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長銀破綻と山一証券廃業での国の対応の温度差とは?
- 長銀破綻と山一証券廃業では、国の対応に温度差があった。
- 長銀破綻時には多額の血税が投入され、預金保護が行われたが、山一証券廃業時は税金の投入は不明。
- 両者は銀行と証券業者の違いがあるが、国の対応に温度差を感じる人もいる。
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●山一証券破綻後金融再生法ができた● 長期信用銀行の破綻処理と山一証券の破綻処理の仕方が違うのは、処理のための法律が違っていたからです。1997年には、11月3日に三洋証券が破綻し、11月7日には北海道拓殖銀行が破綻した。そして山一証券は12月24日に破綻。このため、金融機関が破綻した場合、その影響を最小限にとどめるために、翌1998年10月に、「金融再生法」「早期健全化法」が成立した。そうして、その法律により、長期信用銀行は同1998年10月に国有化が決定した。 もう少しくだけた表現をするならば、山一証券の場合には破綻処理の法律が整っていなくて、どうしたら良いのか分からなかった、というのが正直なところだと思います。 「破綻」という表現を使いましたが、山一証券の場合は「自主廃業」です。それは「債務超過ではないが、これ以上経営を続けることはできないので、廃業します」ということだ。けれども実際は債務超過であった。従って、本来であれば、破産処理をしなければならなかった。それなのに「自主廃業」とは何故か?それは、三洋証券の場合、破産処理のため債権・債務が裁判所管理になった。このためコール市場で三洋証券が他の金融機関から借りていた、無担保オーバーナイトが回収不能になり、戦後初めてコール市場でデフォルトが起きた。これが金融市場に大きな不安を与えた。このため、山一が同じことにならないよう、当時の証券局長長野彪士が債務超過であることを知っていながら、債務超過ではない「自主廃業」をすすめた。 山一と長銀はたった1年の差ではあったのですが、その間に金融不安が大きくなり法律が整備され、そのために対処の仕方が違ったのでした。 これらに関しては、ウィキペディア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8 で、これらの言葉をキーワードに引くと、多くの情報が得られます。
お礼
回答ありがとう御座いました。大変良く分かりました。 >長期信用銀行の破綻処理と山一証券の破綻処理の仕方が違うのは、処理のための法律が違っていたからです そうなんですか。救済の根拠となる法律が異なっていたのですね。長銀が官僚の天下りポストを多数所有していた一方、山一が少なかったりしたのかと思いました。 >山一と長銀はたった1年の差ではあったのですが… たった1年の差で天国と地獄ですね。法律が整っていれば血税3兆投入も許されるのですから… 今更ながら法の権力を思い知らせれました。 ありがとう御座いました。