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情報の信憑性
最近は、いろいろなメディアを通して、情報が手に入るようになりました。 ところが、そうしたメディアを経た情報は「操作」されていたり、思想的に偏っていると指摘されています。 新聞各社には、それそれに方針を持ち、それには思想的背景があるともいわれております。放送各社も同様です。 そうした、思想的背景がなく、純粋に事実だけを報道する機関など、存在するのでしょうか ? そした純粋な情報の入手方法や、テクニックなどがありましたなら、ご教授ください。
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>そした純粋な情報の入手方法や、テクニックなどがありましたなら、ご教授ください こちらの質問について、参考程度に。 私は、歴史学が専攻なんですが、歴史学もまさに情報リテラシー(どの情報が本当かを見極める能力)が求められるんですよ。 歴史学というのは、主に誰かが書いた文字情報を元に歴史を明らかにしようという学問です。 誰かが書いたのだから、その時点で書いた人の主観が入る。(一次史料) そして、その情報を読んだ人(研究者)の主観が入る。(二次史料) 最後に、その研究者の論文を読んだ人の主観が入る。(私) 「真実(出来事)→一次史料→二次史料→私」、という風に情報が加工されていくことになるんです。 私は真実を知りたい、と望みます。 そうすると、「私→二次史料→一次史料→真実」、と遡ることになる。 もちろん、「私→一次史料→真実」、とする事も出来ます。 しかし、「私→真実」、という風には出来ないんです。(それをするには、現在進行形=今、まさに起こってることしか無理) となると、どこまで一次史料や二次史料が真実を語っているかを見極める必要が出てくる。 その為には、第二、第三の一次史料・二次史料を参考に、それらの相違や正誤を精査していく事で、情報を真実に近づけていきます。 私は、メディア等を通した情報も、まさにこれと同じだと思っています。 つまり、同じニュースでもなるべく多くのメディアから情報を集める。 新聞なんかだと、右より左より両方の新聞を読む。可能なら、海外メディアの新聞なんかも読んでみる。 ネットなどに転がってる、個人のブログはなるべく参考にしない。(新聞記事等の論評は個人の感想として参考になるけど、情報そのものはやはり報道機関の取材力等には適わないと判断できるから) 結局は、多くの情報発信機関からの情報を集め、その針が指し示す方向のブレを自分で修正していくしかないと思います。 以上、参考になれば幸いです。
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- ken-deleuz
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参考までに >公務員でさえも、市民の税金を着服し、周りも見て見ぬ振りをしています。 削除された「質問」も、そうした公務員の態度についての質問でしたが、公務員らの圧倒的パワーによつて消されてしまいました。 確かに、そうとも言えます。しかし、オンライン・コミュニティ内での言葉のやり取りの規制、このスペースの制度化と規律はやはり必要なのでなないのかなぁと思います。まず他人への中傷は危険です。もしこのサイトの管理人が中傷を野放しにしたとします。そうすると、このコミュの管理人(会社)が訴えられる危険があります。これは実際にあることで、つい最近もあるオンライン・コミュの管理人が訴えられました。これはテクノロジーと各電気製品に関してのコミュなんですが、ある人が特定の製品を中傷しました。そこでこの製品の会社は訴えを起こしたわけですが、結局最近になって、この訴えは取り下げられました。 オンライン上にある情報は基本的には信頼性に欠けています。もちろんニュース・ソースを扱うページ、大学などアカデミック、オーガナイゼイションなどのページは法的に守られていたりするので、”信頼”におけるソースではありますけど。法律、税金などこのサイバースペースに持ち込むのを嫌う人達もいますけど、やはり規律と制度も必要かと思うのです。税金は勘弁してほしいですけど(笑) ところで、このインターネットの情報にも偏見があるということはご存知でしょうか?ネットの検索エンジンなどで、テクスト・ボックスの中に文字を入れて検索をかけますよね。この時に、情報のハイパーリンクの一覧が出てきます。ここで一番上に出てくる情報に関して、この情報を載せた人間がこの検索エンジンを所有する会社により多くのお金を払っています。情報の優先順位がお金によって決まります。つまり、より多くのお金を出せる人間の情報がより多くの人の目にとまるようになっているのです。ここで情報を引き出して上手く利用するには、使い手が検索エンジンの使い方を知らなければなりません。 結局、勉強しかないのかなぁと感じているんですけどね。質問者さんがメディ論を勉強するのはいいと思いますが、かならず複数の本を読んで下さい。一方だけの情報は、アカデミックに関する書物であっても危険です。何事も白黒はっきりさせずに灰色の部分で両サイドの色を見ているのが一番いいです。 参考まででした
- ken-deleuz
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もう少し書き込みます。それと前回と前々回のアドバイスに誤字、脱字があります。申し訳ありませんでした。 >実は、さきほど、私の出した他の「質問」が 2つ、この OKWebeから「削除」されてしまいました。私の質問に対して真摯に答えてくださった方たちの、その「回答」ともども、削除されてしまいました。納得する理由も示されないまま、一方的にです。 これは、モニタリング(monitoring)と権力関係です。このコミュニティで定められたポリシーと、それに伴なるルールによって質問者さんの質問がルールに違反したことで削除される、これはこのコミュニティ内での権力関係をはっきり示すものだと思います。この権力とは英語で(power)と呼ばれるものです。つまりこのコミュニティが制度化された場所だということです。これは現実の社会でも同じことが言えます。(よくサイバーコミュニティは現実社会を模写、シュミュレーションしたものだと言われています)。そしてルールは言語によって記述されていることに注目して下さい。ルール (regulation)思想/イデオロギーを含意しています、そして、ルールは規律を生み出し、その規律が僕たちを統制します。※先ほど、書いた僕と質問者さんの関係もこの権力関係なんですよ。 モニターリングについて。これが実に面白いんです。この誰かが見ているという状況。例えば、道ばたでお金を見つけたとします。拾う時に他人の目が気になりますよね。なぜか罪悪感を感じるのでしょうか。クリスチャンは善行に力を注ぎます。何故でしょうか。神様が見ているからでしょうか。これがモニターリングの効果です。どちらのケースも教え(宗教的教義と社会的道徳 --- 制度によるルールです)に繋がっています。もうちょっと深く書くと、このモニターリング、これはパナプティコンと呼ばれるものです。もともとは刑務所内での囚人の監視から来ています。 参考まででした
お礼
さらに興味深いアドバイスをありがとうございます。 日本でも、「天知る、知知る、己知る。」ということで、誰も見ていないからといって悪いことをしてよいものではないという考え方がありました。 今では、そういつたモラルはなくなり、公務員でさえも、市民の税金を着服し、周りも見て見ぬ振りをしています。 削除された「質問」も、そうした公務員の態度についての質問でしたが、公務員らの圧倒的パワーによつて消されてしまいました。 そういうわけで、「郷に入れば郷に従え」、つまり、その業界の制度にはそれに従うということなんでしょうか・・・。 そうしてみますと、北朝鮮の人民はかわいそうですね。将軍様のお気持ちに適わなければどんどん消されてしまいます。 このOKWaveでも、OKWaveに適わなければ「質問」も「回答」も消されてしまうということですネ。 それにしても、簡単に公務員らに屈してしまうような Q&Aサイトでは、今後の見通しは暗いような気がします。 利用者の意見が取り入れてもらえないのなら、辞めればいいことです。 しかし、北朝鮮の人民は、簡単にはその国民を辞められませんね。
- ken-deleuz
- ベストアンサー率23% (18/77)
補足にお答えします >イデオロギーに染まっていない情報なんてない・・・と言うことなんでしょうか ? 僕はそう思っております。それは情報は言葉(記号)によって書かれている物だからです。ただし、僕が住んでいるオーストラリアで一度、日本と韓国の、いわゆる”竹島問題”(韓国では独島)に関する新聞記事を読んだことがあります。この記事は僕が見ても中立の立場で書かれていて、言葉の使い方、歴史の説明に関して実に丁寧に紹介されていました。つまり、僕は思うんですけど、思想(イデオロギー)はその社会、文化の中で循環しているものであり、僕らはそれを疑いもなく、言葉として受け入れてしまっています。そしてその循環(サークル)からぬけ出した時、見えなかった思想がくっきりとその輪郭を表してくるのではないでしょうか。この”竹島問題”の記事がオーストラリアで中立を保てるのは、違う制度と思想を持つオーストラリア人達によって外側からこの問題を取り上げているからなのでしょうね。ただし、オーストラリア人が何所まで韓国と日本の文化を理解しているかは謎ではありますけどね。そして僕が英語を理解しているかにもよってきます。これはただ読めるだけという類いのものではありません。 先ほど情報は言葉で書かれると書きましたが、言葉は文化と制度に影響されます。前も書きましたが、ダイエット単語は今の社会を思想を映し出している記号に他なりません。そして消費者はこの記号の意味に金を払っているとも言えます。広告などでの文字の使い方、色の選択(これをタイポロジーと呼びます)、新聞における、レイアウト、記事の書き方、選択にしても規律と因習に従ったものです。この因習にもイデオロギーがすでに含意されています。それゆえに、制度とイデオロギー抜きの情報はありえないと思います。 またこのコミュニティーでの情報はイデオロギーの支配から抜け出しているようにも見えます。しかし言語を使っている以上やはり制度とイデオロギーからは逃れきれてはいないのではないのでしょうか。それは僕と質問者さんのここでの関係でわかります。僕が教える立場、質問者さんが聞く立場、その態度が文章に現れます。ただしここで質問者さんが僕を批評する力(知識)があればこの関係は逆転しますけど、逆転するというだけでのものです。 この回答欄のとなりにある”回答者はどんな人”は情報の信憑性を高め手段に使われます。専門家>経験者>一般人の関係がここにあります。僕もアドバイスをここで書き込む時に、”私はジャーナリズムとメディア論”を学びましたと書きます。これは社会においてのイデオロギー的な立場関係を示しています。 つまりどうやってもイデオロギーと制度からは、言語を使う限り逃れられないんです。 補足があれば僕が分る範囲でアドバイスをしたいと思います。 参考まででした
お礼
さらに詳細なアドバイスをありがとうございました。 つまり、その情報に対して当事者として係わらない第三者の立場から客観的に見る・・・と、言うことなのでしょうか。 確かに「碁」の世界でも「岡目八目」といわれ、対戦者以外のギャラリーの方が、その状況について見通しがよいことがあります。 やはり情報社会に生きているので、回答者様のように、「情報学」として体系的な知識は一般の人でも必要なんでしょうね。 既に、そういつた時代に入っているということなんでしょうか。 非常に、参考になりました。
- kawakawakawa13
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いまどきのマス・メディアは、おしなべて視聴率重視のため、面白おかしく報道しています。 新聞特に朝日新聞は、戦前はイケイケゴーゴーの、戦争遂行に疑問を呈する輩は非国民、とまでの煽り記事を書いていました。 戦後は、国内で認められなかった、戦争責任に関する議論を国外に持ち出し、国際問題として逆輸入する手段をとるようになりました。 NHKなど、非常識といえる天皇を被告とした人民裁判、しかも被告側欠席裁判を行っています。 純粋な情報の入手は不可能です。 ただ、情報の真贋、偏向を判断することは可能です。 多くの本を読み、また情報に触れることです。 そして自分の主張できる考えを確立することですね。 何かにつけ、自分ではなく「我々」と、複数形で主張する方々は、胡散臭く感じます。
お礼
アドバイスをありがとうございます。 「我々」の朝日は、どちらに昇るのでしょうか ? とにかく、前の方たちもおっしゃっておりましたが、勉強をして、自己を確立するということですネ。 質問も、OKWeve だけでなく、いろいろな Q&Aサイトで伺ってみる必要がありそうですね。
- ken-deleuz
- ベストアンサー率23% (18/77)
参考までに まず情報とは単なる目的に過ぎません。そして情報が情報と呼ばれるまでの過程を知っておくと良いと思います。まず、情報が情報になる前の段階は単なるデータです。そしてデータの前がただのデータの欠片です。状況に応じて欠片は集められデータとなり、そしてデータは整理され、語られるものが情報として提供されます。※広告での値段などは単なるデータの集積なので純正な情報と言えるのかもしれません(データをだませば、訴えられますが)。この情報の中で語られる行為、ここに私たちが同調する思想(イデオロギー)が存在しています。例えば、広告の値段は単なるデータですが、その広告の上に”どこよりも安い!、とか今がチャンス、期間限定!”など付加(語る)することによって、私たちの思想を操作していると言えるわけです。ダイエット・コークなんて良い例です。ダイエットがもつ、社会的意味を考えればこれは一目瞭然です。 >思想的背景がなく、純粋に事実だけを報道する機関など、存在するのでしょうか ? これは無理です。全てのメディアがこのイデオロギーを操作して情報を商品化しています。事実を報道する... 確かにマスコミ、テレビや新聞などは事実を伝えています。記事、報道において目で見て1+1=3というような物はありません。常に1+1=2です。でもここがポイントで、各種メディアのイデオロギーを踏まえた書き方により1+1=3も1+1=2のように見せられてしまっているのです。普段、私たちはこのことに気がつきません、それはこの思想というものは社会において自然であり、そして何もメディアがそれを提供しているのではなく、この社会にあるその思想を彼らが利用しているからです。※ただし、かれらが新しく言葉を作り出すことはあります。これを大雑把に言ってディスクールと呼ばれます。このディスクールもイデオロギーを含意しています。 前に一度書いたことがあるのですが、ここのその一例を乗せておきます。オーストラリアではクジラは人間に近い生き物で、大切にされています。そしてそのクジラを”殺す”日本人をオーストラリアでは報道を通して避難しています。しかし日本ではおそらく”殺す”という単語は使わず、”捕まえる”と報道するのではないのでしょうか。それはクジラと日本の食生活、その長い歴史からみればこれは当然かもしれません。そして捕鯨に対して私たちは寛容です。しかし報道で使われる”殺す”、”捕まえる”これら単語の使い方は読者に対すして大きな反応の違いを生むのではないのでしょうか。同じ記事でも、メディアの目線で大きく情報として大きく変わります。 >純粋な情報の入手方法や、テクニック まず純粋な情報の入手方法がないので、常に一つの記事を読んだら、違う視点でもう一度見る必要があります。これには自分自身に対して知識を要求しなければならないで、”勉強”が必要です。これがテクニックと言えばテクニックでしょうけど。 かなり大雑把に書きましたが、これである程度は質問者さんの望むアドバイスになったのではないのでしょうか。 参考まででした。
お礼
アドバイスをありがとうございました。 ご丁寧な説明に感謝しております。 イデオロギーに染まっていない情報なんてない・・・と言うことなんでしょうか ? このアドバイスには直接関係ないかもしれませんが、実は、さきほど、私の出した他の「質問」が 2つ、この OKWebeから「削除」されてしまいました。 私の質問に対して真摯に答えてくださった方たちの、その「回答」ともども、削除されてしまいました。納得する理由も示されないまま、一方的にです。 どうも、この OKWeveさんは、自分に都合が悪いものは、理由もなく削除してしまうようです。 ですから、もしかしたら、この「質問」も削除されてしまうかもしれません。 そんなわけで、この記事全体をキャッシュしており、他のサイトで問題提起したいと思います。 いろいろな考え方を持つたかたがいるものと、あらためて‘勉強’させていただいております。
- izayoi2004
- ベストアンサー率14% (22/155)
人間は情報を処理する限界があるです。 全情報を手に入れることもできないし、 ありのままで見ることもできません。 だから情報は必ず偏り、操作されます。 問題は自分が好きなように操作してくれる新聞社いるかどうかです。 あればそのまま使えます。 ない場合は、その操作された情報の背後にある事実を 推測しつつ、自分で整理するしかないです。 残念ならが人間である以上、 ありのままの真実は把握できないです。
お礼
アドバイスをありがとうございます。 人間がかかわる以上、ありのままを見ることができないということですね。 そうした仕組みを考えて、情報を読むということですネ。 しかし、なにか、ミイラ取りのようで、逆に、読む側も先入観を持っていれば、正しい情報も違って見えるということなのでしょうか。。。 う~ん。難しいですネ。。。
- ossan2006
- ベストアンサー率10% (313/2977)
>純粋に事実だけを報道する機関など、存在するのでしょうか ? ないんじゃないですか。スポンサーの意向には逆らえませんからね。 CMを見てて、不思議に思うことはないですか?例えばニュース番組での東京電力のCM。あれって、意味ないでしょ。ユーザーは電力会社を選べないんだから。なのに、何で東京電力が金出してCMやってるかというと、原子力発電に批判的な報道をさせないようにするためです。事故があったときはさすがに報道するしかないですが、何も事故が起きてないときに「原子力発電所の隠された実態」とかいう特集をやらせないようにするためです。 読者からの対価だけで成り立っている機関があったとしても、その読者がスポンサーですから。 完全に純粋な情報を入手することは多分不可能ですが、できるだけ多くのメディアから情報を得て、そこから真実を読み取るしかないですね。
お礼
ご回答をありがとうございます。 つまり、ひとつとか、一方の報道機関だけから情報を得るのではなく、様々なところから情報を収集して、比較するということなのでしょうか。 たしかに、そうですよね。 広く公平に情報を得る努力をするということですネ。
- kantansi
- ベストアンサー率26% (658/2438)
それはありえないですね。 純粋に事実だけを報道する機関があったとしても、物理的にも報道しない・できない事実も必ずあるわけで、どの事実を報道するか選択する段階で選択者の主観が入ってしまいます。 即ち結果として情報操作が行われるわけです。
お礼
ありがとうございます。 ANo.1 のかたの回答と似たようなご意見でしょうか。 つまり、意図しなくても、結果として情報操作になってしまうということなんですね。
- okg00
- ベストアンサー率39% (1322/3338)
ないんじゃないでしょうか。 100ある事実の中で1を報道しているに過ぎませんので、それを選定している段階で思想が必ず入ります。 経験上、ニュートラルに近いと感じるのは国営放送ですねぇ。
お礼
早速のご回答をありがとうございます。 確かに、どの情報を実際に流すかという取捨選択の段階で、既に特定の思想が入りますね。 ところで、ニュートラルに近い国営放送とはどこの国の放送局でしょうか。 もちろん、左寄りの「NHK」ではないですよね。
お礼
アドバイスをありがとうございました。 たいへん参考にりました。 情報が発信され、伝えられ、届く過程で、様々な主観が入る様子がよく分かりました。 >結局は、多くの情報発信機関からの情報を集め、その針が指し示す方向のブレを自分で修正していくしかないと思います。 知りたい情報を漫然と取り入れるのではなくて、正しいと思われる方向に修正する努力が必要ということでしょうか・・・。