• 締切済み

将来働く年齢になった時、いかにしてワーキングプアを乗り切るか

現在高3の者です。ありがたいことに、来年から大学に行かせてもらえることになったので、就活などして働くのは4年後になります。 話はやや反れますが、日本大学の生産工学部に入学することになり、学費を奨学金で当ててその学費に当てる分のバイトの時間を将来の資格を取ったりする時間に費やしたいと思っています。 (推薦で行ける大学を1ランク落として入ったので、大学の授業にはついていける自信はあります。) ですが、世の中そううまくいかず、奨学金を取れなくて、学費を稼ぐためのバイトに明け暮れてしまうという可能性もあります・・・ 自分の今後の計画としては、来年の4月までは高校の総復習と、簿記2級までを目標としています。(それでも誘惑に勝てず、ついつい一日遊んで終わるという日もあります;;) 大学に入って、中小企業診断士、社会保険労務士、プロマネ等のいずれか自分にとって学びやすいものを選んで資格を取りたいと思っています。 (しかし、これらは国家資格のためこっちの方が夢物語です><) 本当は、高1あたりから将来を見据えてしっかり勉強をして実力をつけているのが普通ですよね。 僕は現在に至るまで、学生は遊んで過ごしていいものだと思い込んでいたため、一流大学に行くための勉強や資格取得などは一切やってこなかったので、社会通用能力はほとんどありません。 こんな自分に就職して社会を生きることはできるのでしょうか。 もはや手遅れだと言われたらそれまでですが、まだ可能性があるとしたら上記に述べた事を実現するにはどのような生活をするのが良いのでしょうか(時間配分など) 後、遊ぶ時間があればなと思うのはあまいですよね。できる限りやめようと思います。 不足箇所があれば適宜補足するので、どうかよろしくお願いします。 乱文ですみません

みんなの回答

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.12

非常に上から目線のお説教が目立ちますが、ま、あんまり難しく考える必要はないと思いますよ。なるようになるというか、ならないようにしかならないというか、私は社会人になって仕事で必要があったので英会話を勉強しましたが、学生の頃は本当にまったく勉強しなかったものです。お約束の「こんなことなら学生時代にもっと勉強しておけばよかった」を痛感しましたが、まあそういったところで後の祭りですしね。でも、それで社会人になって勉強したのは非常に意義があったと思っています。 資格なんていくつ持っていても安心なんぞにはなりません。資格というのは「それに関する最低限の知識を持っていることを保証する」に過ぎないのです。どんな仕事でも実務経験が重要ですからね。車の免許で、ペーパードライバーでゴールド免許になった人は「運転が安心な人」ですか。むしろまったく運転していないのですから逆に危険ですよね。 使える人間か使えない人間かなんて、そんなの周囲の判断だし立場や環境で求められる能力はまったく変わります。よくあるパターンが、セールスマンとして非常に優秀だったので異例の出世をして課長にしてみたら、管理能力はまったくなくて課長は失格だったなんてことがあります。いちセールスマンならただやみくもにでも売り上げを上げればいいとなりますが、課長となると無駄な出費をしないとか、限られた予算と人員で効率よく結果を出すなんて能力が求められます。 だからまあアドバイスすれば質問者さんを優秀なセールスマンくらいにすることはできて、それなら20代のうちは高評価になるでしょう。でも、30代、40代になるとまた違う能力が求められますが、ヘタに20代に成功しているとその栄光に引きずられてその後伸び悩むことになります。 飛び級を取り入れている国がありますよね。例えば韓国とか。中学生にして大学に入学したとかそういう人がいたりします。で、そういった人たちのその後を追跡調査したいじわるな人がいるんですね。そういう「早熟の天才」の将来はどんなもんかと。 すると、ほとんどの早熟の天才はその後20代くらいで完全に伸び悩み、そのまま埋没していってしまうそうです。早熟の天才が偉大な発明や発見をしたり、賞をもらうなんてことはほとんどないそうです。韓国はノーベル賞を取るのが国家の悲願なんだそうでして、飛び級制度もその一環であり、見込みのある研究者などには国家が補助金を出したりするそうですが、未だ誰もノーベル賞がもらえません。いちばんノーベル賞に近かったのがファンナントカ教授という方でしたが、実はその教授の研究が全くの捏造であることが判明しました。研究の一部がウソだったのではなく、基礎理論からして真っ赤なウソだったそうです。その方面の研究が10年後退した、なんていわれました(京都大学はファン教授の理論を基に研究所を作っていたそうです)。飛び級をやっているうちは韓国はノーベル賞は取れない(文学賞や平和賞はあるかもしれません)なというのが私の個人的意見です。 私が質問者さんを評価しているのは、文面から察するに努力型と思われるからです。天才型はどこかで伸び悩んだり「ここがもうピーク」というふうになりますが、努力型は時代に合わせて自分を変化させることができるからです。だからまあコツコツやっていればなんとかなりますよ。質問者さんが40歳になっているころにどんな世の中になっているか、それは誰にも予測できませんから。 あとね、遊んだほうがいいよ。遊びに溺れるのはよくないけど、でも若いうちに軽く溺れたり火傷をしたりして免疫をつけておいたほうがいいです。遊びを知らぬままに大人になった人ほど、いい年をしておかしくなっちゃったりしますから。

回答No.11

> さすがに大学は高校の延長だと思うほど認識は見誤っていないですが、理系とは違うという考え自体が間違いでしょうか? 生産工学が純粋に文系かどうかというのも少々はありますが、私が回答したのは、むしろ文系の人たちこそのことです。 それは、講義の数を比べてみれば一目瞭然でしょう。私の弟は文科系でしたが、理科系の私と同じペースで講義を受けると、1年早く卒業単位がそろってしまうとか言ってました。それこそ、そんなに講義にばかり出ているほど、文科系の学生はひまではない「はず」だからなのです。 会社にしろ、社会にしろ、必要なのは自分で考え、自分で行動する人間です。大学というのは、実は知識はどうでもよくて、そのためのスキルを身につける場という考え方もあります。(私は必ずしも賛成しませんが。) いずれにせよ、あなたが大学で本当にちゃんと学生の本分を全うし、それなりの成績を収めることができるようなら、それなりに社会に出て活躍もできるでしょう。逆に、資格取得だとかなんだとか称して本来の大学の勉強というものをおざなりにして、とりあえず卒業証書さえ手にすれば十分とするのであれば、どうにしろそういう人間は必要とされないものです。 大事なことは、あなたがどんな資格を持っていようといまいと、実際に役に立つ人間であるのかどうかということです。あなたが真に世の中で必要とされる人間になれるかどうかは、この4年間にかかっているといっても過言ではありません。それはとりもなおさず、あなたがこの社会に受け入れられる人間となるかならないかということです。 まずは、大学生としての本分を全うすることです。その合間があれば、見聞を広めるもよし、資格取得も悪くはありませんが、本来するべきことは変わらないはずです。 ワーキングプアになりたくないのであれば、大学生としての本分を全うすること、これに勝るものはないと思います。

dadght
質問者

お礼

お返事遅くなってしまい、申し訳ないです。 再びのご回答ありがとうございます。 あれから数日経って考えてみたのですが、僕は大学のことから少し逃げていたのではないかと思いました。実際に高3になっても本当にやりたいことは見つかっておらず、これが良さそうだで選んでしまったことへの後悔を忘れるために、資格に逃げようとしていたのだと思います。 しかし、入るからにはあなたの仰るとおり、大学生の本分を全うしたいと思います。 まだ入学まで4ヶ月あるので、それまでに必要な知識や一般的な教養を身につけたいと思います。ですが、僕自身資格も大切だと思うので、あわせてそちらもやっていきたいです

noname#52467
noname#52467
回答No.10

普通の親のすねかじりをしているようですね ワーキングプアを心配したり、資格がないとどうにもならないと思ったりするdadghtさんは失礼だけど良い意味で小心者かも知れません そのような心配事を持ちながら世の中へ出れば何とかなると思いますよ 

dadght
質問者

お礼

>普通の親のすねかじりをしているようですね 恥ずかしながら、そうです。ですが、高校生は大多数は親の元で食べさせてもらっていると思っているので、少なからずもこういう不安を覚えてしまい、どうすれば良いかわからなくなると思うのですが・・・ しかし、世の中広いので自分で生活費と学費稼ぎながら通ってる方はいらっしゃるのでしょうね・・・そういう人には本当に頭が上がりませんよ。というか、タメ口きけないですよ^^; 今もうこうしてインターネットをやったり将来のことで悩んだり勉強ができるということは本当に贅沢で幸せなことなんですよね。 つい、親の庇護下ではそういうことを忘れてしまいがちなので、精神面や考え方ももっと変えていくようにしていきます

回答No.9

> (推薦で行ける大学を1ランク落として入ったので、大学の授業にはついていける自信はあります。) おやおや、ずいぶんと大きく出ましたね。 あなたのいう「ついてゆく」というのはどのレベルの話でしょうか。ただ単に、単位を取得して卒業するというレベルの話でしょうか。そんなら、「ついてゆける」なんて自慢にも何にもなりやしません。 大学の「講義」は、多分あなたが高校までにやってきた「授業」とはまったく違うものです。高校までの勉強というのは、十分に吟味されて、体系化され、教え方を含めてほぼ確立したものだけであり、いってみれば「箱庭」に過ぎません。大学・大学院で「学ぶ」ことは、いまだ確立していない、教えている教授ですらまだよくわかっていないような領域です。それをあなたが理解し、吟味し、意見を持ち、教授と議論し、新しい概念や理論を打ち立てることができるぐらいになって初めて「ついていける」といえるのです。いまやそんな学生は一握りですが、企業は本当はそういう人材を求めているのです。 昔、一生懸命講義に出席している学生を、ある教授はこう諭したそうです。 「君、そんなに講義にばっかり出ていて大丈夫なのかね。」と。 もちろん、講義に出ないで遊んでいろと言っているのではありません。昔、学生というのは図書館や古書街で本を読み漁り、己の考えをノートに書きなぐり、それをまとめてレポートにして、友と議論を戦わせたもので、講義に出ているほど暇ではなかったのです。だから教授も出席なんかとりませんでした。 今では、大学でも出席をとるくらいですから、このとおりにしろというわけではありません。ですが、大学で学ぶということは、授業に出て言われたことだけを理解しておけば十分というような生易しいものではありません。自分が主体的に考え、行動し、必要とあらば授業をサボってでも展示会やカンファレンスにも出席し、見聞を広めなければ、とても「ついていける」ようなものではないのです。 それでも「ついていける自信はあります」などというならそれは面白い。ついていけるもんならついていきなさい。それができるような人は、ワーキングプアなんかにはなりません。 今一度、大学に何のために行くのか、考え直すべきだと思います。大学を高校の延長かなんかのように、そんななめきった考えでいるのなら、とっとと大学など辞めて、資格の取得でも何でも専念したほうがよっぽどましでしょう。

dadght
質問者

お礼

大学の授業でついていけるという表現が、自身過剰にきこえてしまいましたね。 あなたの仰る通り、単位を取って卒業はできるという意味でつかいました。そんな自慢気に話しているような表現になってしまい、申し訳ないです。 ただ、資格などをとる時間にまわす余裕はできるかもしれないという意味合いだったのですが・・・もうちょっと書き方を変えるべきでした。 ですが、真の意味での大学の授業についていくとはどういうことかを知ることができたという点ではこういう書き方をして良かったと思いました。 若干話は長くなりますが、NHK主催の科学教室で、「素粒子で宇宙をみる」という内容の講演を聴きに行きました。 それで思ったことですが、まだ未知なる部分についてわかっていないこと(大統一理論など)を研究するのは、「そんなの不可能だよ」という先入観を持った時点で僕は理系には向いていなかった・・・と今更ながら知らされました。学問に対する自分の考えを持ってぶつけられるレベルは自分とは別次元だと逃げていました。 生産工学などの文系分野では理系とは違うところがあるし、少なからずも経済には興味があったので、行こうと思いました。 しかし、4年次に卒業研究があるのは事実ですが、物理や数学みたいな次元ではないと思うのですが・・・ さすがに大学は高校の延長だと思うほど認識は見誤っていないですが、理系とは違うという考え自体が間違いでしょうか?

回答No.8

社会人として必要なのは <人格>と<教養>なのだといわれます。 <教養>は孤独の中で育まれ、<人格>は社会の荒波の中で育成されます。 ワーキングプアとは誰もが出来る単純労働を低賃金で働くことなのですから、 そこから抜け出すには、自分のスキルをアップして格差社会の逆手をとることが 肝心です。 そのためには、あなたの仰るように資格を取って差別化する事も一案です。 それと同時にいろいろな社会との接触で自分の人格を形成することも大切なのです。 せっかくの大学生ですから、大いに 勉強すること 遊ぶこと 人と触れ合うこと(心の切磋琢磨) を通じて、様々な経験をすることでしょう。 時間を大切にして 大いに<行動>することではないでしょうか?

dadght
質問者

お礼

>自分のスキルをアップして格差社会の逆手をとる うわー、これはかなり難しいですね・・・果たして自分がそんなことができるだけの人間になれるのかどうか・・・ >  <教養>は孤独の中で育まれ、<人格>は社会の荒波の中で育成されます 一見矛盾するようですが、僕も的を射ているような言葉だと思います。ということは、大学のうちに<教養>を得るのが肝要ということですね。 >時間を大切にして大いに<行動>することではないでしょうか はい、一つ一つの<行動>に意味をもたせていきたいです

回答No.7

あなたが大学で”学ぶ”意気込みにあふれているのでしたら、頭に想い描いている諸々は日記の片隅かなにかに書き出しておいて、すっかり忘れてしまうことです。。。。 あなたが学ぶことで成長するにつれ、未来は刻々変化していきますから。。 と言うより、大学で学ぶことは今のあなたから脱皮するプロセスですから、高3のあなたが思い描いているとおりの姿であれば、それは高校生のあなたが大学の知識を仕入れただけに留まってしまったと言っていいかもしれません。 厳しいことを言いましたが、あなたの意気込みや良しです。。でもあまり頭が良すぎると自ら道を狭めてしまいます。せっかくですから、愚直になって大学での学びを楽しんでみてください。見る目、見る人には、それだけの価値があるものです(世間ではあまりそう言う風に見られませんがね、大学教育というものは)。。 >推薦で行ける大学を1ランク落として入ったので、大学の授業にはついていける自信はあります。 ほんとうですか(笑)? 大学での勉強は小中高とは根本的に質の異なるものですよ(全く次元の異なるものだといってもいい)。もはや自分の位置を知るために利用してきた、テストも、クラスでの序列も、予備校の模試もありません。日大ともなれば、第一線の専門教授の言葉を(独り言だったりします(笑))ヒントに、自分で学ぶ道を選んでいく、、そうした学びになります。 期待を大きく膨らませ、(あまり先入観を持たずに)大学の学びに臨んで下さい。。

dadght
質問者

お礼

大学の授業についていけると書いてしまったのはこちらのミスです>< No.9さんにも言われましたが、あくまで卒業はできるという程度のものです。 しかし、大学ですか・・・改めて考えてみると、卒業云々だけではもったいない気がしますね。 大学で本当に研究したいものは何かをもう一度考えてみます

  • woodpark
  • ベストアンサー率28% (67/236)
回答No.6

仕事に必要な資格を取ることは無駄ではありませんが、それ以上に人間性に磨きを掛けることも大事だと思います。 サークル活動、バイトなどいろんな年代の人達との関わり、経験は、社会人になっても自分の財産として有意義なものだと思います。 資格は社会人になっても取れますが、大学のときにしか出来ないこともたくさんあります。 就職のときに資格は有るにこしたことはありませんが、それ程重要視されません。社会適用能力・人間性の方がウェイトは高いはずですし。

dadght
質問者

お礼

お返事遅くなり、申し訳ないです>< 資格ってもうそんなに重要視される世の中ではなくなってきているのですね・・・人間性の向上とかが一番難しいです。 とにかく、社会人になってからでは経験できないことをたくさんできるようにしたいです。 回答ありがとうございます

  • dai-ym
  • ベストアンサー率22% (848/3824)
回答No.5

これから生産工学を学ばれるのですよね。 それなのに、中小企業診断士や社会保険労務士などの資格を取るのですか? それならば行くべき学部が違うように思いますよ・・・ 社会通用能力とは資格を持つこととはぜんぜん違います。 また日本は新社会人には非常に優しく、社会通用能力は社会人になってからみにつけても間に合います。 >遊ぶ時間があればなと思うのはあまいですよね。 大学時代に社会適応能力を学ぶ大きなチャンスは、バイトや遊びのときだと思いますよ。 遊ぶということは人と交わっていくことです。 学校の勉強だけでは所詮は机上論しか語れない人間になります。 実社会ではそれにさまざまな性格の人が交わってきます。 机上論とそれを実際に動かす人の隙間を埋めることがもっとも大事になります。 社会人で出来る人間って遊びも出来る人のほうが多いですよ。 逆に遊ぶ時間も削って何とか出来る人間になっている人はどこかしらゆがみが出ていて、 実際には使いにくい人間になっている場合が多いです。 社労士も中小企業診断士も対人間の問題を解決することの多い資格です。 人間関係に乏しく机上論でしか語れない人には向かない業務だと思いますよ。 大学は自分の勉強と、バイトと、遊び(サークル活動でも外部の活動でも)を自分に有った良いバランスでこなしていくのが良いと思いますよ。

dadght
質問者

お礼

>社会人で出来る人間って遊びも出来る人のほうが多いですよ。 確かに、これはなんとなくそうだなーと思います。 世渡り上手な人って言うのかな(違うかもしれませんが) 時間のつかい方ってけっこう難しいですね・・・ 回答ありがとうございました。

  • inoba
  • ベストアンサー率15% (4/26)
回答No.4

現代社会は、豊かさの中に隠された 偽り 社会ですが そもそも使える人間と言うのは、 現在のお金優先社会(経済重視)で、ということでしょう。が まもなくそのような社会は終わりになるでしょう。もう既に断末魔の状態でうそで固めたいろんなことが吹き出物のように あちこちに噴出しています。 今の社会で使い物になるという  ものさし を捨てる必要がありますか? おそらく、来年の今頃は社会がこれまでの常識ではまったく通用しない社会になっているでしょう。そして、これまでの利権やしがらみに食らい付いて放さない人たちにとっては、たいへんな世の中でしょう。が、今までの社会を根本的に見直し取り組む人たちにとっては、素晴らしくチャンスに満ちた時代になるでしょう。現在の貨幣制度がこの社会にどれほど良くないかという事に気がついた人々が、あちこちで立ち上がり、ジワリジワリ浸透して社会を変えることになるでしょう。 来年は、もっと不況の波が襲ってくるでしょうが、歴史を見てもこういうときが、物事が代わる節目になっています。テレビやマスコミに流れる情報に浸っているばかりの人々には、気づくのはずっと後になるでしょうが、遅くとも来年のおしまいのころには明るい希望ある未来の話題があちこちで流れ時代が変わったと気づくでしょう。 年金問題も政治家の問題も食の偽装の問題も消費税上げねばとかいうことも、 お互いが助け合うという新しい社会には、解決の糸口があるといろいろ調べて学べばわかるでしょう。 以下検索してすこし勉強されることをお勧めします  エンデの遺言  ミートリックス その他 http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/matthias_rath.html http://homepage3.nifty.com/gaia-as/   社会の囚人にならずに 社会をつくる人になりましょう

dadght
質問者

お礼

ふーむ、一年経てば変わるのですか・・・。 それが本当だとしたら朗報ですね^^ ただ、助け合いの世の中にならなければいけないというのには同感です。 実際そうはならないのが現実ですけどね><

  • tyr134
  • ベストアンサー率51% (851/1656)
回答No.3

そんなに心配しなくても、大丈夫だと思いますよ。 今後は、人口は尻すぼみなので、私の時のような就職氷河期は当分来ないと思われます。 なんで、普通に大学に行って普通に就職活動していれば、大丈夫だと思われます。 あとは、1、2回生の間になるべく多くの単位を取っておくべきです。 そうすると、3,4回生で少し余裕が出てきます。 その時間を有効に使って、資格等を取っていけば良いと思います。 (もちろん、1,2回生でも時間を有効に使ってください) また、ある程度自分が行きたい業種・企業等をなるべく早く絞り込んでいくことも必要かと思います。(できれば1,2回生から大学の就活科などを利用していきましょう) >後、遊ぶ時間があればなと思うのはあまいですよね。できる限りやめようと思います。 まぁ、遊ぶのも大学生にとっては仕事のようなモノですので(笑) やることさえやっていれば、別に息抜きに遊んでも構わないと思いますよ。 取り合えず、サークル等に入ってみてください。 就活では、大学4年間で何をしたかが問われることがあります。 その時に、勉強ばかりという人間よりは、サークル等で頑張った人間の方が評価されやすいようですね。 多分、対人能力の参考になるからかもしれません。

dadght
質問者

お礼

なるほど、サークルですか。 入る前まではそれも考えていたのですが、やはり学費の工面等を考えると、いささか難しいので対人能力の向上にはバイトで代用するしかないですね。 しかし、サークルも週に1,2回程度の活動ならば、ぜひ入りたいと思います。 回答ありがとうございました。

関連するQ&A