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日本国は、三権分立と習いました

国民学校経験者です 昭和20年代に、新憲法で日本国は三権分立だと習った記憶があります でも、司法の死刑という最高意志決定に、行政の法務大臣のハンコが要るのですか 

みんなの回答

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.7

 死刑執行には法務大臣のハンコがいるのは事実ですけど、法務大臣に最高裁の判決を無視する権限を与えているわけではありません。  担当者の「今日は女房とケンカしてむしゃくしゃしてるから、5・6人死刑にしようぜ」とかいう暴挙を押さえたり、「なにか新しい証拠が見つかったらしいじゃないか」とかいう場合に執行を待たせたり、とにかく適正な手続きを経て執行させるという意味合いです。  ところが、どこかの勘違い男が大臣になって「オレは死刑のハンコを押さない」などと、公然と「最高裁判決の無視」を宣言したりしてます。時の総理大臣もマスコミもそれを黙って許していました。  勉強し直せ、大臣になる資格無し、と言いたいですね。やるなら堂々と恩赦などをやればいいのに。

noname#61929
noname#61929
回答No.6

そもそも「三権分立」の意味が理解できていないだけです。なるべく平易に表現するので不正確ではありますがそれでいいでしょう。 #三権分立に対する一般の人の理解がたかが知れているのはやむを得ないことではありますが……、教育がなってないということ。 三権分立とは「国家権力を立法、司法、行政の3つの権能に分離しそれぞれを相互に独立した機関にゆだねる国家統治組織の基本原則」のことを言います。そこで「立法」「司法」「行政」とは何かが問題になります。 「立法」とは要するに「国家及び国民が従うべきルールを決める権能」のこと。「司法」とは要するに「立法が定めたルールを現実の問題に適用して法律的な解決を図る権能」のこと。 「行政」とは「立法」と「司法」に属するものを除いたすべての権能。 ここまでを前提として押さえておかないと駄目です。 さて、「司法」というのが「法律的な問題に対して法律的な解決基準を示す」のを目的としていることであれば、裁判所の権能は、「裁判により解決策を示すところまで」です。実際にその解決策を実行するのは本来「司法」の権能ではありません(ただし、「司法に付属する権能」である可能性はあります)。 そこで、「死刑判決を出す」というのは「裁判所の判断だけで独自に行うことが出来る」のであり、「法務大臣のハンコ」など全く関係ありません。「法務大臣のハンコ」などなくても「裁判所は勝手に死刑判決を出すことができ、且つその死刑判決は法律的に完全に有効」なのです。つまり、裁判所が司法権の行使として「死刑判決」を出すのに対して「行政は全く関与しない」のです。これは司法の範疇であり行政の範疇ではないからです。 ところが、刑罰の執行ということを見ると、これは「司法」ではなく「行政」の権能です。執行可能な裁判が確定すれば、原則として検察官が指揮を執り執行を行います。法務大臣の許可なり命令なりは不要です。ただし「死刑だけは例外」で事の重大さゆえに「法務大臣の執行命令が必要」ということになっています。しかし、いずれにしても「裁判所は全く関与しない」です。もはや行政権の範疇であり司法の範疇ではないからです。 ということで、問題は「法律の適用により死刑という判断をすること」と「その判断に基づき死刑という刑罰を実際に執行すること」とは別の話であるということで、それぞれが「司法」と「行政」に属する別個の権能であるということが理解できれば、質問の答えは自ずと分かるはずです。 以下は参考。若干語弊はありますがこの「国家刑罰件の発動に関する裁判とその執行」の問題は大雑把に考えれば、 1.刑罰権の行使は元々行政の役割である。 2.しかし、刑罰権の行使を勝手にやられては困る。 3.そこで刑罰権の行使を正当化するためお墨付きが必要である。 4.お墨付きと言えるには、法令の解釈適用により個別の事件における刑罰権の行使が正当であることを認めるものでなければならない。 5.ところが個別の事件において法令の解釈適用を行うこととは司法権の行使に他ならない(もちろん、行政だって行政上必要な解釈適用は行うが、個別の事件についての終局的な解釈適用は司法の権限である)。 6.つまり、司法権を有する裁判所の判断が刑罰権の行使のお墨付きになる。 7.お墨付きを出すか出さないかは偏に裁判所の判断にかかっており、行政が介入することはできないのだから相互に独立している。 8.しかし、お墨付きが出ればその後どうするかは偏に行政の判断であり、逆に司法が介入することはできないのだからこれもまた相互に独立している。 という話です。

  • funoe
  • ベストアンサー率46% (222/475)
回答No.5

さらには、法務大臣の命令が必要ということ自体、法律によって規定されていることなので、立法府によって定められたものです。

  • utama
  • ベストアンサー率59% (977/1638)
回答No.4

当事者主義の下、刑罰権は行政にあります。 裁判所は、行政機関である検察官の申立て(公訴の提起)を受けて、行政府が刑罰権を行使してもよいかどうか判断する、あえていえば、行政府に対して刑罰権行使の許可を与える機関です。行政府に対して刑罰権の行使をしろと命令をする立場にあるわけではありません。 法律を作る段階での立法府の判断、裁判による裁判所の判断、執行機関である行政府の判断の3つが全てそろって、刑罰の執行がされるというのは、まさに三権分立です。

  • yakyutuku
  • ベストアンサー率14% (267/1890)
回答No.3

その通りです。ついでに言うと、恩赦という形で死刑をやめて無罪放免にできたりします。

  • boss301
  • ベストアンサー率22% (103/448)
回答No.2

司法は法に基づいた判断のみを行い、行政は法に基づいて行政のみ行うからではないでしょうか。 つまり、死刑という判断はあくまで司法の場で行なうものであって 行政がその司法判断自体に介入してはならないものですが、実際に死刑を執行することは、あくまで行政の範囲として、司法の判断に基づいて 実行するのみで、その司法判断には反してはならないということです。死刑という判決は司法の場で行なわれ、死刑執行の指示を法務大臣が行なうことは、三権分立に何ら反していないと思います。

回答No.1

執行は行政の管轄となります。