こんばんは。
最終的には「信じるかどうか」というところになりますが・・・
日本に入ってきた仏教の系統では、お経を単なる記録として扱わず、お経自体にある種の「徳」があるというか、唱えることによって得られる・発動できる「何か」があるというような考え方があります。
詳細な意味がわからないままにお経を唱えていたり、書き写したりたりするのも、意識するかしないかに関わらず、何事か得られる、影響を及ぼすことができると思っているから、ということになります。
語弊があるかもしれませんが、極端に言うと、もう「呪文」的扱いになっていると言っても良いかと思います。
宗派によって意味合いや構図は異なりますが、浄土系以外の宗派は、お経を唱える、お寺さんに唱えてもらうことによって、まず本尊様をお勤めし、お勤めを行うことによって生じた「徳」を、本来お勤めしたい方へ廻らせる、という二段活用構造(?)になっています。
お仏壇でお勤めされている方というのは、通常、葬儀の際に仏教信者の証である戒名(法号・道号)を授かっていて、仏教信者になっているわけです。後を祀っていただく方々が仏事を催すということを慶んでいる(ということになっている)わけで・・・
そういう諸々の考え方から、亡くなった方の安楽を祈る手段として「読経」が行われているのだと思っています。
ご質問者さんが無宗教とのことですので、なんだか怪しげでマユツバな話しに聞こえるかもしれませんけど・・・では。