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コーラスラインのラスト
昨年、劇団四季のミュージカル「コーラスライン」を見ました。 非常に印象的で、ぜひもう一度見てみたいと思っているのですが、 そんな中でどうしても疑問があります。(ネタバレだったらごめんなさい) オーディションの最後で、ザックが合格者を発表しますよね。 あれってどうしてなんでしょう? 「オーディション」という設定を考えれば合格者と不合格者がいるのは当然なのでしょうが、 だとするとザックは何を基準に合格者を選んだの?と思ってしまうのです。 「コーラスライン」って、ダンサーたちが「履歴書に書いてない」自分の境遇などを語っていくお話ですよね。 その境遇の違いなどでは、合格者は選べないと思うんです。 だとしたらダンスの能力? でも、それならあんな話を一人一人にさせる意味はないし、、、 「舞台の上で人々が自分の気持ちを正直にさらけ出している姿を見せたい」という 作る側の意図としては、わかるんです。彼らが舞台の上で自分のことを語ることの意味が。 でも、感情的にというか、どうしてあの流れで「選ばれる者」と「選ばれない者」が出てしまうのかがどうにも納得できないのです。 たった一度舞台を見ただけだし(映画版は見たいのですが地元のレンタルビデオショップにはなく・・・)、 不勉強ゆえに私が細かなところまで理解できていないのだと思います。 ですがすごく印象的な作品だっただけに、納得できずに終わってしまったようで非常に残念なのです。 (その後のカーテンコールの「ONE」ではとっても感動したのですが・・・) 拙い表現でうまく理解していただけるか不安ではありますが、 つまりは「ザックは何を基準に合格者を選んだのか」ということです。 そのような解説の載っているHPや本の紹介、ご自分なりの解釈などでもかまいません。 みなさんのお答え、ご意見をお聞かせいただければと思います。 よろしくお願いいたします。
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質問者が選んだベストアンサー
「コーラスライン」は映画を1回と、劇団四季の舞台を2、3回観ています。 ザックの選抜の基準は、やはりダンスの上手さ、だったと思います。 キャシーの場合は上手さだけでなく、コーラスラインとして周囲に合わせられるか、もあったと思いますが。 そうすると、それぞれの境遇を話させる意味がない、ということになると思いますが・・・質問者の方はそのあたりが疑問なのですよね? no.1の方が書かれていることにも一理あると思ったのですが、一番の理由は、オーディションを受けに来た人々の人間ドラマを浮かび上がらせるために、ザックを狂言回しとして使い、あのような質問をさせた、ということかもしれません。作品の都合上、ということになりますが・・・ そういう作品の都合上、ということを抜きにして、ストーリーの中でなぜザックが一人ひとりに境遇を語らせたのか、ということを考えると、おそらく、一人ひとりのダンスへの思い、というものを語らせることで、ただ踊るのではなく、魂のこもった、本当の自分を見せる踊りをさせるためだったのではないか、と私は解釈しています。 たとえば、シーラには髪を下ろすようにいい、「本当の君が見たい」というようなことを言っていましたよね。(うろおぼえなので違っていたらすみません) そうやって本当の自分をさらけ出した踊りを観た上で、最終的にはダンスの良し悪しで選んだのだと思います。 結果だけ見ると、境遇で選んだのではないものになるので、なぜ話させたのか、と疑問に思うようなものになってしまっているかもしれませんが・・・ オーディションで選ぶ人数は決まっていますから、結果は出さなければなりません。 でも、本当は、質問者の方がおっしゃるように、選ばれる人も選ばれない人もいない、そのことが、最後に「One」でオーディションを受けたメンバーが皆舞台に出てくるラストになっているのではないかと思います。
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- cotton-tail
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『コーラスラインの舞台裏』という本が出版されています。(現在絶版) 『コーラスライン』が作られたときの様子や、稽古の様子が書かれています。 本によるとリハーサル中は、毎回合格者が違ったということです。 緊張感を持たせるためだったとありますが・・・ もしかしたら合格者は誰でも良かったのかもしれません。 === ここからは個人的な考えです === この質問を読んだときに、真っ先に思い浮かんだのが、『将来の舞台人生に前向きな考えを持った人』かと思ったのですが、 台詞をよく考え直すと、それだけとも思えないですね。 この舞台は初演キャストが試行錯誤しながら作り上げた舞台です。 全員キャストが合格と不合格の練習をしていたのですから、 稽古で合否のどちらの方が、よい表情をしたかで、決めたのではないかと思います。 ラストシーン、悔しそう、恨めしそうなシーラの表情と、合格者の天を仰ぎ見る表情が、厳しいエンタテイメントの世界をよく表していると思います。 (回答になっていなくて申し訳ないです)
お礼
コーラスライン関連の本としては映画が製作されたときのものしか知りませんでした! 舞台が作られたときのものもあるんですね。 図書館などで探してみたいと思います! 全員が合格と不合格の練習・・・ つまり、その時点でストーリーとしては誰が受かってもいいということですよね。 それはすごく納得できる気がします。 誰が受かるかわからない、誰が受かってもおかしくない、それがあのコーラスラインだったのかなと思いました。 ご回答ありがとうございました!
- tenten019
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私は以前映画「コーラスライン」を2.3回は見ました。 舞台は見ていないのですが、映画を見ていてそのようには感じなかったので、 当時私が思った事からご質問に答えさせてもらいたいと思います。 まず、題名が「コーラスライン」ですよね。 これは舞台やショーの主演ではなく、「コーラスライン」=バックダンサー=その他大勢、に視点を置いているわけです。 一人前のダンサーになる第一歩として、みんなコーラスラインのオーディションを受けに来るわけです。 そしてその他大勢の人々にも人格や生活があり、生い立ちや気持ちがある。 それを監督のザックが質問をする、と言う形で表現したのでは。 そして同じ「その他大勢」の中でも選ばれる人とそうでない人がいる と言う結果だけをシンプルに描いた・・と。 ザックは選出する為に色々と聞いたのではないと思います。 狂言回し的な役どころ・・と言うか。 この映画はミュージカルであり、ストーリー性や人間模様に重点を置いたものではないと思いました。 一人の女優とザックの関係は描かれていましたが、大して重要な意味はないと思います。 ただ 「コーラスライン」そのものなのです。 と思ったのですが、いかがでしょうか?
お礼
さっそくのご回答にもかかわらずお礼が遅くなってしまってすみません。 そうですね。「コーラスライン」はブックレスミュージカルの代表例とも言われる作品ですもんね。 たしかにコーラスライン、オーディションそのものと言われればそのとおりだと思います。 ですが、感情的に、どうしてもそれ以上の意味を求めたくなってしまうんですよね。 すみません。 丁寧なありがとうございました。
お礼
お礼が遅くなってしまってすみません。 ご回答、ありがとうございました!! なんだかすごく目からウロコでした。 「本当の自分をさらけ出した踊り」 たしかにそのとおりかもしれませんね 髪を下ろしたシーラ、最後には過去を語ったポール・・・ 自分のすべてを乗せたダンスで結果が出るのなら、それは落ちた彼らも納得できるような気がします。 まさに私好みのというか、私のツボをついたご回答ですごくすっきりしました。 また観たくなってしまいますね。再演はとうぶんないのでしょうか。。。 本当にありがとうございました!!