• 締切済み

人を信じるということ

重病(?)ということでもないんですけど。ご意見お聞かせください。 僕は、人の信じ方というのが、よく分からなくなってきちゃいました。 ある人を信じるとき、自分が信じようとしたその人に裏切られても、 その傷を最小限に押さえるために、ある程度、疑ってかかってしまいます。 自分がかわいいために、疑った方が気が楽というか、100%信じられないんです。 ウソをつける動物である人間を信じるということに、 ちょっと疑問を持ってしまいます。やさしいウソっていうのもあるんだろうけど。信じたいけど疑いたい。そんな自分の弱さが、辛いです。 皆さんは、どのように人を信じてますか? また、信じた人に裏切られても、信じた自分が悪かった、と思えますか? 変な質問でしたらごめんなさい。 ご回答下さった方々をも、信じられないかと思ったら、辛いんですけども。 元も子もないです。ごめんなさい。

みんなの回答

回答No.17

昔の人は言いました。「裏切るより、裏切られる方が良い」と。私もそう思います。 裏切る人間は人間としてそこまでだと思うんです。(まあ、裏切りたくて裏切ってるワケじゃない時もありますが) 私は「そうか・・・仕方ないな・・・」で終わってしまいます。自分が損をしたとか、悪かったなんて思いません。ましてや、「2度と人を信用するもんか!」なんて思いません。「信じることは救われる」のです。 あなたは用心深いのですね。でももうちょっと心を開くことも必要です。「自分から人」です。あなたは人から信用される人になりたいですか?だったら自分から人を信用しましょう。自分自身を信じるように・・・。 がんばってください

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質問者

お礼

ご意見ありがとうです。 僕は用心深いというか、用心しなければ信じられないということなのかもしれません。「そうか・・・仕方ないな」で終わらせないためにも。信頼関係に妥協みたいなものを持ちこむのが、怖かったし寂しかったのかもしれません。 人を信じている自分を信じれるようにがんばりたいと思いました。ありがとう。

  • latipes
  • ベストアンサー率36% (63/173)
回答No.16

こんにちは(*^-^*) 人は、心理的な安定を守るために、 無意識に使う自己防衛のメカニズムを持っています。 これを自我の防衛機制といいます。  好きなのに手にないらないとわかり、 自分はそんなものホントはほしくなかったというような、 合理化といったものや、 嫌いな人にほど親切にしてしまうといった反動形成など、 さまざまなものがあります。  信じたいけど疑いたいっていうこともそういった、 自我の防衛機制の一つなのではないかと思いました・・・  なんとなく・・・。  なんか、いろいろ考えたのだけれど、 信じる時に、『信じよう』って思うときには、 裏切られることをあまり大きなものとして、意識していないのではないかなって思いました。 意識はしているけど、負荷が低いというか・・・・。 『信じたい』って思う事が、その気持が、 『裏切られるかも(嘘つかれるかも)』といった 可能性よりも大きいから人は誰かを信じることが出来るのかもしれないですね。  例えば、あるカップル。 彼が他の女の子と会っていた。 自分も、その女の子と彼は怪しい関係でないと思う。 でも、その女の子と会うのを男友達と会うと嘘をつかれていた。 『君が心配するならもう会わない。嘘ついてごめん』と彼が言った。 それにも関わらず、彼はまたその女の子に会っていた。 それを私は見てしまったので 彼に聞いてみた。 でも、『会ってない』と彼は嘘を言った。 話が進むうちに彼は『会ってた。でも怪しくない』といった。 (ちなみにこれは、私の経験ではありません(*^-^*)) こう言う状況なら、まあ、嘘つかれたとか、騙されたとかいった状況に近いと思うけど、 この場合に1番問題になってくるのは、 彼が嘘をついたことでもなく、 自分が彼を信じたことでもなく、 これから自分が彼を信じられるか、信じたいって思うか・・・。 かも知れないけど、 でも、実は、  それでも彼を好きで一緒にいたいか ってことなのかなって思います。  たしかに、こういう事があったら彼の行動を疑うし、 言っていることも疑ってしまうでしょう。 それはきっとお互いにとってとても負担だと思うのです。 でも、つらくても、一緒にいたいと思うって気持は、 ある意味、彼を信じるってことよりも重いのかもしれません。 信じる価値がないと思っていても、どうしようもなく 好きで、また嘘つかれるかもって思っても、 頑張りたいって思うことは、信じることとは別の所にあるのかな~。 信じられないから別れるって言葉で言うほど簡単じゃないだろうって思うな・・・。 自分が好きになった人は、それなりの人だと思っている。 自分の好きになった人は、それなりの人だと信じている。 (それなりっていうのは、この場合嘘ついたりしない人) 意味は似てるのかもしれないけど主体が違うのかな。 思っているのは自分。 信じてるのも自分だけど、そこには相手に対する期待みたいなものがあるのかも。 信じたいけど疑いたいって思う気持ち、わかる気がします。 信じることより、疑ってたことが本当だった方が楽(嘘つかれたとわかったほうが楽)ってこともあると思う。 やっぱり、信じるには、自分の心が強くあらなければならないし、それだけの度量がいるというか・・・。 そんな風に思います。  ただ、私思うのですが、最初の方にも書いたけれど、 『信じよう』って思うときは、 やっぱり『信じたい』って気持ちが『騙される(嘘つかれてる)かも』っていう気持に勝るから、信じられるのかな。 たとえ、本意じゃない結果(裏切られる・嘘つかれる)に なったとしても、それでも一緒にいたいって思う気持や、 それでも、相手を大切にしたい、信じたいって思う気持ちがすごく大切なんじゃないかな~。 なんか、浮気とか気付いたときに後になって、 『そう言えば前からおかしいとはうすうす思っていた』とかいう発言あるけど、もしかして、その発言は、 浮気がわかったからこそおかしいと思ったのかもしれないですよね。  わかるまでは、相手を信じてた。でもわかってみたら 前からおかしいと感じていた自分に気付いた。  この場合の疑惑は、もともと少しは疑っていたのか、もともとは全く疑ってなかったけど、そういう結果が引き起こされたことによる自分の負担を軽減させるために、後になって、さも前から持っていた疑惑のように自分の中で無意識にしてしまうのかもしれないですよね。  私、100%信じるってことは重要じゃないように思います。  信じたい気持があるか。 信じる勇気があるか。  そういった心の持ちようや、心のあり方、自分自身のあり方が大切なんじゃないかな・・・。  信じないってことは、騙されない、裏切られないってことかもしれないけれど、誰とも深い関係を築けないってことになるのではないでしょうか。  それは、とても淋しいって私は思うのだけど・・・。  私達は、たとえ裏切られたとしても、また、誰かを信じることが出来るだろうし、信じることが出来なかったとしても信じたいって思うのではないかな。そういう気持ちがあるからこその、今回の質問だと思うのです。  たとえ、 false_nameさんがはじめは裏切られるかもって思って信じたとしても、付き合っていって長い月日が流れていく中では、その疑いが意識されることは少ないっていうか、普段はほとんどない意識されないのじゃないかなって思うのですが・・・。  信じるってことは、小さな種を大きな木に成長させていくってことに似ているかもしれません。  この種がきちんと育つって保障はないけれど、  毎日水をやって大事に育てていくうちに大きな木になって自分に木陰や、木漏れ日を与えてくれた。  たとえ、大きく育った木でも、突然の落雷や台風で バッタリと倒れてしまうこともあります。 もちろん、木の根が腐っていたという可能性も。 最初から育たないって場合も・・・。 すごーーく長くなってしまいましたが、 『信じたいけど、疑いたい。』これは弱さではないって思います。  『信じたい』って思う気持ち、『信じよう』とする気持は、強さでもあり、場合によっては弱さでもあると思います。 なんか、まとまりがなくって申し訳ないと思いつつ・・・。 では、(*^-^*)

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質問者

お礼

再度のご意見、しかもかんなにも長く書いて下さって、とてもありがとうです。 なんか、とても感動しました。ちょっと切ない気持ちもわきました。 なんだかやさしい気持ちにもなれました。うれしかったです。 ありがとうございました。

noname#166310
noname#166310
回答No.15

>愛した人が裏切っても、全て信じた自分が悪かったと思えますか? 自分の思いこみ、勘違いなども含めて。たとえ愛する人でも くどい書き方になっちゃいますが、裏切られたとは思わないので信じた自分が悪かったという考え方にもならないです。しかし、一般に言う裏切られたと感じるほど「ひどい」ことをされたのなら、何故その人はそうしてしまったのかを考えます。自分が追い詰めたのか、その人の状況が悪いのか・・・ともかくその人が人を裏切るような人という結論にはなりません。 >相手の何かしらの働きかけがなければ信じられないことはないですか? 自分の心のもちようだと考えます。相手の働きかけではなく。 >信用できない人を信じるにはどうしたら良いと思いますか? 困りましたね。信用できないと感じる人は信用できない人なのです。これを信じろというのは黒いカラスを白に見えるにはどうしたらよいかと聞かれているようなものです。 >裏切られても良いということを前提に信用できないという人を、どのように見分けていますか? 裏切られてもよいということを前提に???裏切られるということが存在しませんからねぇ。 信用できない人の見分け方ですか?勘といってしまえば回答になりませんよね(笑)これは人の価値観によって変わるのではないでしょうか?

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質問者

お礼

再びお付き合い下さって、とてもありがとうです。 裏切られたとは思わない、裏切られることが存在しない。 なるほど、なぜその人がそうしてしまったかを考える必要が僕にはありました。色々な状況も関わってきてるんでしょうしね。考えなくては…。 >困りましたね。信用できないと感じる人は信用できない人なのです。これを信じ >ろというのは黒いカラスを白に見えるにはどうしたらよいかと聞かれているよう >なものです。 困らせてしまったようで、ごめんなさい。確かにそうですよね、信用できないと感じたものは信用できない。変な事を書いてしまいました。 僕も裏切られるということが存在しえないよう、よく考えようと思いました。 ありがとうございました。

回答No.14

そう。 期待しないことです。

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質問者

お礼

ご意見ありがとうです。 そうですよね。 でも、期待しないで信じるっていうのが、僕にはなんか難しそう…。 信じるってなんだろう、ってなっちゃうです。

noname#2345
noname#2345
回答No.13

戦場とかならともかく、普通の日常生活で”裏切られる”って何なんですか? 自分に不都合な事をされたら裏切られたって事になるんですか? 信じたいけど疑いたい<なぜ信じたいのでしょう? 疑うことはいけないことで信じることはいいことなんでしょうか?自分はそんなことは思いませんが。 どちらが良い悪いの根拠もないのに。 疑うってるんじゃなくて、見極めていく事は大切なことだとおもいますけど。 信じた人に裏切られることなんてないでしょう。 自分に不都合な事をされたら裏切られたなんて思うのは元々、信じていなかったのでは? 信じるって、「相手任せ」なんですから。 信じている人に裏切られる事はありえません。 そんな、本当に信じる事ができる相手なんて簡単には会えないでしょう。 自分を信じるのだって難しいのに。 信じた人に裏切られたら(自分に不都合な事をされたら)「ま、あいつにされるならいいか」って思いますけど、信じた以上。 悩みがないのが悩みっていいですよね。

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質問者

お礼

ご意見ありがとうです。 >自分に不都合な事をされたら裏切られたって事になるんですか? そうなんですよね…。信じるということは自分の都合のいいように 相手に期待する、という風に僕は思ってしまうんです。だから不都合は裏切り。 そんな感じになってしまいます。でもそれって寂しいなとも思ってしまいます。 >信じたいけど疑いたい<なぜ信じたいのでしょう? 自分が傷つきたくないからでしょうか…。でも、信じると同時に、裏切られることも見越して、傷つくことに準備してしまうんです。傷を最小限に押さえるために。 だから、疑いたいけど信じたいとも言ってしまいます。矛盾ですね。 >自分に不都合な事をされたら裏切られたなんて思うのは元々、信じていなかった>のでは? そう。結果ではなくて、事前の問題として。信じようとしていると同時に、ここでいう自分にとって不都合なこと(裏切り)を事前に考えてしまうんです。自分がカワイイから…。結局は信じてないんですよね。 僕は人を信じられてないんだなって思いました。 だから、皆さんは、人のことをどのように信じているのかなって?って知りたくなってしまったんです。 >信じた人に裏切られたら(自分に不都合な事をされたら)「ま、あいつにされる>ならいいか」って思いますけど、信じた以上。 うーん、くどいようでごめんなさい…。「ま、あいつにされるならいいか」って思ってしまったら、最初から信じていなかってのでは?と思ってしまうんです…。 ま、いっかで済まされるような信頼だったのかと。自分にとっても相手にとっても。ほんとーに信じていたのなら、僕なら裏切られたら、発狂激怒するんじゃないのかなあって。 そんな気持ちです。長久なりごめんなさい。

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質問者

補足

誤字等、多々ありました。 失礼しました。

noname#166310
noname#166310
回答No.12

>信じた人に裏切られても、信じた自分が悪かった、と思えますか? もしもこんなことがあったら、裏切られたとは思いません。 「その事実は彼・彼女の本意ではない」と思うようにしています。 裏切られたということは自分の思い込みであった場合(勘違いなど)もあるものだと思います。そんなときに、裏切られたと思うと物事はどんどん悪い方向に進むと思います。 私は自分が一度愛した人(友でも恋人でも)なら信じます。 信用できない人なら交友を持たないようにしています。 むろん、会社などではそうもいきませんが、プライベートでの話です。

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質問者

お礼

ご意見ありがとうです。 >「その事実は彼・彼女の本意ではない」と思うようにしています。 おお、なるほど。本意ではない。そうですね、そう考えたら納得がいくような気がしますね。 >私は自分が一度愛した人(友でも恋人でも)なら信じます。 >信用できない人なら交友を持たないようにしています。 愛した人が裏切っても、全て信じた自分が悪かったと思えますか? 自分の思いこみ、勘違いなども含めて。たとえ愛する人でも 相手の何かしらの働きかけがなければ信じられないことはないですか? 信用できない人を信じるにはどうしたら良いと思いますか? >信用できない人なら交友を持たないようにしています。 裏切られても良いということを前提に 信用できないという人を、どのように見分けていますか? 絡んでいるつもりはないのですが、いろいろなご意見が聞きたいです。 気が向いたら、ご意見お願いします。書きこみありがとう。

回答No.11

再びです。 何だか、この手のことって深く突き詰めすぎると訳わかんなくなりますね。 期待しないのと信じないことはまた少し違いますね・・・。 いい言葉がみつからなくて申し訳ないのですが。 自己防衛の意味で、一度裏切られたりして辛い目にあったら まるごと信じないでみるというのは、普通の事です。 それが行き過ぎると人間不信になったりするんですよね。 完璧な人間なんてありえないのだから、もっと軽く考えたらいいんじゃないかな? 生きていくうえで学習しながら、この人は信用できるとか出来ないとか、 そういう人を見る目も養われていくのではないのかなぁ。 全てが信じられなくなったら悲しい事だけど、 この人のこの部分は信頼できるとか、この友達は全面的に信頼できるとか。 それだけで十分じゃないかなと思います。 全てを疑ってかかる人もそうそういないけど、 全てを無条件に信じてる人は、もっといないと私は思うのですが。

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質問者

お礼

再びのご意見、とてもありがとうです。 >全てが信じられなくなったら悲しい事だけど、 >この人のこの部分は信頼できるとか、この友達は全面的に信頼できるとか。 >それだけで十分じゃないかなと思います。 なるほど…。細分化していったらいいんでしょうかね? 完璧ということがどういう状態かも分からないし、完璧な人間なんていないということはなんとなく分かっているつもりなんだけど、そう思うと同時に、信じるとか信頼するとかってのは、どういうことなんだろうと思ってしまいます…。結局は、他人に責任を押し付けているだけなんじゃないかとか…。 くどくてごめんなさい。でも、2回も書きこんで頂いて、うれしかった。 ありがとうございました。

回答No.10

false_nameさんはとてもまじめで誠実な方なんでしょうね 人ってみんなやっぱり自分がかわいいから自然とそうなってもおかしくないと思います。私も本当は「こんなことしたってなあ」とか思っても良く見られたいあまりに偽善ぶった自分が内心嫌!でも自分のことも好きだからこんな自分ではおかしい?かっこわるいなんて感じて我慢してやったりする・・。こうありたい私と本当の私、どっちも自分なんだけど・・自分の事を良くわかっているようでわかっていないんですねきっと(^^;信じる信じないも自分が決めることだけど、やっぱり用心する心が強いっていうのは自分に対して無意識に正当防衛ってことなんでしょうね 占いなんて本当はわからないけど良いのはうれしいし、手品は仕掛けがわかっていてもすごい!って思うじゃないですか。思い切って信じてみて、結果違っていても信じた一瞬が楽しかったらそれでいいんじゃないかと思いました。 そしたら次も信じてみようかなって思いますよ。

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質問者

お礼

ご意見ありがとうです。 >こうありたい私と本当の私、どっちも自分なんだけど これはすごく分かるような気がします。(笑) 全部自分なんですよね。 >思い切って信じてみて、結果違っていても信じた一瞬が楽しかったらそれでいい>んじゃないかと思いました。 >そしたら次も信じてみようかなって思いますよ。 んー、なるほど。思いきりよく行きたいですね。楽しい方が気持ちイイですしね。 この気持ち、取り入れていきたい。 僕は自分がかわいいために、用心することが人一倍強いようです…。これが良いことなのか悪いことなのかは置いといて、そうした中で、僕はホントに人を信じられているのかなと思ってしまいます。たのしくいきたい。

回答No.9

生きてきて、騙されっぱなしだったらそんな風になっちゃうかも。 私は、そういうところ大丈夫ですね。 むしろ、騙されたふりとか気づかないふりしちゃったり。 騙して欲しかったりすることもあるかなぁ。 自分が好きで信じたり、信じなかったりしてます。 あら、騙されてたよ!とか、そんな感じですね。 そんな時、自分が悪いとかあんまり考えないけど、 今考えると、若かったとか見る目がなかったとかは思います。 私も嘘はつくし。 それにしても、全てに疑ってかかって生きるのって大変そう。 疑ってかかるというより、あまり期待しないという感じだと楽ですよ。 私がそうだから。

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質問者

お礼

ご意見ありがとうです。 全身全霊で疑ってかかるというより もう無意識に疑ってしまっている(?)感じです。 期待しないというのに似てるかも…。 でも、そうしたら、信じるという言葉自体、行動自体、ありえないんじゃないのか と思ってしまい、こんがらがっちゃいました。信じてないのに信じてるみたいな。 期待しないというのは楽だけど、なにか寂しくなっちゃって。

回答No.8

信じるってなんだろ。 私は、人のいうことを聞いて気に入れば、その人の意見を取り入れて 行動することもあるけれど。 最終的には、選択の責任は自分ひとりが負うようにしているので、 「裏切られた」と思ったことはこれまでありません。 「思ったより、あてにならない情報だったな」とか 「思ったより、辛抱できないタイプの人だったな」とか 思うことはあるけれど。 信じるって。なんなんでしょう。私は自分の感覚を信じているし、 自分を置いていてくれる世界は、自分のこともそれなりに愛してくれていると、 それは、信じてる。 だけど、ひとのことを信じるっていうことは、なんなんだろう。 思い込みや期待でその人の行動を束縛しようとしていることと、似ていない? 私は、それはやりたくない。 自分の親を信じるか?子どもを信じるか?恋愛対象を信じるか?って言われたら。 信じるも信じないもない、ただ好きだとしか言えません。

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質問者

お礼

ご意見ありがとうです。 人を信じるって、謎ですよね。確かに、ある種の束縛なのかもですね。 そうなると、信じる方も信じられる方もお互い窮屈ですね。 >私は自分の感覚を信じているし、 >自分を置いていてくれる世界は、自分のこともそれなりに愛してくれていると、 >それは、信じてる。 とてもキレイだなと思いました。

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