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大人になってから自己肯定感を高めるには
自己肯定感が低く、引きこもりになりそうです。 小さい頃から自殺願望があり、騙し騙し生きて来ましたが、20代にして限界がきました。 大人になってから、自己肯定感を高めるにはどうしたらいいでしょうか? ちなみに、理解者はいません。 友人には相談できなく、家族は精神的なものは全て甘えと考えています。 恋人は、自己肯定感の低さと、結婚への拒否感から、作っていません。 精神科に行くことも、当面はできません。 克服された方、克服方法をご存知の方、アドバイスをお願い致します。
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No.5の者です。 お返事を拝読しまして、補足です。 “何をやっても出来ない” というのは、客観的な感想などではなく、あなた自身が勝手に決めたことだと思います。 自分の中で決定してしまったことは、絶対に覆りません。 まず、出来るとか出来ないとか、なぜ決める必要があるのでしょうか。 人も、案外何も出来てませんよ。 出来ているように見えるだけです。 いい加減だし、好きなように生きて、勝手です。 つまり、上手いことやるのも、下手でも好きだったり、ヘマをして迷惑をかけるのも、自由です。 優しい性格と言われるのですよね。 それも、あなたの優しさに周りが甘えているのです。 そして、自分は優しい人間であることを期待されているのだ、と、あなたが無意識に真面目に取り組もうとした結果、あなたは限界を迎えようとしているわけですよね。 あなたのご家族は、いわゆる過干渉なのでしょう。 自分の知っている環境が常識のように思いがちですが(私もそうでした)、蓋を開けてみたら、意外と世間と大きくかけ離れていたりするものです。 親やきょうだいは、愛情があるがゆえに期待もし、激励もしたいでしょう。 でも、裏を返せば、あなたを自分の思い通りに操作したい、ということです。 勝手な欲です。 長い時間をかけて、あなたが出来ない人間だと決めつけて刷込んできたのは、誰でもない、あなたのご家族とあなた自身でしょう。 それに早く気付くべきです。 ありのままのあなたでなぜいけないのか、私には解りません。 あなたの場合、自信を持って持ちすぎることはないと思います。 それから、長期間悩んでじっとうつむいたりしていると、体の機能は低下しますし、結果、脳の血流が悪くなります。 鬱病などのほとんどは、ストレスからくる単なる血流障害ではないかと私は思います。 運動はいいですよ。 好きな音楽を聴きながらとか、外の空気を吸うためだけでもいいので、ちょっと散歩にでも出かけてみてはいかがでしょうか。 体調不良は、心の悩みのせいだと思いこみがちですが、運動で体調がよくなると、心が後からついてくることも多いです。 失礼な事を長々と書きましたが、他人とは思えないので・・ もちろん、少ない情報からなので、事実とは全く違うこともあるかもしれません。 ごめんなさいね。 でも、応援しています。
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- doc_somday
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こんにちは、うーん、皆様のお答を一覧しました。 非常に良い意見もありましたが、何か「教え魔」の様で見ていてあなたが可愛そう。 あなたの返答も読みました、長過ぎますね。 袋小路にはまっている状態です。 だから簡潔にしました。 1.あなたは自分を「外から見ている」つまり他者の評価に流される。 あなたはあなた一人のもの、主人公はあなたで、世界はアニメやお芝居でしかない。 一度どこか静かな場所で、美味しいものを食べつつ、(出来れば)温泉にひたり、 過去を振り返ってはいかがでしょう、最低二泊出来れば四泊します、 (出来ればLANのあるお宿が良いでしょう、ノートパソコンが必要ですが) 2. >小さい頃から自殺願望があり これは非常に大切、どこで拾ってしまったか、かなり不思議なご家庭のようですから 親御さんの行動(言葉を含め)かも知れませんが、これって完全に自己否定ですよね。 一番良いのは「精神分析」ですが専門医が少なくやたらに高価、それに時には何年 もかかる。仕方が無いのでカウンセリングで代用しましょう、だが相性もあるし 高価だしやはり長くかかる。さらに国家資格では無いので詐欺師や新興宗教の温床。 安全なのは精神神経科で紹介して貰いますが、ここが新患で溢れていてキャンセル 待ちをしても三ヶ月待つこともある。 再度申します、あなたが出ずっぱりの主役だ、他人などちょい役に過ぎない。
お礼
すみません。 気がつかずに締めてしまいました。 初めて聞いたので、教え魔とはどういう意味かわからないのですが、締めてしまっては聞けませんね。 残念です。 最近頭がうまく働かず、文章をまとめられなくてすみません。 迷走しているので、質問という形で相談させていただきました。 主人公は私で、世界はアニメや舞台でしかない、というのも、イマイチわからなかったのですが… 最後の一文も同意ですよね? 1 私が「他人などちょい役に過ぎない」と感じているので、治したほうがいい。 2 「あなたが出ずっぱりの主役」だから、ちょい役の他人など気にするな。 どちらの意味だろうと悩みまして、他の回答者様からのアドバイスを踏まえ、後者と受け取らせていただきました。 自殺願望につきましては、本当に物心着いた頃からのものですので、なぜかはわかりません。 世界が悪い!とかではなく、自己否定ですね。 自分でも謎で、自己分析が癖になってしまっているほどです。 またしても長くなって申し訳ありません。 ご回答ありがとうございました。
- ri-zyu
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人には強さと弱さがあります 人には素晴らしい部分と駄目部分があります どちなも貴女です、あるがままの貴女でいいんですよ。 私しはなぜカウンセリングを受けのか 東ちづる 良書です。また読んで見てください。
お礼
ご回答ありがとうございました。 ダメな部分にばかり目がいってしまうのですが、気をつけたいと思います。 著者は東ちづるさんですね。 探してみます。 ご紹介ありがとうございます。
- HeyXey
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なぜだか補足コメントでのお礼、ありがとうございます。 ひとは自分のことを「価値ある存在」だと思いたい、という自己重要感に対する欲求を常に持っています。毎日、職場にいくと自分の気持ちをよく理解してくれる○○さんがいる、すごく嬉しい、すごく楽しい・・・。普段の職場での何気ない雑談、あるいはお昼休みの楽しい会話のなかで、わたしたちは知らず知らずのうちに自らの自己重要感を満たされているのです。そして仲間の自己重要感を満たしてあげているのです。 今までの人生で、あなたはアクノリッジメント(承認)されてきたでしょうか。そして、他者をアクノリッジメント(承認)してきたでしょうか。この世の中、世話をする人が偉くて、世話をされる人は役立たずだということはないのです。回答者が偉くて、質問者が偉くないということもないのです。 ‘居場所がなかった’ということではなかったでしょうか。あるいは、‘自分には影響力が無い’という無意識の感覚ではないかと想像してしまいました。自分には他者への影響力が無い、そう思っていたら他者との関係性はどうなるでしょう。返事をしなくても影響ない、不満があっても言わない、となるでしょう。 親には居場所があります。父には父の、母には母の役割が黙っていてもあります。ところが子供はどうでしょう。役割が無ければ居場所もないのです。結婚は愛情の問題であると同時に、居場所(役割)の問題でもあるのです。
お礼
すみません。 気がつきませんでした。 補足って、どう使うのでしょう? そうですね… 他者の承認は意識して来ました。 親を何年もかけて許容したので、それ以上に受け入れられない人はなかなかいませんでした。 でも、自己の承認はできていないと思います。 自己嫌悪ばかりですから。 自分の居場所がないとは、ずっと感じていました。 探したこともありましたが、自分を押し付けないというコツを覚えてしまい、信頼していても自分の我儘は出さない癖がついたので、結局は居場所と言えなかったのかもしれません。
- tumaritou1
- ベストアンサー率28% (260/913)
自己肯定感は、『求めていない時にだけ手に入るもの』の一つです。世の中が上手く回っていて、自分の思う事が実行されているように見受けられる人と、その逆になっている場合が多い人が居ます。 こう云った事柄の『背景にあるものが、分かるのか?分らないで居るのか?』がそういった人達の今後の明暗を分けると思います。 人が自分に同調してくれて、自分のの思うように動かせる人と、人が自分に反発ばかりしたり、反抗的になったり、批判ばかりを受ける人がいます。この違いと共通点があります。 物事の本質に迫っているのか?或は背いているのかが明暗を分けています。 この場合でのキーワードは、『受容と許す』です。 自己肯定感が持てなくて、人生が思う様に回らないと感じている事は『同じ悩みを抱えている事を意味します。』 自己肯定感という意味は『自分自身を受容して許している』という意味です。この意味を分って貰うとするなら、こういった表現が有効と思います。 母親がいて、小さな子供がいます。その子供が優秀だとか綺麗だとか不細工であるとかを考慮に入れようが入れまいが、受け入れてあげる事が出来た場合にだけ『その子の肯定感が増しています。』 その子に難癖を付けて、『良いところは棚に挙げて、悪いところやどうしようもないところに難癖を付ける場合では、肯定感は間違いなく低くなります。』 その子が生まれつきの障害が在ったとしても、その障害もちの子供を、その障害を持ったままで受容れてあげて.愛してやれる場合『その子の肯定感が高められています。』 五体満足に生まれながら、母親がその上を望んで、その子にもっと上を望む事を強制する場合には『肯定感は低くなります。』 貴方の場合では『もっと今よりも高みを望む事は良いとしても』今の自分の現状に不平や不満が、渦巻いています。 貴方の場合での肯定感を高める考え方としては、今の自分の良いところも悪いところも『全てをひっくるめにして認めてあげて、全てを認めてあげる事』で、不平や不満の渦巻きの動きは止める事が出来ます。 結論を書くなら、『良いところだけを認めて、受容れてあげて、悪いところや厭なところや嫌いなところを、認める事が出来ない事』で貴方の肯定感は低くなっている、という意味になります。 人を気持ちよく動かす秘訣は、人の厭なところも自分の厭なところも分って上げて、人の欠点も長所も分る様に努力をして、人の欠点は言わないようにしていながらさりげなく言い放って、良いところも引き出せるようにする事だと思います。 自分を気持ちよく働かせる秘訣と通じています。駄目な自分も認めて上げて、良いところを伸ばす工夫をする事が大事と思います。 人を気持ちよく動かせない時は、その人の気持ちを汲んであげる事が出来いない場合です。 自分を気持ちよく動かせられない時は『自分の気持ちを汲んで上げる事が出来ない場合です。』 良い母親は『例え優秀な成績を取れなかったとしても、そっくりそのままでその子を受容れてやれる心を持っている事が条件になります。』 貴方が自分自身の母親の役目を果たす事が出来ます。それは如何に駄目なところがあったとしても『貴方自身が貴方自身をそっくり引き受けてあげる事です。』 自己肯定感がもてないという意味は『高望みをする自分がいて、良いところもひっくるめにして、駄目なところばかり』と考えてしまうところです。 良いところも悪いところも、ひっくるめにしたありのままの自分を『素直に受け入れる事』此処から全ては始まります。 良いとか悪いとかの物差し自体が、本当は何処にもなかった事を、今の貴方は見逃しているという意味になります。 詰まり世の中の見方の変更を求められていることを意味します。
補足
ご回答ありがとうございます。 単語ではなく文中の『』が多いですが、何かの引用でしょうか? 自己愛の強いアダルトチルドレンである父と、共依存タイプの過保護な母でしたので、理解ではなく矯正の教育だったと感じています。 原因は他の自己肯定感の低い人達と同じく、許容されずに来たことだと思います。 詰まる所、自分自身でその許容を行え、と言うことでしょうか?
No.4です。 周囲から「殻を作られてしまった子供」だったんですね。 殻を破るには、環境を変えるのが一番だと言われています。 例えば、高校から大学に進学し一人暮らしを始め、それまでの自分を誰も知らない環境下で新しい自分を構築した人は珍しくありません。 特に大人しかった人は同窓会で会うと「だれ?」という変貌を遂げていたりします。 親が悲しむから精神科に行けないというのは優しくもなんとも無いということは分かっていらっしゃいますか? 殻を作られた子供は依存心も植え付けられています。 その一方で見捨てられるかもしれないという不安も植え付けられているんです。 言葉というものはとても大切で、呪縛の力を持っています。 本来であれば中学の反抗期で「優しいばかりの自分では無い」ことをアピールしたほうが良かったのかもしれません。 人は誰でも多面性があります。 心理学ではペルソナと申しますけれど、これを上手く使い分けられなくては生きづらくなるでしょう。 つまり、優しいのも自分、優しく無いのも自分。 そういった矛盾を素直に受け入れ認めてあげることです。
補足
ご回答ありがとうございます。 私の両親は、アダルトチルドレンだと思われるモラハラ気味な父親と、共依存質の過保護な母親でした。 父の理不尽には、幼い頃から抗議してきました。 父は自分の理想を押し付け、愛情表現も自己満足なものでした。 ですので、父に対しては殻というよりも壁を作っていました。 母に対しては、どの場面においても父を優先していましたので、依存していたかもしれません。 「親が悲しむから」というのは、優しさから来ている言葉ではありません。 以前、脳神経外科に通った時に、てんかんかもしれないと診断されたことがありました。 その時の両親の反応が、とても負担だったので、もうそうした事態は避けたかったのです。 詳しく書くと長くなるのですが…私を理解できないにも関わらず、なぜか理解していると思い込む父と、その暴走を見ているだけの母に、「心配をかけている」と思うより先に「もうやめて」と思ってしまったんです。 そんな自分も親も嫌なので、病院という手段は避けたかったんです。 ここ数ヶ月、実家からの電話に出れていないのですが、環境を変えたいと無意識に思っているのかもしれません。 きっかけは、姉の言葉を鵜呑みにした両親からの理不尽な叱責でしたが、必要なことだから出れないのかもしれないです。
こんばんは。 参考になるかかどうかわかりませんが、私の経験を書きますね。 私も酷い自己嫌悪で、長年悩み抜いた経験があります。 誰にも言えず、半分引きこもりのような状態が続きましたが、その間、詩や小説や、新聞、ネット上の誰かのブログなどからも、気になったり、心に留まった言葉などをノートに書くようにしていました。 始めは、自分を知り、整理するためでしたが、徐々に自分に向けた励ましのようなものになりました。 そして、ノートに書き溜めていく過程ではっきりと判った事があります。 それは、「私は、幸せになりたい」 ということです。 そういうことすら、自分の為に考えたり、実行してこなかったことに、愕然としました。 その権利があるのに、です。 あなたがここに相談なさったのも、きっとそういう自己表明だと理解していますが、間違っているでしょうか。 ならば、あなたの幸せって、どんなことなのでしょう? 私が自己嫌悪を捨て絶対的自己信頼を得るために実行した(今も実行している)ことは、次のようなものです。 ・人と比べないこと。 ・反省しすぎないこと。 ・愉しむこと。 ・将来の幸せを信じること。 とにかく自分を責めることを、やめることです。 自分をきちんと知った上で、反省しそうになっても、それにこだわらず、やり過ごす。 自信のある人というのは、決して優れた人ではなく、現状の自分を受け入れている人のことだ、ということを肝に銘じることです。 それから、小さな明日の目標を決め、実行し、行動する習慣をつける。 掃除をする、とか、朝食をちゃんと食べる、とか、そういうことです。 大きすぎる目標や、自分に合わない目標は決して立てません。 要は、自分でもやれそうなことをひとつひとつ、やって行きます。 今は、もし何か失敗したり出来なくても、自分を責めたりはせず、「ああ、だめだったな。 じゃあ、次はどうすればうまくいくかな?」 という思考に持って行けるようになりました。 自己否定が強いのは、目標が高すぎるからです。 無理せず、今を愉しんでいいんだ、と自分を許し、甘やかしてほしいと思います。 それがあなたの権利だからです。 ゆっくり、やりましょう。 大人になってからでも全く遅くない、と私は思います。 お役にたてるとうれしいです・・
補足
ご回答ありがとうございます。 自分が幸せになりたいのかどうかは、正直わかりません。 どのような状態が幸せと呼べるのか、想像がつかないので… 人とは比べてしまっているのかもしれません。 元々不器用な上、ここ何年か記憶力が低下し、過眠傾向にもあり、どんどんできないことが増えていて、ますます自己嫌悪が強まっています。 調べても脳波に少し以上が出ている程度なので、ストレスからくるものだと思います。 人よりできなかったり、人のしないような失敗をしてしまったり。 興味や感情の起伏も無くなってきて、ここ一年ほどはなにも楽しくありません。 目標が高すぎるとしたら、「普通」「人並み」を目指し過ぎているのかもしれません。 失敗しても、自分にはできないのだから仕方ない、と開き直るべきなのかもしれないですね。 「何やってもできないんだから、好きなことをする」 「失敗しても、少しずつ上達すればいい」 と誤魔化し誤魔化しやってたのですが、あまりの不出来に行き詰まってしまいました。 どうすべきか悩んで、自分にできる範囲のものを探そうと思ったのですが、姉達には「できないなんてことはない」「もったいない」と言われていました。 でも、やっぱりできる範囲内に目標を設定するべきなんですね。 最近は体調がおかしくて意識が途切れることもあり、生活習慣が乱れていましたが、できる範囲から改善していきたいと思います。
僕も未だ、克服できたとは言い難いのですが、少しでもお役に立てればと思い回答します。 >家族は精神的なものは全て甘えと考えています。 「引きこもりは親への革命」 ニート問題を考えていてこんな言葉を思い浮かべました。 「革命」とは弾圧に苦しみ続けた人々が起こすもので、それには多くの犠牲を払います。 たった一人の革命では、その人本人の人生まで台無しにするものです。 馬鹿らしいですよね。 自己肯定を構築するのに親の支えがあれば理想的ですが、なかなかそうはいかないのが現実です。 で、あれば、成人し、もう子供では無い自分自身を受け止めることから始めてみませんか? 親は関係ありません。親の言葉に振り回されないことです。 >ちなみに、理解者はいません。 後ろ盾などなくとも否定する者から離れれば、落ち着いて周囲を見渡すことが出来ます。 友人はどうして質問者様の友人でいてくれるのでしょうか? 質問者様を認めているからではありませんか? 20代まで育ててくれた親への恩返しは親の介護が必要になった時にしましょう。 それまでは親のことを忘れて下さい。
補足
ご回答ありがとうございます。 親も完璧ではありませんし、構築された価値観を変えて欲しいとは思いません。 けれど、私が精神科に行くとなれば、知られてしまうのは確実です。 煩わせて、「自分の教育が悪かった」と変に落ち込まれたくはないんです。 引きこもりになりそうなのは、なにか訴えたいからではなく、外に出るのも人と接するのも辛くなってきたからです。 友人達とは、もう三ヶ月ほど連絡を取っていません。 今思えば、私は小さい頃から友達にも大人にも「優しい」と言われていて、それだけが誇れるものだとしていたんだと思います。 弱い面を見せたくなく、自分の幸せが望めない為、人の幸せだけが人生の目標で、人を元気付けることに力を注いでいた節があったので、そういう「作られた顔」を好んでくれてたんだと思います。 親もそうなんですが、80歳を過ぎた祖母が居り、実家から気持ちが話せません。 物理的には遠いんです。 確かに、離れてからだいぶ楽になっていたと思います。 でも、早く実家に帰らなきゃと思っていて、結局気持ちは離れ切れていません。 なんだか話がどんどんそれてしまって申し訳ありません。 とにかく、親も家族も友人も切り離し、私個人で克服したいんです。 でも、親兄弟には否定されることが多いんです。 やっぱり、一から高い自己肯定感を構築するには、全ての人間関係から離れるべきでしょうか。
- HeyXey
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人が自分の指示通りに動いてくれたら、人生はすごく面白いんだろうなって思います。 もしかして、あなたは‘頼み下手’ではありませんか?。他人に期待しないと言うより、他者に対して淡白で、ギブ・アンド・テイクでしか頼みごとが出来ないのだとしたら、無力感を感じるのも無理ないでしょう。僕の父親は頑固で、母親は建前主義の人でした。もしこれが、上手いことを言って頼みごとをしたら、『しょうがないなぁ^^』と言いながらも言うことを聞いてくれる親だったら、頼みごとのテクニックを磨けたかもしれないと、よく考えたものです。 自分への自己評価は、他者の自分への態度を見て理解するのです。言うなれば、他者を鏡として「自分とは何者か?」を知るのです。これは、ジャック・ラカンという人が言っていることです。ですから、頼みごとの成功体験、失敗による無力感が影響していると考えた次第です。 世の中の男性は、頑固な人ばかりではありません。お互いが影響しあって成長していくのです。 Kylie Minogue - Got To Be Certain どうして自殺願望があったのでしょう。よかったら。。
補足
ご回答ありがとうございます。 頼み事ですか…確かに、苦手です。 でも、親との関係で苦手になったことと言うと、むしろ身体の不調を訴えることの方が先に浮かびます。 自殺願望は、なぜかはずっとわかりませんでした。 物心ついた頃から、自分は死ななくてはならないと、漠然と思っていました。 子どものうちに死ななきゃ、いや、でも生きてればいいことあるかも、みたいな… 大人になってからは、ここまで生きたら生きるしかない、と思うようにしているのですが… 最近、自己肯定感が低かったのかな、と思い至りました。
- birth11
- ベストアンサー率37% (82/221)
本「嫌われる勇気」 (自己啓発の源流「アドラーの教え」)(ダイヤモンド社) 定価(本体1500円+税) を読まれることをお勧めします。この機会に。 2回ぐらい読めば大体はご理解可能かと思います。 哲人と青年の対話式になっていて読みやすいと思います。 哲人は言います。「世界はシンプルであり、人生もまたシンプルです」 ここから話が始まります。是非お読みください。私が話すより本を手に取り読んだほうが分かりやすいと思います。
補足
ご回答ありがとうございます。 本屋で探してみます。
- kaitara1
- ベストアンサー率12% (1154/9141)
やはり自分ができることを丁寧に繰り返すことによって自分の実在性を確認するというのがよいかも。
補足
ご回答ありがとうございます。 確かに「できる」という経験を積ませることが子どもの自己肯定感の向上に繋がるそうですね。 私は自分にできることが何もないと思っているのですが、何か探してみようかと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 何一つ、失礼とは受け取っていません。 見も知らぬ私の告白を聞き、相談に乗ってくださり感謝しています。 ほぼおっしゃる通りだと思います。 人に優しくあろうとしたのは、自分ばかりの父親に対する嫌悪から、「私はそうはりたくない。人の気持ちを優先したい」とばかり思っていたからである気がします。 私は末の娘ですから、両親も兄弟も私に愛情を注いでくれていたと思います。 一番上の姉からは、嫉妬と妬みが強かったですが…全く可愛がられなかったわけではありません。 ただ、父の「父親だから偉い。誰も逆らうな」というスタンスから、父より母は下、親より子どもは下、姉より妹は下、と…一番下の私の意思が抑えられただけだと思います。 でも、結果として、「自由な意思」=「生意気」というのが染み付いてしまったのかもしれません。 ご回答を受け、父親のような自己中心的な人物になりたくないという気持ちと、親や家族に批判されない(認められる)像にならなくては、という二つの理想像に囚われ、自分を見失ってしまったのかな、と思いました。 確かに、現状は鬱によく似ていると思います。 低血圧症もひどく、ここ最近は本当に大変でした。 体も気をつけないと、悪循環になりますね。 考える時間を減らして、体を気遣ってみようと思います。 共感してくださる方がいるのは、とても心強いことですね。 ありがとうございました。