部分社会の法理について、簡単にコメントいたします。
憲法は、ご存知のとおり非常に簡単かつ抽象的な規定を並べています。したがって、誰かがこれを解釈することで補ってやる必要があります。この「誰か」の役割を果たす者(機関)で特に重要なのが、裁判所です。
部分社会の法理は、裁判所の憲法解釈から導かれるものです。したがって、憲法の条文よりもむしろ、憲法判例集や憲法の解説書などに書かれています。
裁判所は、法秩序の多元性を前提に、団体ごと、部分社会ごとに法秩序が存在することを認めています。そして、そのような法秩序が存在する団体については、その自主性・自律性を最大限尊重し、団体の内部問題である限り司法審査は及ばない、としています(最判昭和35年10月19日、最判昭和52年3月15日、最判昭和63年12月20日など)。
今回の件についても、協会には自主性・自律性があり、かつ解雇のように協会から一般社会へ放り出す処分ではありませんから(前掲最判昭和52年3月15日参照)、今回の処分に対しては司法審査が及ばず、したがって憲法問題も生じないし、その他の法律問題も生じない、といえます。
もっとも、契約法理で違法性を問える可能性はあります。つまり、協会と朝青龍との間で何らかの契約関係が認められた場合でかつ契約時点において処分基準がある程度明確であった場合には、重すぎる処分につき、公序良俗に反し契約法理上無効に出来るかもしれません。ただ、部分社会の法理を乗り越えて契約法理に持ち込むためには、それなりの強い契約関係を見出す必要があります。
この点、会社と従業員の関係なら、雇用契約という明確な契約関係を見出すことが出来ますから、過度の処分内容は無効に出来るかと思います。まして、雇用関係は労働法の適用がありますから、重すぎる制裁は禁じられることになります。
しかし、協会と相撲取りとの関係は単純な雇用契約ではないと思われますから、契約法理や労働法の適用は難しく、むしろ部分社会の法理の適用があるように思います。
補足
帰り道に寄り道するな、くらいなら分かりますが、帰宅後も休日も一切外出してはいけないとなったら、結局1日24時間拘束がずっと続くということになります 企業の従業員が何か不始末を起こしたからと言って、(今回はそもそも外出禁止という懲罰は協会の内規にすら無いわけですが)企業の内規に設けさえすれば、どんな私刑でも解雇との二択にして突きつけてよいということになるものでしょうか