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宗教系の大学はその宗教を教えているのか

 大学には仏教系やキリスト教系などの大学がありますが、それぞれの宗教の教義は大学の運営に反映されているんでしょうか。  と、申しますのは、知人のご子息が関西の某有名キリスト教系大学にめでたく合格されましたが、入学早々かなりひどいトラブルに見舞われ、危うく中途退学しそうになりました(しかし気持ちを取り直し、今はチャンと通学しています)。  トラブルの内容は (1)学生寮の入寮時の面接試験です。学生寮の住人(もちろん学生)が入寮希望者を集団で面接し、合否を決めるわけですが、新入生にはつらい面接であったようです(大げさに言えば口撃リンチのような感じ)。 (2)クラブ活動で皆から疎外され退部せざるを得なくなった。  今回の場合、知人の息子がまだ大人になりきっていないこともあって、トラブルになったものと思います。しかし、息子の性格に問題があったとしても、チョッとひどいなと思ったので、どんな大学だろうかと思って構内を散歩してみました。  建物は上品な洋風で素晴らしく、規模も大きく、沢山のお金がかかっているように見えます。  私は身体障害を持つ偏屈老人だから思うのかもしれませんが、この構内でおかしく感じたことが二つありました。 (1)「障がい者を○○しよう」という、障害者に親切にするためのスローガンを書いた看板がありました。私が気になったのは『障がい者』の『がい』です。わざわざ仮名にして何の意味があるのでしょうか。  「障害者」と感じで書くと「他人に危害を加える人」と誤解されたら気の毒だと思っているのでしょうか。 (2)タイル舗装の通路を歩いていましたら、つまずきました。よく見たら点字ブロックのイボイボにつまずいたのです。  普通点字ブロックは黄色で見えやすくなっています。ところがその点字ブロックは舗装タイルと同じ色のタイルでできていました。全盲であればどちらの点字ブロックでも効果は同じです。しかし世の中の視力障害者で全く見えないという人は意外と少なく、視力が少し残っている人は結構多いものです。  確かに黄色の点字ブロックは美観を損ねるものでしょうね。でも点字ブロックの目的を考えたら一般的な黄色の点字ブロックを設置するのが本来でしょう。  以上のような事から、この学校はキリスト教系とはいいながら、キリスト教の趣旨が学生や職員に十分に伝わっていないのではないかと疑念を持ちました。  「障がい者」や「同色点字ブロック」は偽善っぽいし、学生の仲間はずれにする行為はキリスト教の精神に反するものと思います。  一般的に宗教系という大学では、どの程度その宗教について教えているのでしょうか。また教職員は信者、もしくはその理解者なのでしょうか。

質問者が選んだベストアンサー

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  • nidonen
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回答No.3

> わざわざ仮名にして何の意味があるのでしょうか 1)これについては、世間一般でひらがなで書く風潮が強まっています。 ついさっき、電車の中吊り広告で「 障がい者採用に熱心な企業 」という 就職斡旋会社の広告を見ました。このように 障がい者 という表記は 一般に広まっています。この大学に限ったことではありません。  また、障害者自身や家族に障害者を持つ人の間では、障碍者と書こう と主張されている人もいます。ご指摘どおり「 害 」の文字はふさわしく ないと考えられているからです。だからこの一点をもって偽善と断ずる のは、ちょっと無理があるのではと感じます。 2)点字ブロックは、かつては灰色が多かったのです。ご指摘の通り 弱視の人は黄色いほうが見やすいので、最近は黄色が主流になっています。 これについては黄色にすべきという考えが、どれくらい浸透しているかに よりますが、たしかに弱者に手を差し伸べるというキリスト教の教義から 考えれば、黄色に着色すべきでしょう。 > また教職員は信者、もしくはその理解者なのでしょうか。  ほとんどの宗教系大学では、教職員に信者であることを求めてはいません。 さすがに無神論を広言されている方が採用されるかどうかはわかりませんが、 採用のときに信教を尋ねるのは法律に違反しているので、そういうケースも あるかもしれません。  たとえば日本基督教大学では、かつてはキリスト教信者しか教職員に なれない時代もあったと聞いていますが、現在はそうではないそうです。 少なくともキリスト教系の大学では、キリスト教信者を要件にしている ところはないと思われます。 ※ただし、理事になれるのは事実上、信者のみといったところはあるでしょう。

noname#49020
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。

その他の回答 (3)

noname#111031
noname#111031
回答No.4

私派カトリック系の大學を卒業しましたが、カトリックの教義の授業はありませんでした。宗教学という授業がありましたが、一派的な宗教に関する内容だったと思います。学生の為のミサも無かったと思います。 外国人の先生は神父、修道士が多かったと思いますし、当時の学長(日本人)も神父でした。現在の学長は一般の人です(信者でしょう)。 日本人の先生は信者の方が多かったと思いますが、そうでない方もいたのではないでしょうか。 当時(40~50年前)は世間一般が現在より貧しかったのかもしれませんが、学校全体が慎ましい限りだったと感じています。今は、一寸違って見えるかもしれませんが。 あなたに一言申し上げたいのは、あなたが此処で書かれた事柄は、 大學当局に直接言うことであり、このような不特定な場で言うことではないと思います。 また、回答者の中には、残念ながら偏見だらけな見当違いの書き込みが見られるのは、如何なものでしょうか?

noname#49020
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。40~50年前のご母校の状況はよくわかりました。  ただ40~50年前!のカトリック系大学の実情をお答えいただいたということは、ご回答は回答文後段の質問者や回答者への批判が主目的だったんでしょうか。  質問がキリスト教系大学全体を批判しているように思え、ご自分の出身校も批判されたと思われたんでしょうか。  もしそうだったら、年輩と思われる回答者さんの心を傷つけたようで申し訳なかったですね(もっとも小生の方がより年輩かも(苦笑))。質問の趣旨は質問文の最後の二行の「一般的に宗教系の・・・」の通りです。  なお、このコミュニティーの規則では、質問や他の回答の批判をしてはいけないことになっています。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.2

校風によると思います。 私の知り合いはキリスト教系の学校に行きましたが、違いといえば、毎日聖書を勉強する時間が与えられており、それは強制じゃなかったが、みんな参加するから参加していたそうです。 代わりに自習もできたそうですが、みんなと一緒の方がいいからと、一緒に参加していたらしいです。 寮に関してはどこでもそうじゃないかと。 集団生活をするわけですから、規律が乱れるととんでもないことになるので、最初にガツンとやって、逆らわないように押さえつけることで、風紀を乱さないように、先手攻撃をしたんじゃないかと。 宗教だから優しいはずだという先入観は間違いで、兵士の教育はキリスト教の階級制度を採用したくらいですから、いかに支配者が下を支配でき、上の人の思い通り操れるかのシステムですから、当然規律を最重要視し、問題行動を起こさぬよう、最初のうちに異端の目は摘み取っておく作業を施すのだと思います。 兵士育成の場、と考えればいいんじゃないかと。 兵士、 つまり上官に指示通りに動くロボット。 どうしてその必要があるかといえば、「撃て」「撤退」と上官が指示したのに、部下が「撃てといわれたが、今撃つと。。。」とか「撤退と言われたが、まだまだ行ける」と躊躇したら、そのわずかさ差が部隊を壊滅に導く危険があるからだそうです。 だから、個人の思考は飛ばして、命令 即実行できる兵士を訓練によって育てるので、出来上がった頃は兵士は上司の命令を即実行するロボットになってしまう。 集団を一人が意のままに動かすにはとても有効な教育です。 その学校が、ロボット育成をしているのか、権力に従順な人格に改造しようとしているのか、威嚇により統率しようとしているのか、異端分子になる恐れがあるとセンサーが反応した人を、集団で更正する施しをして、本人が苦にならず集団生活を送れるようにしてあげようとしたのか、真実はわかりません。 でも、学ぶってとにかく詰め込みを最初にして、その後、「これはいい」「これはいらない」と本人に選ばせる方式もあるので、後になってあの時の厳しく教えられたことで、得ることができた ってこともあるわけです。 学校が贅沢な作りでしたら、恐らくお金持ちの子息たちが入っているからでしょう。 カトリックとプロテスタントの大きな違いは教会を見ればわかります。 海外でも教会を見ればどっち系か一目瞭然。 カトリックは金を豊富に使い、派手な作りの教会の建物ですよね。 教会が神の住まうところという考えなので、神の力がすごいから教会が豪華になるって考え。 (といっても実は外国人を異教徒として殺し、その人の財産を教会が没収したり、諸外国に攻め入って、金銀財宝を奪っていったから豪華な建物になったわけですが。) かたやプロテスタントは、教会が豊かになるのではなく、信者一人一人が豊かに暮らせることが神の祝福の証としているので、建物に金をかけない。 信者からの寄付は建物を飾ることに使わず、信者でもない困っている人たちに使われる。 カトリック系は金持ちが信者の場合が多い。 チャリティー会場は金持ち同士の新しい出会いの場。 そこで人と通して新しい人と出会い、紹介により身分を保証してもらうんですね。 そこでビジネスの話をしたりするんです。 どれだけ寄付ができたかで、その人のビジネスが好調かわかり、その人寄付をした人の株を買ったり、投資を持ちかけられたときの判断になるわけです。 参加パーティー券、1枚10万円。 最低入札価格50万 とか。 原価1万のものを100万で落札したりして、「恵まれない人に少しでもお役にたてば」って落札者は言い、みんなから「すばらしい 神の祝福があったからですね」と評価される。 好人物とされるので、自分のビジネスに沢山人から投資してもらえる。 そして投資した人も投資された人もウハウハなわけです。 だから、カトリック信者はどんどん金持ちになっていく。 というメカニズムがあるんです。 だから、彼らの子息が通う学校も豪華絢爛になるわけです。 税対策もあって、寄付してお金を使うことで、税率が違ってきて、寄付したほうが、税務署に持っていかれる額が少なくなるってのもあるんじゃないかと。 障害者 に関しては、 「害」という言葉が悪い印象を与えるとして、「がい」とした方がいいんじゃないかと社会がなりだしたみたいで、この学校独特のことじゃありません。 タイルのイボイボが同じ色であることについて。 私はそれより、町で何度これに躓いたことか。 私にとっては色がついていようといまいと、このイボイボは障害物です。笑 地面にあるのに気づかず、平らだと思っていて、オットーとつまずく。 足腰ふんばりきかない人は、転んでいるでしょうね。 お年寄りにとってみては大きな障害物になっているかも。 色が分けられていないのなら、なおさら存在を認識できず、ころぶ人多いんじゃないかと。 学校に色が不確かで、イボイボがあると気づけず転びそうになったって言ってはどうでしょうか。 もし、色により存在がわかっていたら、この障害物を避けて通れたのにと。 そしてなんでこんなところに障害物を設置しているのかと。 危ないじゃないか と。 けが人を増やす目的はなんですか と。 あなたも躓いて転びそうになったことがあるでしょ と。 もしあるんなら どうして直ちに改善しないのか と。 息子さん イジメにあっているとしたら、親がガミガミ学校に言うと効果あるかも。 よけいイジメをされる? 逆です。 いちいちうるさい親を持つ子供は、優遇される。 言わないと駄目なんです。 「あの学生の親はうるさい、あの人が不満を持つとすぐ親が出てきて、困ったことになる。 ご立腹されないように丁重に扱ってください」となるかも。 「イジメたことを告げ口したな。制裁だ」として暴力を振るい、子供に聞いても「何も問題はない」と嘘をつくようになるかといえば、よほどの制裁を加えられないとなりにく。 ただ、結局 これはどの学校でも起こっていること。 それを乗り越えられるか、変な仕来たりになんとか対応して卒業する能力が育つか、本人次第で、キリスト教系だからイジメは許せない じゃ解決しません。 パウロ2世もかなりバチカンでいびられていたらしいですから。 あの最高位がイジメにあっていたなんてびっくりでしょう。 所詮 宗教といえどそこいらの集団と変わりません。 神の代理人すらいびり倒せる。 上(バチカン)がイジメをするから、キリスト教系学校もイジメをやめない。 そういう体質のところからはイジメは無くなりません。 善処するならまずバチカンで見本を一度でいいから示すべきでしょう。 上ができないものを下にやれとは、無理です。 それこそ偽善者集団です。

noname#49020
質問者

お礼

 長文のご回答わざわざありがとうございました。

  • dogsiva
  • ベストアンサー率32% (92/279)
回答No.1

宗教については門外漢なのですが、「障がい者」についてのみ回答します。 http://blog.goo.ne.jp/hagukumukai7/e/33db0323f50556590fa32321df0ffdf7 このブログで解説されていますが、「障害者」は差別語ではないか、と問う動きがあります。 もともと「礙・碍」と書かれていたものを、当用漢字にある漢字で当てたのが「障害者」だったのですが、 その「害」の字がふさわしくない、という人たちがいるのです。

noname#49020
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なるほどね、いろんな見方、感じ方があるもんですね。 私は障害者が健常者から怖がられるというか、「障害者を怒らすとうるさいぞー」と一般の人に思われているような感じがしてイヤですね。

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