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中州である中之島に敢えて建物を建設するのはなぜ?

大阪に出張や旅行に行く度に不思議に思うことに「中之島がなぜ古くからひらけているか?古い建物が集中しているか?」があります。 中之島は堂島川と土佐堀川の間(旧淀川の)中州なのでしょうが、普通、川の中州といえば砂地であまり地盤がよくないように思うのです。 ニューヨークのマンハッタン島のように岩盤で構成されているというのであれば理解できるのですが、百科事典等を読む限り地盤が堅固であるという記述は読み取れませんでした。 にもかかわらず、江戸時代から蔵屋敷が並んでいたり、時代が下った後には、府立図書館や市公会堂、市役所(旧庁舎)などの公共施設が建っているというか、敢えてその地に建築しているようにすら思います。 それはなぜなのでしょう? 蔵屋敷は、コメの運搬など水運を利用する必要があるでしょうから、洪水等のリスクをある程度甘受してでも川岸に建設することは理解できますが、公共的な建物は皆が集まりやすい旧市街地(低地)に建設するとしても、その中ではやや高台状になっているところを建設地に選定するのが常道のように思います。 大阪市内の地理には疎いのですが、梅田から淀屋橋にかけては、大阪城近辺や難波・阿倍野よりは相対的に高台に位置するのでしょうか?

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  • sabashio
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回答No.1

大阪の「くいだおれ」の語源は「杭倒れ」と言われる街です。 川が多く、地盤が緩い街です。大きな筋も昔は川です。市街地全域が河川と水路に囲まれていた街です。 http://www.pref.osaka.jp/nishiosaka/3kikaku/ 中ノ島は淀屋が干拓した人工島です。地理や地学でいう所の中州とは違うものです。 淀屋が蔵屋敷を建てて発展をもくろんだわけだから、行政的な意味合いはあまり無かったんだと思います。 また、標高に関しては http://www.gsi.go.jp/WNEW/PRESS-RELEASE/2006/0830-1.htm 見ていただけると分かるのですが、市街地のほとんどが低地です。 限られた台地部分のみを選んで行政施設を建てるというわけにもいかない、大阪の事情があるんでしょう。

nobiinu1972
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 リンクを辿りました。確かに大阪城は上町台地の北縁にあり、私の持つイメージと合いました。 近代以降はお城の側よりもむしろ、経済の中心地に公共施設を持っていった、ということでしょうか。確かに、東京の都心部も江戸時代初期には海辺か、あるいは入江ですね。

その他の回答 (1)

noname#204885
noname#204885
回答No.2

地震については、中之島が文化の中心地となった近代以降、大阪は大地震を経験していないと言うこともあるのだと思います。 ただ、大阪市の地震被害想定図を見ても、上町断層(天神橋筋~松屋町筋の直下を通っている大阪最大の断層)が微妙に中之島をずれていることもあり、中之島が最大の被災地と予想されているわけではないようです。(扇町の付近と船場~日本橋の近辺が最も震度的には大きいと予想さているようです。)液状化等の現象は起こると思いますが。 http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/200610/news1031.html

nobiinu1972
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 地震もそうですが、市中心部では河川の氾濫の話もあまりききませんので、相対的に危険度が低いのかもしれませんね。

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