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昨日の続きです。
僕は19歳の時、原因不明の心の弱りように悩みました。ベッドに寝っころがっていただけなのに、突如心が弱り始め、(心からスーっと力が抜けていく感じ)「やばい!」と思い必死で腕立てをしていたのですが、効果なく弱ってしまいました。それからいじめが怖くなりました。弱った心をさらに弱めて楽しむ輩(総じて優しくない人たち)いますよね? 腕立てが役に立たなかった僕は本屋に行き本に助けを求めました(一人暮らしで友達もいなかったし、相談するする能力もなかったと思います)。「心が強くなる本」というのと、「心に力が湧く五つのヒント」という二冊を買い読みました。 どちらも現実逃避と呼ばれる事物は悪とみなして書かれているし、後者の本には{現実を見さえすればいい}とあり、僕は影響を受け、現実を見るようになりました。後者の方はあくまで「ヒント」というタイトルというところを冷静に考えれなかったあたり、若かったし、わらをもつかむ心境だったので、「現実を見さえすればいい」というのを答えと勘違いしてました。その結果だけでもないのですが(戦うタイプじゃないなんていわれたことあります)、自覚症状として寂しさから確実に弱気になってます。(ビール飲んでできた心だと強く出れるという自覚はあるんですが、苦味が人を作ったように思えるタイプを僕は父親との関係上認めてませんので)(父親との関係上というのはこの悩みに興味持ってくれた人いたら、明らかにしようと思います) そこで相談です。僕と現実を見るという折り合いはどうつけたらいいでしょうか?19歳の頃のようにいじめに怯えることは無いほど、心強さ回復してて強くも弱くもないような、ボーダー的心理になってると思います(へこんだり、ブルーになたりってことがなければ・・・) 現実を見さえすればいいと答えのごとき書き方なのに、ヒントというタイトルの本、作者に腹立つときもあります。これはわかってもらえるでしょうか? 心の弱りようからいじめに対する(優しくない人たちへの・・・過去に実際いじめを受けてます)恐怖、そこから来てた努力。 その努力が自分の望むように心強くなる方向に向かってないのです。 何度も書きますが、僕と現実を見るというおりあい、現実逃避と呼ばれる事物とのおりあい。自分では分かってるつもりです。現実見るばっかりじゃなくなりゃいいのでは?と。ただ、二冊の心強さに関しての本に書いてあった文章が強いんです。 はっきりさせたいことは、本にある「現実をみることが心を強くさせる」ということが正解なのか間違ってるのかということ。僕には両方当てはまるように思えてます。 ぐちゃぐちゃになってきました。今日のところはこれまでにします。 結局、僕と現実をみるという折り合い、現実逃避とよばれる事物とのおりあいはどうつければいいのでしょうか?これが今一番聞きたいことだと思います。 (優しい人と出会えば・・・友達できれば一発解消ちゃうん?と思われた方いるかもしれませんね)
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- nishikasai
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あなたは考えすぎている。良くない。結論でないよ。 スポーツやってみたら? たとえば区営プールなんか200円で泳げます。ジョギングもいいし、テニスもいい。テニススクールでも入ってみたら?
お礼
回答ありがとう。考え過ぎですね。ジョギングします。