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私は、オカシイでしょうが、ご意見を参考にしたいです

人の相談に乗る立場にあって、自身の不全感というか、異常性にほとほと嫌気がさしています。 もちろん、下記のようなことがあって冷静に反省し、今後に生かしていく決意ですが、適性と言う点は、欠格なのかとさえ思います。 人の相談に乗る立場の関連資格は、今年取得したばかりです。実践経験は殆どありません。 この質問には、皆様のさまざまな角度からのご意見を伺って、今後の責任ある態度を貫くために参考にしたいと思います。 そのエヒソードとは.. 私は、実母が今入院しています。30日になろうとしています。 まもなく退院なのですが、あれこれと先の「よくないこと」を考えすぎるたちで、客観的な症状よりもずっと弱気で憔悴しきっているのです。 そこで、母の気持ちに沿って声掛けをしてきましたが、つねに私の心のなかは、「母の状態をよくしたいのに出来ない」というやりきれない気持ちが鬱積していました。母に怒鳴ってやろうと言う気持ちも正直幾度かありました。しかし、ここでキレてしまっては、元も子もないと抑えつづけてきました。 そんななか、私の妻が見舞いに同行しました。彼女は今はやや理解も出てきましたが、「陰気な病院の雰囲気が嫌い」なのです。足が弱っていてポータブル・トイレをおいてもらっている母は、そこからの臭いも嫁に対して気遣っています。 私は少しでも母の気持ちをラクにしてやりたく、会話をしていました。 反面、妻の「早く退出したい」気持ちも理解して、「その両立にこだわってしまい」後ろ髪を引かれる思いで病室を退出しました。 そして帰りのエレベータに乗って、その場面について、「もう少し私の気持ちが判らないのか」といった会話をしました。 そうすると、「私も、尽くすことはつくした」という意味のようなことを言います。 エレベータは、1階下の階で、呼び出しに応じて止まり、その階の人が乗ろうとしたときでした。 なぜか、私は突然の雷光のごとく、激昂して、あろうことか、「コラ~!」と叫んでしまったのです。 その階の人は、当然に驚愕し、その声でその階の看護師さん、医師、事務スタッフの人が駆け寄ってきました。 私の安全確保のためか、その階の誰かが「ドアを開く」ボタンを押し続け私は妻とその階に降りました。 たまたま、集まった人たちの中に、わたしが持病(精神疾患ではありません)でみてもらっている主治医がいました。 その主治医が私たちに声をかけ、私は我に帰り、事情を簡単に説明し、わびました。 ...そのあと、自己嫌悪に陥り、そのなかでも冷静さをもって、思い切ってこの質問をしようと決心しました。 キレるおじさんそのものの私が、他人の悩みをこれからも聞き続けてよいものでしょうか。あまりに反社会的なことをしでかしたのですから。 これを貴重な体験として、今、課題としていることは次のとおりです。 (1)ものごとは、かならずしも両立しない。両立させようとむげに努力することはない。 (2)母の気持ちをラクにすることは、いかに仕事に通じることとはいえ、成功するとは限らない。 (3)不満を溜めこまず、うまくガス抜きする方法を考えて実践する。 (4)私自身が、カウンセリングを受ける。 (5)私自身に対する客観的な、病理診断がくだれば、資格も返上することも考えてみる。 皆さま、忌憚なきご意見をお聞かせください。

質問者が選んだベストアンサー

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  • kabasan3
  • ベストアンサー率50% (9/18)
回答No.5

 せっかく苦労してとった資格なんだから、資格を返上する必要はないかと思われます。しかし医者にも腕の良い医者とヤブ医者がいるように、相談援助専門職(カウンセラー、ソーシャルワーカーなど)も同じです。資格を持っているからといって適切な援助ができるという訳ではありません。  もしあなたが今後資格を生かして相談援助専門職として働きたいというのであれば、自分の気持ちを適切に表現する方法(コミュニケーションスキル)を身につける必要があろうかと思います。  また、自分のことをよく知ること(自己覚知)や、適切なストレス解消法(ストレス・コーピング)を持つことも必要かと思います。その意味で、あなた自身がカウンセリングを受けるということは役に立つのではないでしょうか。  また他の方も書いている通り、あなたがカウンセラーのようにお母様と接する必要はないでしょう。あなたは息子として接すれば良いのではないでしょうか。  私は、お母様の心理的ケアを全て病院に任せるという考えには反対です。病院のスタッフも当然お母様を患者の一人として身体的にも心理的にもケアします。しかしあなたも息子として、お母様の心理的ケアの重要な鍵を握っています。医療者には家族にはできないケアができます。そして家族にも医療者にはできないケアができます。ここで言う家族ができるケアとは、決して専門的な技術を要するものではありません。そばにいるだけで十分ケアになっていることも多いのです。  家族と医療者が協同してこそ、良いケアができるのだと思います。

参考URL:
http://www.assertive.org/
suitahump
質問者

お礼

当欄をお借りして、ご回答の皆様へ共通のその後の報告を申し上げます。長らくお礼をしないままでしたが、その後2年間の経過も踏まえて御礼を申し上げたいと思います。 ◆ご回答の皆様へ◆ 母は、この後、まもなく退院し、2007年12月下旬から、2008年1月中旬にかけて3週間を全介護を受けて家族とお正月を過ごすことができました。 お正月料理の仕方を、私と弟に細かく伝授し、スプーン大の塊にしないと嚥下することは出来ませんでしたが、その料理を喜んで食べました。 しかし、次第に自力で嚥下できなくなり水分も受け付けず、最後の入院となり、2月の下旬に逝去致しました。 ** こんななかにあって私は、息子として当たり前に接しました。 一緒に笑い、泣き、弱音を吐いた母を励まし、むなしさ、苦しみを受け止めつつ、ときにどなってしまったこともありました。 母は、「甘えていた。堪忍。堪忍。千遍堪忍や..」といって、脱水症状の起きている身体から、沢山の涙をこぼしました。 私はわれに返り、母の手を握り、涙を流して謝りました。 この間のさまざまなことは、現在の私の大きな財産になっております。 ** どうして母とカウンセリング関係のように接したかというと、「それがタブーであると教わっており、自分としてもわかっておりながら」取り越し苦労症で予期不安傾向が強い母に、何とかならないのか、と思い、「別の力で」アプローチしたいと思ってしまったからにあります。 そして、それを実行してやはりキレて(破綻して)しまった。それを体得したことも今となっては大きな学びです。 ******* kabasan3さまへのお礼 ご専門家としてのご回答ありがとうございました。 「自分のことをよく知ること(自己覚知)」については、本当にむずかしいことを日々痛感しています。 昨年、アサーションの実習を受け、参加者の皆様との交流のなかでおおきな気づきを得ることが出来ました。 ストレス・コーピングについても、知識として知っていることと、自分とその状況にあわせて、どういう方法が効果的なのかも、自己覚知とあわせて体得しておくことが大事だということも痛感しました。 怒りは、溜めればためるほど、その本質(怒りの底辺にある本当の感情)がわからなくなること。ゆえに、怒りが小さなうちに対処しておくことや、不合理な信念に気づき、是正する必要があることも体得しました。 本当にありがとうございました。

その他の回答 (4)

回答No.4

「人の相談に乗る立場」と言う事でsuitahumpさんをカウンセラーさんという事で回答させていただきます。 まず言いたいのは、suitahumpさんは「オカシク」もないし「異常」でもないと言う事です。 クライアントの前では「カウンセラー」。 でもその前に、suitahumpさんは人間です。家族も奥様もいらっしゃる。 家族や奥様の前では「カウンセラー」じゃありません。 お母様にとってはただの息子、奥様の前ではただの旦那さんです。 いつでもどこに行ってもカウンセラーのままじゃ、suitahumpさんが疲れてしまう。 精神的にもダメージをくらってしまうのは当然です。 お母様と奥様との間での板ばさみ状態に、自分で思っているよりもずっと頑張っていらしたんだと思います。 頑張り過ぎてたんじゃないかな。 suitahumpさんは、とっても優しい方なんじゃないかなって思いますもん。 「母の状態をよくしたいのに出来ない」なんて考える方ですもんね。 2人の気持ちを考えるあまり、自分の気持ちを限界ギリギリのところで 押さえ込んでしまっていたんでしょうね。 それが一気に溢れて、爆発してしまったんですよ。 でも、それって人間らしくないですか? 溜め込んで爆発する。 だからsuitahumpさんが特別に異常な訳じゃないと思います。 それに冷静になって考えられるんですもん!異常じゃないです。 今はお母様の事を大切にしてあげて欲しいと思います。 お年で病気で手術して再発して心細くて弱気になってしまう・・・当然の事です。 辛い時間を頑張って生きてきたんだもの。 無痛の時期を、穏やかに楽しく生きていって欲しいですよね。 suitahumpさんが、そんなに気を使いながらお見舞いに行くのなら 奥様は病院が嫌いなら行かなければいい。 そして気兼ねなく、お母様とお話してきて欲しい。 自分の愛する旦那さんを産んでくれたお母様ですもん。 大切にしてあげて欲しいな・・・。 今回読んだだけですが、suitahumpさんがカウンセラーに向いてないなんて 思いませんでしたよ。自信持って、頑張ってください!

suitahump
質問者

お礼

No.5さまのお礼欄の◆ご回答の皆様へ◆に、皆様共通のお礼を書いております。ご覧くださいませ。 annyannkoさまへのお礼 > 家族や奥様の前では「カウンセラー」じゃありません。 > お母様にとってはただの息子、奥様の前ではただの旦那さんです。 そうです。まったくそのとおりです。2年後の今では、まったくそう思いますが、このときは、上記に書きましたように、資格を取ったばかりのこともあって、とにかく「何とかしようと考えた」んですね。 余裕がなかった。それでも、母と妻に対等に気配りしようとしていた。 実は、母はこの日、退院後のことで弱音を吐き、「せっかく、今日まで、<普通の人じゃできない心理的アプローチをしてきたのに>、何でなんや!」という気分が沸き起こり、怒って部屋を出て行き、病院の庭でアタマを冷やし、弱気になっている自分にも気づきながら、妻に母を励ましてくれるように頼んだのです。 ところが、(当然ながら)妻の前では母は気をつかった気丈にふるまいました。 そのため、「何や、いつもと一緒やん...」と、冷淡な態度を(とったように私には見えて)、妻への申し訳なさと、母の本当の気持ちを知らない妻への思いやりのなさへの怒り..やらの感情が混沌とし、この事件へつながるのでした。 今から思うと、「どんなときでも、妻には気をくばらねばならない」 という不合理な信念に縛られていたのです。 こんなときは、ある意味、妻などほったらかしで、母と接すればよい。そのほうが、妻も、私の気持ちも理解できるはず。 自然な親子関係なのですから。 この当時は、頂いたアドバイスの、 > でも、それって人間らしくないですか? > 溜め込んで爆発する。 > だからsuitahumpさんが特別に異常な訳じゃないと思います。 > それに冷静になって考えられるんですもん!異常じゃないです。 に、とっても救われた気分になりました。 本当にありがとうございました。

  • o0tadasii
  • ベストアンサー率38% (8/21)
回答No.3

定年後、民事事件の調停員を5年、 その後、地元の学校にスクールカウンセラーの活動を定着されるための業務に5年ついた者です。 >(2)母の気持ちをラクにすることは、 >いかに仕事に通じることとはいえ、成功するとは限らない このことですが、身内の者が、カウンセラーの職業意識を持って 接すれば、自分への負担が増し、キレるのは当然のことゆえ、 臨床心理士さんたちは、ご自分の家族へは職業意識を持って接することはありません。 クライアントと結婚するカウンセラーは、カウンセラーとしての大前提を見失った者として見下げられます。 身内や家族とは、カウンセラーとクライアントという立場の違い(クライアントへの配慮)ではなく、身内ゆえの対等な人間関係、一線おくことのない密接な心の触れ合い、心の留め置くことない意見交流などをしなければ、ガスが溜まるのは当然のこと という大前提があるのですが、臨床心理士資格ではなく、民間資格などでも身内へのクライアント意識がタブーという指導はされておらぬのであろうか? そこを改善することで、十分、本来の質問者:suitahumpさんの良さがあふれる家族関係に戻れることと思われます。 (5)の資格返上うんぬんは、母君をクライアントと見ないよう努めることで解消する話であろうと思われる。 母君の心理状況に関しては、身内の者が引き受けるのではなく、入院先の看護さんの力を借りたり、病院に出入りするボランティアや、病院にいるのならカウンセラーなどに相談して改善するのが筋であろう。 身内がカウンセラーとクライアントの関係になると、共依存関係になりやすく、互いが精神的に潰れるのは時間の問題だろう。 息子である貴方は、あくまでも母君が看護婦さんやカウンセラーとの接触の中で感じる不満などを聞く役目、つまり愚痴や世間話を家族にしか出来ない役目として聞くだけ。 そうすれば万事うまくいくと思われる。 >(1)ものごとは、かならずしも両立しない。 >    両立させようとむげに努力することはない。 奥様とのことですが、 折角、質問者:suitahumpにとっては実の母君のお見舞いなのですから、奥様にはサラっと顔を出してもらって病院内にある喫茶店などで時間を潰してもらい、 あなたは血の繋がった母子の触れ合いを満喫されるのが宜しいのではないかと思います。 母君にしても、嫁の顔色伺いながら、息子のお見舞いを受けても、心から喜べない。気遣いで余計疲れるものでしょう。 そういう段取りさえすれば、母君と奥さんとの狭間で苦しむことから解放できるでしょう。

suitahump
質問者

お礼

No.5さまのお礼欄の◆ご回答の皆様へ◆に、皆様共通のお礼を書いております。ご覧くださいませ。 o0tadasiiさまへのお礼 No.4さまへのお礼のところの前段で書きましたように、 「身内へのクライアント意識がタブー」というのは、私が学んだカウンセラー資格の取得のためのテキストにはっきり書いてあり、実習でもそれを教わりました。 けれども、2年前の、あの時あの場所では、「とにかく母の悪いことを極端に考えてしまう、予期不安傾向」を何とかしたくて、悪いことを考えることを少なくするためにはどうするか等々、まさにタブーのクライエント間の距離感でもって接してしまっていたのです。 今、私が言えるのは、このタブーは、実際にはそれにハマってしまう傾向が、少なくとも私にはあったということ、そしてその関係の弊害を体得することによって、本当にそのタブーがわかったこと。これこそが、ある意味、母が教えてくれたのかもしれません。 この日は、病院に来る前に、妻と別れて単身来たものの、私にとっては「予想外に弱音を吐いた母」に混乱し、妻を呼んだわけです。 ・妻を自分の弱気で呼んだ気兼ね ・気丈に振舞う母のことを、元気と思っている妻への腹立ち という2つの気分の錯綜で、ああいうおろかなことをしてしまったわけです。 しかし、その自分自身への、あのとき、あの場所の気持ちを、今後はこの道の仕事やボランティアで生かしていきたく考えています。 このときは、o0tadasiiのご助言の、 > あなたは血の繋がった母子の触れ合いを満喫されるのが宜しいのでは> ないかと思います。 の一言が、いちばん効きました。 タブーへのはまり込みから抜け出せましたし、その後の介護も気兼ねなくすることができました。 本当に、ありがとうございました。

noname#58692
noname#58692
回答No.2

40代男性です。 まあ、病院内で切れてしまったことは素直に反省して。。 誰でもそういう時はあると思います。それを表に出してしまったことは 大人としては問題はありですが、素直に反省できるのですから、 それはこの際おいておいてよろしいかと思います。 (1)ものごとは、かならずしも両立しない。両立させようとむげに努力することはない。 →必ずしも両立しないではなく、しないこともあるということでいいと思います。 努力は必要です。両立する人もいます。ただ、両立しなくてはならない。と 肩肘張って目を吊り上げて、周りに目を向けなくなるまでしてはいけないということで。 (2)母の気持ちをラクにすることは、いかに仕事に通じることとはいえ、成功するとは限らない。 →それは、そのとおりですね。これはあくまでもお母様の仕事であって、 質問者様はそのサポートというだけですから、馬を水場に連れていく ことはできても、飲ますことはできないということでいいのでは。 (3)不満を溜めこまず、うまくガス抜きする方法を考えて実践する。 →誰しも聖人君子にはなれないですから、ガスは抜いてください。 (4)私自身が、カウンセリングを受ける。 →それも必要とあれば、受けてください。ただ、病気の親御さんと 奥さんの板挟みとなれば、かっとなることもあるということで、 ご質問の内容だけであれば、あまり深刻になる必要はないと思いますが。 (それ以外にもなにか心の中でひっかかるものがあるのなら別です。 もちろん、ご自分自身でもよくわかっていないことがあるのかもしれません。 そんなひっかかりがあるのなら、カウンセリングの有用性はあると思います。) (5)私自身に対する客観的な、病理診断がくだれば、資格も返上することも考えてみる。 →このへんは専門家ではないのでなんともいいようがありませんが、 専門家と相談されて、アドバイスに従うということでよろしいのではないでしょうか。 医者の不養生、紺屋の白袴。そのような例はいくらでもあります。 あまり深刻に考えすぎないように。。。 奥さんの心情も判らないではありません。自分がその立場にたたないと 判らないことはいくらでもあります。想像力の欠如や思いやりのなさと 責めるのは簡単ですが、(その辺が暗に質問者さんにはお母様に対して 奥さんが冷たく感じられているから切れたのだと思いますが、) 一緒にいかなければ、または先に帰ってもらえば解決する話なので、 それはそれとして、まずは、お母さんの鬱気をはらしてあげることを 考えましょう。温泉にでも入って笑って暮らせば、身体の免疫力が あがって癌が治る人もいる。。とか嘘か誠かは知りませんが、 前向きに、気楽に暮らした方が、いい結果がでるよと。。 ちょっと温泉にでも連れて行ってあげたらどうでしょう。 (行けるような状態であればということですが。) >適性と言う点は、欠格なのかとさえ思います。 適格かどうかはご自分の判断ではなく、相談を受けた人や 周囲の評判を聞いてからでいいでしょう。 相談をうけてもらって、気が楽になった、助かったという人が 一人でもいればいいんじゃないですか。 あんな人、いてほしくない。ふさわしくないという人が 過半数でてくれば別ですが。 (客観性のある優しそうな方なので、それもないと思いますが。。) まあ、無責任なアドバイスと思って、ご参考までに。

suitahump
質問者

お礼

No.5さまのお礼欄の◆ご回答の皆様へ◆に、皆様共通のお礼を書いております。ご覧くださいませ。 ◆noname#58692さまへのお礼 No.3さまへのお礼のところで書きましたように、あの日は、一旦、買い物に行った妻と別れてから、私だけが病院に母を見舞ったのです。 私「退院はいつや」(わかっていたけれど、母に退院できる喜びを実感してもらうために) 母「いつや知らん。何かわからん..」 ほぼ全面介護の状態での退院...におそらく無力感を感じて、私に、実の息子として弱音を吐いたのです。今となれば、そうわかります。 しかし、このときは私は、混乱し、妻を呼んだわけです。 ・妻を自分の弱気で呼んだ気兼ね ・自分の弱気をみせたくない ・気丈に振舞う母のことを、元気と思っている妻への腹立ち という気分の錯綜で、ああいうおろかなことをしてしまったわけです。 のちに私は、上記のように葛藤がすぐに解けることがないことがわかると、そのままに出来ず、当事者(妻)への感情を、直接でなく、八つ当たりで解消するという、クセがあることを自覚しました。 No.5さまのお勧めのあった、アサーション訓練で、それがわかり、一段階自分への理解が進んだようです。 > ご自分自身でもよくわかっていないことがあるのかもしれません これが、いちばん効いたご回答の一文でした。 ありがとうございました。 ◆natural_pさまへのお礼 この欄をお借りして、natural_pさまへの(2年後の時点での)お礼を申し上げます。 natural_pさまへのお礼欄や補足への記述が、2007年当時のお礼です。 > 親子(夫婦)なのでしょう? もっと腹を割って話をしたほうがいい> のではないでしょうか? いまでも、このアドバイスは一番響いています。 妻は、私が誰の援助もなく困っているときは、それを察してそれこそ、 かまいすぎるほど、かまいます。 けれども、私が、母など妻以外の人と親密に接していると、自分に「役に立たない感じがわくとともに、いじわるな気分が出てきて」(ダメとわかっているんだけれど)よそよそしくしてしまう、とのちに自分自身を吐露してくれました。 人には、それぞれの傾向があります。自分理解への大切さ、そしてその理解は終着点はなく、生涯続いていき、自省と自信のごちゃまぜなのでしょうね。 改めて、ありがとうございました。

  • natural_p
  • ベストアンサー率30% (48/156)
回答No.1

病人の方の人間です… 入院中によその家族のゴタゴタをよく見ました… 大概の場合は 家族の人の 患者本人の不勉強が原因だと思いました。 質問者さんの場合は奥様…でしょうかね? 嫌なものは嫌というのは本当にどうしようもない話なのですが、ちょっと問題ありだと思います。 私の身内にも似た方がいるのですが、ある意味の不勉強の権化なので今から変わって貰うのは無理だと判っているので誰も何も希望しません。看病も見舞いもお願いしませんでした。お葬式にもダルそうに来ていました。すべて想像通りでした。 1~5ですが とりあえず 5 かな…。質問者さんの中に問題があるのか無いのかがはっきりすれあは無いが早い。異常が無いと判ったら続ける方向で考えればいいと思います。 ※3と4って方法次第ですが カウンセリング=ガス抜きじゃないでしょうか? 1 これは 話の内容と 家庭の問題などで 人それぞれなのでしょうね。 相手(奥さん?)に10%我慢してもらって 自分が50%諦めた妥協点でも 相手も一緒に妥協してくれるかどうか… 私は近所づきあいの中で 私が50%以上諦めて相手に10%我慢してもらう妥協点である約束をお願いしたかったのですが はねつけられました。将来的に仲良くする必要も無い相手なので私も我慢するのは辞めて お付き合いをやめました。…相手次第です…わかりません 2 病気の方は完治したのでしょうか 完治するはずなのでしょうか? でも…年齢のことを考えたら 病気が治ったとしてもあと何十年もは生きられません… 息子さんよりは短いはず それをラクにするのは~~本人がよく考えて気付かないと出来ないことだと思います… 病気は今 悪い状態じゃないということを 本などでよく説明してあげて納得してもらうか、宗教的なことに走るのか、、 いくら家族でも どんなに親切にされても… 感謝はするけど自分の生命の長さを解説してもらいたくないですよね… 自分に判らないことが他人に判るわけないです…(精神的なことは特に) 仕事として暖かく優しく接するのも…仕事なら当然なのでしょうが 親子(夫婦)なのでしょう? もっと腹を割って話をしたほうがいいのではないでしょうか? 冷静になることは必要なのですが、話の内容によっては 多少気持ちが荒れたり、それをちょっとぶつけたりするのは 人間として必要なことです。いつも冷静で優しい自分の家族って キモチワルイです。何も相談する気にはなれません(私がそういう状態の患者なら) …一応 患者目線の回答のつもりなのですが… ちょっとひねくれているので 参考になるかどうか

suitahump
質問者

お礼

natural_pさま 貴重な患者さま側からのアドバイスありがとうございます。 12月22日に退院して、家族で介護しています。 企業戦士の弟も、この連休は献身的に介護してくれました。 わたしは、業務を調整して、彼が年末休暇になるまで半日を介護、父(82歳)に負担をかけないように頑張ります。 移動、排泄、食事すべてにおいて介護が要ります。 妻も、「あの事件」以来、「ごく素直な情として」手伝ってくれています。母は、その時代に理想とされた「嫁としての滅私奉公」を貫いた人でした。 その必要性を、母としては、時代の流れも読みながら、「遠まわしにその必要性を妻に説いて」いました。 それが、妻にとって、やはり重荷と言うか気を遣っていたようです。 しかし母は、ときに「メリークリスマス」だとか、「八卦見のおばちゃんのような顔やな」とか口走るようになり、「素になった母ははじめて」という状況に出くわしました。 これからは、「素の人間たち」と「家族の絆」でおだやかに見守っていこうと思います。 介護保険は、認定が病状悪化に追いつかず、「介護I」というとても不十分なものなのです。 もちろん、変更申請中です。しかし、変更できるのは年明けになることは間違いありません。 ただ、「現状をあるがままに受け止め、できる範囲のことをやり、限界もあることも受け止め、淡々と目の前のことを行う」 先々を考えてしまう傾向は、しっかり母の性格を引き継いでいますので、それもよくわかっています。 ということを、natural_pさんはじめ皆様に教えていただきました。 本当にありがとうございます。

suitahump
質問者

補足

こちらの構成上、ご回答いただいた方への共通のメッセージや補足欄がないので、#1さまのところを代表させていただきます。 ■皆様からのご回答まことにありがとうございます。私が、いまの状況でやはり視野が狭くなっていて、「はっ」とすることも多々ありました。個別には、少しかかりますが、きちんとお礼というか、そうした気づきを表明し、今後の私の意思表示もしたいと考えています。 ■そして、これらの気づきは、私が今後公私ともに生きていくことに大きく幅を広げるものです。ここに自己への戒めと、ご迷惑をかけた皆様へのお詫びの決意を、本当に深く得られたことをご報告します。 (昨今、毎日どこかで謝罪している報道がありますが、それがカタチだけなのか、本当に気づきの謝罪で、再発しない何かのものを得たのか、というどちらかがあると思います。私は、後者の方であると確信しています) ■母の病状は、はっきりいって楽観的ではありません。  3年前に74歳で肺がんを1B期で切除成功しましたが、2年前に骨転移が認められ一旦は内服抗がん剤が奏功しましたが、現在は無効となり、その後、これが大きくなって脊髄を圧迫、あくまで緩和ケアとして除痛治療が終了したところです。  これは本人も自覚していますが、他の重要臓器には転移が確認できないところから、今の無痛の時期を穏やかに有意義に過ごすことを第一義としています。  しかし、本人が混乱しているのも事実で、とりわけ3ヶ月の背中や腰の激痛に耐え忍んだ後のため、虚脱感と共に、落ち込んでいるのはまったく自然のことなのです。

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