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日本文化は一体何を取捨択一していくべきなのか
最近感じるのですが、多くの著書が 西洋的価値基準で日本文化を論じたり評価しているのではないか?と感じています。 そもそも日本、東洋文化というのは西洋的な近代合理的価値基準ではない部分が大いに あると感じます。 ですので西洋的解釈を用い、評価すれば自ずと西洋文化が優れている云々という事になるのは必然であり、日本人は日本人の独自の観点で評価するべきだと思います。 例えばハリウッド映画的感覚で小津安二郎は評価出来ないでしょうし (海外で評価されてるみたいですが、一体何をもって評価しているのでしょうか) 越天楽や能楽音楽を西洋音楽理論で解釈する事に意味はあるのか?等 ヨナヌキスケール云々とかいう表面的な解釈ではなく 日本純邦楽と西洋音楽の違い、序破急と西洋楽式論、 または茶道や柔道等といった「道」とスポーツ的思考の違い 西洋医療や東洋医療の違い、日本文学と西洋文学の違い・・etc 東洋文化に比べ西洋文化は論理的思考、構造的で日本文化は情緒だと言われてますが お詳しい方いらっしゃいましたら、 もう一段深く具体的なそういった西洋文化的論理では解釈していない、出来ない東洋、もしくは日本文化の表現する目的といいましょうか、構造といいましょうか、その評価基準等、 何か参考著作等やご意見でも何でもいいので幅広く知見を伺えればと思います。 これからの日本文化は一体何を取捨択一していくべきなのか、 一抹の参考になればと思います。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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こんにちは。 洋の東西を話題にするときには そのそれぞれの特徴を両方とも重んじるのがよい。というひとつの結論を打ち出しています。 パスカルにならって次の両方の精神を 日本も西欧もほかの国々も大事にするという意味です。 ▲ (パスカル:幾何学の精神と繊細の精神) ~~~~~ 幾何学の精神( l'esprit de géométrie )と繊細の精神( l'esprit de finesse )との違い。 前者においては 原理は手でさわれるように明らかであるが しかし通常の使用からは離れている。したがって そのほうへはあたまを向けにくい。慣れていないからである。しかし少しでもそのほうへあたまを向ければ 原理はくまなく見える。それで 歪みきった精神の持ち主ででもないかぎり 見のがすことがほとんど不可能なほどに粒の粗いそれら原理に基づいて 推理を誤ることはない。 ところが繊細の精神においては 原理は通常使用されており 皆の目の前にある。あたまを向けるまでもないし 無理をする必要もない。ただ問題は よい目を持つことであり そのかわり これこそはよくなければならない。というのは このほうの原理はきわめて微妙( déliés )であり 多数なので 何も見のがさないということがほとんど不可能なくらいだからである。 (パンセ 前田陽一・由木康訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 《意識》と《情感》との対立そして統合というふうに捉えればよいのではないでしょうか。 《意識とその流れ――その対立と均衡――》を目指す行き方と そして《情感とその共同性――破断ののち共同幻想と化してでもその存続を国是とする――》なる行き方と。 あるいは ぎゃくの順序で 《あやまつは人の常と知るスサノヲ人間語が 情感の共同性のうちに互いにみとめ合われている世の中》と そして 《あやまたない普遍性を追い求めるアマテラス科学語およびアマテラス人格語による規律を タテマエでしょうが 優先させる社会》とにそれぞれが 対応すると見ます。 現代人としては 両方をおもんじましょう。となると考えます。 社会ないし国家じたいが 《スサノヲ市民社会 - アマテラス公民圏 との連関体制》とすでに成っています。 《スサノヲ人間語とアマテラス〈科学語かつ人格語〉とをしかるべく使い分ける生活態度》が のぞましいように思われます。
- Tastenkasten
- ベストアンサー率83% (156/187)
No.1&2です。 私も、No.3のplapotaさんのおっしゃるように、哲学カテゴリーだといろいろユニークな回答がつくだろうと考えたのですが、手ごわい論客もおり、hetikanさんの希望する回答と違う方向へいってしまう可能性もあります。今私は仕事で、十分な回答を書けないのですが、9月6日以降なら時間が取れますので、もしよろしかったら、9月7~8日頃までお待ちください。能楽の構成法や、ヨーロッパでの体験をお話しします。あとで哲学カテゴリーにお出しになる場合は、私の回答をもう一度出させていただきますので、少しお時間をいただけたら幸いです。なお、前回紹介させていただいた本は、ずいぶん前に読んだものなので、御参考になるかどうか自信がありません。もし、もうお読みになっていらっしゃったら、感想など一言コメントしていただけると、回答が書きやすくなります。よろしくお願いします。
こんばんは。回答番号1,2の方に以前この質問について話をうかがひました。私も大いに興味があるのですが、範囲が広すぎて、手に負へません。大勢で論じるべき質問なのに、回答がつかないのは、惜しいことです。 いつたん締め切つて、哲学カテゴリに、同じ質問を投稿なさつてはいかがですか。たくさん回答が寄せられるはずです。一番回答はたぶん、ねこさんです。
早速のお礼、ありがとうございました。 実は私は、クラシックの方の作曲家ですが、日本の伝統音楽や文化を集中的に研究したことがあります。お話ししたいことはたくさんあるのですが、先ほどお話ししたような状況です。大変残念です。 先ほどこのサイトのサポートに抗議しました。私のハンドルネームKlaengeも、その不法行為者に追われていますので、一度退会します。
こんにちは。この御質問をされるために入会なさったのですか。非常に有意義な質問で、出た時からお答えしたいと思っていました。なかなか回答がつかず、残念に思われているかもしれません。 実は、お答えしたいのですが、今このサイトの会員の一人が、こことYAHOO知恵袋を二股にかけ、両方に出た質問やや回答を盗用し続けています。したがって、どんなに有意義な質問でも現在お答えすることができません。ほかの会員が警告を発したところ、さらにエスカレートしているので、まだ当分は解決しないと思います。一度締め切られて、しばらくお待ちになった方がよいと思います。 せっかく来たので、私が読んだ書物でひょとしたらお役にたてるかもしれないものを御紹介しておきます。 論集・日本文化(講談社現代新書)全3巻 現在中古でしか入手できません 田中優子 「江戸の想像力」「江戸の音」 オイゲン・ヘリゲル 「日本の弓術」 今もう一度確認したのですが、その会員の悪行はさらにエスカレートしています。私は一度退会して抗議するつもりでいます。残念です。
お礼
ご回答有難うございます。 正に仰られたとおり、最近疑問に感じておりましたので同じ思い抱いている先人がいるはずだと思い、 大雑把な質問になり恐縮ですが何か参考はないかと質問した次第です。 戦後日本に感じる日本からの断絶、これは具体的に何からの断絶なのか。 またそれは現在のあらゆる日本人クリエイターにおいて大きな課題だと考えます。 手に入れられればぜひご紹介の著書を参考にしたいと思います。
お礼
何度もご回答頂き有難うございます。 哲学カテゴリーでも同じ質問をしてみました。 回答はどちらでも構いません、お時間ある時に気が向いたらで結構ですのでお願い致します。 著書については残念ながらまだ目を通せておりませんので何ともです。 奇遇ですが私も音楽を嗜む一人です。 音楽で申しますと明治後期から大正の時代に山田耕筰や宮城道雄等が 日本音楽と西洋音楽を配分は違えど各々が日本音楽という新たな日本音楽世界に ご尽力なされたのは理解しております。 その時代には、いわゆる「音痴」というのは西洋音楽の価値基準において言われていたようですし 「音楽」というカテゴリーの概念すら西洋音楽文化からの事だということでした。 現代において日本人が自らの音楽を蔑む様な「洋高邦低」はなにも戦後と言われる大東和戦争後ではなく 明治時代から既に始まっていたという事ですね。 そこから現代は普通とされている事が何かあくまで優劣という訳ではなく 西洋の価値観がベースにあるのではないかと思った次第であります。 どうぞ宜しくお願い致します。