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異常な部分を具体的に知りたいです
先日、下記の質問をさせて頂きましたところ、異常性を感じるとのご回答を頂きました。 自分でも怒りっぽく、他人に対する許容が出来ないのは自覚していますが、今後の人生の事を考えますと、このままでは怒ってばかりで楽しくありませんので、治るものなら治したいと思っています。 その為にはどこがどのように正常で無いのか知らないと治療の方向性も見つからず、困りますので是非ご回答頂ければ嬉しく思います。 異常かどうか疑いを持っていての質問ですので、異常性を厳しく批判するご回答はご遠慮願いたいです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3069390.html
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前のご質問も拝見いたしました。 合わせてたくさんの有益なご回答が寄せられていますので今更とも思いましたが、少し違った視点から私見を述べさせていただきたいと思います。 まず、ご質問やお礼の文面からtukicoさんが異常という評価をすることは全くの思い違いであろうと考えます。 では、なぜ思い違いをするのかといえば、思い違いをする人にとっての価値観がtukicoさんのそれと食い違っているからでしょう。 どのように食い違っているかというと、端的に申し上げれば日本人の一般的な自我と超自我との対決といった風情があるでしょうか。 人の精神性は大雑把に 本能(快・不快) 自我(損・得) 超自我(善・悪) の3層に分類可能だと思われます。 国家に例えれば、 本能(国民) 自我(議会) 超自我(君主=天皇) といったところでしょうか。 それぞれ行動の規範とするところが幾分違っているということです。 しかし、実際にはこれら3要素は一人の人間の中に包括されているものですから、誰しも持っているものであり、また誰しもそれらの綱引きに悩みつつ最終的に自我による決断を下しているわけです。 君主というのは大体理想を要求しますが、きれいごとだけでは国は立ち行かないために議会が適当なところで調整し、国民的要求も満足させるようなところで何とか決着させて国政が実行されていることになります。 本能の赴くままでは社会が築けないのは当然ですし、理想だけでは国は立ち行きませんが理想が貶められると国は腐敗する、といったような感じになるでしょうか。 つまり、君主が理想論を持ち出して、議会の反発を食らっているといった印象です。^^; しかし、君主が異常なのではなく議会にしてみれば現実味に乏しいという主張なのでしょう。 一部急進派の議員が異常だという野次を飛ばしているとお考えになるのがよろしいかと。 「>自分でも怒りっぽく、他人に対する許容が出来ないのは自覚していますが、今後の人生の事を考えますと、このままでは怒ってばかりで楽しくありません」 :とおっしゃるのは非常に謙虚な文言でして、ますますあなたの超自我性が明白になっているように私には感じられます。 超自我というのは基本的に善悪に関与する精神の動きと想定されますが、その実態は規制だろうと思います。 何を規制するのかといえば先に述べた本能的感情です。 乱暴に言うと、自我というのは本能的欲望と超自我的規制を取りまとめうまく両方の顔を立てるような決定を行い、個人の言動として実現化していることになります。 ですから、健康な人というのは、 「自分にとってなるべく心地よく、自分にとってなるべく得になって、そしてなるべく他者に迷惑のかからないこと」 をしようとするものです。 本能・自我・超自我のバランスが取れた状態です。 しかし、完璧なバランスを保つことは不可能ですから、必ずどの要素かが大きすぎたり小さすぎたりするのが普通です。 超自我と本能的欲望が大部分で重なってしまう人の場合、自我が強ければ犯罪者となり、自我が弱ければ神経症になるでしょう。 本能的欲望とある程度の超自我を保持しつつ現実を逞しく渡っているのが現代人の実態ではないかと思いますが、どちらかといえば自我が大きい方が多いということは言えそうな気がします。 あなたの場合はおそらく超自我が大きいのだと思います。 自分の欲望を抑圧(規制)することが善という価値観を、やや強目に体験してきたのかもしれません。 これは一見すると、あなたの超自我が他者の無法を許さないという構図に見えないこともありません。 実際そういう面もあるでしょう。 ただ、私としては、むしろあなたの超自我を肥大させ、あなたの数々の内なる欲望、欲求、要求などを強制的に抑圧してきたもの(者)。 つまり、あなたを支配しようとしてきたものと、他者を誤認してしまうのが、他者を許せないことの原因ではないかという気もします。 あなたに恩を着せようとするもの(あるいは、そう解釈できるもの)とは、すなわちあなたを支配しようとするものだと捉えるのだろうと思われます。 人は誰しも先の3要素のバランスをかろうじてとりつつ生きているのでしょう。 どんな場合であれ、その意味では誰しもみな同じ形態での生を生きているのだと思います。 あまりお役に立てなかったかもしれませんが何かのご参考になれば幸いです。
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はじめまして。 前の質問・回答含め読ませていただきました。 いつもこの調子では大変ですね。疲れるでしょう。 あなたのお気持ち、わかりますよ。 そして、異常だなんて思いません。普通です。普通というのは一般的ってことではなく、異常ではないということです。 ただ、世の中の人は、うまくやるために自分をコントロールしているのです。それは外側からは見えません。 でも、ご自分で「このままではいけない」ということに気づいたんですよね?そこが一番大切だと思います。 質問では「どこがどのように正常ではないか」とありますが、それは、充分に前回の回答で得られているんじゃないですか? 自分の感情にぴったり来ないかも知れませんが、厳しい意見の中にこそ、答えはあるかもしれません。 それと、あなたはものすごく「わかってほしい」のですね。 それも、「自分は絶対に正しい」ことを認めてほしい。 でもね、100%わかってくれる相手なんてこの世にはいないのです。 皆、違う人間ですから。 そして厳しいことを言われると「自覚してるんです。わかってるんです。」と言うかもしれませんが、あなたは頭では理解しているけど、心ではどのくらいわかっているのでしょうか。 やはり、人との健全な心の交流が足りないのではないでしょうか? リラックスできる場所はありますか?素直になれる相手はいますか? 「自分は正しいのに相手はわかってくれない」 このままでは生きて行くのが辛いのですよね? ではどうするか。 相手を変えることはほぼ不可能です。 自分が変わるしかありません。 「相手に期待しないこと」 に尽きるのではないでしょうか。 これって悲しい?と思われるかもしれませんが、そういうことではなく、 「相手が○○してくれて当然だ」とか 「相手は○○であるべきだ」 等の考え方をやめるのです。 相手が自分の期待通りに動かないから(それが常識であったとしても)あなたは怒ってしまうんですよね。 もし残念なことがあったら「この人はこういうところが好きではないな。自分は気をつけよう。でも、こういういいところもあるんだ。」と、悪いところばかりに気をとられないようにできるといいですね。 人は多面体ですから。 ドライブに行くような仲良しのコなら、ある程度価値観が似ているから仲がいいのでしょうから、どうしても自分が納得できないようなことなら、行動で示さずに言葉で伝えましょう。そんな簡単には嫌われないから大丈夫ですよ。 こじれる人間関係/杉田峰康 ひとを嫌うということ/中島義道 といった本も参考になるかもしれません。 大変長くなり、失礼しました。 私もとても悩んだ一人ですから。 あなたがもっと楽に生きられるように変われるといいですね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 当方の事情でお礼を書かせて頂くのが大変遅くなりまして申し訳ございません。 自分を分かって貰いたい気持ちは凄くあります。 人から誤解される事がとても多く、自分では凄く人に気を使っているつもりなのに伝わらず、誤解されたままで理解されない事に対する苛立ちが結果的に相手を嫌うと言う形で自分の中に蓄積されています。 >人との健全な心の交流が足りないのではないでしょうか? それは全く足りないと思います。人は自分を傷つけ、適当に利用するのではないかと言う警戒心が誰に対しても湧くので誰とも肩の力を抜いて接する事が出来ません。 >リラックスできる場所はありますか?素直になれる相手はいますか? 一人で家に居る時が一番楽です。素直になれるのは主人だけです。 ご紹介頂きました本は二冊ともとても興味深いので是非読みたいです。 人に期待しない事、分っているのですけど少し感覚の近い相手に出会うとどうしても全てにおいて同感してもらえると思ってしまいます。
前回の質問を読みましたが、3つの事象ともそっくりなことが私にもあってびっくりしました。 いやー男ですがお友達になって愚痴をこぼし合いたいですね。 でも自分の性格と似た相手だと身構えてしまうかもしれないと思ったりしません?。 自分が似ているから言うわけではありませんが、「異常である」と書き込んだ前質問の回答者さんは言い過ぎですね。 この程度で異常者扱いされたら日本中ある意味異常者だらけですから。 ですから真に受けてここに再度質問するのはやめたほうがいいと思います。 こういうところに質問する場合はある程度覚悟をしてから望んだほうがいいですよ。 特に人生・人格がらみの相談では、無遠慮な回答や自分にとって期待はずれな回答もあるでしょうから、 「そうか、そう思う人もいるんだ」と参考に聞く場と思いましょう。反論したいこともあるでしょうが「回答を選別している」とか反感を買って疲れるばかりで戦果はありません。 私も正義感、道徳観(もちろん自分の尺度です)から、ちょっとしたことで腹を立てることが多いです。 他人に対する許容心は、年齢を重ねれば多くなって寛容な人間になると思ってましたが変わらないですね。 でも「気にはなる」けど「腹は立たない」ようにはだんだんなっていますし、一人で怒っていても 損するのは自分だけで怒り損なのですぐ忘れるようにしています。 とは言いながら性格というものは直そうと思っても直るものではないので「またちょっとしたことで腹を立ててる。心の狭い奴だ」とあきらめて自分と付き合っています。 きっと死ぬまで直らないでしょう。 でも食事のマナーの悪い人だけは、どうしても我慢できないですね。 なんたって食事がまずくなりますから。
お礼
ご回答ありがとうございました。 こちらの事情でお礼を送らせて頂くのが非常に遅くなり、本当に申し訳ございません。 男性で私と似通った部分をお持ちの方って今まであまりお会いする事はありませんでした。 自分と全ての基準が同じ人なんて考えればいないのが普通ですよね? でも、痛みの部分を共有してくれた人なんかには結構期待してしまい、自分と著しく違う所を見つけてショックを受ける事を繰り返してしまっています。 いい加減、人に自分のコピーを期待するのを止めなくてはと自分に言い聞かせるのですが、なかなかそうもいかず、同じところでずっと立ち止まっています。 >特に人生・人格がらみの相談では、無遠慮な回答や自分にとって期待はずれな回答もあるでしょうから、 優しいお言葉ありがとうございます。実は前回の質問や削除された質問もありまして、凄く批判的なご回答を沢山頂き、少々凹んでいました。 回答を頂いておいてこのような事申し上げてはいけないのかもしれませんが、凄く私にとっては質問とは違う点から攻撃的な文面で来られる方もいらっしゃるんだと思い、批判するにしても悪い所を書くだけではなく人を挑発したり、カマをかけたりする人もいてネット上が匿名性である事の難点とも言える点を感じた事もあります。 参考にさせていただける意見も多々ありますので、自分を客観視するには良い場合もあります。 そうですよね、人格的な事や人間関係のことは全てをここで伝える事は不可能ですので全てを理解してもらう事も不可能ですよね。 でも、やはり身近な人には言えないことはどうしてもこう言う方法で気持ちを吐露してしまいます。 私も食事を共にして不快な人は絶対ダメです。 いくら着飾っても隠し切れないものが表れると思いますので。
- ion-H2O
- ベストアンサー率17% (10/58)
人の気持ちを考えることを覚えると良いと思います。 あなたが幾つ位なのかわかりませんがまだ遅くはないはずです。 きつい言い方かもしれませんが、脳内ルールは他人に通用しません。 自分の正義が他人の正義ではないということです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 人の気持ちは考えすぎるくらい考えています。 ただ、気持ちの拗れが無い相手には。 私の場合、好きが一転嫌いになる事が多く、嫌いになってしまうとバッサリ相手の全てを否定してしまいます。 極端なんですね。おまけに激しくて。
- mintmiko
- ベストアンサー率21% (128/605)
以前の質問を簡単に見させていただきました。 少し議論っぽくなってしまっている気もします。 私は何かの本で読んだことを思い出したので、それをまず伝えます。 「問題をご自分で自覚しているか、していないかが大切なのであって、その原因を探るよりは、今後どういう自分でありたいかを描いて、そのために、どうしたらいいのかを考えた方がいい」 もし、あなた自身が自分が異常だと自覚なさっているのなら今後なりたい自分を自覚できると思います。 疑いをもっている時点で、いくら原因を探したところで、疑っているのであるなら、原因はいくつでもでてきて特定できないと思いますよ。 私があなたに感じたことは、気にする必要がないことを気にしてしまう傾向があるのかなということ、気にしてしまい結果言葉がでたときに感情がストレートにでてしまっているのかなと。 例えば、 「次、サービスエリア寄ろう」 って言われ、少しカチンときました。 自分が寄りたいのなら「寄って」か「寄ってくれる?」じゃないの? →「私はどっちでもいいんだけれど、寄りたい?」って言葉に出してしまえば、相手も「うん、寄って欲しい」っていったかもしれないし。 「私ね~今までお話し相手になってあげとったんよ」 →これは、旦那さまが一人で出かけてしまったから、旦那様に対して(ひとりにさせちゃあなた(質問者さん)が気をつかっちゃうでしょう。)的意味で、母親としての言葉だと思います。 「そうそう、お義母さんが、話し相手になってくれてたの。楽しかった」って一言言えば、旦那様も「はっ」とするでしょうし。 ミシン目の音に関しては、「ごめん、もう少し音立てないようにしてもらえるかな?ちょっと気になってしまうから。」と一言言えば済むはなしではなかったではないでしょうか。 素直に感じた言葉を、相手が受け取りやすい言葉で発することができたら、相手にも伝わりますし、自分自身も伝わって楽になると思います。 それには、相手の立場にたって、受け取りやすいことば、自分が言われて嫌だと感じない言葉を。 いらっときたときは、深呼吸をしてみて、相手はどう考えてる?と、自分の解釈ではなく、その本人になってみたつもりで解釈してみると、悪意や、遠まわしで配慮がないと思うようなことはなくなると、私はおもいますよ。 正常とか異常とかではなく、余裕がないだけだとも思います。 とりあえず、カチンときたり、いらっときたら深呼吸。かな。 失礼いたします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 原因は探した所で過去に起きた事ですから、変えようが無い、確かに未来に目を向ける方が賢明かもしれませんね。 私は自分がこうなってしまった原因探しに凄く神経と時間を使いました。 深呼吸、今まで思いも着きませんでした。
私の妹もそういうところがあるかも……と思いながら読んでいました。 プライドが高いんじゃなくて、逆に自己評価が低いんじゃないですか? 周囲に認められたい、という気持ちが強いような気がしました。だか ら少しのことで見下されていると感じたり、相手の心を裏読みしてし まったり……かわいい言葉で言うと「へそまがり」なんじゃないかな。 >今後の人生の事を考えますと、 >このままでは怒ってばかりで楽しくありませんので、 >どこがどのように正常で無いのか知らないと >治療の方向性も見つからず、困りますので ↑を、ちょっと友人なんかに相談するような言葉に変えて 言いなおしてみると質問者様の場合どうなりますか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 自己評価が低い、ピッタリです。 ですので人に頼み事をしたり、物を借りたりする事も超苦手で、何でも一人でできるようにとの思いから、どこに行くときも借り物しなくて済むように荷物がいっぱいになるのです。 「貸して」って言って断られたり、貸してくれても渋渋だったりすると 私なんかに頼まれても嬉しくないよね?って自分の中で感じ、傷付くので傷付くのを回避する為に知らず知らずそうなりました。 自己評価が低いので、平気で自分の話ばかりする人(特に自慢話)なんかがいると、 「誰にも興味もたれて無いのによくやるよ」 と内心思うので、私から自分の話を人にする事は夫以外にはありません。 容姿の優れない人(異性にもてなさそうな人)なんかが人前で堂々と自分から彼氏の話を始めたりすると、 「自分に自信があるんだな」 とある意味羨ましいです。 >>今後の人生の事を考えますと、 >>このままでは怒ってばかりで楽しくありませんので、 これから先、怒ってばっかりだったら楽しくないしね。 >>どこがどのように正常で無いのか知らないと >>治療の方向性も見つからず、困りますので どこがどういう風に悪いのか分らないと治しようも無いし困るわ。 口頭で言うとこんな感じだと思います。
- horahuki-dondon
- ベストアンサー率11% (81/729)
このサイトの趣旨とすれば、 前の質問を締め切ってからにしましょう。 この書き込みにどう感じますか? あなたの我慢の袋がいっぱいなら、吐き出す方法を質問すれば程よいアドバイスが得られる事と思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 また回答を締め切るのを忘れていました。 先程、また新たに回答を寄せて頂いた方がいらっしゃり、その方にお礼を書いた所です。本来の趣旨は仰るとおりですが、最後の方からの回答をもう少しだけ待たせて頂きたいです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 当方の都合でお礼を書かせて頂くのが非常に遅くなりまして申し訳ございません。 とても心に響きました。 超自我と言う言葉を聞いたのも初めてでしたし、とても分りやすく書いて頂いて文面からお人柄が分るような気が致しました。 >自分の欲望を抑圧(規制)することが善という価値観を、やや強目に体験してきたのかもしれません。 そうだと思います。子供の頃から周囲の人間特に母親と姉に自分の人格はおろか存在そのものを否定するような辛辣な暴言を受けて育ちました。私は本来、とても好奇心が旺盛で興味の赴くものが目の前に現れるとそれに全てを奪われてしまい、よく迷子になる子供だったと聞かされました。変わり者とも幼い頃からよく言われてました。 姉が塗り絵や手芸など女の子らしい遊びが好きで、親にとって扱いやすい子供だったのと対照的で近所の男の子と遊んでいてもいつも最後は私が男の子を泣かせてしまう状態に母も手を焼いていたらしく、私が生まれてきた事自体を悔いる母のボヤキを耳にしない日の方が少なかったと記憶しています。 そんなこんなで思春期の頃から徐々に自分自身を出す事が社会との軋轢を生み、結果的に自分が傷付く事だと知らず知らずの内に思うようになったんだと思います。(補足欄に続きます)
補足
文字数がオーバーしましたのでこちらに続けさせていただきます。 自分自身に全く自信が無く、自己肯定感、自己受容がほぼゼロでしたので、何でも事が起きると自分を責めてしまい、自分の責任ではない事でも簡単に謝ってしまうなど人に付け入られる事ばかりをしてしまっていました。 その結果、大人になっても奔放な言動を取る人を嫌うようになったのだと思います。 >これは一見すると、あなたの超自我が他者の無法を許さないという構図に見えないこともありません。 上にも書きましたがそうだと思います。ですから、私は大人になった今でも奔放な発言をしがちな子供が嫌いです。子供が嫌いと言うか、公共の場や他人に対して奔放な言動を取っても注意しない親に凄く憤りを感じます。 小さいとは言え、口で言って分る年齢になると、人を指差す事が失礼でやってはいけない事だとか、生まれつき外見が著しく正常には見えない障害を持っている人を好奇の目で心行くまで見、感じた事を口に出す事がいけない事だとか、そういった他人を傷つける、他人の自尊心を踏みにじるような言動を抑制する教育を出来ない親については特に厳しい目で見てしまっています。 私は自尊心が低すぎるあまり、自分の意見を自分から口外する事はありません。自分の好みや、自分の話で終始する人なども仰るように私の超自我に触れるんだと思います。 >人は誰しも先の3要素のバランスをかろうじてとりつつ生きているのでしょう。 そうですね、大勢の人にさわやかな印象を持たれる好感度の高い人も、よくよく観察してみると超自我だけの人は今の所居ません。 私にとってはそれが我が強く写ったりするんですけど。 誰しも私利私欲を持たない人はいないと思います。勿論、私にも心の中には打算や利己的な感情はあります。 それを口外する事が出来ないだけです。 とても参考になりました。 凄く心の中の得体の知れないものの正体が分りました。