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つまりとすなわちの品詞について
言い替えのときに用いる「つまり」と「すなわち」について質問です。 辞書で調べると,つまりは副詞となっており、一方で,すなわちは接続詞となっています。 二つはよく似た言葉だと思うのですが,どうして品詞が違うのですか?
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「すなわち」は、元は「ある時」を示す名詞でしたが「即時」の「即」の訓に用いられ、そこから「他の意」を表す「即」に順次用いられるように変化し、そこから接続詞としても「すなわち」が成立したと考えられています。 接続詞としての用法は、前の事柄を受け、その結果として後の事柄が起こることを示し「…ば、すなわち…」「…。これすなわち…」と用います。 例文は「戦えばすなわち勝つ」「日本の首都すなわち東京」などとなります。 「前の事柄と後の事柄を接続する」ので「接続詞」です。 前の事柄の記述を句点で切って「すなわち」で続ける場合に「…。すなわち…」とするのは誤用(前後が接続されてない)で、句点で切った場合は「…。これすなわち…」と、代名詞の「これ」と「後の事柄」を接続しなければなりません。 なお、これとは違い「即座に」「すぐに」の意で連用修飾語として用いられるものは副詞と考えられます。 例えば、竹取物語の一節にある「立てこめたる所の戸すなはちただあきにあきぬ」など。 「つまり」は「はては」「結局」など、「物事の展開する最後の段階では」や「論理の行き着くところでは」の意味で用いられ、副詞となります。 「言い換えれば」「結果的に」「要するに」「すなわち」を意味する用法もあります。 例えば「それは神、つまり絶対者だ」など。これは「それは神、すなわち絶対者だ」に言い換え可能です。 このように「すなわち」と「つまり」は、当初は違う意味(違う品詞)で用いられたのが、時代とともに変化して似たような意味で用いられるようになった、と考えられます。
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- kyouzaiya-k
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「日本文法事典」(有精堂)の「接続詞」の項では、一般論として次のように書かれています。 >本来の日本語には接続詞と認めるべき語は存在せず、中世以降、他品詞からの転成(「また」「かつ」「すなわち」「なお」―副詞から、「及び」―動詞から、「が」「で」―助詞から、など)や、二つ以上の語を複合させて(「されど」「しかるに」「並びに」「すると」「したがって」「ところが」「あるいは」など)急速に発達したという事情があり、この事が、接続詞の概念規定そのものに問題があることに加えて、どの語を接続詞とするかという認定を、より一層難しくしている。 したがって、接続詞として所属させられている語は、説によって異なるところがあるというのが、現状である(例えば『品詞別日本文法講座6』の巻末付録では「接続詞および接続詞的語彙一覧」という取り扱いをしていて、その苦心のほどがうかがわれる)。 つまり、専門家でも手を焼くのが接続詞の取り扱い、ということです。具体的に資料を(手元にあるものだけですが)見ていきましょう。 一 国語の教科書(中学校。全五社)では A つまり……四社が接続詞、副詞としたものは0。一社には記載がない(あるいは、私の見落とし)。 B すなわち……二社が接続詞とし、副詞としたものは0。三社には記載がない(あるいは、私の見落とし)。 →学校文法では、「つまり」は接続詞というのが主流、「すなわち」も副詞とするのが一般的、といえそうです。学校や塾で教えるのなら、両方「接続詞」と説明すべきです。 二 国語辞典(全五社)では A つまり……副詞が四社、接続詞が一社。 B すなわち……副詞が二社、接続詞が四社。(副詞/接続詞の両方があるとしたものが一社あったので、計六になります。) →辞書業界では、「つまり」は副詞というのが主流、「すなわち」は接続詞とするのが主流、ということのようです。 三 文法辞典(「日本語文法大辞典」(明治書院)では 「つまり」も「すなわち」も接続詞、としています。 同書の、次のような解説が参考になると思います。【 】は私が強調のためにつけたものです。 A「つまり」の項の説明(これは現代語として説明されています) >【前文の叙述内容を、以下において、要点を絞って言い換える、又は、つきつめて最終的に至る結論を示す。同列ないし反復の接続詞。】「すなわち」「言い換えると」「要するに」「結局」などと重なるところがある。(中略) 「つまり」は、単にことばの言い換えにすぎないときにも用いられるが、「要するに」は、ことばの言い換えの場合は使いにくい。【前提となる前文が意味上具体的にふまえられていないときには、接続詞というより副詞と見る方がよく、その場合は、話者の以下の述べ方を限定していると見られる。「あんなに長々と話をされてはたまらんよね。つまりはやいはなし、私ははやく帰りたいんだ。」】 私は学校文法をもとに仕事としているので、「つまり」を接続詞と考えたいのですが、その根拠となるのが、「接続詞は前後の内容をある関係でつなぐ」という単純かつ陳腐な定義であり、また【 】にあるように、前後の関係性が薄い場合は副詞とすべきだが、前後の論理的な関係を示している場合は接続詞とすべきである、という考え方・立場です。 辞書で「つまり」を副詞とすることが多いのは、辞書の場合、語誌(語源)を重視することが多く、「つまり」は現代語であって(文語にはない)、接続詞(的)として使われるようになったのが最近なので、元々の副詞説をとっているからではないでしょうか(想像ですが)。 一方教科書(学校文法)で接続詞とすることが多いのは、現代語での使われ方という観点(上記の「前後の論理的な関係を示している場合は接続詞とすべきである」という観点)から見てのことではないでしょうか(これも想像です)。 B「すなはち」の項の説明(これは文語「すなはち」として説明されています) >「即時」の意の名詞であったものが、副詞として用いられるようになり、更に接続詞として転用されるようになったと考えられる。 (中略。ここには、文語「すなはち」には、順接の働き(そこで、そうなれば、とりもなおさず、などの意)と、「つまり」「そのまま」と同じ働きの二種があったことが書かれています。) 【現代語でも接続詞として用いられるが、つまり、の意で、解説・補足の接続詞として専ら用いられている。】 僭越ながら以上を踏まえてまとめると、 「つまり」にも「すなわち」にも、副詞としての働きと接続詞としての働きがある。語誌的には、副詞が本来の用法であったが、現在の使われ方(前後の論理関係を示す)から見ると、理論的には接続詞と分類した方がよいと考えられる。繰り返しになるが、「副詞」か「接続詞」をうんぬんするのではなく、文脈によって副詞的にも、接続詞的にも使われると考えた方がよい。ただ、学校文法的には(学校・塾で教える場合には)、接続詞として教えるべきである。
お礼
回答ありがとうございます
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