がない(裁判官の心一つで結論が変わる) のではないかとか、私ならそのような感じで書くと思います。 また、模範解答として、必ず入れておくべき批判点は、 日本の最高裁にいう目的効果基準は基準がゆる過ぎるということですね。 アメリカの元祖目的効果基準(レーモンテスト)と比べて、 政教癒着を認めやすくなるといった切り口が妥当かと思います。 最後に1.審査基準と2.政教分離の法的性格(制度的保障の論点)はしっかり区別してください。 政教分離の法的性格の論点は、訴訟形態をどれにするかにつながる論点です。 人権説をとれば個人で訴えることが出来るのに対して、 制度的保障説では、憲法の人権侵害とはいえないので、 住民訴訟などの客観訴訟の訴訟形態をとることになります。 これに対して、目的効果説などの審査基準は、裁判が始まって、 裁判官が実際に判断する際の基準の話です。 今回の津地鎮祭事件と愛媛串料事件との対比ならば、 政教分離の法的性格の論点は両者とも制度的保障説をとっているので、 問題とする必要はないように思えます。

kaito0305
質問者

お礼

遅くなりましたが切羽詰っていたのでとても助かりました! 細かい説明ありがとうございました。

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その他の回答 (1)

  • Kaufmann
  • ベストアンサー率50% (4/8)
回答No.1

 まず、津地鎮祭事件において判例は、制度的保障説をとりました。通説もこれを支持していますので問題はないと思います。これについて客観訴訟云々の議論がありますが、別に重要ではないと思います(?)。  また、目的効果基準(レーモンテスト)について津地鎮祭事件は、「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」が、禁止される宗教的活動にあたると解しています。そして、目的と効果は社会通念に従って、客観的に判断しなければならないとしています。  しかし、この判例は、目的と効果双方で宗教的でなければ違憲とならない点で、目的効果基準を緩やかに適用していると相当批判を受けています。さらに、レーモンテストにおける要件の、「過度の関わり合い」の基準が明示されていないことから、目的効果基準が緩やかな分離を正当化するために機能してしまうのではないかという問題もあります。  そこで、アメリカのようにレーモンテストを厳格に適用すべきだという見解が出てきて、それが愛媛玉ぐし訴訟事件に継承されたというわけです。すなわち、確かに津地鎮祭も愛媛玉ぐしも目的効果基準を採用してはいるが、その厳格度が違うというわけです。

kaito0305
質問者

お礼

どうもありがとうございます! とても参考になりました。

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