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共産主義と資本主義

共産主義について教えてください。 「共産主義」の考え方は現代の先進国では完全に否定されていると考えてよいのですか? 過去の歴史の中で、共産主義の考え方の一部が段階的に変化し、資本主義に取り込まれたような例はありますか? またこれから先、資本主義を改良していく上で、共産主義の中に「手本」となるような考え方はあるのでしょうか? あまり詳しくないので簡単に教えていただけると助かります。 よろしくお願いします。

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  • ベストアンサー
  • teccrt
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回答No.6

いえ、むしと共産主義の考え方の一部は、現在ほとんどの先進国に取り入れられていると言って良いでしょう。 資本主義=自由競争。国家・政府は競争に対して放任して、民間に任せる。勝ち組・負け組みの差が開く短所がある代わりに、勝ち組はどんどんその能力を高くして、世界レベルで戦える企業となり、その国の経済を支えてくれる。 共産主義=結果平等。競争を自由に任せると、能力や資本の違いによって結果に差が出てしまうので、国家・政府がそれに介入して、皆の結果を合計して、その報酬は皆に均等に分け与える。国民の間で所得に差がなくなり、平等な社会に近づける。ただし、結果がどうあれ報酬はきちんともらえるので、仕事を怠ける人も出てくれば、有能な人は仕事をするのが馬鹿馬鹿しくなり頑張らない状況を生み出しやすい。その結果、資本主義を取り入れている国と比べて、国力が伸び悩む。 このように一長一短ありますので、ほとんどの資本主義国は一部共産主義的な考えをベースに政策を取り入れています。 日本でも、農業への補助金や、地方への補助金がそれにあたります。東京などの都市部に集中している工業や情報産業の方が儲けていますので、儲けの少ない地方や農業に回すことで、日本国民を少し平等にしているわけです。 特に昔から言われているのが、「民間がある程度大きな力をもてば資本主義に基づく自由競争をさせるべきだが、まだまだ民間が弱い段階では、国の介入で民間がある程度の力を持つまで助けてあげた方が経済はうまくいく。」という考えです。 日本の工業で言えば、戦後間もなくはどの産業も壊滅状態だったので、国が外国製品に関税をかけるなどして日本製品が売れるように介入することで日本の産業を守れたが、現代のように日本が世界的に強くなれば、むしろ外国製品の輸入も自由化させたほうが、値段競争・技術競争に揉まれてより産業が強くなる、という感じでしょうか。 そういう意味では、共産主義は、自立を積極的に助ける目的があり、資本主義には自立した個のさらなる発展を邪魔せずに見守る目的があるといえます。 人なり産業が成長していく過程で、必要なのは「自立のための支援」なのか、「進化・発展のための努力を邪魔しないこと」なのか、タイミングによって使い分けることが必要になってくるのだと思います。

pine_sum
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その他の回答 (6)

  • aozola
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回答No.7

そうですね、共産主義は極論ですが、その極端な理論を薄くした社会主義というものは、広く浸透しており、よく使われる考え方だと思います、 共産主義の欠点は、ある程度までは正しいのだが、ある以上なにかしようとすると不可能になる限界の速さというものが原因としてあって、例えば今では信じられないが北朝鮮のほうが韓国より経済をもっていたころもあったらしい、 だから共産主義もすべてが間違いではなく、極端なことをしようとしたのが間違いだったわけで、共産主義を緩和した社会主義的な論というものは、どの国でも議論されているし、どの国でもある程度は取り入れていると思います。

pine_sum
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noname#45430
noname#45430
回答No.5

 二十数年前に憲法の授業で習ったことを思い出しながら、ステレオタイプであることを承知の上で、私見を少々。  多数決でも犯し得ない権利を認めるか否かで、民主主義は二つに分かれます。認めないのを絶対民主主義(多数決で何でも決められる)、認めるのを立憲民主主義(多数決で犯し得ない権利や制度の存在を認める。この権利や制度を定めるのが憲法)と言います。  後者の下で、犯し得ない権利を人権のうち、自由権と言います。自由権は精神的自由権(思想・信条・信教)と経済的自由権(職業選択の自由・営業の自由など。私有財産制も便宜上ここに入れて考えておきます)に分かれます。  なお、前者の絶対民主制では、個人の生活領域も多数決で国家が容易に侵入していけます。よって、私有財産制は原則的に否定されます。  この絶対民主主義での政治・経済体制を共産主義と呼び、立憲民主主義での政治・経済体制を資本主義と呼びます。  このように単純化すると、絶対民主主義=共産主義、立憲民主主義=資本主義というモデルが出来ます。  ところが、社会も人間も一筋縄では行きません。  資本主義下では、富を持てば持つほど、権力も伴い、どんどんおいしい思いが出来ます。また、子孫に美田も残したいし、それが可能です。富は一部の勝ち組に集中し、大多数の負け組は勝ち組の奴隷になるか餓死かという状態になります。勝ち組の食い残したわずかな富を大多数の負け組が必死に争うので、治安も崩壊します。世界大恐慌はこうして起こったと言われています。  共産主義下では、多数決で選ばれたエリート達が、何でも決めます。自由競争下では「神の手」として働く自動調整機能が働かず、不合理・無理が通ります。生産効率が上がらない訳です。旧ソ連はそのため、破綻してしまいました。  そこで、いずれの民主主義も修正を迫られます。極端は駄目なのですね。  共産主義国(つまり絶対民主主義国)中国では、一部私有財産制を認めました(論理的に認められない訳では無いから)。それがうまく行っているかどうかは評価が分かれるでしょう。  資本主義国では、自由権(特に経済的自由権)に国家が制約を行うことを認めました。すなわち多数決で犯し得ない権利を少し薄めました。これが社会権(生存権など)を憲法が認めるに至った経緯です。日本国憲法も社会権を認めてますよね。これは自由権側から見たら、一種の侵食なんです。  ご質問の回答ですが、現在の資本主義国の憲法に共産主義国の憲法の考え方が「社会権」として取り入れられていると言えると思います。

pine_sum
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  • Roman0
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回答No.4

 理論的には完全に否定されているのですが、イデオロギーに浸っている人や、ある種の方便として使う人には、まだ有効なものとなります。  資本主義の黎明期は、生活保護だの人権だのという概念が無かったので、それこそとんでもない格差社会でした。そういう時代に、底辺の人間は、一発逆転を夢見て共産主義に惹かれるものです。  どん底で極貧生活をしている人に、No.1 で述べられたような話は、福音に響くものです。  が、実際は人間は嫉妬する生き物ですし上昇志向を持つ人も多いので、平等なんてことは現実の制度としては成立できない不安定なものでした。その不安定を押さえてむりやり秩序を維持するために、絶対王政的な政治制度が必要になり、独裁化するというパターンを、すべての共産主義国家は踏むことになりました。例外はありません。  そういう実験結果が出ているのですが、それでもやはり、イデオロギーに浸って頭がキョウサンシュギになっている人には理解できませんし、極貧の人には福音に聞こえるのです。  うろ覚えですが、チャーチルは言いました。「若いうちにアカに染まらない奴は、情熱が足りない。二十歳過ぎてアカに染まってる奴は、知能が足りない」  2・26事件や5・15事件を起こした青年将校たちも、東北の極貧状態を見るに見かねたのです。

pine_sum
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noname#42515
noname#42515
回答No.3

共産主義の思想として、資本主義とは権力を独占している資本家VS弾圧されている労働者という構造があります。 その権力を労働者階級に与えるような社会体制づくりを目指すのが共産主義ですね。 思想としては決して悪くないと思いますが、それを掲げていた旧ソ連や中国などの独裁的共産党が大量虐殺などを行ったため、悪い主義だと世界(特に資本主義国家において)に誤解された側面もあるはずです。

pine_sum
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noname#49694
noname#49694
回答No.2

 共産主義は通常、国家不在のネオコーポラティズム的社会です。わかりやすくいえば、複数の共同体で形成され、安定化した平等社会という理想社会です。ですから、国家が現存するかぎり、共産主義の実現はありえません。  むろんいまの先進国だけでなく、途上国も資本主義を採用しています。かつては左翼・新左翼はその方法に大きな違いがあったとはいえ、革命志向で、国家を破壊することが至上目的でした。しかし、いまはその左翼そのものが国家にとってかわるという革命志向を捨てました。あきらかに民主的合意がいまや得られなくなったからです。いまは革命ではなく変革志向です。ですから国家を破滅させるのではなく、国家の有り様を変えることに関心があります。  共産主義をはじめ、左翼の失敗は「国家」の機能性について誤った理解をもっていたということです。国家は悪いもの、権力をふるい、人々を脅かすという見方は間違いではないのですが、それは一面にすぎません。逆にいえば、国家は人々の秩序平定者でもあって、国家なしには市場でさえまともに機能しないのが実状です。警察権力なしに、あるいは国家による市場規制なしには人々の経済は成立しません。  したがって共産主義者の誤算は、この市場と国家について、その連関性について軽んじていたということです。

pine_sum
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noname#152554
noname#152554
回答No.1

【共産主義】 生産方法、財産を社会共有とするのを原則にし、貧富の差の無い社会を築こうとする思想。 資本主義の社会制度に対立する。 (旺文社 国語辞典) 辞典からの、まるまるコピーですが・・・。 (^^; 文章は簡潔。 その思想は、パッと読む限り、 「いいかもしれない♪」 と、思いますよね?

pine_sum
質問者

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