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生きることの不安はありませんか?
21歳男です。僕は死にたいとは全然思わないのですが、ふとJR福知山線の脱線事故を思い出しました。 僕も普段福知山線に乗っていて通学しています。あの電車に乗った人はいつものように同じ時間の同じ車両の同じ場所に座り、いつものように本を読むかウォークマンを聞くか、眠るかということをしていたのでしょう。いつもとかわらない電車内だと思っていたでしょう。今日の夜の合コン楽しみだなとか、今日は阪神勝つかなーとか思ってた人もいるでしょう。まさか自分が数分後に事故で死ぬと考えている人は1人もいなかったと思います。 自分は80歳まで生きることが当たり前と考えて生活している人は多いと思います。大学行って、卒業して働いて、家族もって幸せな人生を送りたいなと僕も考えています。そして僕のおばあちゃんみたいに、86歳まで生きさせてくれたからいつ死んでも後悔はないと言いたいです。 でももしかしたら明日事故で死ぬかもしれないと頭の片隅で思う自分もいることは確かです。僕はこんな不安を感じて生きていってもいいと思いますか?皆さんは僕みたいな不安を感じたことはありませんか?教えてください
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いつも「思って」いますよ。 思っていたからといっても、その通りになるわけでもないしね。 言うなれば「心構え」みたいなもんかな?。 自分の人生に「張り」を持たせて、へたれないようにするには、これくらいはやんないとね、自分の場合はね。 そう言う気持ちが「不安」であるうちは、まだ人生は「これから」なんだと思う。 たくさんの時間があるから、余計にそう強く思うんだと思う。 それは反面、とても幸せなことだと思うよ。 人はいつかは「死」を意識するようになる。 これは人によってバラバラで面白いんだけど、本当に年を経てから考え始める人もいるし、若くして考えに行き着いてしまう人もいる。 どちらに「良い悪い」は無いんだけど、いづれにせよ「誰もが通る道」なんだよね。 あなたは若いうちに「死」を認識したことで「不安」をかんじるのは当然なんですね。 だけど、とりあえず今は「そちら側」を向きながら生きていく必要は無いでしょう。 あなたのお祖母ちゃんのように「86年間」人生を送られてきた方を想えば、あなたは彼女の人生の「半分」も生きていないことになります。 いろいろなことを、まだ知りえない年代だと思うのです。 知らないことが多いときに、先のことを模索していっても、真実に近い回答は得る事が出来ないでしょう。 あなたがやるべきこと、為す事は「経験と成長」の時代を懸命に生きる事です。 「若い頃は良かった」などという台詞が、いざこの歳になってみると「間違い」なんだな、ということが理解できました。 若い時の「苦さ」を、今現在の私は再び味わいたいとは到底思えません。 昔の「私」だからこそ、突っ切ってこられたのですね、その「エネルギー」の膨大さによって。 「今出来ること」に真剣になっていれば、そんな「不安」なんて消えていってしまいますよ。 もう少し後、40代も後半が見えてきたら、その時にでも考えてみれば良いことです。
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- Ayumi777
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わたしが五歳くらいのときに、親が死んだ友達がいて、 いつかは家族はみんな死んでしまうんだな、ということに 気がついてぞっとしたことがあります。 ま、いまんとこは元気だからいいや・・と気をとりなおしましたが(笑) 今のわたしにとっては、明日死んでもまあしょうがないね~、 でもあんまり死にたくはないな~~・・・、 というかなり適当な気持ちの持ちようです(爆) クリスチャンではないのですが、 ちょっと聖書のイエスの言葉を思い出しました。 『野の花を見なさい』という有名な一説です。 「明日は刈りいれられて、火にくべられてしまうかもしれないけれども、紡ぎもしないし、働きもしないけれども、野の花はこんなにも美しい。王様よりも美しい。それは、神に愛されているから。 野の花でもこんなに愛されているのだから、 ひとであるあなたはもっと愛されているのですよ」 というような内容だったと思います。 今この瞬間を、精一杯生きる。 ここにあることに、感謝して生きる。 それが幸せ、なのかもしれませんね。
- weber7009
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人間はいつか死にます。その意味では平等です。しかし、福知山線脱線事故とかエキスポランド事故などのように、不慮の事故でなくなる可能性はだれにでもあり、その意味では明日の命は誰も保証されていません。不慮の事故は自分ではほとんど防ぐ事はできませんので、ある意味運命のいたずらとして諦めるしかないかもしれません。勿論、上記の事件とも人災ですがその人災で命を落とす人は何の責任もない訳ですから、一種の不条理ともいえるかもしれません。命の不安は万民共通の不安でしょう。ただ日本のように平和な国では、紛争国と比べればまだ命の保証は高いのではないでしょうか。 一日一日生きていることに感謝し、悔いのない人生を送る事を目指しましょう。
- akki1205
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不安なんてたくさんあります。自分がそこにいなくても、大規模地震の映像とか出ると鳥肌が立ちます。人が死んだと思うとゾクッとします。こういった不安をもって生きるからこそ毎日を頑張れるのではないでしょうか?自分は「1リットルの涙」を読んで、泣いてしまいました。それは自分にとって全く関係のない話でしたが、自分がこういう人もいるということに無知だった自分が恥ずかしくなったのです。 いじめやら犯罪やら起きているこんな世界でも、生きたいと思った人はたくさんいるのです。そう思うとこの世界で頑張って生きようと思えるようになります。 不安はむしろあってもいいのです。知らないより知ってあげて下さい。
- kotonaga
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別に不安を抱えて生きるのは変じゃないのでしょうか?、私はバイクに乗っているのですが、ここの脇道から大型車が出てきたら死ぬなとか、トラックの横にいると巻き込まれたらどうなるかなとか思いながら乗っています。 それに、SF系の雑学好きなので、もし輪廻転生や魂となって死後の世界が有ったとしても、その内宇宙そのものがブラックホールに飲み込まれるか、熱死を迎えて宇宙そのもの死ぬんだら、どの道、完全な死が自分に訪れるのではないとか変なこと考えて不安なったりします。 いつ死んでも良いように生きているのは、理想的な生き方の一つですので、そう考えると死ぬかも知れない不安を抱えて生きるのは案外幸福な生き方なのではないか?と思っています
不安を感じたことはありますよ。質問者さんは大学生でしょ? わたしも大学生の頃いろいろなことを考えました。生きるとは何ぞや?死ぬとは何ぞや?死んだらどうなるんだ?まったくの無になるのか?それとも霊界みたいなのがあるのか?とかね。 でも社会人になって、結婚して、子供産んで、子供育てて、また仕事初めて...そうこうしているうちにそのようなことを考え不安がっている余裕がなくなりました。 hoshinokanataさんもあまり不安がっていないで、二度と戻ってこない今という時間を精一杯生きてください。
- atsushisan
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22歳男です。事故に遭うとは考えて生きていませんが、もうこれぐらいの年齢になれば、何が起こってもそれが現実だと理解できるでしょうし、誰でも何かしらそういう不安は持ちながら生きているのではないでしょうか。