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死去のニュースがやりきれません。
同じ日に、松岡大臣とZARDの坂井泉水さんの死去のニュースがありました。 どちらも本当に驚きました。 どちらも死因が死因なだけに、やりきれなさでいっぱいです。 今までにも有名人の死去のニュースでは驚くこともありましたが 一般人のわたしがこれほど考え込むことだろうかと思うほど 心に重く乗っかっています。 「なぜだろう」と考えるとため息が出ます。 涙が出そうです。 大好きなドラマのテーマ曲で 学生時代にはカラオケでもよく歌って 「君に逢いたくなったら」という曲を聴くと今は悲しくて仕方ないし、 だけどなぜかそれ以上に松岡大臣の死は こみ上げるようなものがとても大きいです。 わたしはおかしいでしょうか? ZARDのファンの方が号泣するそれとはちょっと違う感覚だと思います。 なんていうか、少し気分が悪くさえなります。 どうしたらこの気持ちを払拭できるか知りたいです。 よろしくお願いします。
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涙が出そうなら、とりあえず出しちゃったほうがいいと思います。泣いて、いろんな人に気持ちを打ち明けて、発散させるといいでしょう。そして、悲しかった分だけ、幸せなニュースや笑いに触れるようおすすめします。自死の知らせって、確かに気分が悪くなることがありますよ。死をおそれる人間の本能じゃないかなと私は思っています。明日はいい日でありますように。
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- hisayan17
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こんにちは >こみあげる・・・・がよくわからないですが、気分が悪くなるというのはわかる気がします。マスコミのとらえ方も死ぬ前はあれだけ犯罪者扱いしてたのに本人が自殺という選択肢をすると、今度は、自殺の原因を作ったもの・・・本人を美化し、そんないい人を死に追いやった犯人を探そうとする。そんなことは本人が死ぬ前でもできたことではないでしょうか?マスコミは市民の代表で正義の味方みたいな、論調に嫌気がします。それに政治家も自分の派閥の人間に対して(某文部科学大臣)死人に口なし・・・と発言したこと・・・同じ人間としてはやりきれない・・・・いくらいい人だったと美化しても、悪いことをすれば悪いひとなのではないかなと思います。
- komimasaH
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人は簡単に死ぬのです。 私は家族4人が10年の間に次々と亡くなりました。そういう経験 をすればそのことがわかります。 死を美化して考えるのは日本人特有なのでは。 松岡氏は職務をまっとうせず、それどころか悪いことをしてきた それで、あの世に逃げた人でしかありません。 悲しむべき対象などでは到底ないと思います。 遺書に日本国民と書いてあったとか、ふざけるなです。 ということであなたは私からみたらおかしいです。
- weber7009
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>だけどなぜかそれ以上に松岡大臣の死は こみ上げるようなものがとても大きいです。 「こみあげるようなもの」の具体的な描写をして頂ければ、幸いです。私の場合、政治家の死に対しては、どちらかと言えば冷静に見れます。ですので、質問者様の「こみ上げるようなもの」の意味がよく理解できません。 人間の「はかなさ」とか「むなしさ」とかと言うものでしょうか。
- mazeran
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宗教、哲学の世界の話しになるかも知れませんが・・・。 「死」を恐れない生物はいません。怖いから生きようと努力しているんです。 でもこの世の生物は、必ずいつかは「死」を経験します。私もあなたもです。 死後の世界の真相は誰もわかりません。一部の人達の「臨死体験」の話しがありますが、本当のところは自身が「死」を経験しないとわかりません。 「あの世」と言われる世界が本当にあるのか。肉体だけが滅んで魂と言われるものが本当に永遠に存在するのか・・・。 「あの世」が本当に存在し、ひょっとしたら「この世」よりいいところかも知れません。 「生きる」とはこの世に肉体が存在することで、肉体が存在しなくなることを「死」と呼んでいるだけなんです。 肉体が存在するしないは、自分の目で見なければわかりません。 知人が海外で永住することになったとします。「また会おう」と約束はするものの、お互いの仕事などの事情で結果的には二度と会えない知人がいたとします。そのとき知人は自分の目では見えませんから、この世に存在はしているけど、「死」の状態と同じことじゃないでしょうか。 でも知人のことを、死んだときのように悲しまないのは、「心」や「気持ち」というように、肉体とはまた別のもので結ばれているからじゃないですか。 不幸にして亡くなられた方も、実は海外で永住しているんだと考え、肉体以外のものでしっかり結ばれているから、何も心配ないし悲しくもない・・・とは考えられないものでしょうか。 私の場合は「肉体が見えていないだけ」と考えることにしています。 肉体が見えているときに作り上げた「心」は、海外で永住していても同じですよ。 年金問題や派遣社員の扱いなど、「不平等」なことが非常に多いですが、「死」だけは金持ちも貧乏も、健康な人でも誰でも平等です。 必ずみんな一度は死んじゃうんだから・・・と、あまり「死」と言うのを特別な見方をしない方がいいと思います。 暗い気持ちにならずに、「死」というものを偏見をせずに自分なりにじっくりと考えてみると、案外、素直に受け入れられると思います。