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これも厄年?それとも・・・

 長文失礼いたします。私は1965年生まれの男です。世間で言うところの後厄の年(なのでしょうか)。  自分・家族・親族に思いもよらない不幸が続いてるので皆様にご相談します。  まず昨年の3月に父が家の中で転倒し、靱帯損傷で1か月ほど入院を余儀なくされました。手術もしました。つづいて今年の3月にはまた父が怪我をしました。知り合いの家の木に登って枝を剪定していたところ木から落ち、救急車で病院に運ばれました。腰の骨を折る重傷。入院生活はそろそろ2か月を過ぎます。以前の父の輝きはなく、すっかり小さくなってしまいました。  2つ目ですが、やはりこの3月、私のいとこが糖尿病にかかり、検査入院をしたところ、脳腫瘍が発見され、先月腫瘍摘出の手術を受けました。ところがその腫瘍はかなり大きく、余命2年と宣告を受けました。 なぜ?どうして?って思うことばかり・・・  3つ目は・・・父の金銭貸借です。父はこつこつためた貯金が500万円程あったそうなのですが、それを全額、事業家である親族に貸してしまって1円も戻ってきてないそうなのです。それも貸借の期限は1年以上前であったことを最近めっぽう気弱になった父から聞かされました。  4つ目は・・・・・・自分の職場で病気(精神疾患)にかかる方が後を絶たず、いやが上にも加重労働になりがちです。精神的なストレスも半端じゃありません。自分が病気になってしまいそうです。  いったいいつまでこんな不幸が続くのでしょうか?不安でたまりません。私には妻がありますが、その妻も父の病院と自宅と職場の往復で疲れ切っている毎日です。ですからだれに相談できるわけでもなく、自分の生き方に何か問題があるのか?と自問自答する毎日です。  こうした人生のできごとに都合のいい説明など出来ないかもしれませんが、「こんな生き方をしてみたら?」「こんな風に考えてみたら?」「こんな事をしてみたら?」などの、皆様のアドバイスを頂ければ幸いです。  どうかよろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

厄年や大殺界などと言われると、やはり色んな心配がでてきますよね。 でも、厄年とは統計によって体や心に変化のありがちな年齢を設定してあるだけではないかとおもいます。 年齢によって、体の転換期になるような時期を、昔の人はちゃんとわかっていて、気をつけるように・・・と厄年としたのではないでしょうか? ですから、あなたに降りかかった不幸は、厄年だからではなく、これまでの積み重ねが、単に続いたというだけだとおもいます。 まずはお父さまのことですが、あなたと共にお父さまも年をとります。 年齢相応のことをしなくてはいけない・・・それだけの(といっては失礼ですが)ことではないでしょうか? こちらの問題は、あなたの厄には関係なく、お父さまの老いのひとつだとおもいますので、年齢にあったお家作りなども考えてみられるきっかけにならないでしょうか? 転倒で半身不随や寝たきりになる人の多い中、お父さまはラッキーでしたね。 あなたも一緒に小さくならずに、危険なことは危険だと教えてあげて、改善できるお家の問題などは一緒に改善してあげてはどうでしょうか? いとこさんのことは、これまでの生活の積み重ね以外のなにものでもありません。 こちらも、あなたの厄は関係ないとおもいます。 しかも、糖尿病で検査入院したから腫瘍が分かったのです。 こちらも、ラッキーであると考えられなくはないでしょうか? 家の義父は、余命半年と言われ、現在3年目に突入しています。 早期発見でき、すぐに生活を改めたことがよかったのかも?とお医者様は仰います。 ガンでしたが、完全に取り除けて居ません。 しかし、今も元気にグランドゴルフに励んでいます。 あなたのいとこさんも、コレを機に生活を改善され、余命を伸ばすこともできるとおもいます。 検査入院がなければ、末期も末期でどうしようもないところで発見されたということも考えられます。 お父さまのお金のことですが、逃げられたわけではないので、これから少しずつでも返していただけるように、話してみてはどうでしょうか? こちらも、あなたの厄のせいではなく、何年も前にお金を貸したことから始まっています。 4つ目の職場のこと。 こちらも、あなたの厄くらいでは起きないことでしょう。 そんなに病気の人が出ている中で、あなたは無事なのですから、ラッキーですよね? これらのことを考えると、あなたの厄年が関係していることといえば、あなたが気弱になってしまっていることくらいです。 他のことは、あなたとかいっさい関係のないところで起きています。 不幸の連鎖を経つためには、厄年ということを意識しすぎず、しかし自分は転換期(体が弱ったり変化のある年)だということは頭に入れ、地道にひとつひとつのことを改善していくことではないでしょうか? 今文章を読んだ限りでは、職場での過労であなたが体を壊すこと。 こちらは、何か策を考え、職場の人たちとも話し合い改善していかなくてはいけませんね。 そして奥さんの疲労。 こちらも心配ですので、お父さまの病院にいくのを減らせるのであればそうさせてもらってもいいとおもいます。 そして、言葉での癒しを与えることも必要かもしれません。 あなたも相談できないと書かれていますが、癒しあうことは必要ですよね? 2人の時間に、大変な時期であるけど一緒に頑張ろう。などできるだけ言葉を掛け合うことでも、疲労は改善されるとおもいます。 靴紐がほとけて転んだら、また転ぶことを不安におもう前に、紐をかたく結ぶことが必要です。 冷静に、何からすべきかを考えて、一つずつ解決改善されて、ご自分の体のことも考えながら、奥さんと協力して乗り越えてください。 頼れるものには頼りましょう。 厄年でも、今のところ何もないあなたは、これまでの行いが良かったのですよ! 無理せず頑張ってくださいね。

hikari1965
質問者

お礼

Harley-1999様の「靴紐がほとけて転んだら、また転ぶことを不安におもう前に、紐をかたく結ぶことが必要です。 冷静に、何からすべきかを考えて、一つずつ解決改善されて、ご自分の体のことも考えながら、奥さんと協力して乗り越えてください。」とのアドバイス本当に身にしみました。出来そうな気がします。 なんとなく頑張れそうな気がします。ありがとうございました。 このたびは、私のようなもののために、多くの方々の親身なご助言頂きました。何よりも見知らぬ方々がお立ち寄りくださり、アドバイスしてくださったという「縁」を大切にしたいと思います。ほんとうにありがとうございました。この場をお借りして感謝いたします。

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その他の回答 (4)

  • komikann
  • ベストアンサー率24% (12/50)
回答No.4

ずっと幸せできた人は、一つや二つや三つや四つの不幸が気になるものです。厄年のせいかもしれないし、そうでないかもしれない。(判断はご自由に) 厄年はアク出しです。アクがあるから出るのです。アクを既に出し切って、無い人もいますが、そういう人は若い頃に相当苦労してアクを出しているのです。アク出しは、次のステップに進む為に必要だからあるのです。 気になるようでしたら、産土神社で厄払いを受けてはどうでしょうか?

hikari1965
質問者

お礼

自分も新たなステップに向かっているのかなぁ・・・ 気になると言えば気になるし。 でも、最近仕事で自分の新たな面を発見することが出来ました。 アドバイスに感謝いたします。ありがとうございました。

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noname#32278
noname#32278
回答No.3

厄年の考え方は、ひとそれぞれでしょうが、 これを「うみ出し期間」ととらえ、その後ご活躍される方も、 大勢いらっしゃると思います。 たびかさなる不幸に対して、 「これはただの偶然ではなく、なにかのシグナルなのではないか?」 そうとらえてみてはいかがでしょうか? 実際、家庭においても、職場においても、親子間においても、 あなたが主役になる時が来たのだと思います。 これまでのことは、あなたの頑張り次第で、確実に好転していくはずです。 失ったものをかぞえていたら、キリがありません。 私には、父がいて、妻がいて、仕事もある。 まだすべてを失ったわけじゃないと、ご自身に強く言い聞かせてください。 かならず、未来が開けてくるはずです。

hikari1965
質問者

お礼

アドバイスありがとうございます。 noname#32278様の「家庭においても、職場においても、親子間においても、あなたが主役になる時が来たのだと思います。」 と言う言葉に励まされた気がします。 ありがとうございました、

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  • t-zosan
  • ベストアンサー率53% (31/58)
回答No.2

はじめまして。41才男性です。同じく後厄です!(苦笑) 大変お辛いご経験をされたのですね。本当に心からお察し致します‥。 私は本厄の年に転職した会社で、元々18年の経験業務(経験職種で同業)だったにも関わらず、環境の変化からかどうしても社内の様々な障害や心の壁で1年で離職しました。そして同年、30万円の詐欺にも遇いました。普段に冷静だったら絶対に引っかからないと後で思える事にまんまと引っかかりました。後厄の今年3月、新しい職場では初めて坐骨神経障害を患って現在も足のシビレに悩まされています。寄りによって肉体労働の職場なので、足(実は腰が原因でしょうが)の故障は死活問題です。 ‥と言うわけで、これも厄年3年間の成せる業?とも思えたりします。 また、私は若い頃にも大病を患ったり気苦労が多く、当時様々な占いを研究した事もあります。別に占い師になった訳ではないですが、今でもかなり詳しい部類の人間だと自覚しています。しかしながら正直なところ、逆に「占い不信者」でもあります。日本人なら誰でも認知するような様々な○△占い‥と言うものであれ、やはり人の人生の全てを言い当てる事は出来ないという考えに至った経験からです。ところが同時に、運気の傾向くらいは占えるとも信じている者です。こんな風にして、厄年のような星回りに対しても信じながらも信じない‥と言う人間に至っています。 つまり、都合良く利用はするがけして振り回されはしないという考えを持つようになりました。 何が言いたいのかと言うと、厄年は元々は役年と言われていたように、男性なら脂が乗った人生の登頂期。一般にも様々な地位やある程度の財力を得て来て良くも悪くも風船のようにピーンと張った運気を備えている状態だと思いますから、油断をすれば破裂してしまうでしょうし、上手く乗り切れば少しずつ空気を抜きながら、ほど良い張りを保って今後も余裕の中で飛んで行ける状態を勝ち取れるとも思います。 そして、こうも思います。厄年だとすればその時期にハッキリと、そのシワ寄せが表れるなら(自身や身内の不幸なども)表れてくれた方が良い‥。その3年が自分でも損失に思えたなら、理論的にはその後は事態は改善される運気が待っていると思えるからです。実際にはそうならなくても私はそう自分で決めています。つまり厄年という概念を利用して今後の自分のパワーに変えようと思考を持って行けると思えるのです。 しかし反面、そんな事態を心の裏では蔑視しています。 あなた様の今の事態を思えば簡単に言い放つ事は出来ませんが、でも、我々のような年代になれば親や身内に重病人や死人も出るでしょうし、心に油断が起きればその被害が甚大なのは大人社会の事ですから当然です。近しい知人も年代としては近いでしょうから様々な事態は起きるでしょう。自分自身や肉親の事であれば尚更心はズタズタになると思います。 しかしながら自分が幼少の頃に身内に同じ事が起こっても、それを誰も自分が厄年か?なんて思いません。自分が子供ですから其処まで不幸な事だと自覚できないとも考えられます。”厄年”は先入観だと言えます。 そんな悩みや辛さを受け止める時、人間が成長して他人の事が自分の事のように考えられる力が備わった我々のような年代に差し掛かると、不幸やその事態の辛さを「自分も辛い」と同化できる傾向があるのではないでしょうか? そこが、占いや星回り不信者でもある私なりのもう一方の考え方です。人間というのは、ある事態を予測した時に、実際にそうなるか判らない事でも「そうなる結果を期待してしまう習性」を持っているのではないかとさえ最近考えています。最終的には自分の身の回りで何が起ころうが、「目の前の出来事を在るがままに受け止める」という、諦めとは違う前向きな心境に導かれるようになる気がするのです。 脈絡がバラバラな話しを長々記して申し訳ありませんが、例えば以上の私のような考えでも、何か心の打開に繋がるものが感じられたら是非参考になさってください。 今後の検討をお祈りしています。

hikari1965
質問者

お礼

t-zosan様の「そんな悩みや辛さを受け止める時、人間が成長して他人の事が自分の事のように考えられる力が備わった我々のような年代に差し掛かると、不幸やその事態の辛さを「自分も辛い」と同化できる傾向があるのではないでしょうか?」と言うところを何回も読み直しました。そうですね。そんな年に自分もなったんだ、という自覚を新たにしました。アドバイス本当にありがとうございました。

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noname#136967
noname#136967
回答No.1

お父さんの年齢も関係しているかもしれません。2つ目から4つ目までは厄年での出来事ではないように思います。もし、気になるようでしたら、毎朝夕に欠かさず、ご仏壇でのお参りをすることと、御先祖さんなどのお墓参りも欠かさず続けることです、厄年があけるまででも毎月の命日(お一人の命日)にでも。特に、3つ目は無関係です。

hikari1965
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 あんまりにもいろいろなことが重なり、落ち込んでしまったもので。 自宅はアパートで仏壇がありません。 実家に行ったときにお参りしたいと思います。 ありがとうございました。

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