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愛ってなんですか?

好きな人がいます。 同性なのですが、女子校という環境から惹かれたというのは否定できません。 けれど、彼女のことを本気で好きになりました。 ただ好きなだけでなく、彼女の人間性をすごく尊敬しています。 私がこういう人間になりたいと思っていたそのままの人で、そういうものに対する憧れでもあります。 好きですが、愛ではなく、私は「尊敬や憧れのいきすぎた感情」と読んでいました。 けれど、今はもう理想そのままの人間だから、ということだけではなく、そうじゃない部分も含めて、彼女のすべてが好きです。 これはもう愛なのだろうか…と思ったときに、愛というのがなんなのか分からなくなってしまいました。 辞書には「相手をいとおしく思う気持ち」とありますが、好きで、惚れていて、惹かれてはいますが、いとおしく思っているわけではないのです。 けれど、優しかったり、愛しかったり、尽くしたかったりすることだけが愛じゃないと思うのです。 厳しかったり、苛めたいと思うのもまた愛でしょう。 なんでも愛だといえてしまう気がして、愛というものが多すぎてわかりません。 愛の基本って、どんな感情なのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • kaleen
  • ベストアンサー率30% (77/250)
回答No.7

ここで言葉の定義が違うと、もうsakananaさんの考える 彼女への気持ちとは違ってしまうと思うので、 申し訳ないですが「愛」の定義そのものからは 今回ちょっと逃げさせて下さい。 私から見ると、sakananaさんの感情は「敬愛」「友愛」「恋愛」なのかな、 と思います。これは「恋愛なのだろうか?」ということでしょうか? (また「性愛」(?ごめんなさい)はどうですか?) 先の方々が言われるとおり「愛」というと、かなり広くなってしまい、「敬愛」「友愛」も含まれてしまうので、「それは『愛』です。」となってしまいますね。 のんきな人間なんで、私は「彼女が好き」は「好き」でいい気もします。 すばらしいことだと思いますよ。 分析しても、ごちゃごちゃになってしまうだけで、素直な感情が逃げていってしまいませんか? 感情を分析して名前をつけるのは哲学者にまかせて、彼女に惚れてる気持ちを 楽しんで、充実した生活を送ってください。

sakanana
質問者

お礼

>また「性愛」(?ごめんなさい)はどうですか? それはないです。 同性だからという理由でもなく、男の人に対しても、それは感じたことはないです。 もともとそういうものが苦手で… それに(いつまでこの言葉が使えるのか自信がありませんが)まだ高校生ですよ? >のんきな人間なんで、私は「彼女が好き」は「好き」でいい気もします。 >すばらしいことだと思いますよ。 そうですね。 そういう風に思うことにしました。 今、ここにある現実をもっと大切にしようと思っています。 アドバイスありがとうございました。 P.S 返事が遅れてすみません。

その他の回答 (6)

  • tanigawa9
  • ベストアンサー率35% (61/171)
回答No.6

 君の悩みは普通の人ならば(男女に関わらず)、誰でも一度は通る道だと思います。あまり深刻に考えることもなく、好きだから好きだでいいんじゃないでしょうか。  愛は形が決まっているものではなく、あまり難しく考えることもなく、要は『このときめきを愛しなさい』、だと思います。 時間がたてば、今の気持ちも良い思い出になることでしょう。結論を言います。基本なんてありません。

sakanana
質問者

お礼

そうですね。 あまり難しく考えないようにしました。 時間がたてば、この答えが分かる日が来ると思います。 今考えても答えが出ないものは、今考えるべきではないことだと思いたいです。 アドバイスありがとうございました。 P.S 返事が遅れてすみません。

  • hng
  • ベストアンサー率0% (0/5)
回答No.5

愛の基本、それは親の愛です。父母が子を産み、自分を投入して(犠牲になって)子を育て慈しむ。為に生きる姿、与えて忘れる姿、それが愛の基本です。 そこから子女の愛(子として親に愛を返したり、兄弟を愛したり)、夫婦の愛と成長し、父母の愛に至ります。自然や動物を愛したり、友達を愛したり、仕事・趣味を愛したり、というのはすべて父母の愛が基本となって出てきます。 尊敬や憧れも当然兄弟愛になり、素敵なお姉さんのような人、と考えるべきではないでしょうか。愛をすべて男女間の性愛のようにとらえる必要はないと思います。また、いわゆる同性愛のように考えるのも間違いだと思います。 父母の愛が基本ですから、そこには優しさもあり、尽くすこともあり、そして当然、厳しさもあります。苛めるのは愛のゆがみである、ねたみ嫉妬、憎悪になりますが。 その父母の愛は人間の親、神から来ています。ゆえに、愛は神という中心があり、親子、夫婦、兄弟、という関係性があり、格位性があります。ただ、実際には人間の堕落による醜い自己中心的な猥雑な姿があることは否めません。 愛の感情、キリストは『何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ』といい、Rev.S.M.ムーンは、『愛は与えて忘れなさい』といいました。

sakanana
質問者

お礼

>Rev.S.M.ムーンは、『愛は与えて忘れなさい』といいました。 とてもいい言葉です。 心に留めておきたいです。 アドバイスありがとうございました。 P.S 返事が遅れてすみません。

noname#419
noname#419
回答No.4

たぶん、君が納得のいく答えをしてくれる人がいたとしたら、そいつはもう坊主にでもなってるだろうね。それに、こんな一般人の集まり(中には高僧もいるかもしれないが)で「愛」とは何かって質問にピンポイントの答えを求めてるのかい? これは俺の考え方なんだが・・・誰だって何かしらの苦労はしてるよな。経済的な苦労から精神的なものまでいろいろあるわな。だがこうした苦労はどうしてもぶつかっちまう、絶対に避けられないものなんだ。誰だってそんな苦労をしたくて生まれてきたわけじゃねぇ。親がやることやったから生まされちまったんだ。どんな金持ちだって、華やかな舞台に立っている人間だってみんな被害者みたいなもんよ。そう考えた時は俺は人間すべてがいとおしく思えたよ。これが愛とは言わないが、本で読んだ愛よりも実感を持った分だけ近づいた気がしたな。 さて、君が同姓を好きになっているのはそれは君が相手を愛しているからじゃあないと思うな。君ぐらいの年齢ってのは一番発情しやすい時期なんだ。だから周りにどんな人間がいようとその中から恋愛の対象を探してしまう。君は女子校で周りは女ばっかり、だから必然的にクラスメートの中から探し出してしまったと思うよ。尊敬の対象から相手を好きになることは十分ある。だから相手を意識する。しかし年齢から「恋愛」というものに敏感だから自分の中で恋愛と思ってしまう。おまけに相手が同姓だから迷う、迷うから余計気になる、この繰り返しだよ。 同姓しか好きになれないんじゃないかと思っている感覚があるかもしれないが、このまま変に意識し続ければ体に悪い。ここは友達に男を一人紹介してもらったらどうかな。今の感覚とは違ってくると思うがな。

sakanana
質問者

お礼

>たぶん、君が納得のいく答えをしてくれる人がいたとしたら、そいつはもう坊主に >でもなってるだろうね。それに、こんな一般人の集まり(中には高僧もいるかもれ>ないが)で「愛」とは何かって質問にピンポイントの答えを求めてるのかい? いろんな人の考えを聞きたいと思っているだけですよ。 >だから周りにどんな人間がいようとその中から恋愛の対象を探してしまう。 >君は女子校で周りは女ばっかり、だから必然的にクラスメートの中から探し出してしまったと思うよ。  >尊敬の対象から相手を好きになることは十分ある。だから相手を意識する。 彼女を好きになったのは、あなたの言う通りここが女子高という閉鎖的な場所だったからという理由がある、裏返せは、もしここが共学だったら、彼女をこんな風に好きにならなかったかもしれない、ということは認めます。 でも、そんなことは何の意味もないことだとも思っています。 人を好きになるには、必ずいくつかのきっかけがあります。 それは、出来事だったり、環境だったり、または容姿だったりもするでしょう。 きっかけなく人を好きになるなんていうことはなく、つまり同じ相手でも、それらのきっかけがなければ好きにはならないでしょう。 この場合、ここが女子高だったというのは数多くあったきっかけの1つに過ぎないんです。 そしてもう、きっかけなんてたいしたことじゃないと思いませんか? しょせん過去の遺物じゃないですか。 その理由だけで彼女を好きになったわけじゃないし、それをちゃんとした想いに発展させられたんですし。 それに。 もし~だったら…と後悔などをする時、“もし”なんていう仮説は意味がないっていうじゃないですか。 これだってそうです。 “もしここが共学だったら”なんてことも、考えても意味のないものだと思いませんか? 現実、ここは女子高で、私は彼女と出会ったのです。 人との出会いは運命や奇跡なんかじゃなく、ただの偶然に過ぎません。 その偶然にいちいちけちをつけるような考え方はやめました。 私はただ、この偶然に感謝したいのです。 >おまけに相手が同姓だから迷う、迷うから余計気になる、この繰り返しだよ。 彼女が同性だからという理由で迷ったことはないです。 もしかしたら、もともとバイだったのかもしれませんね。 >同姓しか好きになれないんじゃないかと思っている感覚があるかもしれないが、 そんなことはないです。 次に人を好きになるなら男の人だろうとも思っています。 長々とすみません。 アドバイスありがとうございました。

  • belle
  • ベストアンサー率9% (7/71)
回答No.3

その通りですね。 なんでも「愛」の中に入ってしまう…。 それだけ「愛」というものの器が広く深いのだと、私は解釈しています。 ただ、厳しかったり苛めたいと思っても、その気持ちの根本は、「こちらを向いて欲しい」とか「もっと暖かさを感じたい」とか、そういうものではないですか?親が子に対して厳しいのも、大きな愛ですよね。 苦手な人の中にも「愛しい」部分を発見したりもします。だからといって、その人全てを「愛せる」(一般的な意味で)訳ではありません。 結局、「愛」と言う時、それは表面に表れる行動のことではないと思います。 「尊重」に近いかな、という気もします。 相手の存在を「認める」時(対象は人に関わらず、動物でも植物であっても)、その気持ちが愛なのかな、と。 貴女は今同性の方を好きだとおっしゃるけれど、それも「愛」の一つだし、尊敬できる人が近くにいることは、幸せな事だと思います。 貴女が彼女から与えてもらった「愛」(尊敬できる、という気持ちを与えてもらった訳ですから)を、また他にも分けてあげて下さい。 そういう風にして拡がれば、素敵だな、と思います。 勿論、世間一般で言う「同性愛」という側面に触れる感情も、純粋な愛の一つだと私は思っています。 あまり回答になっていなくて、ごめんなさい。

sakanana
質問者

お礼

>結局、「愛」と言う時、それは表面に表れる行動のことではないと思います。 >「尊重」に近いかな、という気もします。 今まで私は彼女のことで尊重というものに欠けていたと思います。 自分の想いで精一杯で。 そういう意味では、あのころのは愛ではなかったのでしょう。 今の想いが愛だと確信することも出来ませんが、これからは彼女のことをもっと尊重していきたいと思います。 といっても、数日後にはお互い卒業し、会えなくなってしまうんですけどね。 たとえ会うことがなくなっても、この想いは大事にしていきたいです。

sakanana
質問者

補足

(書き忘れました…) アドバイスありがとうございました。

  • bow
  • ベストアンサー率33% (86/259)
回答No.2

「それは愛ではないよ」 「それはもう愛やな。」 どっちを答えて欲しいんでしょうか。 いとおしく想う事がない。 言葉だけで気持ちを整理しようと思っていませんか!? 定義を知ったところで、きっと「好き」な気持ちは加速するだけでしょう。 自分の気持ちを抑えようとしたり、否定しようとすると、逆に暴走してしまう時もあります。 それよりもまず、自分の感情を認めてあげたらどうでしょうか? 何がわかりやすいって、家族への愛もそうですが、自分への愛が1番強いですよ。多分。 自分がかわいいから、傷つく事から逃げたくなるし、自分を愛してるから、自分に無い物を補おうとして、人を好きになったりするのでしょう。 どんな形でもいいんですよ。 家族の厳しさかって愛やし、ワガママな行動を取ってしまうのも自分への愛でしょ。 ただ、相手は他人やから、他人への愛に関しては、思いやりが必要やと思う。 自分勝手に気持ちをぶつけたり、自分の考え方だけで物事を推し量ったりすんのは、結局自己愛だけやと思うから。 相手の事を、どれだけ想ってあげられるかが、他人への愛と思います。 厳しく「したい」だけとか「苛めたい」だけやったら、ただの自分の欲求の捌け口になってしまうから。 でも、尊敬できて、理想そのままで、にも関わらず、そうでない所も好きなんやったら、相手を大事に考えたりできると思います。 頭を硬くせんと、自分の気持ちと相手の気持ちをよく大事にして下さい。 基本はないですよ。間違ってるって言われても、それで成り立ってる関係やったら、そこには愛があるんです。 アドバイスになったかな・・・長いしごめんなさい。 頑張ってください!!

sakanana
質問者

お礼

>自分勝手に気持ちをぶつけたり、自分の考え方だけで物事を推し量ったりすんの >は、結局自己愛だけやと思うから。 以前はそれと気付かずに、そういうことを彼女に対してしてしまいました。 そう、それはただの自己愛なんですよね。 bowさんのおかげで、はっきりとその事実を認識できました。 これからは、彼女の気持ちももっとちゃんと考えたいと思います。 そして自分の気持ちも大切にしていきたいと思います。 アドバイスありがとうございました。

  • caballero
  • ベストアンサー率17% (31/182)
回答No.1

超まじめな疑問ですね。愛の存在を信じる人は理想主義者に多いものですが、親が子に対する感情というのが想像しやすく、かつ一般的ではないでしょうか。しかし、今のあなたの場合は「恋愛」と言ったほうがしっくりくるのではないのでしょうか?「恋愛」には「愛」のような普遍的イメージよりも、多種多様、人それぞれ、といったようなイメージがあります。「恋」は色々あります。ですから、「多すぎてわかりません」というよりも、多いものであり、「愛」とは一般的に違うものと思われます。ただ、要求される答えではないかもしれませんが、愛の基本は、欲しがるというよりもあるかないかの、「自分」に属する問題であると思われます。 わかりにくかったですね。

sakanana
質問者

お礼

ごめんなさい。 正直少し分かりにくかったです。 でも、アドバイスありがとうございました。

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