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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:長銀破綻と山一証券廃業とでは国の対応に温度差は合ったのでしょうか?)

長銀破綻と山一証券廃業での国の対応の温度差とは?

このQ&Aのポイント
  • 長銀破綻と山一証券廃業では、国の対応に温度差があった。
  • 長銀破綻時には多額の血税が投入され、預金保護が行われたが、山一証券廃業時は税金の投入は不明。
  • 両者は銀行と証券業者の違いがあるが、国の対応に温度差を感じる人もいる。

質問者が選んだベストアンサー

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  • hirosi3
  • ベストアンサー率50% (72/143)
回答No.1

●山一証券破綻後金融再生法ができた●  長期信用銀行の破綻処理と山一証券の破綻処理の仕方が違うのは、処理のための法律が違っていたからです。1997年には、11月3日に三洋証券が破綻し、11月7日には北海道拓殖銀行が破綻した。そして山一証券は12月24日に破綻。このため、金融機関が破綻した場合、その影響を最小限にとどめるために、翌1998年10月に、「金融再生法」「早期健全化法」が成立した。そうして、その法律により、長期信用銀行は同1998年10月に国有化が決定した。  もう少しくだけた表現をするならば、山一証券の場合には破綻処理の法律が整っていなくて、どうしたら良いのか分からなかった、というのが正直なところだと思います。  「破綻」という表現を使いましたが、山一証券の場合は「自主廃業」です。それは「債務超過ではないが、これ以上経営を続けることはできないので、廃業します」ということだ。けれども実際は債務超過であった。従って、本来であれば、破産処理をしなければならなかった。それなのに「自主廃業」とは何故か?それは、三洋証券の場合、破産処理のため債権・債務が裁判所管理になった。このためコール市場で三洋証券が他の金融機関から借りていた、無担保オーバーナイトが回収不能になり、戦後初めてコール市場でデフォルトが起きた。これが金融市場に大きな不安を与えた。このため、山一が同じことにならないよう、当時の証券局長長野彪士が債務超過であることを知っていながら、債務超過ではない「自主廃業」をすすめた。  山一と長銀はたった1年の差ではあったのですが、その間に金融不安が大きくなり法律が整備され、そのために対処の仕方が違ったのでした。  これらに関しては、ウィキペディア  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%B8  で、これらの言葉をキーワードに引くと、多くの情報が得られます。

noname#46689
質問者

お礼

回答ありがとう御座いました。大変良く分かりました。 >長期信用銀行の破綻処理と山一証券の破綻処理の仕方が違うのは、処理のための法律が違っていたからです そうなんですか。救済の根拠となる法律が異なっていたのですね。長銀が官僚の天下りポストを多数所有していた一方、山一が少なかったりしたのかと思いました。 >山一と長銀はたった1年の差ではあったのですが… たった1年の差で天国と地獄ですね。法律が整っていれば血税3兆投入も許されるのですから… 今更ながら法の権力を思い知らせれました。 ありがとう御座いました。

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