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4月から高3…なのに
高校2年生の女子です。今年の4月から高3になります。 実は今、母ががんのため入院しています。私が中1の時と中2の時の2回手術を受け、その後も抗がん剤治療や放射線治療を続けてきましたが、そのかいもなくかなりがんが進行してしまっている状態です。今は積極的治療は行っておらず、薬で痛みをやわらげています。先日病院側から母の現在の状況と今後のことの説明を受けました。かなりがんが進行している、がんの進行によるものか薬によるものかは判別できないが意識が低下してきている、一緒にいる時間を大切にしてほしい、命の問題になることも予想される、延命処置をするかどうか…といった内容でした。ここ1週間ほど急に状態が悪化してしまい、私は毎日のように面会に行っています。期末試験期間中なので、本来ならば少しでも勉強しなければならないのですが…。 時間がなく、今回の期末試験は本当にほとんど何も勉強していないに等しいです。もともと学校の勉強は学校で片づけることにしているので、さっぱりわからないということはなく、おそらく成績が下がることはないと思います。上がることもないと思いますが。 私としては、学校の勉強はまあ仕方ないなと思えるんです。しかし、高3になって、本格的に受験に向けて準備しなければならないというのに、このままでは私1人だけが取り残されていってしまうと思うと不安でたまらなくなります。ただでさえ私は生まれつき目が悪く(眼鏡をかければ視力には困らないのですが)、その上疲れやすい目なのであまり長時間勉強はできないんです。根を詰めて続けて勉強しすぎると、すぐに目が痛くなって眼底出血(この呼称が正しいのかはわかりません)してしまうんです。そのため少し勉強しては目を休め、また勉強しては目を休め…ということをしなくてはならず、どうしても周りの子たちより勉強時間が少なくなってしまいます。さらに、今の母の状況…このままじゃ駄目、勉強しなきゃという焦りと、どうして私だけが、私の一家だけがこんな目にあうんだろう、よその連中はのんきに暮らしてるのに…という憎悪のようなものが渦巻いて止まらなくなる時があります。幸せな奴らはみんな死ねばいいとさえ思ってしまいます。私の母はあんなにも苦しんでいるのに、お前らの元気と寿命をわけてやれよ、と…。 そんな気分に陥った時は、肉体的疲労に加え、精神的疲労も重なって勉強する気にもなれません。気分の浮き沈みがあるので、普段の状態ならば問題ないのですが。本当に、どうしたらいいのでしょうか…私の志望校がいわゆる難関大学と呼ばれるところであるだけに、焦りと不安はつのるばかりです。どうしようもないんです。母のことはもちろん大切にしたい、けれど勉強しないと浪人してしまうかも知れない、それだけは絶対に嫌…。父はこのところ病院に泊まり、母の傍についているので、家には私しかいません。誰も私の話を聞いてくれない、誰も一緒にいてくれない、誰もわかってくれない…もう嫌ですこんな生活。本当に辛いのは母なのに、私は本当に身勝手で浅慮で愚かな娘です。救いようのない。私がこんなにも不甲斐ないから何もかもうまくいかない。母には本当に悪いことをしました…昔は身体が弱く、すぐに肺炎になったり何だりで私は1年のほとんどを病院通いで過ごしました。数時間点滴されたりとか…母は私の面倒をよくみてくれました。昔は私のせいで、そして今度は自身の病気で病院に…母はもっと幸せになるべき人なのに、何でこんなことになってしまったんでしょうか。 どうすることもできないとわかってはいますが、でも私はどうにかしたいんです。あきらめたくないから。私はこれから、どうやって生きていけばいいんでしょうか…。
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その後、ご家族の様態はいかがでしょうか? 私も父親がガンやその他の病気で幾度も入退院を繰り返しています。今までに何度も手術を行いましたが、手術によって悪化してしまった所もあり、今も病をかかえて生きる日々です。幸い現在は、本人の生きる意志がガンの進行を遅らせているようで、痛みを抱えながらも普通に生活することはできます。どんなことが起きても受け入れられる覚悟がある今ならいざしらず、もし私がまだ未成年であなたのような状態であったら、きっとすべてのことに絶望していることだろうと思います。特に、今でももしガンになったのが母親であったら私もこれ程落ち着いてはいられないと思います。tia-s様がそのような状態にあることを考えると、本当に苦しく、辛いだろうとお察しします。そしてそんな状況でも、将来のこともしっかりと考えつつ、あきらめないでたくさんのものと闘っているあなたを尊敬します。誰にでもできることではないでしょう。 以下、私見を述べさせていただきますが、まず最初に私がガン治療に対して思うのは、「食」と「気」が病気を治すのに一番重要な点であるということです。 治療に際しては、正しい栄養を食べ物から補給することがガンを治療する一番よい方法だと思っています。私の家系はガンを発症している人が多いので私なりに色々とガン治療についての情報を集めてきましたが、結論として病院の施すような処置、人工的な薬剤の投与や手術など、ではガンを治療することはできないのではないかと思っています。例え病院での薬物治療で治癒できたとしても、体にとって異物である薬に頼っていては完全な回復や本当の健康は望めないのではないでしょうか。食事療法や栄養学に詳しい知人の「人間は食べ物でできている」という話を聞いてからは更に確信が深まりました。あくまでも参考程度に提案しますが、ガンの治療法として、ゲルソン療法というのをご存知でしょうか?アメリカのMax Gerson博士が提唱した治療法で、かなり厳しい食事療法によってガンを治療していくそうです。日本でゲルソン療法を積極的に実践している病院もあります。ただ、このゲルソン療法は食事に対しての制限が厳しく、特別な環境下でもなく専門医もいない場合は実践にかなりの根気が必要とされると思います。でもどんなに条件が厳しかろうと命には変えられませんよね。この療法の他にもインターネットで栄養学や食事療法について探せばいくらでも出てくると思います。参考になると思うページのURLを下に張っておきます。 もう一つ治療に関して言えることは、食も大切な要素ですが、それよりも大事な要素は「気」ではないかということです。ガンに関する情報を集めていると、最後の最後に奇跡的な回復を見せる方が多数おられます。私が実際にその場に立ち会ったわけではないので情報には誤りがあるかもしれませんが、本当に奇跡としか言いようのない回復もあります。そのような経験をされた方には、やはり最後まで生に執着した人、気を確かに持ち続け粘った人、が多いように思います。そういう事実に直面すると、最後まであきらめずにしがみついてでも生きたいという気持ちと小さなことにも希望を見出せる強さが必要なのだと実感しました。 いずれも簡単に実践できることではないと思いますが、どうにかしたい、あきらめたくない、という気持ちをお持ちの方には、役に立つこともあるのではないかと思い書いてみました。 最後にtia-s様の進路についてですが、どんなことがあってもできるだけ前を向いて歩いていって欲しいと思います。投稿を読んで、あなたの苦しみや悲しみなどを微塵も肩代わりできないことを本当に不甲斐無く思いました。文章だけでは伝わらない様々な面もあるとは思いますが、あなたの正直な心情の吐露を読んでいるとほんの少しですが気持ちを共有できたように思います。実は、他の質問に対する回答であなたがとてもしっかりとした、あなたの素晴らしい人間性が伺われるような意見をなさっていたので、あなたに興味を持ちあなたの書いた他の回答を読んでいたところでした。もちろん文章のみではあなたという人間のほんの片鱗しか読み取れないかもしれませんが、私が色々な質問に対してのあなたの意見を読んで、あなたの知性や視点に感心したことは事実です。過去には辛いことや悲しいことがたくさんあったとは思いますが、あなたのような強い意志を持ち、地に足の着いた聡明な人はどんな道に進もうと、必ず夢や目標を達成できると思いますし、間違った方向へ行くことは無いだろうと思います。ですから、どんなことがあろうとマイナスの方向に流されず自信を持って生きていってほしいと思います。本当は私もたくさんのネガティブな感情や自分自身の問題を抱えているので、こんなことを書く資格はまったく無いのですが、あなたの投稿を読んで書かずにはいられなくなってしまいました。もしまた、自分の力ではどうにもならないことや辛いことがありましたら、ここに書き込んでみるのも一つの手ではないでしょうか。私の場合は、辛いときに思いを言葉にして吐き出してしまうと幾分落ち着くことが多いです。私はあなたのような人の助けにならいつでもなりたいと思います。 他にも色々と書きたいことはあったのですが、ここですべてをお伝えすることはできないと思うのでここまでに致します。長々と書いてしまいましたが、病気のご家族をお持ちの方には失礼な意見もあったかもしれません。その点については本当に申し訳なく思います。至らないところも多い意見とは思いますが、一つの見解としてお納めください。
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- curtain02
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私も同じような経験をしましたので答えさせていただきます。 私は現在高3で、卒業を控えています。 母はとある難病で、現在の医療では治すことが出来ませんでした。私が母の病気のことを知ったのは高2の12月、他界したのはその約一年後でした。 私の志望校も割とレベルが高いところだったので、勉強出来ない状況はとても不安でした。 勉強したいと思っても、精神的な事で中々机の前に向かう事ができませんでした。友達にも相談できず、家族もあまり私の受験には気を使ってくれませんでした。(家の事は私が一番やっていたように思います。)毎日のように泣いていた時期もあり……。 ただ、早く推薦で合格を決めて母を安心させたいと言う思い、また当たり前のように頑張る一人の友人の姿を見て、わたしもやる気になりました。(他の友人が頑張っている話を聞いても『頑張れる時間があっていいね』などと皮肉しか思わなかったのに、なぜその友人を見てやる気になったかはよくわからないのですが…。) ただ、やる気になってもそこまで勉強時間はのびませんでした。平日2~3時間、休日4~5時間ほどでしょうか。そもそも受験勉強を始めたのが9月…遅すぎます。 推薦は筆記の試験もあったので無理だろうとは思っていましたし、試験の出来はよくなく、帰り道では駄目だったな…と思っていましたが、不思議とあまり落ち込みませんでした。 やれる事はやった、まだ一般もあるし…母に報告出来ないのは残念だが、一般で絶対受かるから安心して、と伝えるつもりでした。 結局、推薦で無事合格する事ができました。今まで頑張ってきた分の評定が高かったのが良かったのかと思います。 ただ、私は落ちてもそこまで落ち込まなかったと思います。やれる事はやったわけだし、母は今まで17年間私のために頑張ってきたくれたので、一年間ぐらいと思っていました。 私は、なるべく傍にいるようにしました。隣で本を読んだり、勉強したりと言う事もありましたが、とにかく傍にと思っていました。 そして、思いつめない事です。この状況では難しいと思いますが、優しいお母さんだったようですので、きっとあなたが苦しんでいるのは辛いと思います。 ただの経験談になってしまいましたが、参考になれば幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 私も推薦(AO)を受けるつもりです。筆記試験つきで面接あり。AOでさらっと合格できれば嬉しいに越したことはないんですが、いまひとつ確実性に欠けるので(そもそもAO入試という形態自体が確たる実態をもっていないように思われますし)その後に控えるセンター試験、一般入試のほうの対策にも追われています。やたらと必要な科目が多いので…周りの子はほとんどが3教科しか使わないからといっているのに、私は5教科6科目必要なので何だかもう泣けてきます…。影武者に半分押しつけて分担して勉強したい気分です。 母のことも勉強のことも、後悔のないように精一杯尽くしていきたいと思います。もともとマイペースな性格ですし、今日の午後くらいからわりと調子が戻ってきたので、自然体である程度気楽にいきたいと思います。
あなたの質問を拝読して涙が出てきました。 私は数年前に家族を突然亡くしました。 その時は、あなたと同じように、幸せな人はみんな死ねばいいと思いました。 でも苦しんでいるのは自分だけではないことに気がつきました。 知人に、母親がボケて(アルツハイマーというのでしょうか)、父親が突然死していまった高校生の男の子がいます。 彼はたった一人で暮らしています。 毎日のニュースでご存知かと思いますが、事件や事故で家族を奪われ、苦しんでいる人もいます。 みんな必死で生きています。 あなたも必死で生きていますよね。 だからご自分のことをこれ以上責めないでください。 私はあなたのお母様くらいの年齢かもしれません。 私には息子しかいませんが、もし娘がいてあなたのように苦しんでいると知ったら辛いです。 あなたのせいで病気になったなんて決して思っていませんよ。お母様は。絶対に。 子供の世話を焼くのは、親にとっては幸せなことです。 むしろこんなに成長されたあなたのことを誇りに思っているはずですよ。 もっとご自分に自信を持ってください。 何かアドバイスできればと思って書きましたが、このようなことしか書けませんでした。 あなたが後悔しないような選択ができるよう、お祈りしています。 どのような選択をしても、間違いなくお母様は喜んで受け入れてくれるはずです。 それが親というものですから。 辛いかもしれないけれど、お互いに無理しない程度に頑張りましょう。 お気に障られるような言葉があったらお詫びします。
お礼
回答ありがとうございます。 テレビを見ていると、あるいは新聞やネットから、様々な情報が飛び込んできます。母が病気になってから、 「ああ、世の中にはこんなに怖いことが満ち溢れているんだ」 と思うようになりました。怖いことというのは、交通事故だったり殺人事件だったり、母のような病気のことだったりと色々ですが、世界は生の光に包まれているようでいて、逆に死の闇にも包まれているんですね。昔はそんなニュースを知っても、『どうせ他人だから』という無意識のうちの認識の壁に隔てられて、まるでどこか違う世界の話のような気がしていました。 最近気になるのは保険のCMですね。やたらとがんの話をしたがる。あれがどうも耳障りで…まあどうせ保険会社側にとっては商売でしかないのかも知れませんがね。同様に不快なのが学校の保健の授業…3大死因がどうのこうのと語られるのが非常に、心の底から不愉快でした。高3になれば忌々しい保健の授業はなくなるのでせいせいしますが。ああ、そういえば知り合いががんで亡くなったんですよーみたいな話を平気な顔してつらつら語りだしたふざけた教師もいましたね…あの時は本当に、シャーペン突き刺してやろうかと思いました。 「お前に何がわかるんだよ!」 って。そんなことをしても無駄だというのはわかりきっていたのでもちろんやりませんでしたが。 嫌なことを思い出してつい長くなってしまいましたが…私も昔に比べれば随分成長したかな、と。そう思いました。 気に障るだなんて、そんな…私はこうして皆さんから助言をいただけるだけで嬉しいですよ。seitotさんのご家族のご冥福をお祈りします。
- yamato9032
- ベストアンサー率27% (3/11)
初めまして。私は先日高校を卒業しました。 私が高1で同じクラスになった子もあなたと似ている状況でした。 病名は聞けませんでしたが、おそらくがんではないかと思います。その子のお母さんは病気で入退院を繰り返していたと聞きました。私たちの高校では、1年次に2回研修(合宿)があります。2回目の研修の時が、ちょうどその子のお母さんの手術の日でした。3泊4日の研修でしたが、その子は「お母さんについていてあげたいから」とゆう理由で研修に行きませんでした。 でも、そのうちずっと入院しなければならなくなりました。 その子は、父 母 姉 と4人暮らし。私たちが2年生になったころ。お姉さんは大学生で国家試験を受験しなければならない年でした。だから、その子が家族の夕食を作っていたそうです。お父さんは仕事が終わると病院に駆けつけ、お姉さんも学校が終わると病院に行っていたそうです。その子も学校終わりで病院に行き、そしてお父さんより早めに家に帰り夕食の準備。 そんな生活をしていることを私は知っていました。 2年の修学旅行の時期、お母さんの状態が芳しくなく、その子は修学旅行に行くか行かないかで悩んでいました。もし、修学旅行中に何かあってもすぐには帰って来られないから・・・。 しかし、私はそんな友達に「修学旅行行こうよ。お母さんのことは心配だろうけど、高校最後の研修なんだよ。」と言いました。 結局その子は良く考えた上で、行かないことにしました。 そして、修学旅行から週数間後・・・お母さんは亡くなったと聞きました。 長々と書いてしまってごめんなさい。 今、私が思うことは、どうしてその子に修学旅行に行こうなんていったんだろう・・・。 ということ。 もし、その子が修学旅行に行っていたら、残り少ないお母さんと過ごす時間を奪っていたことになるのです。 私は、あなたにお母さんについてあげた方がいいとは言えません。あなた自身の将来も大事ですから。 でも、よく考えて決めてください。私の友達のように、本当にお母さんが心配なら、研修を休んだっていいと思うのです。 あなた自身がよく考えることが重要なのではないでしょうか。 回答になっていませんね。ひとつのアドバイスとして聞いていただければ幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 母か学校(勉強)かといわれれば、私は微塵の迷いもなく後者を捨てます。事実、今回の期末試験も、 「とりあえず受けておけば文句ないだろう」 くらいの気持ちで受けてきました。出来としてはそんなに悪くはなく、成績も今までと変わらなさそうですが(むしろ上手くいけば上がるかも?)。勉強時間がなければそのぶん学校の授業時間に今までの倍以上の集中力を発揮すればいいじゃないか…と思って授業を受けていましたから、それが功を奏したのかも知れません。 私の学校では高2の11月の初めに、高校最後の研修があります。もう過ぎてしまったので、研修がありました、のほうが適切でしょうか。その頃はまだ母の具合は今ほど悪くなく、薬は飲んでいましたが自宅で静養中でした。悩んだ末研修には参加してきましたが、この選択は決して間違ってはいなかったと思います。研修先の思い出話をしたり、写真を見せたり、お土産を渡した時、母はすごく嬉しそうにしていましたから。 もうすぐ春休みに入るので、少なくとも学校のことはしばらく考えずにすみそうです。
- vvlo__olvv
- ベストアンサー率42% (3/7)
現在大学4年の女性です。 私の家族にも、現在癌と戦っている者がおります。 医者に辛い宣告をされたのと同時期に、自分の人生の進路も決めなければならず、 進学か就職か、それよりも家族のことが・・・と色々と悩みました。 板ばさみの状況で、苦しい思いをなさっているtia-sさんのお気持ち、 少しは理解できる気が致します。 何か良いアドバイスを・・・と思って投稿させていただきましたが、 なかなか難しい問題で、簡単にもいきません。 しかし、まずはtia-sさんが自分を責める必要はない、ということだけは言いたいです。 どうか、一度深呼吸して、自分の気持ちに素直になってみてください。 今この時、自分が一番何をしたいか(するべきかではなく)を考えてみてください。 お母様のご容態が、少しでも良くなりますことをお祈り致します。
お礼
回答ありがとうございます。 半年くらい前、母のこともあるし学校でもままならないことが立て続けに起こっていて気が滅入っていたので、いっそ高校なんて辞めてしまおうかと半ばやけになっていた時期がありました。まあ、それは結局未遂に終わりましたが。 自分を責める必要はない、というお言葉、とてもありがたいです。私はどうしても自分に厳しくしすぎるところがあるので、そういっていただけるといくらか気持ちが楽になります。ちょうど期末試験も終わったことですし、とりあえず気持ちの整理をして心を落ち着けたいと思います。 現在闘病中のvvlo_olvvさんのご家族のために、私からもお祈り申し上げます。
- fatty2007
- ベストアンサー率20% (1/5)
26歳医師です。 まだ、あまり経験はないのですが、何人か末期のがんの患者さんとその家族の方達と接してきました。私がtia-sさんと同じ様な状況におかれている訳ではないので、十分に気持ちをわかってあげられないのかもしれませんが、私が思うところをお話しますので、参考までに聞いてください。 tia-sさんは浪人のこと、周りの友達との差をすごく気にしていらっしゃるようですね。私も大学受験の時はそうでした。大げさに言えば、浪人が人生の終わりのような。しかし、26歳になって思うのは、浪人が必ずしもマイナスではないと思うのです。18、19歳の時は大きな1年と思っていたのですが、だんだん歳を重ねるにつれて、18、19歳の時の1年、2年の差はあまり重要ではないように思います。その1年2年を惜しむよりも、おかあさんとの時間を大切にしてはと思うのです。勉強は1年、2年遅れても、今後の努力次第で、人生の中の誤差程度のものでしかなくなるけれど、酷なお話かもしれないけれど、おかあさんと過ごせる時間は後から努力してどうにかなるものではないと思います。しかも、勉強は家の机や学校、塾でしかできないものじゃないから、おかあさんのそばで勉強したっていいわけですし。 まだ未熟な医師ですが、いろいろな患者さんや家族をみてきて思うことです。おかあさんとの時間を大切にしてください。参考にしていただければ幸いです。
お礼
回答ありがとうございます。 母よりも勉強を優先させようという気は毛頭ないのですが、この時期になると学校内に受験勉強を煽り立てるような雰囲気が漂ってきて重荷に感じることがあります。なんというか、先が見えなくて怖いんですよね。大学受験に失敗した先にある自分の姿が想像できないというか…。 勉強は、学校での時間を最大限に活用するようにしています。休み時間とか。自分でいうのもなんですが、もともと勉強は好きですし得意でもあるので学校の勉強は間に合っています。あとは受験対策をいかに効率よくやっていくかですね。病院は机がないので勉強しにくいというのが密かな悩みの種なので、机なしでもできる勉強(英単語とか)をするようにしようかなと思います。
- mucky808
- ベストアンサー率22% (15/68)
まず、自分を強く持つことが大事です。そして、このようなサイトはその苦しみをぶつける所でもあると考えています。これからは苦しみを一人で背負い込まず、このサイトにぶつけることも良いんではないんでしょうか?もう少し自分に甘えても良いんじゃないんでしょうか?
お礼
回答ありがとうございます。 私は友達に相談をもちかけられることはよくあるのですが、そういえば自分の悩みはあまり人に話したことがないような気がします。どうも何でも自分だけで解決しようという悪い癖があるようで…そうですね、これからはもう少し自分に寛容になりたいです。
お礼
回答ありがとうございます。返信がたいへん遅くなりまして申し訳ありません。 ここに回答してくださった全ての皆様へ。 母は3月11日の夜に他界しました。昼にお見舞いに行きましたが、そのときはすでに意識がない状態で、まさに生と死の狭間にいるような状況でした。私が家に帰って、夕食をとり、少し経ってから病院に泊まり込んでいた私の父から電話がありました。 「今すぐ病院に来てくれ」 それを聞いたとき、もう終わりなんだな、と思いました。すぐに支度をして、家を出て病院に向かいました。空がとても綺麗な夜でした。都会にも関わらず星がたくさん出ていて、現実を忘れさせてくれるようでした。もしかしたら、病室に行ったら、母が元気になっていて、医者がこれは奇跡だ、でももう大丈夫、病気は治りましたよと言ってくれて、母と一緒に家族そろって家に帰れるのではないか…そんな幻想さえ抱くほどでした。 しかしそんな幻想は脆くも砕け散りました。病室に入って最初に目に入ったのは、心拍数や血圧を表示する、私にとっては名も知らぬ機械の画面に「0」の数字が並んでいる姿でした。その奥には泣き崩れている父と、動かない母の姿がありました。母の手にはまだぬくもりが残っていました。とても安らかとは言えない死に顔でした。かすかに泣いているようにも見えました。 この歳で自分の親の骨を拾うことになるなどと、誰が予想できるでしょうか。私が母とともに過ごしたのは、たった18年程度でしかありませんでした。もう二度と、一緒に食事をすることも、一緒に買い物に行くことも、一緒に話すことすら出来はしないのです。そして、母のことがあったからこそ私は色々なことを教えられ、人として成長できたのだと思うのです。運命のなんと皮肉なことでしょうか。 私はこれから、多くの人々に言葉を、心を伝えていきたいと思っています。私の言葉と心は、私をここまで育ててくれた母のものでもあるからです。あるときはこのようにネット上でかも知れませんし、あるときは直接の言葉のやりとりかも知れませんし、またあるときはそれ以外の形でかも知れません。私の言葉で他の誰かを救うことができたなら、これほど嬉しいことはありません。 ここに書き込んでくださった皆様、様々なアドバイス、経験談など、たくさんの言葉をいただき、たいへん励みになりました。本当にありがとうございました。
補足
私がこの質問を投稿してから、はや1年が過ぎました。 受験も無事終了し、第1志望の東京外国語大学に進学することとなりました。先日の高校の卒業式では父が仕事を休んで参列してくれました。周りの生徒の母親の元気な姿を見て寂しさを感じずにはいられませんでしたが、それでも私は前に進まなければなりません。いつか私が歳をとって、もう歳をとることのない母の年齢に追いついてしまったとき何を思うのか、今考えるだけでも泣きたくなってきてしまいますが、とりあえずは母が最期の日の前日に言ってくれた「受験頑張ってね」の言葉に応えることができたのではないかと思っています。 この報告をもって、この質問を締め切らせていただきます。以前ご回答くださった皆様、ありがとうございました。