No.1の者です。
>塔婆を出さないことで罰が与えられたり、何か起こるのでしょうか?
何も起こりません。
塔婆を出さないからといって、罰があたるとか祟りが起こるなどという事は絶対にありません。
ただ、姉妹は全員塔婆を出して当たり前、と思っているお父様や親戚の方々との関係がギクシャクするのは避けられないでしょう。
私の寺でも時折、同じような相談をされる方がおいでです。故人との確執を理由に供養のしるしに自分の名前を出すのを嫌がる方はけっこう多いのです。
しかし「供養に自分の名前を出さない」というコダワリは、かえって故人との確執に縛られ続ける事になるのではないでしょうか。
仏教では「諸行は無常である」と教えています。「どのようなものも移ろい行き、一所に留まらず、常に別のナニモノかに変わっていく」という意味です。wikipedia0さんは結婚されて、すでに実家を離れ、婚家の一員として新しい立場をお持ちのはずです。亡くなられたお母様の娘であるという事に違いはなくても、新しい家庭を持った事で、単にご両親に”押さえつけられる”だけの立場から、”独立して対等に社会生活を送っている”立場に変わっているのです。名前は同じであっても、wikipedia0さんは以前と今では全く違うwikipedia0さんなのです。
ですから、法要で供養のしるし(塔婆)をお願いされたのであれば、対等の立場で世間一般の儀礼として、あっさりと塔婆を出されれば良いのです。
お母様の「男の子が欲しかった」という”執着”のために苦しんだのであれば、お母様が亡くなるまで捨て切れなかったその”執着”を浄化するためにwikipedia0さんが回向供養すれば良いのです。そのための塔婆だと思えば、こだわりなく出せるのではないでしょうか。
「お母さんのコダワリのために私は苦しめられたけど、もう私はそのような立場には居ません。お母さんがあの世まで抱えて行ってしまったコダワリも浄化されて消え去るように祈ります」という気持ちで、塔婆を出されてはいかがでしょうか。
お礼
sgmさん、心あたたまるご回答の程、ありがとうございました。 涙がでてきました。 どちらにしても、結局は本人の気持ちなのかもしれませんね。 本来なら施主である父が1本出せば、そのお寺なら問題ないらしいのですが、本によると、誠意で出すものなのに、気が進まないのにやることが果たして供養になるのか。。 父の言うことを全てこなしていくと、結婚した今でも自分の立場を考え振り回された気分になります。(もちろん、自分が納得したことは致しますし、責任の取れないことは致しません。)宗教上の考えでしたら、主観なんていらないんだと思われそうですが・・・・本には、出しても出さなくても構わないとあります。それぞれ考え方が違います。 距離を置きたい気持ちを優先し、ただ私は気が進まないので出さない。本来なら誠意で、御塔婆を出すのだと思います。 >「お母さんのコダワリのために私は苦しめられたけど、もう私はそのような立場には居ません。お母さんがあの世まで抱えて行ってしまったコダワリも浄化されて消え去るように祈ります」 とても感動致しました。。そのような気持ちで、浄化してもらえるようお祈りして参ります。 本当に感動致しました。本当に感謝致します。どうもありがとうございました。