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電車の中でPCやってて下車するときに怒られた
いつも片道3時間通勤で内30分程度しか座れないんですが 先日奇跡的に座れたのでノートPC開いて作業していました。 しかし降りるときに誰だか知らない人が自分の腕を強くつかんで 「電車内でそんなことやって良いと思っているのか!。」 と物凄い剣幕で怒鳴りつけられました。完全に意味不明です。 しかし私も会社に遅刻ギリギリ&電車遅れで接続時間が短く急いでいたので 「どこがどう悪いことだったのか具体的に説明していただけますか?」 と逆に聞き返したかったのを我慢し振り切って逃げてしまいました。 一体あれはなんだったんでしょう?電車の中でPC使うことはそんなに悪いことだったのでしょうか? なにか心当たりのある方は教えていただけますでしょうか。 ちなみに確かに電車の一番連結部に近い席でしたが、そこは優先席ではありませんでした。仮に 優先席でも携帯電話ではないですし…まぁ最近実験でiPodでもペースメーカーに影響が出たそうで 話題になってますから「PCまで遠慮しろとは言われてない」と余り強くはいえないですけどね。 また、その時は自作ゲームの製作をしておりました。 (具体的には登場キャラの立ち絵画像を担当の人からPhotoshopデータででもらったので 画質調整及びゲームexeから読み出せる形式にコンバートする作業をしていました。)
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- staratras
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電車の座席でノートパソコンを使用してよいかどうかは、電車の種別や込み具合、時間帯などいろいろな要素が絡むので一概には決められないと思います。 東海道新幹線で2009年春をめどに無線LANのサービスを始めるというニュースがありましたが、ビジネス客向けの新幹線ではノートパソコンの使用が一般に認められているといえるでしょう。でも朝夕のラッシュ時の山手線の座席で使っていたら、「非常識な人だ」と思われても仕方がないと思います。これはパソコンの使用に限らず、駅弁を食べたり、お化粧をしたり、新聞を大きく広げて読んだりするのも同様でしょう。他人との間隔が極めて近いラッシュ時の車内の座席では、おとなしく座っていないと周りの人に迷惑をかけるおそれが大きいからです。(食べこぼし、香水の匂い、キータッチの騒音など) ご質問の場合は、新幹線と山手線の中間のようですので、私には判断しかねますが、電車の車内は公共の場所なので、パソコンを使っても良いかどうか十分考えたうえで、それぞれで判断すべきではないでしょうか。
- true-1
- ベストアンサー率20% (22/105)
非常に難しい問題であり、あまり議論されない案件であると思います。質問者さんにとって、不快な内容になるかもしれませんが、ご了承下さい。 >しかし降りるときに誰だか知らない人が自分の腕を強くつかんで >「電車内でそんなことやって良いと思っているのか!。」 >と物凄い剣幕で怒鳴りつけられました。完全に意味不明です。 「完全に意味不明です」、というニュアンスからは、自分は正しく、相手が悪い、私は迷惑はかけていない、と解釈できます。現代において、この言葉を発する人達は、若者を中心に多いのだと思います。 「お金儲けって悪いことですか?」と、村上氏(村上ファンド)は、記者会見で吠えてました。 「赤坂議員宿舎に入居しますか?」という質問に対し、「もちろん、入居しますよ。その分、国会議員として、国政において一生懸命に働きます。何か問題ありますか?」と、言ってのける杉村太蔵議員。 お金儲けって悪いことか否か、世間ではこれに対して正面から答えられる人間は恐らくいないでしょう。しかし、自分の生活を必要以上に豊にしてしまう位に、お金を稼ぐ事は、誤解を恐れずに言えば、悪徳ですね。(パイは限られているので、己の豊さだけを追求することは、悪徳)村上氏は、間違いなく、自分がやっていた事は正しく、周囲にハゲタカファンドだとかと揶揄される筋合いは全くない、と、傲慢な心持ちでいたのだと推察します。 杉村氏の、何か問題ありますか、には、出来てしまった議員宿舎に入居する事は、誰に迷惑をかけているのではなく、議員として入居することになんら問題はない、私の考えは正しいでしょ、という考えに基づいての発言でしょう。これだけ、大局観、全体的見地が欠乏して、政治家をやっていること自体が由々しきことですが、「自分さえよければいい」という氏のような人間は、周囲の配慮ができず、心ある人間からは当然のように批判されるのだと思います。 「自分さえよければいい」という人の様相から判断するに、「我がもの空間」を作り出す傾向にある、と言えます。自分独自の我がもの空間をプライベートの場においても、オフィシャルの場においても、堂々と作りだしてしまう、そして、その空間が周囲に対して、異様な雰囲気を与えてしまっている(可能性の領域で)事に関しては、一切配慮しない、あるいは一切関知しない、そういう閉鎖的思考性があるように感じます。 我がもの空間の例え(電車内の場合) ・質問者さんのようにパソコンの作業をしてしまう ・ニンテンドーDSのようなゲームをしてしまう ・携帯メールをカチャカチャ音たててしてしまう ・新聞を大広げにして読んでしまう ・パン等、堂々と食べてしまう ・化粧直しをしてしまう ・イスではなく、下にお尻をつけて座ってしまう 等々 公共の場で、「我がもの空間」を構築してしまう事は、周囲への配慮が欠けている、と、判断されても仕方がないのではないでしょうか? かなり極端な例を挙げます。質問者さんの両脇に、男性2人が座りました。そして、その男性達が偶然にも、エロ雑誌を広げ見始めました。質問者さんの方に向けて見ているので、他の客には見えていないようです。いまさら故意に席を立つわけにもいかず、そのまま3時間電車に揺られていきました。その時、質問者さんは、パソコンも本も持っていなかったので、そのまま座っている選択を余儀なくされました。 こんな状況に至った場合、快に思うのか、不快に思うのか、いかがでしょうか?彼ら2人は、自分らの行為に、なんら罪悪感を持っていなく、逆に、自分らの行為は正しい、と思っています。仮に、質問者さんが、彼らに意見をしたならば、「完全に意味不明」と、思われることでしょう。 我がもの空間、という概念を出しましたが、この我がもの空間にも程度があると考えます。程度が高いものは、周囲への配慮に欠ける可能性が高い、程度が低いものは、周囲への迷惑になる可能性が低い、とします。程度が高いものは、上記に挙げた7点が代表選手だと思います。そして、程度が低いものは、本を読む行為だと思います。 公共の場で、我がもの空間を構築する事は、少なからず周囲への迷惑になるかもしれない、その可能性がある、との認識が必要なのではないでしょうか? 質問者さんに対して、かなり苦言めいた、説教じみた内容になりましたが、こういった感覚は、私を含め、日本人の大半が持ってしまっている、悪しき感覚であろうと思います。世の中が今、これだけ殺伐としていて、独り勝ちを目指してしまう状況では、こういった悪しき感覚がついてしまうのも、ある種、必然ではありますが、周囲からの指摘がある以上は、再考して、自分の行動を改める必要がありそうです。 人は、存在しているだけで、周囲に対して迷惑をかける、影響を与えるものです。つまり、周囲が不快を感じていれば、少なからず自分が影響を与えてるかも知れない、との謙虚な気持ちを持つ事が、人として、大切であると考えます。 下記に、私の過去の論文を載せますので、ご参考にして下さい。 -------------------------------------------------------------- ◆他人のせい 人とは、どういうものでしょうか。物事をミスなく完全に遂行する能力を、常に持っている存在でしょうか。人間は、不完全な存在です。どんなに偉大だ、と言われた人でも過去に必ず失敗を犯してきています。人が生きる、という事は、「失敗」を重ねていく、という事だと思います。何から何まで、完璧にこなし、「失敗」をしない人が、もしいたならば、その人は人間でないか、大嘘つきか、のどちらかでしょう。 人は、失敗した時に、すぐに言い訳を言うか、他人のせいにするか、をする事で、自分のせいである事を回避しようとします。意識的にする場合と無意識にする場合とがありますが、いずれにせよ、人間の醜悪の極みの部分・一面と言えると思います。相手の人からすれば、その人の醜態たる態度は、嫌らしくしか映らないのにもかかわらず、その張本人は当たり前のように、言い訳や他人のせい、を主張します。 なぜ、人は、明らかに自分の失敗であるにもかかわらず、自分の失敗を認められないのでしょうか?幼稚園・小学生時分は、恐らく、大人である今よりは、失敗に対して真摯に向き合い、素直に、「ごめんなさい」ができたのではないかと思います。ところが、大人になるにつれて、失敗したら自分の責任と認め謝る、という、当たり前の事が容易にできなくなっているのです。様々な要因は考えられますが、自分の失敗と認めるのが、「恥ずかしい」、「怖い」、「苦しい」、「嫌だ」、「プライドが許さない」、「評価が落ちる」などが挙げられると思います。 他人のせいにし、自分のせいと認めなかった場合は、一瞬、自分の責任を回避できたので、楽な気持ちになれたと思いますが、実は、これは錯覚です。実は、自分の責任を他人に転嫁する事で、自分の心の中に記憶として残り、何かのきっかけで、他人のせいにしてしまったその記憶が再び現れたりして、自分を苦しめ、一生引きずったりします。自分のせいなのに、他人のせいにした行為は、当然、不条理な行為です。ですから、その不条理を自分の記憶として、残す事は、自分の中で解決された事にはならず、未消化状態にある、と言ってもいいかもしれません。 他人のせいにして、人生を歩んできた方は、頭の中が結構モヤモヤしていて、大事な問題に直面した時に、しっかりした判断ができない人なのではないかと思います。これは、何事も他人のせいにしてきた為に、物事の善悪が分からなくなってきていて、判断一つにも対応できない、のだと思います。一つ一つの問題に責任をとってこなかった、という人生の蓄積から、判断できない、とも言えるでしょう。 他人のせいにする事で、もし一生苦しむのであるなら、これは大変なことです。それでは、どうしたらいいのでしょうか?答えは簡単です。自分のせい、にすればいいのです。つまり、何か失敗したり、自分に災難が降り懸かってきた時は、自分の至らなかったせいで、こういう結果が自分に起きた、と受け止め、受け入れればよい、という事です。人というものは、不思議なもので、積極的に自分の失敗を認め、受け入れる、と、後に残る事はなく、スッキリするものなのです。(スッキリとは解決している、という事です)「な~んだ、私が悪かったのか。それでは仕方ないよね。自分が馬鹿だったんだから。自分に怒ってもしょうがない。」という感じになります。表面上、失敗を認めつつ、内心、あいつの責任も少しはあるよな、と思っていたなら、スッキリすることはありません。全面的に責任を認めることが、重要なのです。 人間というものは、存在しているだけで、周りに影響を与えていて、時に悪い影響も与えています。本人が、悪い影響を与えようとしていなくても、相手がどう捉えるかは相手に判断が委ねられているので、時に相手を怒らせる場合があります。この場合、相手が勝手に怒ったと捉えるのか、私が気に障るふるまいをしてしまったと捉えるのか、の二つが考えられますが、自分の責任と捉えるのが正しい、わけですから、後者の私が気に障るふるまいをしてしまった、になるわけです。 絶対に、私は悪くない、と思っても、まずは自分に落ち度はなかったか、をしっかり検証して下さい。1%でも落ち度があれば、それは自分のせいにすべきことです。もし、相手にも落ち度があれば、自分の落ち度の反省の弁を述べつつ、指摘してあげればいい事です。他人のせいにする前に、自分のせいではないのか、の謙虚な姿勢が必要であり、これが真実の生き方というものなのです。
公共のマナーというのは簡単そうで難しいですよね。 結局1人1人の価値観には幅がありますので、ある行動に対して100人に「これはOK」「これはマナー違反」と判定させても、全員一致というのはなかなか難しいんじゃないでしょうか。 そういう観点で見れば、ノートPCを電車内でやること=NG、という判定をする人だって絶対居ますよ。 あとは、例えば新聞や書籍で読書をしている人は多いですが、読書自体をマナー違反と考える人は少なそうです。しかし、混雑している車内で周囲を憚らずに新聞を大きく広げていたり、他人の後頭部にでもガツガツ本をぶつけて読んでいる人がいればマナー違反でしょうね(笑) 質問者がどんな状況でPCをやったのか見たわけではないので、何とも言えませんが、すいている車内の片隅で黙々とやっていただけならば、特にマナー違反を指摘する人も居なかったと思います。 ただ、例えば比較的大型なPCを前方でギュウギュウ詰めの人達が立っているのに遠慮なく広げて作業をしていれば「ちょっと迷惑な奴だなぁ」と感じる人は多いと思います。 人によるんでしょうが、個人的には「電車内+ノートPC=即NG」という感覚は持っていません。ただ、混んでいる車内で自分の隣に座った人が、遠慮なくPCを広げて遠慮なく作業していて、時には腕がガツガツぶつかってきたり(笑)もすれば「迷惑だ」と感じると思います。 何をするにもTPOは肝心だということでしょうか。
- user2525
- ベストアンサー率51% (55/106)
毎日の過酷な通勤、ごくろうさまです。 そのご本人ではないので確かではありませんが、感じることがあったので 思い切って書かせていただきます。 その方は公共マナーとして良くない、とお感じになったのかもしれません。 電磁波や混んでいる車両や悪魔の箱だとか…PCに馴染んだ人と送でない人の感覚の違いもあるでしょうし、 そうでないかもしれません。 既出の回答やまたあなたご自身の質問にもあるように、なにがどういけないの? と感じる方は…特にいま、30代くらいまでの方には多いでしょうし…。 それも何となくわからなくはありません。 ちょうど、電車の中で化粧をする人をどう思うか?みたいなことで。 いま現在生きている日本人の何パーセントくらいが、好ましくないと感じるのかは、 調査してみないことにはわかりません。(苦笑) 私自身があなたの行為を想像してみると”あまり好ましくない行為”と漠然と感じるものの、 その理由を言語化して説明することは残念ながら困難なんですよね…。 でも駄目な理由が言語化できないからと言って、無視できるかというと… 私自身はそうとは言い切れないと思いますが。。(これもあくまで私の感覚です。) 公共マナーや常識と呼ばれるようなものは、時代や環境とともに変化していくものと言わざるを得ず、 私にしても上の年代の方に常識と言われるようなことで、 どうしても感覚的になぜ駄目なのか残念ながらよくわからない行為があります。 また外国に行っても、非常識な国民??と感じた経験もありますし。 そういえば、今は当たり前のようになっている携帯電話ですが、以前は決してそうではありませんでした。 私は仕事上の必要性から17、8年前?くらいから持っていますが、当時は着信音が聞こえてしまったり、 戸外で会話しているのを見られたりしただけで、結構離れて道を歩いている知らない人から、 どれだけ不愉快そうな、もしくは軽蔑的な視線を投げかけられたかわかりません。 止むを得ず、電話するときは本当に小さくなってました。(苦笑) あなたのなさっていたことは犯罪的なことでは勿論ありませんから、 非常に不快、非常識、と感じる人から、どこがどう悪いの?そっちの方がおかしいんじゃないか? と思う人までいるのが現実だとおもいます。 人は、それぞれが”これが常識”と思う範囲を持っていて、その範囲の重なり具合が まぁまぁ一致する人との共同社会を好ましく思うのだと思います。 また”常識”だと思い込んでいるからこそ、そうではないひとと接触したときに、 その思い込み具合によって衝撃の大きさが変わるのだと思います。 その全てに正負をつけるのは、とても難しいことのように思います。 …腕まで掴んだその人は、余程「ありえない!!」と感じたんではないかと想像しました。 いや、もちろん全然そういうことじゃないかも知れませんけど。 恐縮ながら私の個人的な考えを書かせていただくと、 私はこれを非常識、不愉快、非礼と感じる人がいるのだということを心に留めておきたいと思っています。 また逆も、つまり私があり得ない!と感じてしまうことでも、全くそう思わない人がいるのだということも 思い出すようにしたいと思っています。 …感情的には、当然いろいろあるのですが。。(笑) 事実は事実ですものねぇ。
- larme001
- ベストアンサー率44% (271/608)
パソコンでゲームでもやっていると思われたのではないでしょうか? 別にゲームをやるなという規則や法律はないでしょうが、やはり朝の通勤ラッシュのときに一人だけずけずけと座ってパソコンをやられるのは周りとしては気分のいいものではありません。その電車が立って本を読むのもつらいぐらいの満員ならなおさらです。ましてや、パソコンでゲームしてるかのようにみられれば、「ゲームするぐらいのひま(別に暇というわけではないでしょうが)があったらわざわざ朝の混んでる時間にのるなよ!」と言いたくなる気持ちはわからんでもないはずです。満員電車のなかで、ずけずけとDVDを見てる人をたまに見かけますが、正直言って周りはあまり気分のいいものではないです。 もちろん、電車のなかでパソコンをやるな、ゲームをやるな(この場合はゲームではないと思いますが)というルールはどこにもないです。ただ、やっぱり公共の乗り物ですから、混んでいるときは、周りに迷惑にならない「配慮」はすべきです。電話をマナーモードにするとかもそういったことです。たとえば満員電車では、背負っているものを棚の上にのせてスペースを取らない配慮をするとかです。こうしたことは、ルールになっているから/いないから、ダメ/よいという問題ではなくて、周囲に対する配慮ですよね。もちろんどうしても忙しい仕事を通勤時間でやるとかならやむ負えないとかあるでしょうが、誰でも通勤時間は惜しいおもいをしても満員電車に乗っていくしかないんですね。配慮という意味では、出来る限りそういう場で周りからすると気分の良くない行為はさけるべきですね。 ですが、腕を掴んで文句を言ってくるのは少し問題だとおもいます。まあ、時間があるにせよ、なかったにせよそういう場でいちいち文句を言ってもしょうがないので、「すみませーん」とでもいって相手の気分を逆なでないようにやんわりとやり過ごすことが一番正解だと思いますよ。たぶんその人は、会社でストレスがたまってたんでしょ、とか同情しながら。
- jamiru
- ベストアンサー率5% (170/3044)
パソコンは魔法の箱です。 そりゃあ「公共の場」で魔法の箱で何やら不可解な仕草をしていれば気味悪がられるのは当然でしょう。 人によってはそれが悪魔の箱にも見えるわけです。 だから、そう言われるのです。 パソコンを使ってた。が問題ではありません。 相手と貴方の「パソコン」の認識にズレがあるのです。 貴方はパソコンというモノが衣服か何かと同レベルに見てますね。 相手はそうは見えないのですよ。 「怒られた」というよりも「気味悪がられた」が濃いですね。 であれば相手の行動は理解出来ます。 避けるか、突っかかるかのどちらかしかありませんからね。 公共の場である以上、他人から目に付く行為は注意されて当然ですからね。 だから人目につきにくい場所でやるものです。 電車内みたいな他人の目線が近い閉鎖空間で使用するのは文句言われる覚悟を持っていなければいけませんよ。 言われるべくして言われただけです。 もっとわかりにくく偽装する事ですね。 モニタをゴーグル式とか、ノート自体をもっとコンパクトにするのか。 別にどっちも正しいし正しくない。 正しくないところをお互い理解できているかどうかでしょうね。
- wai2010
- ベストアンサー率21% (128/585)
ノートパソコン自体、そういった用途の為に作られています。 現代社会は忙しい人はとことん忙しくて、趣味に裂く時間さえないのが現状です。 ずいぶんといやな思いをされてでしょうが、堂々とノートPCと使っていればいいのです。 むしろ、あなたの方が被害者です。 「怒鳴られて、腕を掴まれた。」 恫喝され、暴行行為を受けています。 立派に相手を警察に突き出せますよ。
ノートPC=インターネット=携帯電話(のようなものを使っている)と思っているかも。インターネット以外で電車で作業をするとは思えなかったのかと…
キーボードやファンの音が五月蠅かったという事が考えられますが、相手がおかしな人だったと結論付けて良いと思います。自分の価値観に誰もが従うべきだと考えている人や、ノートPCが生まれる前の規範で未だに行動している人もいるという事です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに言われてみれば50代前半くらいのオッサンだった気がします。 自分もファンもバッテリ駆動で処理速度犠牲に回転を抑えられていましたし、 そのときは画像編集ツール立ち上げてたのでタッチパッド操作が殆どで 騒音にはかなり気を使ってたつもりです。 (むしろ隣に座ってる人のiPodの音漏れが気になったくらいです)
お礼
ご回答ありがとうございます。 携帯電話を使うにしても優先席ではなかったですし。 ひょっとしたら角の席は絶対に優先席だ、と勘違いしていたのでしょうかね。 あるいはPCをインターネット以外に使うことを知らない人だったとか…。