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自分が自分である確認

私は現在22歳ですが、10年以上、おかしいかも?と思っていることがあります。 皆さんは、自分が自分であるという意識をどのように保っていますか?その日の気分とか、相手によって態度が変わる(これはペルソナというんでしたっけ?)ということがあるという話しは聞いたことがあるのですが、私は一日のうちに何度もいろんな人格に変わっていく感覚があります。その時その時で、都合が良い人格に変わっていくみたいです。人格、とは、話し方、字の書き方、食べ物の好み、もののの見方、得意な分野などですが、頭の中にいろんな人格がいるので、どれが自分かわかりません。そのために、例えば、自分の過去を振り返ってみても、自分だという実感がありません。 私が私であるという認識ってもっていないと不安だと思うのですが、皆さんはどんなところで自分を確認していますか?あと、私の状態についてどう思われますか?哲学とか精神世界については全然詳しくないので、それに関係するようであれば、できれば分かり易くお願いします。補足要求があれば補足します。 よろしくお願いします。

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  • cse_ri2
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回答No.2

「哲学」カテで質問すると、いろんな意見が聞けて面白い のですが、なるべく簡単に説明します。 あなたが「自分」だと思っている自分は、実は本当の自分 ではないんですよ。 例えば、友人のAさんと話している時の自分、Bさんと話 している時の自分は違う感じがするでしょう? それは、Aさんに合わせている自分を自分と捉えていたり、 Bさんに合わせている自分を自分と捉えているから。 人は、何かを認識しようとしたら、それを対象にたてなく ては認識することができないんです。 結局、「自分はこうだ」と考える自分というのは、「考え 照られている対象の自分」であって、「考えている主体の自分」 そのものではないということです。 自分を認識するときに私たちはどうしているかというと、 頭の中で「自分」という存在を対象にたてて認識しています。 けれども、実は認識する主体が自分なのであって、頭の中 の対象としての自分は、それは本当の自分ではないんです。 そうなると、「自分」という存在は永遠に認識できないか というと、そうでもありません。 「考えられた自分」ではなく「考えている自分」が存在する ということ、これに気づくだけでも大きな進歩です。 それでは、本質としての自分、普通には認識できない自分 というのはいったい何なのか? それについて、インドの古代哲学であるヴェーダ哲学では このような回答があります。 |「だから、さっき教えたではないか。自分というのは、 | つかまえることができない、と。つかまえた、と思って | も、つかまえたのは、つかまえられた自分に過ぎず、 | つかまえようとしている自分は、いつまでたっても、 | つかまえることはできないのだからね。」 |「それでは、つかまえられない自分、というのは何なん | です?」 |「アートマンだ」 |「アートマン?」 |「ほんとうの自分のことだ。自己の本質といってもいい。 | つまり、自分の内部にあって、自分を支配している根源 | でもある。わしらが自分だと思っているのは、ほんとう | の自分ではない。アートマンによって知らされている | 自分に過ぎない。純粋な自己とは、アートマン以外に | ないのだ。しかし、人間はアートマンによって知らさ | れている自分を、自分だと思い込んでいる。だから迷い、 | 悩み、苦しみ、欺かれ、心を乱し、平安も、歓喜も、 | 得ることができないのだ。けれど、アートマンをさと | った人間は、そのような、いっさいの迷妄から脱却で | きるのだ」 「ソクラテス最後の十三日」森本哲郎/PHP研究所、から抜粋 本質の自己を悟る...難しいですね。私もそのような心的 領域にはまだまだ達せられずにいます。

purin225
質問者

お礼

>人は、何かを認識しようとしたら、それを対象にたてなく  ては認識することができないんです。 わかります!そうですよね。だから、その対象が変わるたびに「自分」の認識のかたちが変わってくるのは当然ですよね。 後半のお話しは、正直よくわかりませんでした。すみません・・・。アートマンが、アートマンが作り出したものを自分だと認識するということでしょうか。アートマンを丸ごと見てみない限り、自分を知ることにはならないのですかねぇ・・。アートマンが作り出した自分だけでも一貫性があれば私は納得してしまうのですが、やはり大元(?)が不明なものだから、色々な自分が出てきても仕方がないと、納得するしかないのでしょうかねぇ。(という考えがうずまいています。) せっかく引用文をいただいたのに、勘違いしていたら、ごめんなさい!!こういう話しは嫌いじゃないです。しかし、どうも理解がずれることが多くて・・。 こんなこと、私は考えたくないのに考えてしまう自分がいやです。積極的に本質の自己を悟るにはほど遠そうです・・。とても参考になりました。ありがとうございました。

その他の回答 (7)

  • c-time
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回答No.8

僕もそういうことよく考えます。 僕はたとえ家族にでも7割くらいしか本音を出していません。(たぶん) 相手によって都合良く人格を変えるってのは、少なくでも誰にでもある事だと思っています。 でも、僕の場合は、絶対に表に出てこない第三者的人格をいつも置いておいて、ソレを「本当の自分」としています。 寝る前など考え事をしてるとき、その「第三者的人格」が考え出したときに、自分を確認出来てるような気がします。 その「第三者的人格」が、すべての人格を操っているような気もします。 でもそれすなわち、自分の中にある全ての人格は、紛れもなく全て自分の人格なのだな・・・と思います。 人によって人格を変える事が出来るってことは、その分「人を見抜く力」が、あるのではないでしょうか? 自分が都合良くなるようにではなく、周りの人が気持ちよく過ごせるように、そのつど人格を変えているのなら、あなたはとても冷静で、紳士な方だなと思います。 人格を変えてることを意識している、その人格こそがあなたの本当の人格だと思います。 あんまりはっきりとした答えになってないですね(^^; ごめんなさい。

purin225
質問者

お礼

なんだか、ちょっと誤解をまねく書き方をしてしまったようで、反省しています。でも、c-timeさんのおっしゃることもよく考えます。(#3のお礼の欄にも少し書いてしまいましたが。)「自分」の出し具合というか、どれだけ自分を出せばいいのか、バランスがよくわからなくて悩むこともあります。 >寝る前など考え事をしてるとき、その「第三者的人格」が考え出したときに、自 分を確認出来てるような気がします。 というのは良さそうな方法ですね。私も早速参考にさせていただきます。 〇(^∇^)〇 私が書きたかったこととは、一応書いておくと、「自分」の出し具合でどんな人格が表現されているかということではなくて、その「自分」が状況によって変わってしまい、自分としての一貫性がないので、皆さんは、どんなふうに自分を確認しながら自分としての一貫性を保っていますか?ということを聞いてみたかったのです。色々な回答をいただいて、考えるなら、もっと徹底的に、そうでないなら気にしない努力をするべきなのかな、と思いました。 でも、c-timeさんのアドバイスも参考になりました!どうもありがとうございました。

回答No.7

>その時その時で、都合が良い人格に変わっていく・・・どれが自分か不明 えっとごく単純に回答しますと。本当の自分は。 家族(配偶者)など一番気の許せる人間と接している時の自分が、本当の自分です。 なぜなら社会的な利害関係が薄く、もっとも本音が出やすくなる関係だからです。 恋人はダメ、下心があるから。本音を隠そうとするから。利害関係を超越した親友がいれば、その人と接してる時も本当の自分ですよね。要は見栄を張る必要のない人間関係です。そこで貴方の本当の優しさだとか人格が出てくると思います。見返りを期待しない親切、これがホンモノです。

purin225
質問者

お礼

確かに、自分が気を許せる人と一緒にいる時は「ラク」ですね。そういう点でいうと、私は仲が良い友達といるときが、「ラク」かな~。親は私に理想の形を求めてくるため、演技しなければいけない部分が多いので。そういえば、人間関係をはじめ、他のことでも、「ラク」じゃないことをするときに、他の人格が顔を出す(ことを自覚する)ことが多いです。これはどういうことなァ・・・。 難しいですね。 回答、参考になりました。ありがとうございました。

  • nyozegamon
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回答No.6

潜在意識と顕在意識という言葉を聞いた事があると思いますが、顕在意識は、約3%~7%と言われています。 意識できるのは氷山の一角に過ぎません。 わからないことを不安だと捉えるか、可能性と捉えるかは、あなたの自由です。

purin225
質問者

お礼

顕在意識ってそんなに少ないんですか!私は潜在意識に翻弄されているんでしょうか。私が気が付かないところで潜在意識がうまくコントロールされてくれると嬉しいのですが・・。回答ありがとうございました。

noname#2193
noname#2193
回答No.5

おはようございます。 はぁ。私自身、自分が一体、どういう人間なのか、30にして、いまだに分かりません。(汗) >頭の中にいろんな人格がいるので、 これは、父の両親、母の両親の写真を見てみると、案外、解決します。(どうも、いつも真剣味に欠けるのだが、これはどうしてか?と、疑問でしたが、母の父親の写真を見て、唖然としました。だいたい、普段思い描いている自分がそこにありました。でも、何で、肝心なところでは、しっかりしているのか?母の母の写真をみて、目から鱗。じゃあ、何で、怒ると自分でも信じられないくらい、冷酷で凄みが出てしまうのか?父の母の写真を見て納得。あと、父の父の写真がないので、これが今ひとつ。ただ、とんでもない、お人好しだったそうなので、これも納得。  私は、「血筋」という言葉が大嫌いでしたが、どうも、性格は、ご先祖様から、受け継がれるみたいです。(汗) >自分の過去を振り返ってみても、自分だという実感がありません。 私自身、過去の写真を見て見ると、これが自分?と、信じられません。(学校と社会は、全く、別物みたいです。) >皆さんはどんなところで自分を確認していますか? とにかく、孤独になれるところ(山の頂上とか、ビルの屋上等)へ行ってみますが、実際には、ストレス解消にしかなりません。(汗)  むしろ、絶望的になった時のほうが、自分の良さや欠点が、なんとなく、分かるような気がします。(但し、落ち込んでしまった場合は、ろくなことを考えませんので、回復を待つべく、寝るだけです。)  あと、ここで答えられそうな質問に回答してみて、なんとなく、自分がどういう人間なのか、分かる気がします。(ここでは、建前は一切抜きで、自分の本心をぶつけることが出来ます。)本当は、質問者を助けてあげるのが本筋なのですが。(汗) >あと、私の状態についてどう思われますか? 極めて、自然な事と思います。自分を振り返る事は、素晴らしい事だと思います。(そうでないと、私自身が、悲惨です。(大汗)) 哲学は、何かをする時に必要なものであって、自分を知るための道具ではないと思います。(哲学者から怒られそうですね。(汗)) では。m(_ _)m

purin225
質問者

お礼

頭の中にいるいろんな人格は、確かに自分の周りにいる人が参考になっていることが多いですね。いろんなスイッチがあって、使い分けられて以前は便利だと思っていたのですが、そんな自分を自覚しはじめたら、疲れてしまうようになったのです。   >あと、ここで答えられそうな質問に回答してみて、なんとなく、自分がどういう 人間なのか、分かる気がします。 そうかもしれないですね。意外と私ってこうなんだ、という発見はあるかもしれないです。 アドバイス、ありがとうございました。

noname#3116
noname#3116
回答No.4

東京大学で解剖学を教えられていた養老先生が言われたことですが(うろ覚えです) 人はよく「自分はこう思う」とかいってあたかも「自分」が一貫した考んがえをもつひとりのように 感じているけれど、それは脳の高度な働きによる錯覚で 本当は色んな自分が自分の中でせめぎ合っていて、何かしたりする時には その色々な自分がバランスをとりあって物事に対処している ということです。 その脳のバランスが壊れると、幻覚をみたりするらしいです(^^; 私なんかはわりとぼーっとしてますんで、あまりどの自分なんてことは感じませんが あなたは自分の心の動きに関する感覚が鋭いので代表が入れ替わる自分を感じるんでしょうね。 >私が私であるという認識ってもっていないと不安だと思うのですが >皆さんはどんなところで自分を確認していますか? うーん、あんまりそんな不安を感じた事がないので・・・ とりあえずこのちっぽけな肉体の中身は全部自分だと思っています(^^; 上記の養老先生は数年前NHKスペシャル「人体II~脳と心」で 人の脳の働きについて、長い長いお話しをされました。(おもしろかったよー) 機会があったら見てみてね

参考URL:
http://www.nhk-sw.co.jp/view/view.phtml?html_id=139
purin225
質問者

お礼

>本当は色んな自分が自分の中でせめぎ合っていて、何かしたりする時には  その色々な自分がバランスをとりあって物事に対処している そうなんですか。それを聞いて少し安心しました。どの自分、とかそんなことは本当は考えたくないです。でも、例えば、Aさんの価値観とBさんの価値観がちがうため、AとBのときでは行動も違ってしまい、自分としての成長とか達成感がなくて、疲れてしまっていました。肉体で自分をとらえるというのもいいかもしれないですね。 脳のしくみについては以前から興味がありました。にも関わらず、NHKスペシャルのことは知りませんでした。(^×^ゞ 早速見てみます。 とても参考になりました。ありがとうございました。

回答No.3

「ここは譲れない、譲らない」という意識を感じたとき。 人はそれぞれだから、どうしてもお互いぶつかるところがあります。 そのとき、ここで折れたら私が苦しくなるなあ、と思ったとき 自分というもの、個性を感じます。 子供のうちは、個性なんてなきゃいいのにと思っていた。 人と折り合いをつける方法をよく知らなかったから (そういうことを教えられる人が、周囲にだれも!いなかったから)。 でも、人と折り合いをつけつつ楽しくやっていく方法が見えてきたときから 生活が楽しくなって、自分の選択に責任と自信が伴うようになってきました。

purin225
質問者

お礼

なるほど!!そういう風に自分を確認する方法もあるのですね。 そういう点でいうと、私はmimosa2001さんとは逆なんです。私は、スッゴーク!!順応性があるので、ぶつかるくらいなら、自分の意見を曲げて周りに合わせるということを「無意識で」していたので、どれが自分だか分からなくなってしまいました。で、それではイカンと思い、自分を持って人と接しようと思うようにしているのですが、どれが自分かも分からないし、人と接していると何処までが自分なのか分からなくなってしまいます。(←これは今回の質問とはちょっとずれてますね。ついでに書いてしまいました。混乱させてごめんなさい。)そんな私は、最近人と意見が対立するのに快感を覚えています・・。ちゃんと、「自分」もってるじゃん、みたいな。なんだか中学生レベルの悩みで恥ずかしいですが。でもその「自分」が、自分の中ではしょっちゅう変わっていることを私は知っているので、辛くなってしまうことがあるのです。 貴重な意見をありがとうございました。

  • Horus
  • ベストアンサー率14% (78/528)
回答No.1

 あなたが見ているのは、確かに人格です。普通の人でも無数の「私」を持っているのですが、あなたのように気がつかないだけなのです。無数の「私は」それぞれが私であると主張し、しかも互いに責任を持ってくれません。例えば、「明日早起きしよう」と言う「私」と実際に起きる「私」は全然別の人です。本当のところ、普通の人は恒久普遍の「私」を持っていません。  この恒久普遍の「私」を持つことを覚醒と言います。この目的のためにまず自分が複数の「私」であることに気づき、これを観察しなければなりません。この観察する「私」が核となって真の自己が目覚めるのです。  この問題を最も豊富に取り扱った書物として、ウスペンスキーの「奇跡を求めて」平河出版社 があります。

purin225
質問者

お礼

早速の回答ありがとうございます。 >例えば、「明日早起きしよう」と言う「私」と実際に起きる「私」は全然別の人 です。本当のところ、普通の人は恒久普遍の「私」を持っていません。 厳密に言うとそうかもしれないですね。なんか、友達とかを見ていると、私がいう人格にある程度一貫性が見られて、〇〇ちゃんらしいなっと思うことがよくあるのに、私はガラっと変わってしまうので、どっかおかしいのかと思っていました。書物も勧めてくださってありがとうございます。興味があるのでさっそく探してみます。