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軍神と言われた若者たち
昨夜のNHKスペシャル、<陸軍特攻隊の悲劇>を見ました。 学徒動員の真実は志願ではなく軍上層部をおもんばかって、全員意志に反しての決定だった事を知り、そこまで人間の心を誘導出来る何ものかがあると知りました。 学徒達はそれぞれ高等教育を受けており、誰の為に命を捨てるのかを自身に問う能力のある若者達でやみくもに、国の言いなりになる事無く日夜煩悶したとのことです。 生き残った83歳の特攻隊員のしわ深い顔が涙ながらに、亡き友が最後に(今度生まれて来るときは戦争の無い国に生まれて来たい)と言ったと聞いた時、思わずもらい泣きをしてしまいました。 片道の燃料しか積まず死地に向かった若者達の真の心も知らず、また辛くも生き残った特攻隊員が口を揃えて言う戦争の悲惨さ、理想とは違う戦争の姿にも関わらず、何故、一部に戦争賛美、軍隊賛美があるのでしょう? 良識ある方の意見をお聞かせ下さい。
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戦争賛美、軍隊賛美をしている人々の戦争とは、ほぼ先の日中戦争、太平洋戦争の事を指しています。 つまり日本が「悪」とされた戦争です。そして中国、朝鮮半島からその事を強く非難されている戦争です。同じ中国を相手とした日清戦争にはほとんど触れず、感情的になる事もありませんね。 結局、先の戦争を正当化しようとする人々は、「中国、朝鮮が文句を言っている」「それはけしからん、なんとか反論せねば」→「あの戦争は間違っていなかった」「中国、朝鮮は嘘をついている」→「過去の軍人は間違った事などしていない」→「日本軍はすばらしい」「潔く戦った」 というステレオタイプな思考回路により、それを証明する為の偏向した情報を集めるのに必死で、あとは「思考停止」です。 その基にあるのは排他的ナショナリズムであり、おもに社会からの疎外感をもつオタクやある種の団体に属する人々に多い様に思えます。 私の勝手な想像ですが、その疎外感故にアイデンティティを求める彼らはナショナリズムに陥るのではないでしょうか。 これは最早理論ではありません。感情の問題でしかなく理論は後づけではないでしょうか。つまりやはり「思考停止」なのです。何が何でもナショナリズムに結びつけば飛びつきます。 ナショナリズムとはポピュリズムの行き着く先で、それはナチスドイツにおいても、戦時中の日本においても同じ、今の北朝鮮もです。「思考停止」にならなければあの様に全員が同じ方向に洗脳される事は無い筈です。 ただ気をつけなければならないのはサヨクにおいても「思考停止」はいろんなところに見え隠れしています。それがポピュリズムに陥ればナショナリズムへと転化していく可能性をはらんでいます。
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- hisakaki
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戦争を賛美する人は、他の方も書いているように、自分が戦地に狩り出される事が無いと考えている人達と考えて間違い有りません。こんな連中が前途のある若者を死地に追いやるのです。戦う必要の有るときは戦うのは当然として、飽くまで戦うのを避けようとするのが外交であり、政治だと思います。 TVの特集番組については、その放送の目的が隠されている場合が多く、結論誘導型が多いのが気に入りません。取材される側も全国に放送されることを意識している為、多くの場合建前に終始します。そして番組を作る側も都合の悪い証言は取り上げません。 貴方が本当に知りたいのなら、ご自分で取材をなさるのが一番です。直接の対話から思わぬ本質が見えてきます。敗戦後戦地から生還した人達が溢れていた頃は、直接話を幾らでも聞けました。そしてその中から戦争賛美の声だけは聞こえてきませんでした。しかし戦争を否定する声も少なかったことも事実です。従って戦争を食い物にする輩が戦争を賛美しているだけでしょう。
お礼
ご指摘のとおりです。 どんな戦争賛美者も軍隊賛美者も他人が行く戦争ですし、他人がしごかれる軍隊だから、あの地獄を肯定出来るのだと思います。 あの戦争で日本人は完膚なきまで叩きのめされたわけですから戦後すぐは戦争を否定する事も出来ないほど茫然としていたというのが本当のところではないでしょうか? 回答ありがとうございます。
- guekfbd
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仮定の話になりますが…。 たとえば、自分が物凄くお世話になって尊敬している恩師が、 ニュースで大々的に流されるような大事件を起こしたとして、 世論的にその人が犯人で間違いなく、極悪人として報道されたとしても、 自分が直接被害にあってもいない限りは、 自分の中では「まさかあの人に限って…」とか「何か深い事情があったに違いない」みたいに、 何とかしてプラスに考えちゃいますよね。 国粋主義者の考え方もその延長線上ではないかと思います。 周りがどんなに戦争の悲惨体験を語ろうが、批判を述べようが、 「そういうこともあるにはあるだろう。だが、そうだったとしても、それ以上に重要な大義があの戦争にはあったに違いない」 と国を信じ切ってしまっているので、何を言っても無駄なのではないかと。 極端にいえば、自分の恩師が東条英機等の立場だったケースを想像してみてください。 所詮は他人に過ぎない特攻隊員の証言や世論以上に、その恩師の方を信じてしまうと思いますよ。 もし自分が被害にあっていたとしも、その人に対する尊敬がそれを上回ってさえいれば、まだ信じ続けると思います。 また、今戦争に志願するような人達は、所詮戦場の悲惨さを経験していない人ばかりなので、 (1)とかく若者にありがちと言われる「何があったとしても、自分だけは死なないに違いない」や 「(他の人には無理だとしても)自分にだったら何かが出来る」という自惚れた心理 またこれには、帰還兵等に対する「あの人達はああなったが、俺は絶対あんな風にはならない」 という甘過ぎる見識も含みます。 (2)戦争映画等により培われた兵器等に対する憧れ、戦争で活躍して英雄視されたいという甘い考え (3)自分の国や身内が傷付けられたことに対する一時的且つ突発的な正義感の高揚と、それを巧妙に煽る政府の宣伝 あたりが、いかに体験者の証言だとしても、結局は自分が体験してはいない戦争の悲惨さより勝ってしまうのだと思います。 特に(1)ですね。こればっかりは戦争に限らず、何事においても経験前には誰しも考えてしまうことだと思います。 また軍需産業が存在し続ける限り、利権のために国が国民を戦争に掻き立てる構図は無くならないでしょうから、 戦争の意義云々以前に戦争はなくならないと思います。 極端な話、"過去に学ばずに戦争を続ける国々"が 戦争を「ハイリスク・ハイリターンなビジネスの一形態」と捉えているのだと考えれば、 それらの国々が無闇やたらと戦争を続けることに対して疑問を感じることもありません。 彼らにとっては、たとえ戦争でさえも"ビジネス"に過ぎないのですから。 あと、戦争賛美というわけではありませんが、 あの戦争に負けた結果、間違った方向に進んでいた日本が、痛い目を見たことでようやく ある程度正しい方向へ軌道修正されたのは間違いないと思います。 なのでその経過はともかく、結果としてあの戦争及び敗戦は日本にとって必要な出来事だったと思いますよ。 下手をすれば、未だに天皇礼賛の軍国主義だった可能性もあり得たわけで、それに比べれば今の日本は随分マシだと思います。 このように、「あの戦争がなければ今の日本がなかった」という結果論を強調して考えれば、 あの戦争を"善"としても、今の日本を生きる者の意見としてはあながち間違いとはいえないと思います(あくまで一視点としては、ですが)。 イラクにしたって、現在はあんな状態ですが、将来的に立派な政府が誕生して、 「イラク戦争が起こったおかげでフセイン政権がなくなって良かった」と国民が考える日が来ないとは言えません。 まぁ、それでも戦争が無いに越したことはありませんがね…。
お礼
盲信とは怖いものなんですね.真実が見えなくなりますから。 人間とは痛い目を見なければ真実に目覚めてマシになれないものなのでしょうか? ありがとうございました。
- tera_tora
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まず最初に結論を言いますと、このような戦争に関する問題は突き詰めれば非常に根源的、原理的で単に善悪で判断することは難しいものなのです。その人の考え方次第に千差万別色々あると思ってください。 的を絞ります。先の太平洋戦争の話ですが、上記のように戦争に行かれた方にもいろいろな意見があります。当時の日本を取り巻く情勢として、日本が日本人が生き残るために行った戦争だと信じて戦った人も多々いるのです。もちろん、悲惨だったという人も多々いるのも確かです。それ以外にも色々理由があるかとは思いますが、まずはそのような多様な意見があることを受け止めてください。 あなたの意見では、戦争は悲惨なものと判断しつつも、かつての戦争を賛美(?)するような行為を何も見ずに否定しきっていると思います。とにかくあなたの場合は逆の立場の人の意見を聞いてみるなり、探してみてください。 私の祖父は将校でした。昔は興味本位で戦争は悲惨だったの?と聞いてみたこともありました。しかし、祖父はこのことは何もしゃべりませんでした。いや、何もしゃべれなかったのです。当時20年位前の状況では、戦争賛美など許される時代ではなかったからです。そのことを鑑み、現在祖父のことを考えると、やはりあの戦争は日本を守るため、そして家族を守るため、勝利を信じて全力で戦ったからです。その信念を曲げることはできなかったのでしょう。これは基本的に戦争賛美とは異なる次元にあったと私は思っています。もちろん、ナショナリズムという言葉で一くくりにはできますが、それを完全悪と認定することは、やはり過酷だと思います。 そして私の母親は、戦争中、幼児で空襲の中を逃げ回っていました。母親が非難していた防空壕のすぐそばに爆弾が投下され、気絶しかけたこともあるといっていました。そして、外にはまる焦げになった人間もたくさん転がっている中を逃げて回っていました(最終的には疎開したようですが)。母親は戦争は悲惨だったというものの、父親(私の祖父)の考え方は尊重していました。そして、母親は幼い時期に目の当たりにした戦争の悲惨な部分、戦争にかかわった人のぬぐえない思いというものを両方理解し、両方の思いを受け止めていました。それが戦争を受け止めるということを私も最近になって気付いたところです。 戦争が悲惨だ、あの戦争は大義があったと殊更極端なことを言う人は、戦争を自ら体験してこなかった人に多い傾向があるような気がします。 これは結局現代にも通じます。なぜ人は戦争をするのか。戦争をしないことが平和なのか(北朝鮮やミャンマーとか)。戦争で応戦しなければいけない場合もあるのではないのか(イラクとか)。 中には地域の貧しさを打破するために武器を取る人もいます。またナショナリズムに由来して武器を取る人もいます。 つまり、彼らには守らなければならない何かがあるのです。それは平和より優先されるからなのです。つまり、平和であっても守らなければならないものがなければ彼らにとって平和は試練となるのです。 まあ、ずらずらと書いてしまいましたが、戦争の問題や考え方は非常に判断が難しく、善悪で断定するのは中々難しいものであることを理解していただければ幸いです。
お礼
日本が日本人が生き残る為に行った戦争> 家族を守るため日本を守るため勝利を信じて戦った> 私はこれらの事を否定しているわけではありません。一部の人を除いて大部分の日本人がそう思ったからこそ、銃後に心を残しつつ戦地へ赴いたのです。 しかしそれと現在の戦争賛美は問題が違います。 戦死した人々を悼むからといって結果その戦争を是とし、善として良いのでしょうか? 将校など上層部より、若い前途ある若者が無念のうちに死んで行った事を考えるからこそ、二度と同じ悲惨さを繰り返さないというのが人間ではないでしょうか。 参考意見ありがとうございました。
- cse_ri2
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戦争が深刻で大変なものであるというのは、はるか2500年も前に兵法書の孫子に書かれていることであり、なにも近代になって言い出されたことではありません。 >「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり。察せざるべからず」 >(戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。 > 良く考えねばならない) だから、戦争の危険さについて学ぶ必要は当然ありますが、その一方、それでも戦わなければならない時があるということも、また学ぶ必要があります。 例えば、ベトナム戦争。 この戦争でアメリカは58000人の戦死者を出しましたが、ベトナムは100万を越える犠牲者を出しています。 それでもベトナムは戦わなくてはならなかった。 なぜか。 国の独立を守るために。 私は戦争について、多角的に学ぶことが大事だと思っています。 一つは、戦争の悲惨さ。 もう一つは、それでも戦うことの意義。 その他、政治的・戦略的な妥当性についても、検証する必要があるでしょう。 つまり、戦争に勝った原因・敗北した原因を客観的に調べ、後世の政治に役立てることです。
補足
戦争一般についての説はよく解りました。 確かに戦争の深刻さは近代になって言い出された事ではありませんが、いつでも誰かが疑問を持ち警鐘を鳴らし続ける事は必要だと思います。 私も止むに止まれず突入する戦争がある事は理解しています。 ご指摘のベトナム戦争も悲惨極まり無く、結果あの大国をボロボロにし、帰国した兵士も腑抜けのようになる地獄を見ましたね。 あの勇ましいアメリカ兵士も弱い人間である事の証明をしたわけですが、 それでも、なお学ばずに戦争を続ける国に対して疑問を持ちませんか? それと、私の質問の末尾をもう一度お読み頂いて我が国の戦争及び軍隊賛美者に対しての回答がいただきたいのですが。
- benelli
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確かに戦争には悲しい出来事や不幸話が多すぎます。そんなイヤなことばかりならば戦争などしないほうがいいに決まっています。 でも、戦争はデメリットばかりでしょうか? 戦争賛美をする行動にはデメリットはないのでしょうか? 戦争賛美については…… 日本という国単体で考えてみると、戦争ほど利益性のあるすばらしい出来事はありません。 政府ができた当初の明治時代には貧しい三流国家であったにも関わらず、日清戦争によってアジアの憲兵としての地位を手にいれ、日露戦争や第一次世界大戦の恩恵によって一等国と認められるようになりました。 十五年戦争、大東亜戦争、太平洋戦争、まぁ呼び方はなんでもいいですが、このときばかりは被害が大きかったですが、その後に行われた朝鮮戦争、ベトナム戦争で日本は利益を出して国力や財力を獲得し、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国へとなりました。 上記の例は規模の大小の違いこそあれ他国にも当てはまるわけでして、結果論として大切なことは、もし戦争がなかったら私たちはこんなに豊かな生活などできなかったですし、また食べ物に不自由せずぐうたらとインターネットなどできるような生活環境なんて手に入れることはできませんでした。 結果的に「戦争が起きる=自分達の生活が豊かになる」という事実がある以上、必然的に戦争賛美が生まれることは仕方がないことです。この弱肉強食の世界を作ったのが神様だったならば、この日本でインターネットできるほど豊かな生活をしてる質問者さんを見て「なぜ戦争賛美に否定的なんだろ?」と首を傾げることでしょう。 もちろん人間性の面では戦争ほど悪いことは存在しないわけですが、実際に戦争をなくすには戦争によるメリットをなくす、極論を言えば人間が生き物であることを捨てるぐらいの犠牲が必要なのかもしれません。弱肉強食が生物界の掟ですから。 軍隊賛美については…… 軍隊賛美は日本でこそ疎んじられていますが他国では当たり前の行為であることが多いですね。ベトナム戦争やイラク戦争が起きた際に志願兵が急増していますし。まぁ日本以外のことですが。 日本に限らずどこの国も含め、軍隊賛美する人は軍隊が自分達の安全を守ってくれる存在であったり悪い国に正義の鉄槌を食らわせてくれる存在だと信じているからでしょう。なのでその人たちが軍隊を賛美するのは必然です。 実際には軍隊が国民の生命を守るかどうかは微妙なところでしたね。過去の例を見ると大概は守ってくれますが、ときには(特に戦況が悪化したときは)犠牲を強制したりしていますし。 戦争賛美はともかくとして軍隊賛美は個人の主張や軍隊というもののとらえ方でするしないに分かれるのではないでしょうか。これもメリットとデメリットのどちらのが大きいかを天秤にかけた結果でしょう。 なお、戦争賛美や軍隊賛美をする人たちは日本の特攻攻撃のことだけで戦争について意見を言っているわけではないですよ。言い方を変えれば特攻攻撃の真実に目を向けずに発言しているとでもいいましょうか。 それに特攻した人たちだってそれぞれ千差万別ですよ。自分から特攻を志願した人もたくさんいますし、中には特攻命令を拒否して結局特攻に行かなかったパイロットもいますし。(しかも拒否したからといって進級など手続き上の冷遇はなかったと聞いています) 人間みんな千差万別です。思想というものは誰もが正しくて誰もが間違っているのではないでしょうか?そういうことを自分勝手に決め付けてしまったらダメですよ。それこそナチスや大本営と同じになってしまいます。
お礼
申し訳ないんですが、戦争をメリット、デメリットでしか考えられない方はあまりにも私と意見が違いすぎて、、、、。 回答者は日本が世界第二位の経済大国と言いますがそれに疑問をもったことはありませんか? 狭い日本の中から一歩も出ずにいれば他の国と比べる事も無く、経済大国とおだてられて疑う事もないでしょうが、インターネットを出来る事がお金持ちの象徴だなんて情けない事言わないでくださいよ。 インターネットはその言葉通り今や地球上をすみからすみまで網目のように覆って経済大国でなくても楽しめるのです。 回答は参考にさせていただきます。ありがとうございます。
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お礼
冷静な分析、大変参考になりました。 仰るとおり思考停止は恐ろしい事です。そこからは何も生まれません。 思考停止と信念を持つ事は違いますよね。 人間は年を重ねれば、各々自身の考えなり信念が出来て当然でまた出来なければ年を重ねる意味がありません。 しかし、その信念が破壊に繋がるようなものであれば思考停止と同じく危険だと思います。 私はそのような事にならないように、いろいろな事に疑問を持ちながら生きたいと思っております。 ありがとうございました。