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昭和26年(1951)製作の映画「三太物語」の映像を探しています。

昭和26年(1951)製作の映画「三太物語」の映像を探しています。

みんなの回答

回答No.3

ご連絡ありがとうございます。 個人的に、新東宝映画を収集しているものです。 しかし現在の、新東宝映画の著作権者である 東宝の子会社である「国際放映」には、この 映像は、ありません。従って、映像で確認するのは 困難ではないかと思われます。 また現在可能である、映画の紙資料としては、 キネマ旬報に掲載された「日本映画紹介欄」以外には ありません。そして、これはすでに、既刊のものであり 訂正するのは不可能であります。理由は、当時の 編集者と、現キネマ旬報社は、経営母体が変更されており 過去の記事についての変更、訂正はできないとのことです。 また新東宝映画の本体も、倒産しているので、もはや手の 打ちようがないのが現状です。お気持ちは、充分伝わり ましたが、いかんとも、し難いことでございます。

回答No.2

1951年9月21日公開、新東宝映画の委託配給作品です。 製作会社は、「芸苑プロ」で、新東宝映画の現権利者である 国際放映のストックリストにはありません。 続編の扱いである「三太と千代ノ山」(新理研映画) は、在庫にあり 過去に、CS衛星放送で、放映されたことがあります。 この録画は、VHSで所持しています。 記憶が確かではないのですが、昔、ディレクTVが あった時代に相当数の新東宝映画を放送したことが あったので、或はこの時に放映した可能性があるかも しれません。しかし、それ以外には、地上波、 CS、BS衛星放送では、放映されたことがないです。 現在、映像があるかどうかは、不明です。

josia
質問者

お礼

 大変ありがとうございます。私が映像を探しているのにはわけがあります。私の友人に映画「三太物語」の撮影に家族あげて応援していた人がいます。その人は70歳を超えていて、映像を持っていません。その人の話によると、映画は彼が中学2年生の時に撮影され、主演者が岩の上から水の中に飛び込むシーンなどではその人が代役を演じていたとの事です。  現在流布されている、映画のキャスティングや撮影場所の記載に、ミスがあり、彼はそれを正したいと思っています。そのため、映像を見たいのです。  映画の三太役を演じたのはNTVのディレクターでプロデューサーだった神戸さんではなくて、山本某さんだったと言っています。また、撮影場所は現在の道志橋の下にあった旧道志橋付近とあるのは正しいのですが、学校シーンは、現在の内郷小学校(旧相模湖町)ではなく、旧津久井町にあった青山分教場で撮影されたのです。  小説「三太物語」を課外授業の教材にすることが多い緑区中央小学校の生徒が事前に調べてくる資料にも、作者の青木茂さんが三太旅館に逗留して、「三太物語」を書いたなどという素っ頓狂な旧津久井町広報などを手にしてきます。これではニワトリが卵を産むのではなく、卵がニワトリを産むことになってしまいます。私の友人の実家が旧道志橋あたりで水車による製粉工場がありました。その離れに青木茂さんが逗留して、その家の伝説のやんちゃ坊主をモデルにして書きあげた小説が「三太物語」なのです。  日本中の子どもたちが「おらぁー三太だぁ」で始まるラジオドラマに熱狂した「三太物語」が60年もたたないうちに間違った形で保存されてしまうのが我慢できません。  日本の「トムソーヤ」、「ハックルベリー・フィン」である三太を再認識してもらいたいという気持ちから、質問しました。Y.K

  • new_one
  • ベストアンサー率20% (17/83)
回答No.1

持ってますが、著作権法違反なのでアップロードしたりはできません。 やはり自力で探された方がいいかと。

josia
質問者

補足

 映画「三太物語」の映像をお持ちの方がいらっしゃった事を感謝します。映画の「三太物語」のキャスティングの記載に誤った記述が見られます。映画の三太役が後のNTVの大プロデューサーの神戸さんとなっていますが、一番最初の映画「三太物語」の主演は山本某さんで、「三太と千代の山」や「三太頑張れッ」が神戸さんなのではないでしょうか? また、映画の学校シーンが旧相模湖町の内郷小学校で撮影されたとありますが、これは旧津久井町にあった青山分教場で行われたのです。  小説「三太物語」は、その舞台になった旧津久井町のホームページでさえ、作者・青木茂さんが三太旅館に逗留して、「三太物語」を書いたなどという素っ頓狂な記述がされています。これではニワトリが卵を産んだではなくて、卵がニワトリを産んだことになってしまいます。  旧津久井町では日本中が熱狂した「三太物語」にあやかって、「三太カード」なるものを作っています。旧津久井町の偉人=尾崎行雄と並んで津久井町を有名にした三太を日本の「トム・ソーヤ」や「ハックルベリー・フィン」として再評価するなら、生き証人が存命中に間違った記述を正してみたいと思って、あえて問題提起してみました。

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