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異常な部分を具体的に知りたいです
先日、下記の質問をさせて頂きましたところ、異常性を感じるとのご回答を頂きました。 自分でも怒りっぽく、他人に対する許容が出来ないのは自覚していますが、今後の人生の事を考えますと、このままでは怒ってばかりで楽しくありませんので、治るものなら治したいと思っています。 その為にはどこがどのように正常で無いのか知らないと治療の方向性も見つからず、困りますので是非ご回答頂ければ嬉しく思います。 異常かどうか疑いを持っていての質問ですので、異常性を厳しく批判するご回答はご遠慮願いたいです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3069390.html
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前のご質問も拝見いたしました。 合わせてたくさんの有益なご回答が寄せられていますので今更とも思いましたが、少し違った視点から私見を述べさせていただきたいと思います。 まず、ご質問やお礼の文面からtukicoさんが異常という評価をすることは全くの思い違いであろうと考えます。 では、なぜ思い違いをするのかといえば、思い違いをする人にとっての価値観がtukicoさんのそれと食い違っているからでしょう。 どのように食い違っているかというと、端的に申し上げれば日本人の一般的な自我と超自我との対決といった風情があるでしょうか。 人の精神性は大雑把に 本能(快・不快) 自我(損・得) 超自我(善・悪) の3層に分類可能だと思われます。 国家に例えれば、 本能(国民) 自我(議会) 超自我(君主=天皇) といったところでしょうか。 それぞれ行動の規範とするところが幾分違っているということです。 しかし、実際にはこれら3要素は一人の人間の中に包括されているものですから、誰しも持っているものであり、また誰しもそれらの綱引きに悩みつつ最終的に自我による決断を下しているわけです。 君主というのは大体理想を要求しますが、きれいごとだけでは国は立ち行かないために議会が適当なところで調整し、国民的要求も満足させるようなところで何とか決着させて国政が実行されていることになります。 本能の赴くままでは社会が築けないのは当然ですし、理想だけでは国は立ち行きませんが理想が貶められると国は腐敗する、といったような感じになるでしょうか。 つまり、君主が理想論を持ち出して、議会の反発を食らっているといった印象です。^^; しかし、君主が異常なのではなく議会にしてみれば現実味に乏しいという主張なのでしょう。 一部急進派の議員が異常だという野次を飛ばしているとお考えになるのがよろしいかと。 「>自分でも怒りっぽく、他人に対する許容が出来ないのは自覚していますが、今後の人生の事を考えますと、このままでは怒ってばかりで楽しくありません」 :とおっしゃるのは非常に謙虚な文言でして、ますますあなたの超自我性が明白になっているように私には感じられます。 超自我というのは基本的に善悪に関与する精神の動きと想定されますが、その実態は規制だろうと思います。 何を規制するのかといえば先に述べた本能的感情です。 乱暴に言うと、自我というのは本能的欲望と超自我的規制を取りまとめうまく両方の顔を立てるような決定を行い、個人の言動として実現化していることになります。 ですから、健康な人というのは、 「自分にとってなるべく心地よく、自分にとってなるべく得になって、そしてなるべく他者に迷惑のかからないこと」 をしようとするものです。 本能・自我・超自我のバランスが取れた状態です。 しかし、完璧なバランスを保つことは不可能ですから、必ずどの要素かが大きすぎたり小さすぎたりするのが普通です。 超自我と本能的欲望が大部分で重なってしまう人の場合、自我が強ければ犯罪者となり、自我が弱ければ神経症になるでしょう。 本能的欲望とある程度の超自我を保持しつつ現実を逞しく渡っているのが現代人の実態ではないかと思いますが、どちらかといえば自我が大きい方が多いということは言えそうな気がします。 あなたの場合はおそらく超自我が大きいのだと思います。 自分の欲望を抑圧(規制)することが善という価値観を、やや強目に体験してきたのかもしれません。 これは一見すると、あなたの超自我が他者の無法を許さないという構図に見えないこともありません。 実際そういう面もあるでしょう。 ただ、私としては、むしろあなたの超自我を肥大させ、あなたの数々の内なる欲望、欲求、要求などを強制的に抑圧してきたもの(者)。 つまり、あなたを支配しようとしてきたものと、他者を誤認してしまうのが、他者を許せないことの原因ではないかという気もします。 あなたに恩を着せようとするもの(あるいは、そう解釈できるもの)とは、すなわちあなたを支配しようとするものだと捉えるのだろうと思われます。 人は誰しも先の3要素のバランスをかろうじてとりつつ生きているのでしょう。 どんな場合であれ、その意味では誰しもみな同じ形態での生を生きているのだと思います。 あまりお役に立てなかったかもしれませんが何かのご参考になれば幸いです。
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- yukarikihara
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たびたび失礼します。 下記URL、問題点や質問者のタイプは少々違いますが、tukicoさんに参考になると思われる良回答が幾つかありますので時間があれば読んでみて下さい。 特に#11の回答前半部はあなたにお勧めです。
お礼
ご回答有難うございます。 こちらの都合でお礼が非常に遅くなりまして申し訳ございません。 参考URL是非参考にさせていただきます。
- yukarikihara
- ベストアンサー率11% (42/359)
「人間の性格を治す(直す)」などと言う発想はしなくて良いと思います。貴方は故障などしていないのですから。 みんな変わりものです。「偏りのない平均的な人間」などいないのです。 些細な事に憤りを感じるのも「貴方」であって、それが性格です。 起こってしまう感情をコントロールする事は難しく、まずはそれを受け入れるところから始める事が大事なのではないかと思います。 「貴方は貴方のままで良い」まずはそう思ってみて下さい。 「治さなければいけない」がスタートになると、その事自体が辛い事になります。
お礼
ご回答有難うございます。 こちらの都合でお礼が非常に遅くなりまして申し訳ございません。 参考URL是非参考にさせていただきます。 自己受容が出来ないことが問題なのですか? 世の中、自分の都合の良いように物事を解釈している人が少なくない事を色々な人との出会いで知りました。 羨ましい反面、度を過ぎれば「裸の王様」みたいに周囲には映るのでああはなりたくないとも思います。でも、本人はきっと楽なんだろうなと思うと羨ましい気持ちにもなります。
- ruitarou
- ベストアンサー率44% (258/579)
私は、質問者さんは、少し異常かなと思います。(善悪は別として) 私は流通業で働いていますが、わけの分からない難癖をつけるクレーまーもどきの消費者、無茶な要求をしてくる取引先、注意すると逆ギレする若いスタッフなどの対応を毎日しています。 ほとんどの人がそんな環境でも特に怒ることなく冷静に仕事をこなしています。 質問者さんから見て友達や姑の言葉は、納得できないかもしれませんが、その程度のことで友達をなくすほど腹を立てる人は、ほとんどいません。 この点が異常だと思います。 言葉について言えば正確な正しい日本語を使って生活している人はほとんどいません。 社会人に敬語のテストをすればほとんどの人が50点以下だと思います。 それでも特に大きな問題なく生活をこなしているのは、多くの方が失礼な表現があっても黙認してくれているからです。 他の言葉についても同じだと思います。 ここからが私の考える対策です。 「人々が住む荒野には、岩や棘など危険に満ち満ちているが、そのすべてに羊の皮を敷くわけにはいかない。ただ羊の皮で作った靴を履くことができる」 同じようにこれからも質問者さんに失礼な表現をされる方は、たくさん現れると思います。 質問者さんがすべきなのは、羊の皮で作った靴を履くことです。
お礼
ご回答有難うございます。 こちらの都合でお礼が非常に遅くなりまして申し訳ございません。 >羊の皮で作った靴を履くことです。 具体的にどういうことでしょうか? 大体仰る事のニュアンスは分るのですが、もう一つ意味を深く理解できずに居ます。
- flavas2
- ベストアンサー率63% (200/317)
相手を不快に思っても子供なら言って聞かせることが出来るでしょうけれど社会は大の大人ばかりです。皆それぞれ自分が正しいと思って生きているわけで。それでみんな頑張って生きているわけですから他人を捕まえて間違っているとは滅多に言いませんよ。 周りや相手を変えることは難しいけど、自分を変えることはできるんですよね。頑張ってください。 「世の中絶対的に正しい」ということはないですから自分の考えが正しいと思っても賛成してくれる方反対してくれる方両方出てくるでしょう。自分を変えようと思うなら異見にこそ目を向けないといけません。自分に同調してくれる意見では、同類相憐れんでるだけでは、なんら改善もできません。批判の方が多いというのなら他人と比べて自分が間違っているかもしれない部分があるということです。他人の話の中、自分の立ち居地を知って意見を通したり、折り合いを付けていくのが協調性であったり、社会性であったりします。 異常というより社会性の問題なのでしょうか。私は他人を見るときこの人はコミットしたいのかコミットしたくないのかという点で見ます。 仲良くしたいと思っているなら言葉の綾や言動なんてさほど気になりませんし、反対に些細なことで怒り出す人はこの人は仲良くしたくないんだなと思い距離をとりますね。どちらかというと私はtukicoさんみたいな方は苦手ですね。 異常とか正常とかきちんとした境なんてないので、みないろいろちょっとおかしな部分を抱えていたりします。正邪美醜会わせて始めて人なんです。誰しも多義的で、いい面もあるし悪い面もある。悪い面にぐっと目を瞑って他人のいい面だけ見て褒めてあげれば人は集まってきますよ。でも日々、悪い面ばかり見てイライラしたり癇癪起こしたりすると誰も寄ってきませんよ。清濁併せ呑む度量があればいいのですがなかなか私たち凡人はつまらぬ事で腹を立てたりします。 実はうちの父も親戚一同から嫌われています。誰も寄り付きませんね。 うちの父親も昔から怒りっぽいんですよ。粗探しして、怒ることによってイライラしたりストレスを貯めてしまうんです。昔は父も一家を背負うことで気負っていろいろ大変だったようですが。暴力を振るうこともしばしばありました。そういう父でも今では35も越えた姉にそういう性格を説教されてか、「頭ごなしに腹を立てる」ことから「話し合う」ことを学んだみたいでストレスが少なくなったそうです。ずいぶん丸くなって話し合えるようになったのですが、 でももう60も過ぎてますから、「怒り癖」なんて長年培ったものですからなかなか直るものでもないですね。丸くなったり角が出たり、お酒を飲むと性分が出ますね。表面を取り繕ってもなかなか改まらない。子供の目から見ても、根はいい人なんですけれどね。ほんといい人。怒りっぽいってところがなければ満点。でもそういうのも人間味があっていいのかもしれない。 ◆さて怒りっぽいということで改善策ですか。考えてみました。 思い立ったのはトーマス・ジェファーソンさんの言葉ですが、 「怒りの気持ちを抱いたら、言葉にする前に10数えなさい。ひどく怒っている時には、100数えなさい」 (1)ただ他人を非難する場合は往々にして自分のことを棚にあげて喋ってる場合が多いですから、腹を立てる前に・・・・・ 「自分でも気づかないところで同じようなことをしているかもしれない」と考えてみてはどうでしょうか? 人間誰しもいい面と悪い面がありますから、tukicoさんだって完璧な人間じゃないから、悪い面もあるはずです。相手だって腹立たしいときもあるかもしれない。 それを思えば相手のこと強く非難できないはずです。 またのんびりした人は神経質な人が来るとストレスを感じるし、きちんとした人はガサツな人が来るとストレスを感じる。お互い様です。 (2)対人関係は何か問題があっても一方的に相手だけが悪いということはなかなか少ないです。交通事故と一緒です。例えるなら加害者に70%過失があって被害者に30%過失があって過失相殺するわけですが、tukicoさんは自己規範にだけ照らし合わせて○×つけているような気もします。相手だってそれなりの言い分があるわけです。なんか「相手の身になって考える」という思いがすっぽ抜けているような気もしますね。相手が悪いと思っても相手にだって、そうするだけの理由があります。相手を困らせてやろうと思ってやる人なんてなかなかいません。怒る前に相手がそういう言動をとるもっともな理由を10個ぐらい考えてみてはどうですか? また腹を立てるにしても「もしかして自分が間違っているかもしれない」ということが念頭においてみては? そういう過程を飛ばして頭ごなしに怒ってるというのならちょっとトラブルが起こりやすいと思いませんか。 ちょっと質問者さんはちょっとプライドが高いというより偏屈だなと思いました。癇癪を起しやすいのかな?他人の行動や言葉尻が気になってイライラしてストレスを貯める。イライラは周りに伝わりますから周りも不機嫌になる。周りの人もあなたに対して不快な思いを持つ。悪循環です。 イライラする前に平常心のうちに相手と話しする。相手にももっともな理由があるなら腹を立てる必要はなくなります。反対に相手があなたの言い分に納得したのに繰り返すようならそこで改めて注意する。注意して聞かないならそこではじめて叱る。腹を立てるのは一番最後。という順番を習慣付けるといいんじゃないですか。 社会性の話を持ち出しましたが、別に社会性がないといっているわけではないので、昔からよく言うでしょ「短気は損気」(短気を起こすと結局は自分が損をする)ってね。 多かれ少なかれ他人の行動に快く思わないときもあるでしょうけれど、どう対応するかは人次第です。話の持って行き方一つでどうとでもなるじゃないですか。物は言い様でどうにでもなります。話の流れで丸く治めることも出来るし、それとなく気づかせることもできます、笑い話にも出来るし、また事を荒げることもできます。その中で自分で腹を立てる(ムカつくカチンとくる)と言った選択してるわけですから。もうちょっと要領よくやれないものですかね。 「自分でも怒りっぽく、他人に対する許容が出来ない」、つまり心が狭いと自覚しているなら、そういう性格を変えたいと思うなら改めればいいし、自分は嫌われてもいいから自分に正直に生きていこうというのなら今のままでもいいんじゃないでしょうか。自分が正しいと思ったスタイルを信じて我を通すのも人生です。 ただ私は反対に怒らない方ですね。気が長いというかどうも怒るときのゴタゴタとか後処理とかの方が面倒くさいと思うほうなので。まあ私もそれなりに問題を抱えている偏屈な人間なので他人様にどうこう言えたものじゃないですが。歳を重ねるのは簡単ですが、大人になるのはなかなか難しいものですね。 まとまりのない話ですみませんが、ご参考までに。
お礼
ご回答有難うございます。 こちらの都合でお礼が非常に遅くなりまして申し訳ございません。 >対人関係は何か問題があっても一方的に相手だけが悪いということはなかなか少ないです。交通事故と一緒です。 そうでしょうか? 私はそうは思えない出来事を沢山経験してきました。 初対面の時、互いに椅子に座った状態で出会った人と二回目に立った状態で会い、そこでいきなり相手の身長の大小を口に出してしまう人などは、本当に無神経で一方的に悪いとしか解釈できません。子供なら仕方ないのかもしれませんが、いい大人が感じた事を何でもすぐに口に出すのはあまりにも幼いのではないですか? 人には誰でも触れられたくないものがあると思います。 それが人によって違うので難しいといえば難しいですが肉体的な部分に関して主観的な感想は万人の耳に褒め言葉に聞こえるような言葉以外は自分の中ではタブーとしています。 そういう部分を大多数の人には偏屈だと思われるのかもしれませんが、私には譲れない感覚なのです。 体質や経済的な事、育ち等本人の責任では無い部分で人から触れられる事を嫌だと思う人も少なくないと思います。そう言う事を必要の無い場面で自分の感情の赴くままに口外する人は私にとってはデリカシーの無い人であり、合わない人なのです。それは自分が言われる立場でなくてもそう言う事を口外する人を嫌悪する目で見てしまいます。 あの口からいつ何が飛び出すんだろう?と言う恐怖すら感じます。 仰るように大らか(無神経)な人と神経質な人はお互いに合わないと感じるのでしょう。 なるべく人の良い面を見ようと思うのですが、生理的や自分の道徳観念に引っかかる事をする人を見るとどうしても良い面を見ようとする気持ちがその人に対しては働かなくなってしまいます。 >自分が正しいと思ったスタイルを信じて我を通すのも人生です。 そうですね。はっきりとした結論はでていませんが、きっとこの先もその様に生きていくような気がします。
- abikochanpon
- ベストアンサー率31% (13/41)
質問者さんの過去の質問、いくつか読ませていただきました。 質問や回答者に対するお礼を読んでいて感じたのですが、 常に、マイナスのオーラを持っているようですね。 他の回答者さんもおっしゃっていましたが、自意識がものすごく高そう。 自意識が高いだけでは、異常だと思いませんが、質問者さんは、自己中心的なお考えをするようですね。 >また回答を締め切るのを忘れていました。 >先程、また新たに回答を寄せて頂いた方がいらっしゃり、その方にお >礼を書いた所です。 >本来の趣旨は仰るとおりですが、最後の方からの回答をもう少しだけ >待たせて頂きたいです。 このサイトの趣旨を理解していても、ご自分の都合だけで趣旨を無視するんですね? こういう言い方に、カチンとくるんでしょう? カチンとくるのは、質問者自身が正しくないことをわかっているからで、それを指摘されたのが『ムカつく』ってところでしょうか? 質問者さんに限らず、『怒り』は、正常な感情ですが、『怒りっぽさ』には異常性を感じます。 『怒りっぽさ』は、自己を正当化するための感情だと思うからです。 質問者さんは、怒りを言葉にしないようですが、態度には出ているのではないでしょうか? かなり、攻撃的なのではないですか? 私も、疲れているときなど・・妙に苛つくことがあります。 友人たちに『心がささくれだっている』と指摘されても、なかなか認めることができませんでした。 でも、あるとき・・・激しく相手を攻撃している自分が客観的に見えたのです。 ものすごく恥ずかしかったです。 『心がささくれだっている』ってこういうときなんだな・・と、思いました。 いつまでも、自己を正当化せず、周りの言葉を聴くことが、一番の対処法ではないかと思いますよ。
お礼
ご回答有難うございます。 こちらの都合でお礼が非常に遅くなりまして申し訳ございません。 >このサイトの趣旨を理解していても、ご自分の都合だけで趣旨を無視するんですね? 自分の都合と思われても仕方ないですが、前回の質問で何度かご回答くださった方がいらっしゃってこちらと何度かやり取りするような感じの回答、お礼の投稿を繰り返しニュアンス的にまだ続きそうでしたので相手の方にも失礼かと思う気持ちもあり、締め切りを少し延長させて頂きました。 ご回答参考にさせて頂きます。
NO.6です、もうひとついいですか? あと、あなたのようなマナーや常識、エチケットなどにうるさい人(失礼)も世の中には必要です。 無理に自分を変えようとしても価値観や性格なんてなかなか変わりません。 「自分はこういう人間なんだ」と開き直ったらどうでしょうか? そして、あなたの問題は「異常か正常か」ではなく、「怒り」を処理できないことです。 感情を出すのが苦手らしいので、少しでも言葉に出してみてはいかがですか?いやな感情を溜め込むのは身体によくありません。 言葉にする時にすこしの思いやりは必要だとはおもいますが。 人からの評価がなんですか。完璧でありたいのでしょうが、完璧な人間には絶対になれません。欠点を含めて人間です。 もっと自分に自信を持ってください。 ですが、前にも言ったように「人に期待しないこと」も大事です。 あなたも他の人の期待通りには動いていません。どこかで人を不快にさせることもあるはずです。 お互い様ですよ。 「怒り」について少し勉強されてみてはいかがでしょうか。
お礼
ご回答有難うございます。 こちらの都合でお礼が非常に遅くなりまして申し訳ございません。 >「自分はこういう人間なんだ」と開き直ったらどうでしょうか? 最近少しずつですが自分を隠すのを止めようと思えるようになりました。無理して人と同じふりをしても誰も分ってはくれないし、自分だけが苦しいのだと思うようになり、自分からアピールはしませんが、聞かれた事に対しては率直に自分を出すようにしています。 ただ、人間関係がうまくいかないと仕事上必要な情報を得にくかったりして取り残される事が多いので、自分を出す事はしても決して人の批判を口に出さない事を心がけています。 怒りについては凄く自分の中で大きな事ですのでもう少し深く知りたいと思います。
ごめんなさい、とても全ては読めないし、よく理解もしてない(できてない)のですが・・・。 そんなに変じゃないと思います。 正しいと思います、少し過ぎてるのかなとも思います。 何か自分がイラつくことのほうへ、自分で少し持っていってしまいやすい感じもします。 こういうこと(イラつくような事態)は、おそらく完全には解決はできないように思います。 誰でもいい面や悪い面があると思いますし、いい状況・状態のときもあるしそうでないときもあるのでしょう。 またみんなこれまでの育ってきた環境は違うのでしょう。 確かに主観は大事なのかもしれないけれど、されどたった一人のものでもあるし、 正しいかもしれないけれど、そこでの個人的な判断・反応は必ずしも適したものであったり、適切なことができるとは限らないと思います。 また表面的に見えることのみで何らかの判断をしてしまいやすいと思います。 イラつく言動や行動(確かに程度もありますが)も本人との価値?とは少しずらしたり、距離を置いたりしてみて、少し別に考えてみてはどうでしょう? なんにしても完全には解消するものでもないと思いますし、誰でもイラつくために生まれてきたのではないのでしょうから、 違うほうに少し、ほんの少し関心を持っていったほうがいいのかな、と思いますが。 (私もうまくはできていませんが) 的外れなことでしたらごめんなさい。
お礼
ご回答有難うございます。 こちらの都合でお礼が非常に遅くなりまして申し訳ございません。 >何か自分がイラつくことのほうへ、自分で少し持っていってしまいやすい感じもします。 そうかもしれません。 食事やお茶に入ったお店やホテルの部屋でも、清掃の行き届いていない点をすぐ見つけてしまい、店やホテルの管理体制をいい加減だと感じてしまいます。 何でも完璧を目指してしまうのでいい加減だと感じたり、騒音や臭いや言動で人に不快感を与えている事に気付こうとすらしない人を見ると許せない気持ちがどうしても湧いてきます。 もっと大らかでいろんなことに鈍感でいられたら幸せだろうな~といつも思います。 結局の所、私は人間嫌いなのかもしれません。
No.2です。お返事ありがとうございました^^ ごめんなさい、深刻な悩みなんだろうなぁ……とわかっているのですが、 質問者様の「へそまがりぶり」に、ちょっと笑ってしまった私です。 >自己評価が低いので、平気で自分の話ばかりする人(特に自慢話)なんかがいると、 >「誰にも興味もたれて無いのによくやるよ」と内心思うので、 ↑ うちの妹も似たようなこと言ってました(苦笑)。だから、友だちと話し ていてもつまらないし、周囲にムカつくことが多くて、時々すごい勢い で文句を言ってしまうことがあるらしく「●●ちゃんは怖いからね~」 と、よく姉の私もグチられましたよ。妹の場合は、私にその気持ちをぶ ちまけて、私にがっちり説教されて……の繰り返しでしたよ(苦笑)。 質問者様も、それを治そうなんて考えたって無理なので、そんな自分と うまく付き合って生きていけばいいと思いますよ。お子さんはいるので すか? 妹は、結婚して子どもができたらまるくなった部分もあります。 でも、かなり価値観が自分中心なので、いまだに私に説教され続けてい ますけど(笑)。それでも自分を受け入れてくれる相手がいることで、妹 は安心しているのか、懲りずに私になついてきます。もう42歳と38歳で すよ~、アホみたいですね。 「楽しくない」「ムカツク」ばっかり言っている人って、それが自分の 体の一部みたいなものなので、私にしてみれば「治す」なんて考えるこ と自体ナンセンスだと思いますけど。。。 お友だちを最終的に嫌いになってしまうのは、嫌われるくらいなら、 自分から捨ててしまえ~~~的な感情でしょ? 治すというか、意識 を変えるなら、そこかもしれませんね。人ってよくも悪くも、質問者 様が思うほど、相手に関心ありません(笑)。好きな相手ならあれこれ 考えることもあるかもしれないけど、それも相手のためなのか自分の ためなのかわからないですよね。人の言うことは右から左へ受け流し て、あまり関心を持たないことかも……です(笑)。 あ、最後に、言いかえたらどうなりますか? についてですが、 「人とうまく付き合えなくて、時々寂しくなるんだよね……」とか 「私のどこが人を遠ざけてしまうんだと思う?」みたいな感じで、 ご主人に問いかけてみればいいと思います、ご主人には心を開いて いらっしゃるんですよね。。。
お礼
度々のご回答有難うございます。 こちらの都合でお礼が非常に遅くなりまして申し訳ございません。 >お友だちを最終的に嫌いになってしまうのは、嫌われるくらいなら、 自分から捨ててしまえ~~~的な感情でしょ? それは違うんです。嫌われる事が怖いと言う感情が無いと言えばうそになりますが、前回の質問内容に書いた友人の言葉以外にも友人が自分が言われて嫌だといっていた言葉を私に言った事もあって、自分には神経質で他人には無神経な一面を垣間見た事もあり、この人と永い交流を持つのは無理だと自分のどこかが判断したみたいです。 私が育った環境では、女の子同士の揉め事の終着点は縁を切ると言う事が周囲にゴロゴロ転がっていました。そんな環境に居たせいかどうか分りませんが、自分が不快に感じたり、いつもいつも傷つけられる関係を我慢して続ける事が返って不思議がられる様な意見を言われる事も多かったので、それを特別な事だとは思いませんでした。 ただ、私の場合周囲の人より傷付きやすく過敏な為、結局誰とも円満に行かないだけで女性は多かれ少なかれ男性以上に嫌いなものを排除したい本能が強い生き物だとは思います。それを表面上隠している場合が多い為、水面下で陰湿な事を考えてしまうんだとも思います。 妹さんはお幸せですね、私にも姉がいますが姉は私に輪をかけて狭量で、激しいので姉妹関係も断絶しています。
- gensoumade
- ベストアンサー率24% (41/165)
質問者さんがカチンときた件はどれも、異常でないと思います。 私もこういうこと不快に感じます! それと人によって不快に感じる度合いの違いはあると思います。 例えば、私は音に敏感だし仕事中に周りを気にしない人も嫌いなので帳簿の件はものっすごくイライラします。 「お話相手になってあげとった」も軽くかちんときますね。 でもサービスエリアの件は気になりません。というか自分も人の車で「寄ろうよ!」とかいうタイプかもしれません(笑)。 でも自分の場合、それをその場で素直に「ごめん、音が大きくて電話がとれなくなるかもしれないから早く終わらせたいなー。私も手伝うから」(にこっ)とそのまま思ったことをいうことにしてます。手伝うって言ってるんだから向こうもただありがとう、となるし、何で手伝いたいのかも伝えてるので断られるわけがありません。 「お話相手になってあげとったんよ」とかは「そうなんですよー、黒柳徹子さん以上のお話相手の才能がおありですよ~」とかその場でちょっと相手が恥ずかしくなるらい大げさな冗談にして言い返します! その場では褒めてるし、あははと笑って終わるのでかどがたたないけど、向こうにしたらそこまで褒められるほどなわけないか、、、、と後で思うはずなんで。この人の顔をちょっと赤らめてやるぞ、くらいの気持ちでやり返します。 でも、それが出来ないこともあり、いつも出来なかったときに自分に腹が立ち、相手にも腹が立ち、私も質問者さんと同じようにいつまでも心に残ってしまいます。 でもそういう時こそ「次にこういうことがあったらこう言おう、そしたらお互い嫌な思いをせずに上手くいくな」とアイデアを考えておきます。 だから、なるべくその場で何事もなかったようにさらっと言える練習にしてます。 私はそこでかっとなって「やめてっ」とか怒るのも嫌なんです。 相手も不快になるし、自分も不快になるから。 でも、だいたいは、その場でさらりと言えた時は自分もそこまで怒ってないことが多いです。 ただ単に不快感を感じてるだけで、相手に腹が立ってるわけではないのです。 さらりと言ったときは相手もあまり傷ついたり根にもったりすることなく、「あ、ごめん!」とさらっと終わります。相手も普通に考えて「なるほど、うるさいからやめてほしい」=当たり前の感覚と解ると思います。 逆に自分も自分が気がついてなくて、相手にとって不快なことをしているときはさらっと言って欲しいです。 例えば「サービスエリアに寄ろう!」の件だと、友達だったら「寄ろうって、私が運転してんだから、全く助手席の態度でかいな~。」といって欲しいです。そしたら私も「ごめんっ、お世話になってます。ここでのお茶代おごるからさ」となるんですが。 ずっと根にもたれて怒ってるくらいなら、そのとき言って欲しいです。言ってくれさえすれば、改めることは簡単なのに、と思います。 それにこの人はこれが嫌なんだな、と学習できるので次からの関係がスムーズになるので合理的です。 日本人とかアジアの文化は「はっきり言うよりもこちらが不快だとおもっていることを向こうが察してほしい」文化と思います。自分も相手を察してから行動する人が多いと思います。 欧米はもっとはっきりしてます。自分のやりたいことはまず自分のやり方でやる、嫌なことも嫌と伝える、だから逆に自分が止めてくださいと言われることも当然あり。という法則でやってると思います。 どちらにもいい部分も悪い部分もありますがこういう件に関しては欧米のやり方の方が私は好きです。 私は質問者さんは怒りの感情や相手を許容できないということの前に、実は人を気遣ったり、人から神経質と思われたくない、という感情のほうが強いと思います。だから思ったことを言えないのではと思います。 でもその対処法に迷い、そこで停滞してしまい、もやもやとした感情に執着してしまうところで困っているのではないか、と思います。質問者さんなりの対処法を見つけたら楽になれると思います。 もちろん相手が子供やお年寄りなどで言ってもしょうがない場合、立場上で目上の人なので言えない場合、相手が異常になってる場合、などは言えないこともありますが。それは流しておくより仕方ないですが。 でも言えるものはなるべく伝えたほうが、精神衛生上いいと思います。
お礼
ご回答有難うございました。 こちらの都合でお礼が非常に遅くなりまして申し訳ございません。 >「ごめん、音が大きくて電話がとれなくなるかもしれないから早く終わらせたいなー。私も手伝うから」(にこっ) こう出来れば良かったのでしょうが、私の彼女に対する嫌悪感が許容量を超えていた事もあり、それと仰っているように察して欲しい気持ちもあり、爆発するまで口に出せませんでした。 >「お話相手になってあげとったんよ」とかは「そうなんですよー、黒柳徹子さん以上のお話相手の才能がおありですよ~」とかその場でちょっと相手が恥ずかしくなるらい大げさな冗談にして言い返します! その場では褒めてるし、あははと笑って終わるのでかどがたたないけど、向こうにしたらそこまで褒められるほどなわけないか、、、、と後で思うはずなんで。この人の顔をちょっと赤らめてやるぞ、くらいの気持ちでやり返します。 これも姑の性分からすると通用しないです。 プラス思考も度を過ぎればただの勘違いと思わざるを得ないような人なので嫌味だなんて気付くとは思えないような人です。 >私は質問者さんは怒りの感情や相手を許容できないということの前に、実は人を気遣ったり、人から神経質と思われたくない、という感情のほうが強いと思います。だから思ったことを言えないのではと思います。 そうです。神経質だと思われる事が嫌だと言う事に関して、どう言う所が自分にとって引っかかる部分か人に知られる事に抵抗があります。 引っかかる部分を口に出す事が、相手を傷つける事や相手の存在を認めない事につながる事が多く、どうしても言い出すことは出来ません。 でも、言いたい事は黙っていても自分が苦しいだけだと今回頂きましたご回答で考えられるようになりましたので、これからはなるべく相手に疎まれても自分が主張するべきだと思える部分に対しては主張するようにしたいと思います。
前回の質問についてですが、まず会社での出来事ですが大きな音が不愉快に感じて、手伝うと申し出たところはすばらしいと思いました。 おそらく、タチの悪いお局様だったら(質問者様がお局様と言っているわけではありません)その音に対して文句をつけたりイヤミなことを言って終わりだと思います。そうではなく、手伝うという発想になるというのは質問者さまの人柄(良い部分)の表れだと思いました。 ただ、その時に手伝うというだけではなく、ついでに音についても何かしら注意したほうがよかったかもしれないですね。もし私だったら断っているのにそう何度も言われたら、やっぱりtukicoさんやりたいのかな~?って思うかもしれないです。 年下女性との関係がわかりませんが「やりたい?」というタメ口に腹が立ったのかそれとも、言いたいことが伝わらずに腹が立ったのであって、例え「やりたいですか?」と言われても腹が立ったのか・・・。どちらにしても、言いたいことハッキリ伝えなかったのですから、tukicoさんの言い方も悪かったということです。例え手伝うことになっても音のうるささは変わらないですよ。 私は後から考えたら「あの時あんな言い方しなきゃよかった」とか反省することがあります。そう思う人は多いと思いますが、tukicoさんはそんなこと思いませんか? このときのtukicoさんの発言だって、後からよく考えれば音を立てるのをやめて貰う最善の言い方がわかったかもしれないですよね。 何でもそうだと思うんですよ。特に発言て咄嗟に出てしまうものだから、お友達の「サービスエリアに寄ろう」とお姑さんの「話し相手になってあげとったんよ」もその場で最善の言い方ができなかったということです。これは別にあとで思い直して反省することではないと思いますが。 そう考えると、お互い様だと思いませんか?悪意がある内容以外は、【言葉尻】なんて気にしないようにしたほうがいいと思います。 ちなみに私は「サービスエリヤに寄ろう」って言われたら「おー!ええでー」って言います。何も感じませんね。「話相手になってあげとったんよ」は、個人的には恩着せがましくて「~してあげてた」という言い方は好きではありません^^;でも時々いますよね。きっとしゃべり方のクセなんだと思いますよ。「やりたい?」って言われたら、相手にも寄りますが、「やりたないわ!音がうるさいから手伝おうと思っただけ。もうちょい静かにやって」って言いますけどね。 確かに言葉って大事ですけど、あまりに言い方にばかり拘らず、その人の中身を見てほしいですね、そうすればその人がどういうつもりで言っているのかわかるようになるのではないでしょうか。 >>異常な部分を具体的に知りたいです 異常という言葉とは違いますが、私がtukicoさんの友達として「サービスエリアに寄ろう」って言ったことにそこまで不快感を持ったことがわかれば、正直疑問に思います。そんなことが続けば距離を置きたくなるかもしれないですね。tukicoさんが不快感を感じるように、それを言われた方も不快感を持つということです。価値観があわないなら一緒にはいないのが賢明と考えるでしょうね。ただ、現実的に考えてtukicoさんが求める完璧な受け答えをする人ばかりにはならないと思いますよ。何より御自分の為に、拘りすぎないほうがいいです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 こちらの都合でお礼を書かせて頂くのが非常に遅くなりまして申し訳ございません。 私は物心着いた頃から人当たりが良いと言われた事は一度たりともありません。その真逆でトゲのある人間との烙印を押されて生きてきました。 奥歯に物の挟まった様な物言いは一番苦手とする所でストレートに思いを口に出すと必ず、反感を持たれる事の繰り返しでしたので、大人になってからの対人関係には神経をすり減らしてばかりです。 ですから、音の件も角の立たない言い方で音が煩いとは言えず、結果的に手伝うと言う形で雑音に悩まされる時間を軽減したいと思いました。 相手にはその音が煩いということ自体???だったんだと思います。 音や臭いの感覚も人によって様々だとは思います。ですから何事にも敏感な人間がいつも不快感を我慢する事になりがちなのだと思います。 音そのものに腹が立ったと言うよりは彼女の日頃からのだらしなく無責任で大人数になると気が大きくなり、調子に乗った発言をする部分なども日頃から嫌悪していたので、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いの感覚で彼女の出す音だったから余計に煩く感じたんだと思います。 姑に対しても友人に対しても同じです。 日頃から不満を持っている部分があり、それを相手に言えないから余計に許せなかったんだと思います。 でも、自分の思い通りな人なんて居ない事は分っていますが、どうしても腹が立つ感情も仕方ないんです。私のような人間は自分が変わらない限り極力誰とも関わらないのが一番ですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 当方の都合でお礼を書かせて頂くのが非常に遅くなりまして申し訳ございません。 とても心に響きました。 超自我と言う言葉を聞いたのも初めてでしたし、とても分りやすく書いて頂いて文面からお人柄が分るような気が致しました。 >自分の欲望を抑圧(規制)することが善という価値観を、やや強目に体験してきたのかもしれません。 そうだと思います。子供の頃から周囲の人間特に母親と姉に自分の人格はおろか存在そのものを否定するような辛辣な暴言を受けて育ちました。私は本来、とても好奇心が旺盛で興味の赴くものが目の前に現れるとそれに全てを奪われてしまい、よく迷子になる子供だったと聞かされました。変わり者とも幼い頃からよく言われてました。 姉が塗り絵や手芸など女の子らしい遊びが好きで、親にとって扱いやすい子供だったのと対照的で近所の男の子と遊んでいてもいつも最後は私が男の子を泣かせてしまう状態に母も手を焼いていたらしく、私が生まれてきた事自体を悔いる母のボヤキを耳にしない日の方が少なかったと記憶しています。 そんなこんなで思春期の頃から徐々に自分自身を出す事が社会との軋轢を生み、結果的に自分が傷付く事だと知らず知らずの内に思うようになったんだと思います。(補足欄に続きます)
補足
文字数がオーバーしましたのでこちらに続けさせていただきます。 自分自身に全く自信が無く、自己肯定感、自己受容がほぼゼロでしたので、何でも事が起きると自分を責めてしまい、自分の責任ではない事でも簡単に謝ってしまうなど人に付け入られる事ばかりをしてしまっていました。 その結果、大人になっても奔放な言動を取る人を嫌うようになったのだと思います。 >これは一見すると、あなたの超自我が他者の無法を許さないという構図に見えないこともありません。 上にも書きましたがそうだと思います。ですから、私は大人になった今でも奔放な発言をしがちな子供が嫌いです。子供が嫌いと言うか、公共の場や他人に対して奔放な言動を取っても注意しない親に凄く憤りを感じます。 小さいとは言え、口で言って分る年齢になると、人を指差す事が失礼でやってはいけない事だとか、生まれつき外見が著しく正常には見えない障害を持っている人を好奇の目で心行くまで見、感じた事を口に出す事がいけない事だとか、そういった他人を傷つける、他人の自尊心を踏みにじるような言動を抑制する教育を出来ない親については特に厳しい目で見てしまっています。 私は自尊心が低すぎるあまり、自分の意見を自分から口外する事はありません。自分の好みや、自分の話で終始する人なども仰るように私の超自我に触れるんだと思います。 >人は誰しも先の3要素のバランスをかろうじてとりつつ生きているのでしょう。 そうですね、大勢の人にさわやかな印象を持たれる好感度の高い人も、よくよく観察してみると超自我だけの人は今の所居ません。 私にとってはそれが我が強く写ったりするんですけど。 誰しも私利私欲を持たない人はいないと思います。勿論、私にも心の中には打算や利己的な感情はあります。 それを口外する事が出来ないだけです。 とても参考になりました。 凄く心の中の得体の知れないものの正体が分りました。