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理解してくれる人
ひどくぶっきらぼうな質問ですみませんが、 簡潔にお聞きします。 あなたを理解してくれる人とはどういう人ですか? 「親友」とか「恋人」「両親」というような答えではなく、 その理解とはどういう内容なのかをお聞きしたいと思います。
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ANo.4、11の者です。またまたお邪魔します。 >>もし(仮に)Acekillerさんが、「自分には理解者がいない」と感じられたとき、 どう感じますか?どうしますか? とても難しい問いかけですね。 私もそれほど友人が多かったわけでもありませんが、自分を少しも理解してくれる相手が居ない、と感じたことはありません。居なくなったら嫌だなと思ったことはありますけれども。 もし居なかったら、虚しいでしょうね。 ときどき無性に寂しくなるんだと思います。 社会人になってしばらくは、そういう感覚に襲われそうになることがありました。 親元からも離れていましたし、学生時代の友人ともバラバラで疎遠になり、寮と職場を往復するだけでしたから。インターネットもまだまだ普及してませんでしたし。 でも普通に生活していましたよ。 それでも3年ぐらいして、「このままここで一生過ごしていくのは嫌だ」という結論になり退職して、貯金をはたいて1年勉強してから再就職。それから好転したように思います。 何人かの友人や、何より今の妻と知り合えたのもこの頃でしたから。 なんで好転したかというと、いろんな人が出入りする環境になったのがよかったんだと思っています。 今、妻や友人や両親が居なくなったら、それでも仕事をして、生活を続けていくんだと思います。何故か、それだけは止めてはいけない気がするんで。 ネットや会社以外の場所にも出向いて、なるべく周囲に新しい人が現れる環境をまた作りたいです。 そして少しでも寛容な人や理解を示してくれる人が居れば、少しずつ近づいていきたいですね。 やっぱり理解者は欲しいですけど、「理解者無しでは歩けない」というのは嫌です。 なんとか歩いて、何か他人の前で行動してれば、理解してくれる(かもしれない)人…つまり理解して欲しいと私が思い、理解を深めることに応えてくれる人、あるいは、私に理解して欲しいと思ってくれる人、とそのうち出会えるんじゃないかと思います。 補足で >>今の唯一の理解者がいなくなれば、もう二度と そういう人が現れないという確信のようなものがあるのです とおっしゃってますね。 私には貴方がそういう考えに至った経緯はわかりませんし、何かお辛いことが多かったんではないかと想像するのみです。 もちろん大切な人と同じ人は現れるわけもなく、他の誰かに替えられるものでもないと思います。 でもやっぱりゴキブリ理論は成立すると思いたいです。10年に一人とか20年に一人とかかもしれないですけど。 またまとまりのない文章ですみません。
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- Acekiller
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ANo.4の者です。 補足質問に気が付くのが遅くなってしまいましたことをお詫び致します。 いままでの回答やお礼を読ませていただきました。 貴方にも、理解者と信じられる方がおられるのですね。安心しました。 一人でもそういう方がおられのと、居ないのとでは大きく違うと思いますからね。 というか「この人は理解者だ」と言い切れる友人を、それほど多く持っている人などほとんど居ないのではないですかね。2人ぐらいも居れば上等で、あとは、ある程度理解してくれる人が数人、貴方の言葉を借りれば寛容な人が数人、ってぐらいじゃないかなと思うのですが。 でも一人居るんだから、貴方の理解者になれる可能性を持った人はもっと居るんじゃないかと思います。1匹見たら50匹ってゴキブリじゃないですけど(笑 で、自分と他人は違ってて良いと、その貴方の理解者さんもおっしゃるのですね。 私もそう思います。 確かに嫌な人もいっぱいいますけどね。 違ってるからこそ、自分というものがあるというか、違う人たちに囲まれてるから自分というものがわかりますよね。 みんな同じだったら、自分も無いわけで…。 孤独感も疎外感も無いかもしれませんが、それはそれで寂しいんじゃないかとか、みんな同じってことは一人ってことじゃないかとか、そういうふうにも思いますし。あまりうまく言えてませんけど。 自分と同じ人なら、わかってくれて当然で。違う人に理解してもらえたと感じたときはすごい嬉しいんだけど、その嬉しさが無いと寂しいように思います。 あ、ANo.4の内容に補足です。 あの書き方だと、反面教師だって理解者になっちゃいますね。 でも「理解者」というからにはそれとは違いますね。 私の話をちゃんと聞いてくれないと、理解者とは思いにくいですね。 というわけで、私にとっての定義は「私の話をちゃんと聞いてくれ、私の自己理解のための手助けをしてくれる人」ということにしておきます。 出会おうと思っても、すぐ出会えるもんじゃないですよね。時間もかかるでしょうし。 いろんな人に出会わないと、そういう人にも出会えませんし。 「理解者を得て初めて自己を発揮し、成長し、発展できる」と言い切ってしまっては自分があまりに無力で悲しいんで、「理解者の存在は、自己の発揮・成長・発展にとても大きな助力となる」という程度にしておきたいです。 なんかよくわからない文章になっていましました。もっと文章がうまくならないといけないですね。 なんかあんまり答えにもなってないですし(笑 すみません。
お礼
>補足質問に気が付くのが遅くなってしまいましたことをお詫び致します。 いえ、とんでもありません。 再度のお答え感謝しています。 >でも一人居るんだから、貴方の理解者になれる可能性を持った人はもっと居るんじゃないかと思います。1匹見たら50匹ってゴキブリじゃないですけど(笑 そうでしょうか・・・ そうかもしれませんが、なかなかそういう風に・・・自分を理解してくれる人は他にもいる・・・と言う風に考えることが出来ません。 もちろんひとりいるのとまったくいないのとはそれこそ大変な違いですけれど・・・ >私にとっての定義は「私の話をちゃんと聞いてくれ、私の自己理解のための手助けをしてくれる人」ということにしておきます。 先のお答えの定義でも充分でしたよ。 その通りだと思いました。 でもこちらの定義の方がより明快ですね。 >「理解者を得て初めて自己を発揮し、成長し、発展できる」と言い切ってしまっては自分があまりに無力で悲しいんで、「理解者の存在は、自己の発揮・成長・発展にとても大きな助力となる」という程度にしておきたいです。 う~ん。思わず考え込んでしまいました・・・ >なんかよくわからない文章になっていましました。もっと文章がうまくならないといけないですね。 なんかあんまり答えにもなってないですし(笑 そんなことありません。 前の答えのお礼にも書いたように、ただ頷くばかりです。 後ひとつお聞きしてもいいですか? もし(仮に)Acekillerさんが、「自分には理解者がいない」と感じられたとき、 どう感じますか?どうしますか? なんか、曖昧な問いかけですみませんが、気が向いたらお返事いただければと思います。
補足
スミマセン、ここは独り言なので無視してくださって結構です(笑) 恋愛相談のカテを読んでいて、「フラれた」質問者に異口同音に 「新しい出会いを見つけてください」というような回答が並んでいますが、 わたしには、お礼欄に書いた今の唯一の理解者がいなくなれば、もう二度と そういう人が現れないという確信のようなものがあるのです・・・ だからAcekillerさんのゴキブリ理論はわたしには当てはまらないかなと思ったのです・・・
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
こんばんは #3です お礼ありがとうございました 他の方へのお礼の文章からすると、社会の中で孤立感をもってらっしゃるのですね その気持ち、わかります。私もそうでした。 理解者にめぐり合わないという話からして、とてもお若い方ですね? 基本的に同年代の若い方は、他者に理解をしめすだけの経験や度量がないと思います。探されるならズッと年上の余裕のある方の方が、早く見つかると思います。 どのような文化がそこにあるかは、本当に違うものだと思います。 会社を変われば社風が変わるし、他県へ引っ越すとまた違います。 今カナダのトロント市から書いていますが、ここは世界有数の多民族都市なので、本当にいろんな人がいます。 ここでは「違うもの同士で受け入れあう」文化があります。 同じものでかたまり合う人もいれば、そうでない人もいますが、 自由な選択の結果です。 もう少し北の都市へ行くと、有色人種への隠れた差別があるそうですが。
お礼
再度のお答えありがとうございます。 >今カナダのトロント市から書いていますが、ここは世界有数の多民族都市なので、本当にいろんな人がいます。 へぇ~!いいですねえ!でもすごく寒いんじゃないですか? クリスマスなんかとても美しそうで羨ましいです。 >基本的に同年代の若い方は、他者に理解をしめすだけの経験や度量がないと思います。探されるならズッと年上の余裕のある方の方が、早く見つかると思います。 そうかとも思いますが、ただやっぱり人によりますよね。 この質問に回答してくださった方のような「理解」のある人は どういう人たちなのかな・・・ お答えを読んで、わたしは日本と言う国の文化(国民性?)にフィットしないのか? 私という人間が問題なのか、いろいろ考えさせられました。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
一緒に歩いてて自分が転んでも起き上がるまでずっと待っていてくれる人。
お礼
>一緒に歩いてて自分が転んでも起き上がるまでずっと待っていてくれる人。 そうかぁ・・・ たった一行ですが、いろいろ考えさせられるお答えですね。 ご回答ありがとうございます。
この質問を読んだ時の感想から。 何か自分個人を否定されるようなことがあったのかな? 理解したフリして、何もわかっていない解ろうとしないで発言した人がいるのかな? 傷ついたときに人って心閉ざした感じでこんなぶっきらぼうで取りとめのない質問をする。 その本題が分からない限り、きちんとした答え方もできないけれど。 今いえるのは、大丈夫ですか? だけです。
お礼
ありがとうございます。 >今いえるのは、大丈夫ですか?だけです。 お察しの通り、あまり大丈夫ではないのでこんな質問をしたわけです・・・ 具体的にこれこれこういう事が・・・というような事柄があったというわけではないのですが、上記の「お礼欄」にも書きましたように、 常日頃から社会の中での孤立感、疎外感を強く感じています。 結構それで参ってて・・・ >傷ついたときに人って心閉ざした感じで わかりますか(苦笑) 閉ざしっぱなしでも淋しいし、大きく開けると傷つくし・・・ でも、こういう行きずりの親切って身に沁みます。 これも「理解」の一種でしょう・・・
- ikepinchoy
- ベストアンサー率44% (4/9)
長くなりそうなので先に回答を^^ 『いつも中々会えないけれど時々会えて、本音で話せ、笑あえる人』ですね。 (1)中学時代からのあるお友達 その子とはクラスも選択科目も一緒でいつもそばにいましたが、趣味も性格もまるっきり正反対、彼女はとても成績優秀で私の勉強の面倒を見てくれるし、私が思ってたり欲しい物を言い当てられる。そんな人でした。 ちなみに大学の学科まで一緒でしたね…^^ ただ、精神面での本音を言ったことはありませんでした。。彼女自身の道をのうのうと行く人だったのですれ違いも多く、今は連絡を取っていません。 (2)高校時代からのお友達 ときより一緒に話したり、ときより一緒に出かけたり。 買い物好き同士で趣味が合いその話もしたり。学校帰りに話してても「話が途切れたから何か言わなきゃ」など無理な付き合いは無かったですね。本音でお互い悩みも相談できました。 今は忙しくて合う回数は少ないですが、たまにどっぷりと一緒に話せるお友達です。 私は後者のお友達がよりよく理解しあえる友人ではないかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。 前者の友人もあなたのことを理解はしていたのでしょうが、 ペースが異なっていたのですね。 わたしにもそういう友人がひとりいます。 高校時代からの友人で、いまでも連絡を取り合ってますが、 心の問題はあまり話さないようにしています。 どうせ理解できないだろというのではなく、 やはりこういうのも相手によるのでしょうね。 ・・・会ってる時間の長さではなく密度の問題ですね。 ひとりでもそういう友達がいるのといないのとでは天と地ほどの違いでしょうね。 わたしも極端なことを言えば、今こうして生きてるのも先の回答のお礼に書いた友人がいてくれるからだと思っています。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
#2、#5です。すいませんしつこくて(^-^;) 私も誰も自分を理解してくれないと思い悩んだことがあったもので とても人事とは思えないのです。 でもちょっと種類が違うようですね。 私はそういう対立関係中にあるとは考えたことなかったです。 なにか、そういったことが具体的にあったのでしょうか? 違う集団で同じようなことがあったのなら、 孤立感は植えつけられてしまうかもしれませんね。 人は弱い生き物なので、群れていることで安心します。 先ほど申し上げた「共感」もそれで、 自分を肯定されると心地よく、勇気付けられたりもするわけです。 人が多く集まるとグループに分かれがちですよね。 それも「安心したい」であって、そのグループ内で互いに理解しあっているかというとそんなこともないのです。 考え方が近いと集まる傾向にあり、そうでない場合そのグループには入りづらい。 なので、近いグループがない場合疎外感を感じる機会は多くなります。 多分、一人でも信頼できてこの人はある程度自分のことをわかってくれる、 という人が現れると全然違うと思います。 違ってあたりまえ、違っていいじゃん!と思えるようになると思います。 それにはとにかく様々な集団に身をおくことです。 人と出会うことです。関係を作ることです。 苦しいかもしれませんが、人と出会うことは自分を強くします。 参考になれは幸いです。
お礼
>#2、#5です。すいませんしつこくて(^-^;) とんでもない。 こちらが問いかけをしたのですから。 再三のご助言感謝しています。 >違ってあたりまえ、違っていいじゃん!と思えるようになると思います。 こんなわたしにも唯一ここで回答してくださった皆さんが定義されている意味での「理解者」がいます。そしてそのかけがえのない親友も同じように言います。 わたしも決して「同じになりたい」とは思いません。 違って当たり前だし、何が悪いの・・・と・・・ でも世間は「異質」の者にたいしてとても不寛容です。 正直この質問でも、(ここまでのところ)皆さんがここまで「理解」を示してくれた回答が集まるとは思いませんでした。 >それにはとにかく様々な集団に身をおくことです。 人と出会うことです。関係を作ることです。 苦しいかもしれませんが、人と出会うことは自分を強くします。 そうだとは思いますが、やはり疎外され、排除され、拒絶されることばかりがイメージされてなかなか難しいです・・・ そんな体験ばかり蓄積されていますから、 受容されている自分、違いを認めてくれる社会、あいつはああいうやつという寛容な人たち・・・そいういうものがまったくイメージできません・・・ ・・・ご意見がありましたら、いつでも歓迎します。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
#2です。お礼どうもありがとうございました。 無理解を嘆く、というのは 他人が自分を理解してくれないのが嘆かわしい、ということでしょうか? お伺いしたいのですが、 pokochan2様には理解できる人っていうのはいらっしゃるんでしょうか。 自分がもしそれを出来ているという自負があるのなら 相手にそれを多少は望んでもいいのかもしれませんが そういう相手がいないのなら 相手にばかり望むのは虫のいい話なのでは(^-^;) 理解というのは私は他者に対しての場合「共感」が一番わかりやすいのではないかなと思います。 自分の意見を言ったとき、相手が「あ~わかる!!私もそう思う!!」 といったような。 それが多ければ多いほど、深ければ深いほど 「理解してもらえた!」という嬉しさは大きいと思います。 逆に私は理解されないほうが面白くていいですけど(笑) いろんな考えがあって、いろんな人がいて、だからいろんな人と話をすると面白いと感じられるのです。
お礼
LOTUS18さん、再度のアドバイス感謝します。 ご指摘の通りですね。 一方的な理解ばかりを求めるのは虫のいい話だと思います 反省すべき点だと思います・・・ >逆に私は理解されないほうが面白くていいですけど(笑) というところですが、 わたしはやっぱりそこまで行けてません。 と言うよりも、世の中多様な考えや様々な価値観があっていいし、 そうあるべきだと思いますし、 区民大学などでいろんな人の意見を聞くのは面白いものです。 でもなんだかいつもわたしは強い疎外感を感じています。 この質問もそのためなのです・・・ 多様な考え多様な価値観と言うものが現実であれば わたしはこれほどまでに疎外感を感じているのだろうかと感じます。 わたしはいつも「自分 対 世間」という対立・敵対の図式の中にいるような気がしています。 世間と言うものが個々の違いを持った集団であれば、 何故孤立感と言うものがうまれるのでしょう・・・ すみません、最近またいろいろ思い悩むこと多くて(苦笑)
- Acekiller
- ベストアンサー率35% (70/196)
本当に全部理解してくれる人、なんて定義をすると居なくなっちゃうんですけど、そういうことではないですよね。 理解してくれていると信じるに足る人物、ってことですよね。 ANo.1さんと似た答えなんだと思いますが、自分自身の知ってるつもりだった部分、見えてなかった部分、そういった部分に気づかせてくれる人ですね。 そして、見えてたけど軽視してた部分の重要性なんかも。 また、そうすることによって、私に私の進む方向を考えるためのインスピレーションを与えてくれる人でもあります。 その人が私を理解してくれているかどうかは、実は関係ないですね、これ。 でも、私にとっては、本当に理解してくれてる人(さっきも言ったように居ないですが)も、私に自己理解のためのインスピレーションを与えてくれる人も、私に私を教えてくれるという点でまったく同じです。
お礼
>その人が私を理解してくれているかどうかは、実は関係ないですね、これ。 確かに厳密に言うとそうも言えるかもしれませんね。 >私にとっては、本当に理解してくれてる人(さっきも言ったように居ないですが)も、私に自己理解のためのインスピレーションを与えてくれる人も、私に私を教えてくれるという点でまったく同じです。 これもまた見事なお答えです。 理解してくれる=自分にとってプラスになる存在 という点ではこれまで回答してくださった皆さん共通していますね。 ただうなずくばかりです。
補足
#2の回答のお礼にも書きましたが、 わたしはなかなかこのお答えのような出会いに恵まれません。 人は理解者を得て初めて自己を発揮し、成長し、発展できると思うのですが・・・ そのあたりどう感じますか?
- kanakyu-
- ベストアンサー率30% (1916/6194)
こんばんは 理解してくれる人というのは、 「自分の立場に立って考えてくれて、好意的に解釈してくれる人」と思います。 そんなのおかしい、と思うかもしれませんが・・・ 人間は主観の生き物です。 誰一人、誰かのことを「客観的に理解」はできません。 自分自身に対してさえ、客観的な理解は不可能で、 きわめて主観的、限定的に理解しています。 そして、大抵は自分のしていることは心のどこかであまく解釈しています。 たとえば・・・自分が浮気をしたことは棚に上げて、夫や妻の浮気を一生許せなかったり、 自分が貸したお金のことは一生覚えていても、借りた本のことは忘れていたり。 そういうときに、「そうだよね。その気持ちわかるよ。」と、 完全な理解ではないけど、そういってあげようと思ってくれる人が 「理解してくれる人」なんだと思います。 ある意味では、えこひいきです。逆の立場から見れば迷惑ですから。 とはいえ、多少なりとも人間は誰かをえこひいきしながら生きているので、あくまでその主観の中での理解、と解釈します。 「自分のことを、すべて完璧に、しかも好意的に理解してくれる」存在は、 神、とお答えするより他にありません。
お礼
>そんなのおかしい、と思うかもしれませんが・・・ いえちっとも。 まったく全くその通りだと思います。 一言もありません。 ご回答ありがとうございました。
- LOTUS18
- ベストアンサー率31% (1807/5783)
理解してくれる人がいるとは思いません。 何となくわかるなと思ってくれる人は周りにいる人たちです。 自分のことですらわからないことが多いのに 他人を理解するというのは更に難しいことなので はなから多くは期待していません。 考え方が近かったり、許容範囲が広かったりする人は 共感してもらえることも多いので なんとなくわかる、という感じではいてくれていると思います。 様々な経験が多くまたその経験できちんと学んで自分のものにしている人は 洞察力があり他人の気持ちを推測することに長けていると思われます。
お礼
>様々な経験が多くまたその経験できちんと学んで自分のものにしている人は 洞察力があり他人の気持ちを推測することに長けていると思われます。 正に仰る通りですね。 最初から最後までその通りだと頭ではわかっていても、 どうしても「理解」を求めてしまいます。 無理解を嘆きます。 簡潔で的確な回答、ありがとうございます。
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お礼
再三お付き合いくださってありがとうございます。 2回目今回のお答えを読んで、とてもしっかりした・・・というのもおかしな言い方かもしれませんが・・・地に足のついた生き方をなされていて、 見習いたいなあと感じました。 それに文章も簡潔で要点を得ていて。 何度も言うようですが、私がいちいち何か言うことはありません。 ただお答えを読んで考えさせられる(いい意味でです)だけです。 貴重なご意見を伺うことが出来て感謝しています。