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祭りの屋台と神社
こんにちは。 タイトルの通りなんですが、 これは、いつごろから、こういう関係になったんでしょうか? お祭りなど催事があるときは、絶対、屋台が出ますよね。 屋台の人たちは悪い人というより、ガラが悪そうで、 見た目もですが、苦手です。 どういうつながりで、関係なのでしょうか? ふと、疑問に思いました。 よろしくお願いします。
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いつの頃から始まったのか…大衆文化の歴史は文献として残らない事が多いので分からないこと多いのが大前提でお話します。 元々日本の神様は「人が集まるところや人が楽しそうにしているところが大好き」という原則がありまして…だから子供達は神社の境内で日が暮れるまで遊ぶ、と。仰々しいだけの存在だったら子供が遊ぶなんてとんでもない、となるでしょ?もちろん神様にもよるようですが(天照大神等の日本神話の神様を奉る神社で騒いだら100%もれなく怒られます)、自然崇拝を根拠にしている神様を祭っている神社(いわゆる村の鎮守様とか)では人間と共存するスタイルが一般的です。 だからこそ屋台を出して楽しそうにすると神様が喜ぶと言うわけ。 で、屋台を出している的屋ですが、 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%84%E5%B1%8B ↑ウィキペディアに結構詳しく書いてありますが、元々は人が集まって楽しそうにしているのが大好きな神様を喜ばせる目的で屋台や露天を許したと思われます。と同時に 人が集まる→商売になって儲かる→より儲けたいからよりいい場所が欲しくなる→商売敵同士でのいざこざも頻繁に起こる というわけでそれを取り仕切る人がでてくる。取り仕切った団体の一部が次第に祭り以外の事(特にお上の手の届かない裏社会)でも取り仕切るようになり、これが“任侠”つまりヤクザと呼ばれる集団のルーツとなったわけです。全部じゃないですよ、一部ですよ。飽くまで一部。 で、いつ頃からあるかというと…時代劇などでも主人公が祭りの屋台を荒らす無法者と戦っている最中“親分”が出てきてどうのこうの、という展開からも察しがつくように元禄時代には既に祭りと屋台の文化は開花していたようです。さらに遡る事安土桃山時代の資料には祭りで屋台を出している絵画があったり室町時代にも同様の絵があったり…鎌倉時代に遡る、とする説もあるようです。 現在では純粋に「商売」という立場なので商工会議所や組合運営のものがほとんどですが、露天商ではできるだけ派手で粋な売り子が客の目を引く、ハイ・ファッションな店員のいる店のほうが客受けがいいということでこぞって志向を凝らしてきたのも庶民文化を進歩させてきました。その例としてガマの油売りやバナナの叩き売りなどは通販のマーフィーナントカみたいに芸の域に達しているし、彫り物すなわち刺青を入れるのも“人間広告塔”という発想から広まったもので現在のボディ・アートと通じる概念があります。時代が変わって「怖い」「ガラが悪い」と見えるものでも実は長~い歴史に裏打ちされた根拠があるんです。
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- river1
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大概は、露天商のてきやさん達です。 地方によっては、商工会議所さんや商店会の皆さんが一般に公募してやらせる事もあります。 花見や花火大会とかのイベントでは、こちらの方の露天が多いかもしれません。 ご参考まで
お礼
回答ありがとうございます。 こういうのは、始まって、歴史があるんでしょうか? 大昔からの、お祭りの催事は、 神聖なものですから、静かだったと思うのですが。 あとは、大晦日や節分でも、屋台が凄いですよね。
- zorro
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お礼
回答ありがとうございます。 てきやはわかるんですが、 てきやが神社に出入りするようになって、 どのくらい経つのかなーと思い。 なんとなく、神社は神聖なのに ヤクザみたいな感じの人たちが お祭りだからといって、 屋台を出すのは、 そんなに必要なのかなーと思うんです。
お礼
回答ありがとうございます。 かなりよく理解できました!!