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ボランティア活動やっててむなしくなることないですか?
英国の大学で、日本人留学生をヘルプするボランテア活動をやってますが、最近むなしく思うことがあります。最近、ヘルプしても礼も言わない学生が多いのです。また、自分が困ったときにだけ連絡してきて情報を得ようとするのに、定例の会合を計画しても参加しようともしない。会合は相互に意見や情報交換に重要な場を提供しているのですが、自分に問題なければ関心がないようです。
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lilactさんの参考HP、読ませていただきました。すごく共感しました。ぜひ、MCMCさんにも読んでいただきたいです。良いHPを紹介していただいてありがとうございました。ボランティアって本当に楽なものではありません。誰にでもできるものではありません。息苦しくなるまで無理しないで、時には休息しゆっくり考えてみるのもよいかもしれませんね。
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議論してすみません。#4です。 >皆さん「ボランティアをしてあげている」という感覚をお持ちなのではないでしょうか? それは無償派、お礼ぐらい言って欲しい派のどっちが? わたしは老人ホーム系のボランティアに参加した経験者ですが、介護される方々は自分より劣る人間でもなければ、お礼もなにも与えることができない人間ではないんですよ。 わたしと対等の人間です。 対等ならばギブ アンド テイクは当たり前だと思います。ビジネスと違ってボランティアをギブしたらお金の代わりにお礼ぐらいテイクしてもいいんじゃないんですか。 「あんたはなんにもできないからボランティアしてやる」なんて思い上がりたくないですから最低限もらうものはもらう。 お礼もできない人とする人を同列に扱うのは、自分の気持ちの上でも、きちんとお礼をしてくれる人に対しても不平等に感じてしまうんです。 最初はねそれほど見返りを求めなかったんですけど続けていくうちにテイク(お礼)は活力になってくるんですよね。逆に礼なしは脱力につながっていく。
- pancho
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ちょっと割り込みです。 #6の方の意見に賛成なのですが、皆さん「ボランティアをしてあげている」という感覚をお持ちなのではないでしょうか? それは、逆に「ボランティアをされている」という気持ちにもつながり、受けている側には負担に感じることがあります。 視点が違うかもしれませんが、東南アジアで広く信仰されている小乗仏教(特にタイ)では、お布施をする側が喜びを感じ、お布施を受ける側の僧侶は御礼も言わず目を合わせることも有りません。お布施をすることで自分自身が徳を積むことができると考えているからです。 「10人の内、ひとりがお礼を言わない」ことにむなしさを感じるのではなく、「10人のうち、ひとりがお礼を言ってくれる」ことに感謝できなければ、まだボランティアを「してあげている」「している自分を自慢に思う」「自己満足を感じる」域を抜けていないんじゃないかな? ボランティアって言葉が一人歩きしている感があるけれど、「目の前のゴミを拾うぐらい自然なこと」に感じていないことをするのは、お互いに気を使って大変なんじゃないでしょうか? 以上。
- alishia
- ベストアンサー率17% (19/111)
#6の補足です。 お礼も言えない人こそ、本当にボランティアを必要としている人(切羽詰っている人)なのだと思います。心が貧しい人です。愛する心、命の大切さなど大事なことが分かっていないのです。かわいそうな人です。 がんばってくださいね!
- lilact
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ボランティア活動をしていないので、直接的な回答ではないのでアドバイス 自信なしとしました。 参考URLにボランティアについて質問と解答がありますので参考にして みてください。
#1です。 >見返りがあってもいいとおもいますよ。人間は機械じゃないから。 お気持ちは分かります。でも,機械に徹するべきです。 現にMCMCさんの気持ちが初めの頃と変わっていて,その人達への対応も変わっているでしょう? それではボランティアの意味が有りませんよ。 それが無理なら止めた方がいいと思います。
- alishia
- ベストアンサー率17% (19/111)
#1の方と同じですが、基本的にボランティアというのは「見返りのない(求めない)奉仕活動」だと思います。見返りなど何も期待せず、困っている人を助けることができて嬉しいという気持ちだけもてるようになったとき、初めて真のボランティアと言えるのではないでしょうか?私も種類は違いますが、ボランティアをしています。お礼を言う人、言わない人、迷惑がられる場合などあります。感謝の気持ちを持つことはもちろん大切なことだと思いますが、実際考え方の違う人はたくさんいます。確かにお礼は言われたほうが嬉しいという気持ちをもってしまうのは、自然な気持ちかもしれませんけどね。 がんばってください。
お礼
お礼することがそんなに難しいことでしょうか?
- pierre_1999
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私はここ5年間、年中あらゆるボランティアをやっていますが、 人それぞれだと思っています。 それよりも、感謝してくれてうれしい思いをしたことをずっと 覚えておけばいいんじゃないですか? 横柄にあしらわれても、こんな人もいるんだくらいでいいと思います。 もちろん私も感情があるので、横柄にあしらわれるところには ついつい足が滞りがちになります。 用事があるとか言って、手伝いしなくなることが増えますね。 それでいいと思っています。 誰か感謝してくれる人がいて、自分もうれしく思える気持ちがあれば 心も満たせますし、そういう人たちとだけつきあっても、それで 結構と思いますよ。
お礼
お礼の気持ちがあるから、ボランティアは成り立つのだと思います。
ありますね~。むなしいというかむかつくことって。 いくらボランティアとはいえ、気持ちだけは欲しいですよね。 そもそもボランティア活動の原動力って 「誰かの役に立ち相手が喜んでくれること」「誰かに感謝されること」 だと思います。 気持ちすらいらないなんてご高潔な人格の人ってそういませんよ。 ボランティアだからといって横柄な態度をとる人は所詮その程度の人です。 きちんとお礼を言ってくれる人にはこちらも親身になれますが、お礼もいえないひとには親身になれないし必要以上のことをする気にもなりません。 意地悪な言い方ですが、わたしはまっとうな人だけ相手にして礼儀に欠けた人は適度にほっといています。
お礼
適度にほっておくのがコツなんですね。
私も、台風で、小学校の体育館に批難してきていた方達のお世話を、 たった4日ですが、したことがあります。 1・2日目はこちらが申し訳なく思ってしまうくらいにお礼を言われていたのですが、 その内に言われなくなり、無理な注文も沢山受けるようになりました。 4日目に帰るときには挨拶もして下さらない方もいて、哀しくなりました。虚しさだったかもしれません。 そして、そのことを、そのボランティアを計画した先生に、愚痴りました。 すると先生は、こんなことをおっしゃいました。 「ボランティアを受けている方の立場が横柄になっていくのは、 その方達に、きちんとしたケアが出来ている証拠だ。 きちんと仕事が出来ているからこそ、受ける方達は、新たなものを要求し、 私達が供給するものを当然だと思うようになる」 私はこの言葉に、納得しました。 見返りは、私はやっぱり欲しいです。金や物はいりませんが、せめて言葉くらいは。 この言葉に、MCMCさんが納得出来るかどうかはわかりませんが、 まぁ、こんなこともあるんだと、是非知って下さい。先生は、心理学専攻です。 気持ち良くお仕事できる状況になることを、祈っています。
お礼
言葉くらいあってもいいですね。減るものじゃないし、誰でもできるのですから
- nitto3
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私は表立ったボランテイアは経験ありませんがちょっとした手伝いをよくしました。 皆さんただで使うのが当たり前になってしまい、お礼どころかつぎつぎに新しいことを さも当然として持ってきます、お礼どころか、頼みますとも言わない。 頼んだ仕事の成果を話そうとしない。 最近では頼まれ仕事はしないようにしています。
お礼
良くわかります。
補足
いいえ、変わってません。意味があるかどうかわからないが、必要だからやっているだけです。