農村に依存する大都市について考えてみた事ありますか?
東京都の食料自給率が低いからといって、都内の住宅地などを畑にして食糧を増産しようなどとは、たとえ石原慎太郎でも考えないでしょう。
農村と都市は食糧に関しては供給地と消費地という関係がありますが、それ以外の例えば情報に関しては、都市が生産して農村で消費するという関係もあるわけですね。情報産業や教養娯楽産業の様なものは狭い場所に沢山人が密集している都市が必要なんだと思います。
日本国内の都市と農村の関係を、国際社会に当てはめて考えることはできないでしょうか。
人口からみて広い土地がある国と、狭い土地に肩寄せ合って大勢の人が住んでいる国があれば、食糧供給に関しては、どうしても広い国から狭い国へ供給されることになる。この”食糧の物流”を止めようと考えるのではなく、食糧以外の財(製品や知的財産など)に関して日本が食糧供給国に対してちゃんと貢献しておればバランスすると思います。
今まで、製造業が安くて良い製品を供給すると言う点においてこのバランスが保たれてきましたが、理科系に進学する少年・少女が激減し、ものづくりに頑張る人たちによい給料を払う事も出来なくなってしまいました。時代に変化に寂しさを感じますが、これからは、ものづくりに代わって知的財産を食糧供給国に提供する国にならなきゃいけないのです。日本のリーダーには日本の文化を大切にしない人が多いので、なかなか困難ですね。
アメリカは大農業国でありながら、日本や韓国、フィリピン、メキシコなどの植民的地支配を通じて、英語学習を義務教育化させ、アメリカの文化に対して喜んでカネを払う国民に改造してきました。強制力をもって他国民の洗脳するというは良くない事と思います。これからは韓国を見習う必要があります。文化省という役所を作って、韓国映画や韓国テレビドラマの輸出振興策を通して外貨を稼ぐと同時に、中国との歴史なども韓国に都合のよいように解釈し、その解釈に基づいて歴史ドラマを作成して、東南アジアやアラブ方面、アフリカ諸国などに大量に輸出します。
ドラマはフィクション(作り話)ですが、それを見て育つ一般大衆は韓国ドラマの英雄や、ドラマの世界だけの美人女優などにあこがれるようになり、韓国製の自動車や韓国製のテレビなどの製品に対しても良いイメージを持つようになるのです。
日本も是非、文化省を作って、江戸時代に世界の最先端だった数学(和算)や建築などの物語などをモチーフにて、美男・美女が歴史的なドラマを演じたりして、それを政府の補助金で100ヶ国語ぐらいに翻訳して世界中に配給するべきですね。
そのような国になれば、食糧を他国に依存しても都市としての役割を果たしているので安心できるでしょう。