プルターク『英雄伝』
これは#2さんの『自省録』とは違った意味で、人間とはこうも崇高になれるものかということを教えてくれました。ベンジャミン・フランクリンの『自伝』によると、彼がこの本を15才で既に読んでいたことが切っ掛けで、フィラデルフィアの市長さんの家の出入りが許されるようになったそうです。
モンテーニュ『随想録』
モンテーニュは懐疑論の実行者として、それを行き着く所まで押し込んでくれました。彼の座右の銘「われ何をか知る」の回答としてデカルトの「コギト・・・」が引き出されたとされています。この本は、どんなに説得力のある論理を提示されても、それと反対の結論に導く論理を、これまた説得力ある論理として提示することができることを、実例で示してくれます。自分の論理に恍惚としている学者や、黒を白と言って他人を言いくるめようと心がけている弁護士たちの、必読の書です。ただし、いや、だからこそ、読後感に虚しさが漂い、『新約聖書』の清々しさとは反対な読後感を味わってしまうでしょう。同じような清々しさを味わえる名著として新井白石『折りたく柴の木』(現代語訳あり)も推薦できます。また、この随想録は西洋文化の土台を提供したギリシャ・ローマの名著を知る良い入門書にもなっています。
北畠親房『神皇正統記』
南北朝時代の、歴史家でもない武将が戦争の合間に書き上げた本です。この当時、彼らにとっては世界史とも言えた中国史を見据えながら、彼の史観に基づいて日本史を書き上げました。史実の正否はともかくとして、700年前の日本人の文化的な質の高さに舌を巻きました。これだけスケールの大きな、そして奥の深い日本文化の中に生まれて来た幸運を感謝させてくれた本でした。
人間の崇高さは三冊ぐらいで尽くせるものではありませんが、それを切っ掛けに読書が広がり、先人達が血の涙を流しながら手に入れて来た人類の巨大な知的財産を堪能できる人生を送れるようになることを願っています。
お礼
回答ありがとうございました。