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人を殺めてはいけない理由
僕の小学校の頃の話です。k子がでます。k子は(多分なにかの軽い障害を持っていた気がします) そのk子に「お前さ、知的ぶってるけどさ、人を殺しちゃいけない理由わかんの?」 と言われました。 その時、何でだろう?と考え込んでしまいました。 結局 「嫌だから」 と、言った気がします。 どうして、人を殺してはいけないか?? 法律で決まっているから。 じゃあなんで法律で決まっているかと言えば、殺されたくないから・・かな? こういう質問には、どう答えるのが一番賢く正しいと思いますか? 是非よ~く考えて答えていただければ幸いです。
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正直私は判りません。 人殺しが悪いことかといわれればですけど、日本史を紐解けば必ず出てくる「織田信長」ですが、彼の人生は殺戮の毎日です。 逆らう敵は勿論、家臣を殺し、弟を殺し、伯母を殺し、僧侶も女性も皆殺しにしました。 結果、戦乱の世は終わり、僧侶は武装して戦うことなく、精神世界の住人になり、農民は刀を捨て鋤や鍬を持つだけになりました。 恒久的な平和が訪れ、何万もの人々が戦で命を無くす悲劇を免れるようになりました。 徳川綱吉、命を尊ぶ将軍で、殺伐とした戦乱の名残を一掃するため、命を大切にする政策を行いました。 往来の犬や猫が捕らえられ、鍋に入れられて食べられるといった野蛮な風習は無くなり、犬猫は勿論、ハエや蚊すら命を尊ばれる世の中になりました。 結果、多くの人民が犬を蹴ったとか蚊を叩いたという罪で捕らえられ、遠島になり、苦しむことになりました。 2例を挙げましたが、人を殺すことによって多くの人間が助かることもあれば、生かしたがために多くの不幸をもたらすこともあります。 しかし、凡人には誰を殺してよいのか、誰は生かすべきかということは判りません。 これは医療も同様で、末期状況の患者を安楽死させるべきなのか無理にでも生かすべきか、妊娠検査で重度の障害が判った時、生むべきか中絶すべきか、私の周囲でもこの決断は悩まない人はまずいなくて、できれば誰か他人に決断して欲しいと思ってしまいます。 友人の父親が末期がんの時も、妻である母親は「私は女だから判らない」と逃げ、弟は「ここは兄貴が決断して欲しい」と逃げ、結局長男である友人が延命治療を望みました。 人間の命を絶つという行為は、どんなに頭のよい方も信念がある方も躊躇があり、帰還兵も戦争という中で相手を殺すと、何年かするとおかしくなるといいます。 断固として他人を殺せるのは、狂人か天才だけと思います。 答えは概念的になりますが、「凡人には命の重みを背負えないから」ではないでしょうか。 ヒトラーやポルポトも高い理想と高邁な精神を持っていましたが、人を殺すことで狂ったと思います。
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- wyco
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死体が怖いから。 私はこの理由でどんだけ憎い人も殺しませんでした。いや、そこまでの感情に本気でなったことないけど。 で、人を殺した人の精神って普通でいられないと思うんですよ。そんな人間ほっといたら何しでかすかわからないじゃないですか。被害者側の方もそうですが。だから一応制限があるのだと思います。秩序を守るため。最終的に国を守るため。 一番賢く正しくですかー…、そうですねぇ。小難しい相手をも納得させる理由ですよね。「殺せばわかる」に尽きますが、なんかあったら面倒ですし微妙ですね。 もうちょっと考えてみます。
お礼
秩序を守るために。
補足
真面目に考えていただき有難うございます!!! k子も嫌な奴なんですよね。まったく。
- KRASU
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答えは「別に人を殺してもいい」 社会を維持するためには確かに殺人はしないべきですが、 それはあくまで「社会を維持するため」ですから。 絶対的に殺人がいけないことだという理由にはなりえません。 「社会を維持するためには殺人をするな」ということで。 人権云々の話が出てますけど、人権も結局法律で規定されてこそ存在するものですからねー 個人的な話になりますけど、自分は「~してはいけない」みたいに言うのが嫌いです。 だってただ原子だとかが集まって偶然できただけで、実際には人間だってものすごく精密な機械とかと変わらないんですよ? ただ物質の集まりがいろんな法則にしたがって規則正しく動いて、"思考"という虚構を形成してるだけ。 そんな中で「真理」を求めるのって馬鹿らしくないですか? だから私は「殺人はいけない」とは言いません。 「殺人をしたくないし、してほしくない」とは言いますけど。
お礼
思考という虚構を形成してるだけ・・・ですか。 >>そんな中で「真理」を求めるのって馬鹿らしくないですか? 馬鹿らしくは無いと思いますよ。 人として存在している限り 回答有難う御座いました。
- Hazos24
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法律で決まってなどいません。 刑法をちゃんと読みましょう。 「殺したら、ナニナニの刑とする」としか書かれていません。言い換えると、その刑を覚悟していれば、殺してもいいと、刑法は言っているのです。 従って、法的な問題ではありません。 端的に言えば、No.6 の方が述べているとおりで、それを許したら「社会が成り立たないから」です。ヒトは生存上のリスクを集団で受け止めるために社会を形成しています。その社会の内部ルールが殺し合いを認めてしまうと、社会の形成目的にそもそも反します。従って、集団生活の知恵として、殺し合いを禁じます。 が、近代法は明示的に禁じる形にはなりえません。この理由は法律のややこしい経緯が絡むのでここでは略しますが、変わりに教育が禁じる役割を果たします。 具体的には、「殺してはいけない」と思い込むように子供に刷り込みを行うということです。理由も何も無く、条件反射としてそう思うようにです。 だから、あなたに問うたヒトのように「どうして?」と問うこともあります。また、No.11 のように、理由も分からないのに「自明の理」と思い込む人もいます。ともに、理由抜きで刷り込まれるのですから、当然の結果です。 あなたが「嫌」と感じるのも、刷り込まれたからに過ぎません。 その証拠に、生存リスクを必ずしも共同負担しない社会では、殺し合いはよく起こります。ギャングとかマフィアとかスラムの社会が、いい例です。あれは、社会の中のさらに小さいグループの単位でしか生存リスクの共同負担をしませんから、グループ同士での抗争が簡単に殺し合いになり得ます。
お礼
また、教示してもらいたいですね。 参考になりました。
- mota_miho
- ベストアンサー率16% (396/2453)
》是非よ~く考えて答えていただければ幸いです。 人を殺してはいけないのは「自明の理」です。
お礼
あらためて証明するまでも無いですね。
- mapato
- ベストアンサー率69% (493/705)
こんにちは。 こういうのは如何でしょう。もしそういう質問に出会ったら逆に「人を殺してもいい」世の中であったらと仮定してみるのです。人を殺してもいい世の中であった場合、その時点で目の前の相手を「くだらない質問をぶつけられて頭にきたから」という理由で(本当はその理由さえも必要ないのですが)殺してもいい訳ですよね。そういう風に誰もがいつ何時何の為に殺されるかわかったものじゃない・・というのでは社会が成り立ちません。皆「明日があるだろう」とそして「十年後も恐らく生きているだろう」と思うから計画を立てて生きることが出来るので、「今日一日生きられるかわからない」「今日大丈夫でも明日はわからない」というのでは即座に成果のあらわれない仕事なんて誰もやる筈がありません。そもそも労働などに対する意欲が湧いてこないでしょうし、何に関しても投げやりになってしまう人が大多数なのではないでしょうか。加えて自分の身を常に守らねばなりませんから皆大なり小なり武装するようなことになって、精神状態としても健全ではいられないでしょう。そういう状態でもものすごく小さな共同体などであれば生きていけるように思えるかもしれませんが、どんなに小さくても共同体を作る以上はその中だけは「殺してはいけない」ということにしなくてはなりません。何となく実も蓋もないような感じがしてしまうかもしれませんが「殺してはいけない」のは共同体(社会)を保つ為です。そう考えると「ではどうして戦争では殺してもいいのか」ということにも答えられます。それは自分とは別の共同体の別の秩序のもとにある人間が相手だからです。戦争の時であっても単に「人を殺していい」訳ではありませんよね。自分と同じ共同体の同じ秩序のもとにある人を殺すことはやはり認められません。それとは別なもの、自分の守らねばならない共同体や秩序を脅かしかねないと判断する「外」の存在だからこそ、「殺すこと」が自分の共同体からは許される訳です。 ちょっと極端で大雑把な話ですが、時に極端な質問には極端な話で返したほうがわかり易いこともありますよね。書き方が悪くてわかりづらいかもしれませんが。 「もし人を殺してもいいっていうことだったら今私が君を殺しても文句は言えないんだよ。そういう世の中で生きていける?」 それで足りなければ前述のような説明で補う・・これでは答えにはならないでしょうか。
お礼
明日が無いなら確かに生きていけないですね。 どちらの意味でも。
- a_zu4
- ベストアンサー率34% (13/38)
自分がされたらいやな事は、人にしてはいけない。 と、いうことでしょう。 常識ある普通の大人なら、考える以前に分かっているはずです。 だから、それが分からない子供社会では、いじめが起こるのですね。 おとなでそれが分からない、愚か者には殺人もそれ以外でも、罰が待っているわけですね。 私は、そう思います。
お礼
ならぬものはならぬ! 僕も、そう思います。
簡単にいってしまえば、生命は種の保存という目的で存在しています。 自然界に目を向けても無益な殺戮はなされていません。 「何で人を殺してはいけないのか」を考えるより、何で人は人を殺せるのかを考えた方が簡単かもしれません。 結局そこには自然界の掟からは逸脱したファクターが介入してくるからだと思います。 欲望とか嫉妬とか利権、自己の正当化、あげていけばキリがないでしょう。 つまりエゴのもとに行動してはいけないということですかね。
お礼
どうして人は人を殺せるのか・・・・ですか。 よく考えてみたいと思います。 回答有難うございます。
- cap-tuba
- ベストアンサー率0% (0/3)
もし人を殺してもいいとして、あなたの大切な人が殺されたとします。 すると、あなたは殺した人物を殺したい程憎みます。 たぶん殺してしまうでしょう。 そうして殺人が永遠と続きます。世界は大混乱です。 それを防ぐために法律があるのです。
お礼
殺人とは関係ないですが、人が増え続けることにも問題はあるんですけどね。 回答有難うございます。
社会が成り立たないから。
お礼
成り立ちませんね。確かに!!! 回答有難うございます。
- monmon1025
- ベストアンサー率41% (49/118)
みんな自分が殺されるのが「嫌だから」でしょう。 殺されたくないというエゴが法律を形成しただけであって、 そこに正義とか悪は関係ないですよね。 「嫌だから」 「世の中の人はみんな殺されたくは無いと思っているから」 「殺されたくないから殺さない」 こんなところでしょうか^^;
お礼
>>「嫌だから」「世の中の人はみんな殺されたくは無いと思っているから」「殺されたくないから殺さない」 まさにその通りですね。 回答有難うございました。
お礼
「病院で死ぬと言う事」 この本を読んで当時の私は衝撃を受けました。 大変参考になりました。 回答有難う御座いました。