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社会に失望しています
最近、社会に失望して、生きていく価値があるものなのか?と思ってしまうようになってしまいました。 日々の生活で、見たくもないもの、 例えば、ちょっとしたことで店員を怒鳴り散らしている人、前の車が遅いとかで相当な音量のクラクションを鳴らす人、詐欺まがいの仕事で人を騙すような形で生きている人、すぐ切れる子供、意味のわからない殺人、虐待、経済だけを尊重しだした政府等々……、こんな人たちがいる社会で、真面目に働く価値があるものかと思うのです。 ブルーハーツの歌詞に、『いい奴ばかりじゃないけど悪い奴ばかりでもない』というものがありましたが、今はこういった嫌な面にしか目がいかなくなっています。 別に自分がこの社会を良くしていこうという気概も情けないですがあまりないです。つまり夢は特に明確なものはありません。 皆さん、こういう気分になったことがありますか?そうであれば、どのように乗り越えましたか?ご意見等、よろしくお願いいたします。
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人間の心の貧しさって、本当にどこから来るのでしょうね。私にも判りません。 お金持ちでも平気でひどいことができる人はいますし、貧しくても誠実に暮らしている人もいます。 お金が足りないのか、愛情が足りないのか、過去のトラウマや、諦めきれない何かなのか…ひどいことをしてしまうのは、100人いれば100通りの理由がある気がします。 同時に、悲しいことに100人中100人全員が「自分がひどいことをしてる」という自覚があるとも限りません。 私自分、気づかないうちに、人にひどいことをしてるかもしれないし。 また、詐欺まがいの仕事をしている人でも、家族にとってはいい夫であり、いい父である場合もあります。 つまり、自分が誰かを見ているのは、「その人の一面でしかない」と思うのです。 人に対して、怒ったり、裁いたり、あきらめたりするのは簡単で時に必要ですが、no-no-planさんのようにもう一歩踏み込んで、「人間の心の貧しさはどこから来るのだろう?」と考えることは、ご本人に自覚はないかもしれませんが、社会をよくするという行動の一つであると思います。 そして、自分がこれから生きていくため、大切な人を守るための知恵になると思います。 そういえば、二十代中頃くらいまでは私も猛烈に厭世的で、心の中の口癖は「どいつもこいつも…」でした。 限りなく今のno-no-planさんに近い考え方をしていました。 あの頃、電車の優先座席にどっかり座って音楽を聴いてる青年を見ると、ストレートに殺意を覚えましたが、今は「この子も将来老人になって、若者に突き飛ばされるまで、自分のやってたことに気づかないんだろうな…」と可哀想に感じます。 そうなる前に、たとえば数年後、妊娠中の愛妻と電車に乗った時に、妻に席を譲ってもらったことに感激したり…そういう出来事があればいいなと願います。 だから今の私は、社会のひどさにブルーになって動けなくなるよりも、私にできる範囲で何かいいと思えることをして、それが誰かの何かに繋がっていけばいいなと漠然と思っています。 裏目に出ることも多いですが、考え込んで行動を止めるのではなく、その反省を次につなげていくことが大切なのだと。(行動できてるかどうかは別として…) それと、もともとのご質問は「こういう厭世的な気分をどのように乗り越えましたか?」ということでしたね。 私の場合は、外でイヤな現場を見た時、テレビで心痛める事件を知った時、新聞を読んでいる時、「どうすればこの事件は起きなかったのだろう」「逆になぜこのいい事件は起きたのだろう」と考えることから始まって、それをどんどん広げていき、「なぜ自分はこの景色に胸を打たれたのだろう」「この美味しい料理は何から出来ているのだろう」「この作者はどうしてこんなに素晴らしい話が書けるのだろう」ということを考えて、目にしたものの奥へ行くように努力しています。 二十代の頃は、「一つのことを深く」考えることはできても、多角的に想像を広げることはできませんでした。意識して広げるようにしないと、私の場合はなかなか物事の奥へ行けず、社会に対しても見た目通りの感想しか抱けなくなるのです。 そういうことを考えているうちに、厭世的な気分は徐々に薄らいでいきます。 実際は、私の考えなどまだまだ浅く、ワンパターンなのだと思いますが、この厭世的な世の中でできるだけ長生きをして、いつか会話の途中にポツリと深いことを言えるような老人になれたらというのが今の夢です。
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- fountainofs
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やや冷淡なレスに真剣なお答えをいただいたので、付け加えます。 >私が思うに、fountainofsさんは、競争的な世界が好きなのでしょうかね? う~ん、微妙ですね。そういう部分もあるかもしれません。 自分は外国(途上国)生活経験がかなりあり、社会主義的な制度の国、 自由主義的競争を素直に認めないイデオロギーの国にも住んだことがあります。 ひどいものですよ。個人の自由はまったく無くなります。 そういう国は共通して上から下まで極端に社会が腐敗していきます。 それよりは競争的な世界の方が私はマシだと感じます。 (弱者が一定の保護をされるかぎり。でも、社会主義国の弱者よりは 競争主義の資本主義国の弱者の方が物質的にはマシですよ。) それから、『社会貢献』という言葉が何度か出てきますが、私の仕事は非営利分野です。 国際協力の仕事の世界もかなり経験しています。 でも、良いことか悪いことかはわかりませんが、この世界でもプロに感傷主義はありません。 感傷や情に突き動かされてやっているわけではないです。 長くやっている、役に立つプロは全員、そうです。 自分たちが、営利の民間企業で働く人に比べて、より多く社会貢献しているという意識は我々にはありません。 (現代の社会では民間の営利産業が余剰を生産し、それが公的・非営利部門に資金を提供しています。 資本主義社会では企業は自己の利益(エゴ)のために行動するが、それが社会全体をうまく動かすわけ。 だから、物事を『善悪』の物差しでまず分けてしまうのは、いかがなものでしょうか。) 非営利事業、国際協力の世界でも、感傷主義、単純な道徳主義は現実を前にしたら全く役に立ちません。 また、社会に暮らす人間がみな善人として行動すべきだ、という考え方が広まったら、現実にはひどい偽善社会を生むと思いますよ。 社会が良くないから、良くならないから、というのは自分が社会にプラスの貢献をしない理由にはならないと思います。 そもそも、完全な社会が実現しているのなら、あなたや私が社会貢献する必要もありませんね。だって、すでに完全なんですから。
- fountainofs
- ベストアンサー率49% (125/252)
ちょっと待ってくださいよ。 「ちょっとしたことで店員を怒鳴り散らしている人」 「前の車が遅いとかで相当な音量のクラクションを鳴らす人」 「詐欺まがいの仕事で人を騙すような形で生きている人」 「すぐ切れる子供」 どれも確かに人間的に未熟な行為でしょうが、そういう人がいることってそんなに許せないことでしょうか? 皆不完全な人間であることが当たり前なので、そのほうが自然で健康な社会だとは思いませんか? 全員が聖人君子の社会にあなたは住みたいとおっしゃるのでしょうかね。私は嫌です。つまらなそうだし、それこそそんな完全な社会なら生きる意味も無いと私なら思います。 ましてや、「ちょっとしたことで店員を怒鳴り散らしている人」「前の車が遅いとかで相当な音量のクラクションを鳴らす人」「詐欺まがいの仕事で人を騙すような形で生きている人」「すぐ切れる子供」が世間にいることが、あなたが真面目に働く気がしない理由になるというのはよくわかりませんが。 あなたの働く意欲の有無と、そういうこととは関係ないんじゃないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございました。 fountainofsさんの考え方、参考になります。 ですが、私は正直、この世の中からそういった行為が無くなればいいのに、と思います。心底思います。無くならずとも、もう少し他人に対する思いやりが持てないものか、と。 私が思うに、fountainofsさんは、競争的な世界が好きなのでしょうかね?(決して争い事が好きだろうという意味ではありません)そして、その中で、自分を高めていけるのかな?と、こう思います。 私は、こんな人間が多くなっていきつつある世界で、『社会貢献』という目的を持った働くという行為が、ひどく虚しく感じられてしまうのです。自分の回りの人だけでも幸せであれば……、という意見も前にありましたが、やはり社会全体の風潮が悪いと、その気持ちは否めないのです。
- tappara
- ベストアンサー率37% (260/694)
NO4です。 >例えば僕が、「司法試験を目指す」のようなことを言ったら、これを応援してくれるのは、友人知人の何割ほどでしょうか? もしかしたら、落ちてしまえ!、ぐらいに思う人のほうが多いのではないかとすら思います。それは、自分が成功してないから、かな?とにかく社会全体を変えていかないといけないのではないかな?と思うのです。 変えるのは社会ではなくまず質問者様なんでしょうね。 どんなにいい社会でも割るい点を見つけてそれしか見ない生き方をしていればそこは悪い社会以外の何ものでもないですよね。 じゃあどうしたらいい面を見ることができるかですが、いいこと探すのも努力が必要だったりします。まずは一番身近な家族に対して精一杯の愛情を注いでみたらどうですか。人を信用ができないではなく信用ができるところまで自分が相手を信用できるよう努力をしてみたらどうでしょうか。 努力もしないで悩んで苦しむくらいなら、努力する苦しみのほうが前進していると思いますよ。
お礼
確かに自分が卑屈な考え方をしていると思うこともあります。 仕事でも、暖かい人もいれば、嫌な人間もいます。 でも、ここで思うのです。こういった嫌な人間が、真面目で打たれ弱い人間の心を挫いてしまっているのではないかと。今、フリーター等問題になっていますが、社会全体で変えていかないと解決できないとしか思えません。 ですが、tapparaさんのおっしゃる愛情のある生き方、そのための努力、これは決して否定しません。今から、少し心がけていこうかと今、思っています。生きるために。
- marpull40
- ベストアンサー率11% (10/87)
まじめに働く価値があるかとの質問ですが 価値はありません。 ただ、働かないと生きていけません 所詮この世は食うか食われるかです。 きれいごとだけで生きていけたら、その人はとても運のいい人と おもいます。 ある程度割り切って行くしかないでしょう。
お礼
marpull40さんは割り切っていて素晴らしいですね。そこまで、吹っ切れられれば、ある意味、楽に生きられるかもしれないと思います。(もちろん、marpull40さんにも悩みはあるかと思いますが) おっしゃられたことを自分に実践できるかわかりませんが、参考にさせていただきます。 ありがとうございました。
- haskap48
- ベストアンサー率29% (27/92)
社会全体をよくしていこうなんて、思っててもなかなかできませんが、それはそれ、これはこれ。 とりあえずは、自分の周囲の環境を整えていってはいかがでしょう? 他の回答者さんもおっしゃってますが、いい人間関係を作り、健康に気を配り、仕事にも趣味にも打ち込んで、毎日笑って暮らせるようにする。 まずはそれが第一歩。自分の目がしっかり開くようになれば、ちょっとしたことで店員を怒鳴らずにはいられない人間の心のさびしさ、平気で詐欺ができる人の心の貧しさなど、見た目の奥にあるものが見えてきて、社会は変わらなくても、社会の見方は変わると思います。 そうすれば、たとえばちょっとしたことで店員を怒鳴っていた父に優しく接するようにしたら、あまり怒鳴らなくなったとか…新たな発見があるかもしれませんよ。
お礼
社会の見方、ですか。何か青天の霹靂、といったものを少し感じました。見方を変えれば、少しは希望を見出せるかもしれません。 人間の心の貧しさ、それはどこから来るのでしょう?物理的に恵まれないからこそ、でしょうか? haskap48さんに言われたことを、意識してみるようにしたいと思います。ありがとうございました。
悲しいことは世の中にはたくさんあり、そして貴方以外の人たちは勿論それぞれの意志で、考えで動いています。 そして、貴方は貴方だ。 人のことばかり気にしている余裕はありません。 真面目に働かねば食べていくこともできないではありませんか。 お金がなければ着飾ることもできない。 何らかの習い事や勉学を受けて自らを高めることもできない。 仕事なんて好き嫌いじゃありません。 お金儲けですよ。 そして貯金して、未来の計画を立てるのです。 そして将来楽しくのんびり自分の理想通りに暮らしていくのです。 他人は他人です。 貴方一人が気張ったところで世の中変わるわけがない。
お礼
仕事は金儲け、そしてプライベートは思い切り楽しむ…… そう割り切って考えられないところが自分の厄介なところなんですよね。そうできたらいいのですけれども。 ですが、KYTEさんのおっしゃることを実践して生きている人が、人生を楽しむということの一つかな?と思います。 結局、自分には、どちらも両立させなくてはダメだ!という完璧主義的なところがあるのかもしれないです。 ご意見、ありがとうございました。
- HPLC
- ベストアンサー率22% (280/1224)
恐らくそれは質問者さんの心を投影しているに過ぎないのでは? 幸せな人には世の中の様々な事が幸せに写ったり気が付いたり・・不幸な人はその逆・・。 まず自分の心を変えるしかないのでは。
お礼
心の投影ですか。何か哲学的ですね。 自分を変えてなきゃいけないというのは、今までの回答いただいた方の中にもありました。 ですが、それは結局は楽観的になれということなのでしょうかね?それはそれで良いと思うのですが、何か腑に落ちないのも事実です。自分だけが穴に入っていってしまうとでもいうのでしょうか……? ご意見ありがとうございました。
- nishikasai
- ベストアンサー率24% (1545/6342)
あなたは職場でだれかと不仲になってるんじゃないの? いい友達がいたり、恋人がいたりするとそんな気持ちにはめったにならない。そういう気持ちになるのは職場でうまく行ってないからだと思う。 あなたの場合は、 良い友達を作るか、恋人を作るか、職場で人間関係に悩まなくなれば解決するよ。あなたは二次的な問題を言っているけど、第一の原因はあなたがここに書いていないことにあるのだと思う。
お礼
職場において、特に不仲というわけではありません。嫌いな人間はいますけど。 友人も、まあそこそこいると思います。友人たちはいいのですが、その視野を社会に向けたときに、なんか憂鬱になってしまうんですよね。 ご意見、ありがとうございました。
- jim_jp
- ベストアンサー率35% (94/263)
生きていれば、きっと将来いいことがあると希望を持ってください。 no-no-planさんの言われる通り、今の日本いろいろ悪い面が目立っています。しかし、世界に目を向けてみてください。 中東、アフリカ等々毎日死と隣りあわせで生きている人々もいます。それに比較すれば日本はまだずっと恵まれています。それらの人々から見れば日本はまだ夢の国です。 貴方の年齢が不明ですが、若年のかたであればこれからなんだってできます。今に悲観することなく、将来に希望を持って明るく生きてください。
お礼
励まし、ありがとうございます。僕は20代後半です。 おっしゃるとおり、世界全体で見たら、日本は良いです。とりあえず、僕に関しては、今すぐに食べるに困るといったこともないですし、すぐ傍に危険があるというわけではありません(目に見えるような範囲では)。 今、夢を見て、社会貢献をしたいと思います。が、結局それがあんな人間たちを、仕事であれば、同じようにサービスを提供しなくてなりません。そう考えてしまうと、夢を見るのも虚しいんですよね。 ですが、jim_jpさんの励まし、嬉しかったです。
- tappara
- ベストアンサー率37% (260/694)
一般論的な考え方しかしていないからじゃないでしょうか。 僕にしても一般論として世界平和のためとか言われてもあまりぴんときません。 でも、個人論として家族とか友達とか身近に大切な人がいますから、そういった人たちがいるだけで悪いことばかりではないと思えます。 視野を見知らぬ人達の殺人や虐待等のほうに目を向けずにまずはもっと身近な自分の周りの見知った人たちを見てみてください。 本当に何もないですか? 世界を変えようなんて考える必要はありません。身近な家族や友達が幸せであったらいいなって思えればそれが希望じゃないですか。
お礼
貴重な意見ありがとうございました。 確かに、身の回りの人間が幸せになっていくのは嬉しいものです。ですが、ですが、です。 例えば僕が、「司法試験を目指す」のようなことを言ったら、これを応援してくれるのは、友人知人の何割ほどでしょうか? もしかしたら、落ちてしまえ!、ぐらいに思う人のほうが多いのではないかとすら思います。それは、自分が成功してないから、かな?とにかく社会全体を変えていかないといけないのではないかな?と思うのです。 少し、論点がずれてしまいましたね。すいません。
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お礼
またまた、素晴らしいご意見ありがとうございました。haskap48さんも、私と同じような想いをされていたことや、将来の夢のことなど、大変励みになりました。 私も仕事上、たくさんとまでは言いませんが、一般の人に接します。その時思うのは、利益だけを追求している人ほど、大声を出したり、自分だけを特別扱いしろ(やくざ的)、といった傾向が強いように思います。 もう少し、思いやりを持てないものか、と相当ブルーになります。今の社会が経済至上で、弱者が切り捨てられていくようになっていったのだから一部では仕方がないのかな?とも思うのですが、やはり、この現状を情けなくすら思います。 haskap48さんの言われたことを、少しずつでも実践できるように心がけて生きたいと思います。そうすれば何か、大幅に、とは言いませんが、きっかけにはなるかもしれないと思います。