◎国内の実態
関東は右空け、関西は左空けと、ほとんど完全に分布が分かれています。
(どういう訳か、京都は両方あるようです・関東からの観光客がいるからでしょう)
これは、日本の伝統文化である食文化・言語文化とほぼ一致するところが面白いと思われます。
つまり、正月の角餅・丸餅、カツオだし・昆布だし、谷と沢、バカだ・アホや等々です。
これらは、ほぼ関ヶ原を境に東西に分かれて分布しています。
つまり、中京圏は東京と同じです。
◎国際的な標準
海外渡航経験のある方は、気が付かれていると思いますが、欧米のエスカレーター先進国では、ほぼ左空けが標準となっています。
ロンドン・パリ(私も実際に経験しています)やニューヨークでは、左空けが常識のようです。
ちなみに、発祥地はロンドンの地下鉄だと言われています。
(余談ですが、私はロンドンの地下鉄の駅で、木製のエスカレーターに乗ったことがあります)
◎関西での左空けの歴史(少し長いです)
関西で左空けになったきっかけは、ほぼわかっています。
日本でエスカレーターが設けられたのは、デパート等の商業施設でした。
当初の目的は、お客様が楽に上層階まで上がって頂くためでした。
店内を見渡せると言う付加価値を付けてです。
ですから、エスカレーター上を歩いて昇る(降りる)と言った習慣はありませんでした。
(急ぐ場合は、エレベーターを利用する・階段を駆け登ると言う手段があるからです)
では、今のようにエスカレーター上を歩くと言う習慣はどこから来たかと言うと、1966年(S41)から1973年(S48)にかけて、阪急電鉄の大阪ターミナルである梅田駅を、国鉄(JR)環状線の内側(市内寄り)から、外側(市外寄り)に移設したことによるものです。
大阪から、神戸・京都・宝塚の各方面に路線を張り巡らす阪急にとって、増加する列車・乗客・編成が捌ききれなくなったのです。
旧駅から、新駅まで約200m移動しました。
乗客は移動した分を余計に歩く結果となりました。
そこで、阪急側が乗客の利便を考えた結果が、動く歩道とエスカレーターの組み合わせでした。
せっかち(いらち)な大阪の乗客たちが、それらの上でじっとしているはずは無く、歩き出したのは自然の成り行きだと思います。
しかし、老人や子供連れの乗客のことも考えなければならず、事故防止に努めなければならない阪急があみ出したのが、片側を空けるという方策だったのです。
左側を空けることにした確たる記録は無いようですが、エスカレーター先進国を見習ったように思えます。
動く歩道で、スピーカーからのアナウンスと看板の設置がされたのは、1970年以前からだったように記憶しています。
(1970年の万博がきっかけだと言う説もあります)
その後、大阪ではそれにならって左空けが定着していきました。
◎関東での右空け
一方、東京ではどうだったかと言うと、私の記憶ですが、会社に入社後、1976年頃に東京本社の所属に異動し、東京-大阪間を頻繁に行き来していました。
新幹線を含め、まだエスカレーター上を歩く人は見かけませんでした。
調べてみたところ、1985年のつくば博頃に、右空けが定着したそうです。
大阪とは15年以上の開きがありますね。
しかも、関西と違って鉄道会社が積極的に採用したものではなく、確たる根拠が無く、自然発生的なもののようです。
お礼
長文にわたるご回答ありがとうございました。エスカレーターに乗るときはそうゆう経緯をかみ締めながら、心して乗車したいと思います。