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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:僧に似て塵あり 「塵=世俗のよごれ」にどうしてなるのでしょうか?)
僧に似て塵あり 塵=世俗のよごれになる理由は?
このQ&Aのポイント
- 僧に似て塵ありの『塵』は、オンラインの大辞林によると、<(3)(浄土に対して)この世のわずらわしさや、けがれ。世俗のよごれ。
- 『塵』が『世俗のよごれ』になる理由について、興味があります。
- 個人的には諸国を巡歴した僧侶を想像し、僧侶に塵がまとわり付いているイメージがありますが、具体的な語源を知りたいです。
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「塵」というのは、仏教用語です。 「ちり」とは読まず、「じん」と読むことの方が多く、意味としては、「一切世間の事法(=俗世界)」の他に、「真性にまとわりついて染汚する(けがす)もの」という意味があります。 このうちの、「真性(人間が本来持っている本性)を汚す」ということと、細かくて無数にあることから、「塵」の字が充てられているのだと思います。 あまり説明にはなっていませんが……。 『広辞苑』を見ますと、 [この世のけがれ。世俗のわずらわしさ。俗世間。「塵界・塵外・俗塵」]の意味に用いるのは老子の「和光同塵」に始まり、出世間(しゅっせけん)の教えである仏教で定着する。道教でも一世を一塵という。 とありますから、老子の頃から、俗世間を表わす言葉として「塵」という言葉は用いられていたようです。 あと、蛇足ですが、「僧に似て塵あり、俗に似て髪なし」の訳ですが、 僧侶のような姿をしているけれど俗(煩悩)にまみれ、俗人のような姿をしているけれども(僧侶のように)剃髪している というような訳の方がぴったりするように思います。
お礼
普賢さま、ご回答ありがとうございます。 「塵」は、仏教用語でしたか。 どうりで、「僧に似て塵あり」と芭蕉が言ったわけです。 >あと、蛇足ですが、「僧に似て塵あり、俗に似て髪なし」の訳ですが、 >僧侶のような姿をしているけれど俗(煩悩)にまみれ、 >俗人のような姿をしているけれども(僧侶のように)剃髪している 私も、確かに「髪なし」が「頭に髪を結っていない」だったので、本を読んでいてあれっと思いました。(しかし、素人の私には、実際に髪を結っていないから、「髪なし」と言ったのか、剃髪しているから「髪なし」なのか分からないので…、サッパリどちらが正しいのか分かりません。) また、現代語訳の方は文体が平凡でつまらないので、殆ど原文のほうを読んでいて、意味がどうしても分からない部分だけ現代語訳を読んでいます。 やはり芭蕉が書いた名文を、現代語でも同じくらい名文にする訳者さんはいないようです(泣) ご多忙の中、丁寧なご解説ありがとうございます。