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同化と異化について

大学で演劇論の「同化と異化」についての単元で レポートが課されたのですが、手元にある参考書に ないので質問させていただきます。 「「同化するための異化」を論じよ。」とのことなんですが 同化と異化が相対する説明しか受けてないのでよくわかりません。 私は演劇もしていないなので舞台でそれを感じ取ることも出来ません。 わかる方できれば教えてください。よろしくお願いします。

みんなの回答

  • cunego
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回答No.3

まだ、大丈夫ですかね? 演劇でいう異化というのはおそらくブレヒトのいう演技論をさしていて、同化というのはスタニフラフスキーのいう演技論をさしているのだと思います。役の人物に感情を移入するかしないかという点がポイントになります。 ちなみにスタニフラフスキーは同化ということば使いはしていません。 そして後代のブレヒトはスタニフラフスキーを否定しているわけではありません。演技をするにあたっては、役の人物になりきる(同化)ことは必要であることは疑いのないものです。上演するにあたっては、その同化だけでは舞台は成立しないと、ブレヒトは考えました。 つまり、もともとが虚構であり、観客の前で演じる以上、いわゆる自然体ではありえない。そこで何かを付け加えなければいけない。役の人物や人物同士の出来事にに距離を置く。役の人物や出来事が観客に有効に評価できるように強調する。つまり、物事をはっきりわかるように演じるということです。 大事なのは、はっきりわかること。感情をオーバーにするのではなく、人間と人間間のできごとを際立たせ、理解させることなのです。 そして、その異化の仕上げは、同化がきちんとなされていない限りは、はっきりしないのです。 絵を描いて縁取りをしたことがあると思いますが、はっきりさせたいがために縁取りをしすぎると絵のバランスが崩れ、大変見づらいものになります。 赤鉛筆でアンダーラインを引きすぎると、どこが大事なのか区別がつかなくなります。黒で書かれた文章が前提になければいけないのです。 異化というのは同化が自動的に進むのを意識的に断ち切る動きであります。 要は、物事をはっきり見させるために、感情が自然に流れるのを止め、拡大してみせることが異化ではないでしょうか? また、生物学的に同化・異化を調べてみてはいかがでしょうか?演劇のブレヒト、スタニフラフスキーにせよ、文学のシクロフスキーにせよ芸術の観点からの見方ですから。 最後に、同化するための異化、という問題は説明不足の例題ですね。逆説的な響きを持っています。もしくは時間の概念が必要になります。また、私の説明でもそうですが、同化と異化の論点がずれているのですね。厳密に論ずるのなら、ふたつの語彙は対義語にならなければなりません。 よって、そんなの答えるに値しない、その問いかけは間違っているというのを論証すればいいのではないでしょうか。

  • ykgtst
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回答No.2

>「同化」とは役者が現実感のある演技をする事で、観客が虚構における登場人物に感情移入をする事であり、「異化」とは役者が現実感を損なうようなオーバーな表現をする事で、観客に対し客観的立場から虚構を臨ませることである 2つの語はわかりましたが、「同化するための異化」とはなんのこったか。ちなみにどなたの演劇論に「同化」や「異化」の論が出てくるのですか。こちらがかえって学ばせて頂いているようで申し訳ありません。 私も今演劇を演ずる役者や演出の経験が今もあり、またこういう推論も好きな方ですが、それでもピンと来ませんね。 「観客が劇に『同化』するためには、役者としてどう『異化』表現をすべきであるか」ということを論ずればいいように思いますが。

  • ykgtst
  • ベストアンサー率30% (34/110)
回答No.1

この論での「異化」とはどのような意味ですか?簡単にご説明ください。ついでに「同化」も

sasanaku
質問者

補足

この論での「同化」とは役者が現実感のある演技をする事で、観客が虚構における登場人物に感情移入をする事であり、「異化」とは役者が現実感を損なうようなオーバーな表現をする事で、観客に対し客観的立場から虚構を臨ませることである、と思います。

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