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加齢で生きる気力がなくなって来た際に・・・

加齢で精神的にも肉体的にも、生命力が衰えてきた際に・・・ 貴方なら自殺しますか?それとも、だましだまし、老衰まで生きて行きますか?どちらを選びますか? (ちなみに私の祖父は、 若い時に夢破れた末、戦争責任も考えた末、80代に入った際、自殺計画を立て末に、祝日の三連休に実行してしまいました。 干支が一回りした現在、同じ祝日に、祖父の内孫だった従兄弟が結婚式を挙げます。お祖父ちゃんに向かって、「死んじぇ!」と言った従姉妹が、今度は病院に入っています。 最近、当然ながらデジャブが有り、涙が止まりません。 人間って、辛い事情を抱えてても、がんばって結婚して出産して、生き抜かないとダメなんでしょうか? ちなみに、葬式の時に異様に泣いてしまった私は、披露宴でも号泣して、物が食べれない状態になる可能性が高いので、欠席としました。 どうしたら、普通の人みたく、精神的に最低限の強さを持てるようになるのでしょうか? とも思います。でもとりあえず、生きるか死ぬか、普通の意見が聞きたいなと思い、アンケートさせて頂きました。)

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

私の曾祖母は100歳という長寿でした。(今年1月に他界しました) 曾祖母は20歳で結婚し、40歳で夫と死に別れ、その後60年ずっと1人でした。 苦労もたくさんしただろうし、晩年はきっと苦しかっただろうと思います。 ですが、曾祖母の死に顔はとても安らかで、きれいでした。 今の私はまだあまり年齢を重ねていないので、年を取った時にどういう気持ちでいるかは分かりません。 ですが、自殺は絶対しないということだけ、心に決めています。 曾祖母と同じように全て使い切って、人生を全うしたいと思っています。

sinjou
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 こんな事聞いて、怒られたらどうしようと心配だったので・・・

その他の回答 (3)

  • G131
  • ベストアンサー率26% (195/746)
回答No.4

とりあえず、生きるか死ぬかとのことですので。 私は自分が老衰で死ぬことは全く想像していません。 中年と呼ばれる年代になり、若い頃と比べても明らかに生への執着が薄らいでいます。 幸い今は肉体的には健康ですし、致命的な悩みもあるわけではありませんので自殺する理由はありません。 ですが将来肉体が衰えていくとともに、恐らく急速に生よりも死を意識していくことでしょう。 自殺の非は別として、私は自分の死は自分で決めたいと思っています。

回答No.3

簡単なことです。 死にたくなったと思ったら確実に死ぬための方法をよく考えます。 用意します。 実行しようとしてみます。 いずれかの時、躊躇・恐怖・迷いを感じたら、問いかけます。「生きたいの?」と。 自分の大切なものを一つ一つ思い浮かべてみます。 そこで踏み止まれなかったら死。踏み止まって泣き喚いて叫んで暴れたら生。 若くても高齢でも関係ありません。 あ、ちなみに「死にたい」のと「生きたくない」のは全然違う意味ですよ。 刃物を突きつけられて追い詰められると、自分の感情は良く見えます。 私には貴方は生きたそうに見えます。どうしたら強くなれるか、など「どうしたら」を求めている人なので、まだ死にたくなさそうだなと思いました。 死にたくないと強く思えないのは、本当に生命の危機に立たされていないために恐怖を感じないのでは? 死ぬのはかなり痛くて苦しくて辛いと思うので(ちなみに精神的な意味じゃありません。肉体的苦痛と聞いてピンと来なければ、よほどそういう経験をした事がないのでは?)生理的な嫌悪を感じます。 腐って蛆が湧いた死体を想像するのと同じ感覚です。死ぬって、自分の全部がそうなるんですよ。 精神的なことをアドバイスすると在り来たりで薄っぺらに聞こえる正論になってしまうので、そっちは言いません。 とりあえず、自分の口や内臓や皮膚に生物が沸いても平気になったら(略

sinjou
質問者

補足

実は試しに、海に行ったんですが・・・9月前の海って、高波なんですよね・・・浮き輪で入っても、バンバン波に飲まれるんですが・・・まだ、意外に死にたくないかも。と思いました。 今、全身砂だらけです。 昔、川で溺れた時も、死ぬ予感は一切しませんでした。 サーフィンやF1ドライブって、自分の死にたい度・死にたくない度を確かめる、興味深い一面が有りますね・・・ 結構皆さん、浮き輪持参で海の奥まで、入って波乗りを楽しんでるんですよね・・・ちっちゃい幼児も、果敢に波に向かって行くし、浮き輪なしの女性も、せっせと波を楽しんでおられました。 でもやはり、ちっちゃい幼児は、絶対浮き輪必須に思いましたけど。

回答No.2

私はどんな状況になっても自殺は絶対しません。 過去に「死にたい」と思ったことは何度もあります。たまに今でも思います。計画を立てる、といったことはしませんが。自分がどんなにつまらない、価値のない人間に思えてきても、私が死んだら確実に悲しむ人がいるということが分かるので死ねません。 まったく個人的な考えですが、私の考える精神的な強さは、「愛されていること」を実感できるか、です。 私が死にたい、と思ったときに思いとどまらせたのは、家族に愛されていることが分かったからです。だから死ねませんでしたし、これからも自分からは死にません。例え家族が死んで自分1人になろうと、家族の願いは「私に生きていてくれること」だと思うので、その場合もです。 今生きている人の中で愛されていない人はいないと思います。「愛されていない」と思う人は、愛されていることを実感できていないだけだと思います。 「自殺しよう」と考えることが悪いことだとは思いません。そういう考えにいたって初めて見えてくることもあると思うので。ただ自殺は悲しいことだと思います。

sinjou
質問者

お礼

興味深いレスをありがとうございます。 祖母は創価学会池田派なので、祖父がいなくても、ある意味、一人で立っていれる人です。既に90代ですが、未だにボケてないし、池田派として背筋に一本筋を入れて生きています。 返り血を無理やり浴びさせられた同居家族・親族の痛みを、どうしてお祖父ちゃんは、気遣う事が出来ないんだか・・・気性が激しい人は、自分さえ良ければ、どうでも良いんでしょうかね・・・ うちの家族は、お祖父さんの残した遺品・遺産・通帳の照合など、母が面倒そうだったので、「(死ぬなら)勝手にどうぞ。でも、書類とかはきちんとしておいてね。」みたいなドライな感じになってます。 警察とか保険とか養子とか、バタバタしますし・・・揉めますしね・・・

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