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精神的にどこか問題があるのでしょうか。
自分でもどうしても理解しがたいことがあります。 私はADDで、某コミュニティーサイトに参加しているのですが、 そこで誰かが 「ある本を読んで私はADDでは?と感じ、 チェックをしてみると当てはまるところが多いので 病院で診断してもらいたい」 というような書き込みをしているのを見た時、 素直に 「ああ、私と同じように生きづらさを感じたり、 しんどい思いしてる人が結構いるんだな」と思ったのですが、 それと同時に、心のどこかで、なぜかはわからないのですが、 「当てはまるって言ったって、せいぜい半分ぐらいでしょう? それなのに、ADDかもなんて、なんかみんな流行みたいに 自分も、自分もって。私なんか全部当てはまってるよ! というより,これはまさしく私のことだ!というぐらい しっくりくるよ。」という、へんな感情がわきあがってきます。 投稿している人たちは、本当に自分にぴったり 当てはまっているんだと思うんです。 そもそも、本を読んだりチェックリストで当てはまる点が多いから、みんな「もしかして自分も?」と思うわけですし、 私だって同じです。 にもかかわらず、そんな考え方をしてしまううんです。 ただ、本心でそう思うわけではなく、 素直に「ああ、私と同じように生きづらさを感じたり、 しんどい思いしてる人が結構いるんだな」と思う気持ちのほうが 強いんですが・・・ そして、そんな風に思ってしまった事がすごく嫌で、 「あたしは何でこんなに意地悪な考え方をするんだろう」と 落ち込んでしまいます。 日常でもそういうことがあって、 例えば友人が「仕事したいんだけど子供も小さいし なかなか難しいわ」と言うのをきくと、 共感しているのになぜか「そうだよね。わかるわ~。 でもあなたは大学(短大)出てるんだからいいじゃない。 私は高卒だから尚更難しいよ」というふうに、 相手より劣ることを強調する傾向があるんです。 相手よりできること、優れていることを強調するというほうが (それは”自慢”で、あまりよいことではないにせよ) 普通だと思うのですが・・・ 他にも、 眠っている時に見る夢がカラーか白黒かという投稿に対して、 「カラーの夢しか見たことがありません。 白黒の夢があるということを今知って驚きました」 みたいな書き込みがあるのを見ると、 自分と同じだとか、カラーの人も意外といるんだななどと 共感する反面、 「私なんて物心ついたときから今まで一度たりとも 白黒とか、セピア色すら見た事がないわ! みんな、カラーっていっても一度ぐらい白黒あるんじゃない?」 とか、 「私なんて一度たりとも白黒とか、セピア色すら見た事がないうえ、他人と夢を共有するという不思議な現象もあるし、 (関係ないのに)共感覚も持っている変わり者なんだよ」と思ったりするんです。 いずれにせよ、共感や同情するという気持ちのほうが 大きいのですが、同時に一瞬、相反する感情が心をよぎるんです。 そしていつも自己嫌悪に陥ります。 あと、 自分が買い物に行く時に、 最近赤ちゃんを産んだばかりの友達に、 「今から買い物に行くから、あなたの分も言ってくれたら 一緒に買ってくるよ」というようなメールをすると、 「お気遣いありがとう。でも大丈夫だからいいよ」 という返事をもらったり、 「幼稚園に子供を迎えにいくついでに○○ちゃん(その友人の子供)つれて帰ってこようか」と言うと、 「ありがとう。でも○○さんに頼んであるからいいよ」 というような返事をもらったりすると、すごくショックです。 友人はちゃんとありがとうと言ってくれているし、 本当に私が好意で言ったことに対して感謝してくれているのに、 「何で私を頼りにしてくれないんだろう。」とか、 「私じゃ当てにならないと思ってるのかな」などと 思ってしまったりして、 そんな風に思う自分がすごく嫌になることも度々あります。 いったいこんな考え方と言うかこんな感情は何なのでしょうか・・・ 精神的に何かあるのかな?と気になります。 どなたかよきアドバイスをお願いします。
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私も質問者様と同じような立場、似たような性格かなと思いましたので、少しアドバイスさせていただいてもよろしいですか。 本当に、そのような感情は私も感じることが今までありました。 でも最近はそのような気持ちは自然と沸いてきません。 精神的に大人になったのかとも思ったのですが、ある友人のことを、本当に信頼できると理解した瞬間、 今まで感じていた相手に対する嫉妬に似た気持ち、自分を卑下しているくせに偉そうに主張することはなくなったんです。 私は、ちょっとこの性格を、認めて欲しかっただけなんですよね。 私はADDではなく別の障害があるのですが、少数派ということもあり、つい人と違うということに敏感になってしまったりしているのかもしれません。 人と違っていてもいい、それが個性、そう自分だけでなく他人も認めてくれたら、ADDの生き辛さを誰かにもっと分かって欲しいという気持ちもあるのではないですか? ADDのことを最初に質問者様が述べていることから感じ取れます。(違っていたらすみません) 精神的に問題あり、ともなし、とも言い切れないのですが、異常とは感じません。 ただ、支配的になることで快感を感じる性格なのかもしれません。 支配したいからこそ、否定されるとすごく傷つくという・・・。 私の場合はそれで、それをうまく発揮すれば仕事で成功するかも?と同じく私は言われたことがあります。
- furi_sippo
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>相手よりできること、優れていることを強調するというほうが >(それは”自慢”で、あまりよいことではないにせよ) >普通だと思うのですが・・・ それもそうですが、「自分の方が劣る」というのは、言い換えれば「自分の方が辛い」 「自分の方が愚痴を言いたい立場なんだ」「自分の方にこそ同情したり優しい言葉を 言ったりして欲しい」という事でもあり、こういう気持ちは多かれ少なかれ誰にでも 経験のある事ではないでしょうか? あなたの場合、偉いなと思うのは、 >いずれにせよ、共感や同情するという気持ちのほうが >大きいのですが、同時に一瞬、相反する感情が心をよぎるんです。 と書かれているように、ちゃんと共感や同情の気持ちを持っているという点、特に ADDのチェックリストのところで詳しく書いていらっしゃいますが、相手の状態を きちんと思いやって理解を示している点で、それだけでもあなたに大きな人格的な問題は ないと考えていいと思います。 あなたは決して「自分の方が!」と人に押し付けようとしているわけではないし、ご自分の そういう心の動きを嫌だと思っているのも、むしろバランスの取れた感覚だと感じました。 ただ、精神的に問題があるとまでは思わないけれど、とっても健全でベストな状態とも 言えないですよね。お書きになっていらっしゃるように、自分を悪く考えたがる傾向は 確かにあるんだろうなと思います。 しかし、これは受け止め方次第で長所に変えられるのではないでしょうか。 自分を悪く考えて、それを人に押し付けて同情を要求するのならば迷惑になる事もある かもしれませんが、あなたはそうではないし、自慢ばかりで何ひとつ反省しない人も 世の中にはたくさんいるわけで、それはそれで迷惑だし嫌われるでしょう。 「自分を悪く考え過ぎる」ではなくて、「相手の恵まれた点や良いところを見つけるの がうまい」と捉えてみてはいかがでしょうか? それと、医者ではない私がいい加減な事を言ってはいけないと承知していますが、ADD のかたの場合、病気の症状のせいで、生きづらさを感じたり苦労をした経験が影響して、 自己評価が低くなる・・・自信のなさを感じやすくなるという傾向が一部にあるとききました。 (必ずそうだと言っているわけではなく、そういう事もあるようだというだけの意味です) もし、あなたにもそういう傾向があるのだとしたら、あなたのせいではないのだし、 悩まなくていいと思います。「傾向」くらいあったとしても、上に書いた通り、あなたは ちゃんと抑えてバランスを取っているし、個性として生かす事は充分可能でしょう。
あまりはっきりした意見ではないですが、自分と自分の所有物とをごっちゃにしているように思いました。またその所有物が少ないほうが良いもの(あるいはたいしたことがないもの)であるのに、多いほうが安心するようなちょっとさかさまなような感じもしました。同時に自分(の所有物)があまり他の人から信頼も期待もされていないことにも敏感に気がついていると思いました。おそらく自分にはハンディがあるのだから人並みに生きていることをもっと高く評価したいという望みがあるのではないでしょうか。よく手術の跡が多いことを自慢する人がいますが、大切なのは跡の数が多いことではなく現在普通に生きていることですし、またそのこと自体は対して評価を期待することではありません。結論的には自分と自分の所有物をきっちり分けることと、良いもの楽しいものを求めることではないでしょうか。